喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

平磯の裏側、パラグアイでまちづくりをするもと喜久家ボランティア

2016-10-23 | 喜久家ボランティア
 6年前、平成22(2010)年のなつかしいブログ。

 地球の裏側パラグアイで、
青年海外協力隊員として活躍されている、
もと喜久家ボランティア市前寛子さんからのメッセージの続きです。


『私はパラグアイ南部の日系移住地ピラポに住んでいます。
ここは、8箇所ある国内の移住地の中でも
日本気質が、色濃く残っています。
 NHKも見られるし、インターネットも見られて日本の状況はリアルタイムで把握できますが、
昔の日本がそのまま存在しているところと言われています。
 おやつには手つくりのかりんとうが出てきます。

 私の仕事で言うと、
高齢者のほとんどの人が家族と同居していて年相応の体の不調や物忘れはあるけど、
自分のペースで元気に生活しています。

 家族それぞれ事情はあれど、
家族が面倒をみるのは当たり前という考えの人が多いところです。
 130人くらいいる70歳以上の高齢者に対して、
50歳以上の主婦のおばちゃんたちがボランティアグループを結成してデイサービスをしたり、
家庭訪問をしています。
 私は、そのおばちゃんたちにデイサービスの運営の仕方や介護に必要なことの情報を提供しながら、
一緒に活動しています。

 移住地の人たちは、助け合いながら生きてきたので絆がとても強いです。
私は、どっちかっていたら都会育ちなので横のつながりを知らないで育ちました。
 
 平磯も、年齢が違っても意見を言い合って、1つ1つのことを決めていたことを見ていたので、
こっちにきて戸惑うことも多かったけど、
毎日が勉強になることばかりです。
 正直、自分の無力さに落ち込んだり、
地元の人たちが理解してくれなかったり、怒れることが多々あります。




 でも最近、私は高齢者福祉活動を通して町づくりをしているなと感じてます。
全然程遠いですが。

 高齢者をいきいきさせることで、
若い人たちが将来のことを考えてくれるようなイベントを開催してみたいなと思うようになりました。

 平磯にいたのはたった3ヶ月でしたが、
まちづくりや人と繋がるということを考えるきっかけになりました。
 そして、いまは本格的に勉強してみたいと思っています。

 この長文のなかで伝えたっかたのは、
このきっかけを作ってくれた平磯に行って本当によかったということです。

 そして、アンちゃんと知り合えたことも。

 来年の6月に日本に帰国します。
帰ったら、平磯に行きたいと思っています。
その時にたくさん話が出来たらなと楽しみにしてます。
 突然の長文読んで下さってありがとうございました。

 それでは、みなさまによろしくお伝えください。
くれぐれもお体にご留意下さいませ。

 平磯の裏側 パラグアイより 市前寛子』




 感激です。
 私たち平礒の人たちは、また喜久家の仲間は、
いつも心のどこかに、
「来てくれた若者たちに何か残してあげれたものはあるだろうか?」
と自問自答しています。

 私たちの不安や悩みをよそに、
若者たちは、多くのことを感じとってくれているのかもしれません。
 それが、岬の宝物なのでしょう。

 寛子ちゃんの帰国を楽しみに待っています。

「reaching home」

                 岬人(はなんちゅう)  


南米パラグアイより 市前寛子さんからの便り 

2016-10-23 | 喜久家ボランティア
 6年前のなつかしいブログを読み返した。

 喜久家には、さまざまな若者が
国内外から来てくれます。
 そして、とびっきりの経験をして、
また旅だって行くのです。

 ツバメのように、またいつか帰って来てくれることを
願いながら見送ります。

 そんな中、喜久家を旅だって行った一人の女性から
メールが届きました。



 その人の名は、市前寛子さん。
まるで女優のような名前。
 もの静かですが、芯の強い心を持った女性でした。
高校卒業後、希望だった介護の仕事をしてきました。
そんな中、もう一つの夢がしだいに大きくなっていきます。
 それは、「青年海外協力隊」

「今だからできる経験をしておきたい。」
そんな強い想いで、長年勤めた職場も辞め、
青年海外協力隊実現への経験を積むために、喜久家プロジェクトに参加してくれたのです。



 
 では、そんな寛子ちゃんからのメッセージをどうぞ。

『こんにちは。

 ご無沙汰しています。
パラグアイにいる市前寛子です。
浅野家の皆様、平磯の皆様、お元気ですか?
覚えてくださっていたら嬉しいです。

 少し前に、インターネットを見ていたら、
喜久家のブログを見つけてみてたら1年ぶりに
アンちゃんからメールが来てびっくりしました。
それから、時々のぞかせてもらっています。

 早いもので、こっちに来てから1年3ヶ月が過ぎました。
南米に1年以上いると、
 さすがに日焼けしてこっちの人らしくなってきたなと言われてます。
日系移住地にいるので、ちっともスペイン語は話せませんが・・・。

 W杯で日本と対戦したので、
パラグアイの知名度が上がったと聞きました。
 
 日系移住地でみたサッカーは、めったに出来ない経験が出来ました。
パラグアイはサッカーが国技なので、
当日日本のユニホーム(偽物)を来て歩くと身の危険を感じました。』

 続く