つながる心1のつづき
「そして感動の音楽発表会から二ヶ月が経った今年の夏、父とともに東北へ行くことになった。
ニュースや新聞で見るより、自分の目に焼き付けたいと思ったからだ。
「今行かなければもう行くことはないだろう。被災地の現実を知ろう。」
という父の言葉も背中を押した。
小高い丘を越え、山道をぬけるとそこには、更地になった気仙沼の町が広がっていた。
ところどころにガレキの山があり、その側では、何十台もの重機が作業をしていた。
この現実を見て、僕は、あ然とした。
最近はテレビなどで被災地に関する放送は少なくなり、復興が進んでいると思っていたからだ。
しかし町には、仮設の店が建てられ気仙沼の人たちの希望の光になっていると感じた。
気仙沼市立大谷中学校のグラウンドには、仮設住宅が二百棟という大きな規模で建てられていた。
ついに遠い友のいるこの地に来ることができた。
三崎中学校生徒会全員で作ったビデオレターと四千羽の折り鶴を大谷中学校生徒会の人たちに手渡すことができた。
どの人も明るく元気な表情だった。
しかし、そんな中に今も仮設住宅で暮らしている中学生が十数名いるということを聞いて驚いた。
厳しい状況にも関わらず前向きな考えで物事を見ている姿に尊敬の気持ちすらわいてきた。
話をされていた中で、
「津波の訓練はしていたが予想以上のものがきてどうすることもできなかった。」
という言葉が印象に残っている。
まさに津波のすさまじさを感じる言葉だった。
大谷中学校との交流で、人とのつながりについて深く考えることができた。
人は決して一人では生きていけない。
お互いが相手のことを思い、支え合って生きている。
遠く離れた友から生きる喜びと勇気を学んだ。
これからもがんばっている友のために僕にできることをしていきたい。」
百聞は、一見にしかず。
私と息子たちは、被災地の様子を体全体で受け止め、感じた。
自分にできることをしていきたい。
「ハチドリのひとしずく」である。
岬人(はなんちゅう)
「そして感動の音楽発表会から二ヶ月が経った今年の夏、父とともに東北へ行くことになった。
ニュースや新聞で見るより、自分の目に焼き付けたいと思ったからだ。
「今行かなければもう行くことはないだろう。被災地の現実を知ろう。」
という父の言葉も背中を押した。
小高い丘を越え、山道をぬけるとそこには、更地になった気仙沼の町が広がっていた。
ところどころにガレキの山があり、その側では、何十台もの重機が作業をしていた。
この現実を見て、僕は、あ然とした。
最近はテレビなどで被災地に関する放送は少なくなり、復興が進んでいると思っていたからだ。
しかし町には、仮設の店が建てられ気仙沼の人たちの希望の光になっていると感じた。
気仙沼市立大谷中学校のグラウンドには、仮設住宅が二百棟という大きな規模で建てられていた。
ついに遠い友のいるこの地に来ることができた。
三崎中学校生徒会全員で作ったビデオレターと四千羽の折り鶴を大谷中学校生徒会の人たちに手渡すことができた。
どの人も明るく元気な表情だった。
しかし、そんな中に今も仮設住宅で暮らしている中学生が十数名いるということを聞いて驚いた。
厳しい状況にも関わらず前向きな考えで物事を見ている姿に尊敬の気持ちすらわいてきた。
話をされていた中で、
「津波の訓練はしていたが予想以上のものがきてどうすることもできなかった。」
という言葉が印象に残っている。
まさに津波のすさまじさを感じる言葉だった。
大谷中学校との交流で、人とのつながりについて深く考えることができた。
人は決して一人では生きていけない。
お互いが相手のことを思い、支え合って生きている。
遠く離れた友から生きる喜びと勇気を学んだ。
これからもがんばっている友のために僕にできることをしていきたい。」
百聞は、一見にしかず。
私と息子たちは、被災地の様子を体全体で受け止め、感じた。
自分にできることをしていきたい。
「ハチドリのひとしずく」である。
岬人(はなんちゅう)