喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ふるさとを離れるおばあちゃん

2012-03-09 | ブログ
 昨夜、母家で両親と話していたときに、
心に残ることを聞いた。

 母が、昼に二名津診療所に行ったときのこと。
85歳になるおばあちゃんとの話。
その方は、うちの鉄筋コンクリートの家を建てるときに名取の小林建設で働いていた人。
もう43年も前のことだ。
そこには、亡くなった祖母が住み、今は増改築して私たち家族5人が住んで知る。



 久しぶりに会った新部さんというおばあちゃんと母は、なつかしい話にも花が咲いたという。

「私らが鉄筋の家を建てよったときに、色の白いかわいい男の子がおりましたね。
まだ、1歳になっていなかったと思います。
いっぷく休みや昼休みの時に、家で寝かされていたその子をよくあやしたものです。」

 その長男こそ、私なのだ。
私が1歳になる前のできごと。
新部さんたちに抱かれ、あやしてもらったらしいのだ。
知らないとはいえ、うれしい気持ちでいっぱいになった。

おばあちゃんの言葉は続く。
「あの子は、今どこにおりますか?」
とたずねると、
 母が
「その長男は、今結婚して子どもが3人おり、私たちと一緒に平礒に住んでいますで。」

「へー、そうですか。それはうらやましいことですな。
浅野さん、あなたらも幸せですな。今どきなかなかおりませんで。
お嫁さんがえらいですなー。」

「ありがとうございます。新部さんの子どもさんらは?」

「うちは息子が2人おりますが、2人ともよそに住んでいます。
長男が、大阪に来ていっしょに住もうと言いよりますけん、
間もなく名取を出て行きますのよ。」



 母が、そんなやりとりを話してくれた。
聞いていて、複雑な思いがした。
おばあちゃんはずっと住んできたふるさとを85歳になって離れることになる。
どんな思いなのだろう。
息子たちと住める喜び。
ふるさとをはなれる寂しさ。

 ふるさとで住める幸せ。
両親をあわせた7人で住める今の幸せ。
そんなことを改めてかみしめた。

                 岬人