喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

レッドウィングとの記念植樹 ~木を植えた男~

2010-07-23 | ブログ
 レッドウィングの中高生と伊方町の中学生たちが、
レッドウィングパークに記念植樹をしました。

 毎年、少しずつですが、このレッドウィングパークにも木が増えていますし、
大きく成長しています。

 ふと、ある絵本・映画を思い出しました。

 それは、カナダを代表するアニメ作家、F・バックが、
自然と人とのつながりの大切さを淡々とうたい上げたすばらしい作品。
 フランス・プロバンス地方。
 荒れ地となったここの山岳地帯で、
“私”はドングリを埋める羊飼いと出会います。

 二つの戦争を乗り越え、木を植え続ける羊飼い。
時が過ぎ、再びこの地を訪れた私は、あの荒れ地が大森林に変わっているのを目のあたりにし……。

 という、わずかな行動が、大きな変化へとつながっていくことを教えてくれました。

 未来のレッドウィングパークが楽しみです。
そして、ここで交流した子どもたちの絆が楽しみです。

                 岬人(はなんちゅう)

               

レッドウィングパーク

2010-07-23 | ブログ
 伊方町には、姉妹提携を結んでいる
アメリカミネソタ州レッドウィングにちなみ、
「レッドウィングパーク」という所があります。

 多くの木々、植物、アスレチックゾーンなど
幼い子どもたちでにぎわっています。

 レッドウィングの引率者が、
「とてもきれいな公園だよ。」
と言って、ほめていました。

 写真は、記念植樹のために集まっています。
高い3本のポールのモニュメントは、いったい何?
 それは…

             岬人(はなんちゅう)

ミネソタ州レッドウィング

2010-07-22 | ブログ
Red Wing

 アメリカミネソタ州のレッドウィングは、
伊方町と姉妹都市のつながりがあります。

 写真は、伊方町レッドウィングパークのモニュメント。

 現在、レッドウィングから10人の14歳~16歳までの子どもたちが、
伊方町に来ています。
 それぞれが、ホームステイしながら、交流をはかっています。

 そして、いよいよ今月30日~8月13日まで、
伊方の中学3年生8人がレッドウィングにホームステイします。
 本当にすばらしい交流です。

 喜久家にも海外から、多くの若者たちが来てくれますが、
本人にとっても、地元の人たちにとっても、
すばらしいものになっています。

 私もいっしょに引率することになっています。

 日本とアメリカの伊方とレッドウィングの
未来への架け橋となりますように。
 子どもたちには、レッドウィングとなり、
羽ばたいてほしいものです。

             岬人(はなんちゅう)

抵抗があるからこそ

2010-07-22 | ブログ
 「抵抗があるからこそ」

「行動すれば、
必ず抵抗にあう。

 だが、恐れることはない。

 空気の抵抗があるからこそ、
飛行機は飛ぶことができる。

 水の抵抗があるからこそ、
船は前進することができる。

 人の抵抗があるからこそ、
成長することができる。」

 抵抗をどう考えるかですね。
考えようによって、全くちがったものになります。

 人口減少の田舎の問題。
 この問題があるからこそ、
すばらしい生まれ変わった田舎があるかもしれません。

 そんなふるさとづくりをめざします。

                 岬人(はなんちゅう)

年輪塾

2010-07-22 | ブログ
 私が所属している集まりに「年輪塾」という集まりがあります。
夕日でまちおこしを成功させた、双海町の若松進一さんを塾長としています。

 このメンバーがすごいこと、すごいこと。
バイタリティーにあふれ、向上心がものすごく高いのです。
 みなさん、それぞれの地域で中心となって、
地域づくりの活動をされています。
 
 そして、定期的に集まり、学びあいをしています。
写真は、24日の集まりの会場である日土「あらし山」山荘の看板です。
この看板は、高知馬路村の梁瀬杉(やなせすぎ)。
梁瀬杉といえば、美杉としてとても有名です。

 いつか、喜久家にもこんなすてきな看板を掲げたいものです。

「すべてを知っていると思っている人は、
何も学ぶことはできない。
 疑いや批判の多い人もほとんど学ぶことはできない。
 
 心を開き、素直に学ぼうとする人こそ、
真の意味で賢い人だ。」

 この言葉は、知りあいのたまちゃんからのメッセージです。

 私のような凡人は、学び続けて、
ようやく、みなさんとお話ができるほどです。

 一生、勉強です。

                  岬人(はなんちゅう)
  

平礒、喜久家から世界へ

2010-07-21 | 喜久家の情報
 先日から、埼玉において、
喜久家同窓会が盛りあがっておりました。
それだけに、別れってしんみりきます。
 侑子ちゃんから、すばらしい便りが届きましたので紹介します。

『こんにちは^^
お元気ですか?
梅雨も終わり本格的な夏になりましたね!!

