喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ばあちゃんの気配り

2016-10-18 | 家族
共働きしている私たち夫婦。
帰りが遅くなった時、食卓におかずの盛り合わせがある。
 母が作ってくれたものだ。
 
 娘が説明してくれる。

「これ、ばあちゃんが、おかずにどうぞ、って作ってきてくれたよ。」
心が温かくなる。
そして思い出すことがあった。

 今は亡き私の祖母が、家族の食事を作ってくれていた。
母は、畑仕事で忙しく昼食や夕食を祖母が作ってくれていた。
 昔の人なので、見た目も味もあまりよくない。
母が作ってくれた方が、当然のことながらおいしかった。

 でも子ども心に、台所に向かい野菜を1つ1つ包丁で切り、
味付けするばあちゃんの姿がありがたかった。
だから、あまりおいしくなくても、文句も言わず食べた。


                  「18年前の祖母とのひとコマ」

 昨夜、そんな幼き頃の思い出が浮かんできたのだ。
妻が作ってくれた方が、見た目も味もおいしい。
でも、「孫たちに食べさせてあげよう。」
「妻のおかず作りの負担を軽くしてあげよう。」

という気持ちが感じられた。


 私が幼き頃にばあちゃんからしてもらったことを、
娘たちもばあちゃんからしてもらっている。
 同じ敷地に暮らす二世帯暮らしのいいところ。
田舎には、そんな良さがまだ残っている。


              岬人(はなんちゅう)
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どうして「お母さん」って呼ぶのだろう  ~母は、お日さま~

2016-10-18 | 家族
「痛とーち、いけんのよ。」
最近、母の口からそんな言葉をよく聞くようになった。

 足にしびれがあり、踏んだ感覚があまりなかったり、
膝が痛くて曲げられなかったり。
 長年、重たい荷物を背負い、斜面のミカン畑を動き回った足は、
おう脚になり、外に向けて曲がっている。

 痛みがとれるいい治療院があると聞くと、どこにでも出向いた。
それくらい体に違和感があるのだろう。

 ただ、どこにいっても根本的によくならず、痛みをこらえながら
毎日ミカン畑に行き、作業している。

 本当によく働いた母。
手を合わせたくなるような気持ちがおこる。

 写真は、6年ほど前に知り合いのりえちゃんが撮ってくれたもの。
黙々と柑橘を選果する母の雰囲気が伝わってくる。
この写真がとても気に入っている。

今は糖尿病の食事制限で、かなりやせてしまっている。



 【おかあさんの語源】というおもしろい記事があった。

『 男は奥さんのことを「かみさん」と言ったりします。

これは元々「日身(カミ)さん」だったそうです。

この“日(カ)”は「太陽」をあらわす。
日にちを数える時に、「にち」以外によく「か」という呼び方をする。
例えば、2日の呼び方は、ふつか。

“身(ミ)”は「身体」をあらわす。

つまり「日身(カミ)さん」で、“太陽の身体”

そういえば、20年に1度の式年遷宮を行った伊勢神宮にまつられている、
「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」は、
女性の神様で、全ての人の租神様(おやがみさま)とされている。
太陽・光・慈愛・真実・秩序を象徴する最も尊い神様。

 お母さんはいつも明るくて、あたたかくて、
しかも朝、昼、晩、と食事をつくってくださって、
わたしたちの身体を産み、育ててくれる。

母親はまさに“太陽さん”そのものだから、
お日身さんと呼び、
「日(カ)」の古い言葉の「カアカア」から「カカア」に・・・

 子どもたちは「うちのカカさま」と言うようになり、
いまの「おかあさん」になった。

「おかあさん」の“か”は、
太陽だったんです♪

だから、女性は太陽のように輝いているのでしょう♪

「日本のこころの教育」境野勝悟 著 致知出版より  』


 元始、女性は太陽だった。
お母さんは、太陽のような存在。

 平礒には、一人暮らしの年老いたお母さんもいる。
子どもたちは都会に出てしまい、夫は先立ち、残って一人で。
 都会の子どもたちもふるさとに暮らす母のことが気になる。
母は、正月に子どもたちが帰省することを楽しみにしている。
かつては、その家も大勢でにぎやかだった。

 親孝行しないといけないな~。
秋の夜長、そんなことを思った。
                    岬人(はなんちゅう)
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