 先日、平磯で出会った仲間に会うために東京に行きました
恭平、スキ、げんひと久々の再会を果たしました!
スキは筋肉マンへと進化し、
げんひは長身からさらなる上を目指していました。
知っての通りですが、恭平には特別変化はありませんでした。笑

 久々に会って感じたことは、
ワーキャンメンバーの温かさはもちろんのこと
志の高さに気付かされました
 みんな、自分の目標や夢に向かって今出来ることを
一生懸命にやる。
 
 ありきたりな言葉で安っぽく聞こえますが、
本当にみんな、そんな言葉が似合う最高な人なんだと
改めて気付きました。

 そして自分の生き方に疑問を抱きました。
このまま、なんとなく生きてていいのかって。
 平磯に行って、農家の生活に少し触れて何かを感じ、
メンバーに刺激されて、色々頑張ろうと思っていたのですが、
日常生活に戻り、同じサイクルを繰り返すうちに、
ワーキャンで感じた思いを忘れていました。
 せっかく貴重な体験が出来たのに情けないです。

 そしてまた、メンバーに会って
違う刺激を受けました。
 今度は忘れてしまわないようにと思い、
とりあえずメールしようと思って今に至っています。笑

 たった2週間でこんなに素敵な出会いがあったなんて、
本当にうれしく思います
 この企画に携わっていた人みんなに感謝したいです。

 そして、恭平に言われてハッとしたのですが
せっかくの出会いをそのまま終わらせるのではなくて、
繋げていきたいって、そう思いました。
私は 思い出としてしまってしまう悪い癖があるので…。

 私のアパートのベランダには、
向日葵が大きく成長し、もうすぐ花を咲かせようとしています^^
 夏に向かってテスト勉強に励むとともに
この夏に自分を振り返ってみたいと思います!!』

 本当、すごい若者たちです。
自分を見つめ直すやわらかさ、
夢へ向かう力強さ。
 こんな若者たちのすばらしさが、
田舎へ新しい風を吹きこんでくれます。

 いつでも、帰ってきてください。
ここが第二のふるさとですから。

                   岬人(はなんちゅう)

涙が出るような喜久家同窓会 in 埼玉

2010-07-20 | 喜久家の情報
 埼玉で行われていた喜久家同窓会。
恭平君からのちょっと、しんみりのメールです。 

『こんにちわ。
昨日は朝5時くらいまで飲み会をしていたので、
ちょっと寝不足ぎみです。

 この同窓会はすきが8月に帰ってしまうという連絡をもらったので、
急遽開催しました。

 実はみんな住んでいる県がばらばらだったんですよ。
げんひは神奈川から
ゆうこは愛知から
すきは福井からこの同窓会のために集まりました。

 そう思うと、やっぱり信じられないですね。
夜は思い出話で盛り上がり、
笑いがたえませんでした。
写真を見たり、ワークキャンプのときの歌を歌ったりしました。

 12時位にひろみさんからも電話がきました。
すごい上機嫌だったのか、電話をとってみたら、
ひろみさんが十八番のエクザイルの運命の人という歌を熱唱していました。
みんなはそれを聞いて大爆笑でした。
 
 その後、すかさずゆうことげんひに運命の人だよ。
と言い出し、よくわかりませんが、笑ってしまいました。
ひろみさん節でしたね。
 すごい良い思い出になりました。

 今度はいつになるかわかりませんが、
またあのメンバーで喜久家で集まりたいですね。
その時の主役は僕ではなく、
ひろみさんでもなく、当然長武さんですよ。
では、また連絡しますね。
失礼します。』

 後半はおいといて、
スキが韓国に帰ってしまうということで、
みんなそれぞれから集まってくれたようです。
 本当、最高の仲間です。

 彼らが過ごした時間は、
わずか2週間。 
 若いときに、こんな心ゆさぶる気持ちが味わえている
というのは、何ものにもかえがたい宝物です。

 小さな小さな平礒、喜久家の物語。

                 岬人(はなんちゅう)

喜久家同窓会 in 埼玉 2日目

2010-07-20 | 喜久家の情報
 埼玉での喜久家同窓会。
2日目に入ったようです。

 ごていねいに、こんなメールが届きました。

『こんにちわ。
村市きょうへいです。

 今日はげんひとすきとゆうこと僕で同窓会をしています。
やっぱり長武さんがいないと、
今日も盛り上がりにかけます。

 今度はぜび、参加してくださいね。
ではでは、失礼します。』

 いやいや、十分盛りあがっていますよ。
こうやって、冗談を言えるのもうれしいものです。
しかも、村市というウソの名を名のるとは。
村市忠君が笑うよ。

 みんな、元気そうです。
韓国のスキ、中国のゲンヒ、岐阜の侑子ちゃん。
本当、みんなの変わらない笑顔を見られてうれしいです。

 それにしても、またもや
スキが持っているのは、
浅野農園の清見ジュース。

                岬人(はなんちゅう)

喜久家同窓会 in 埼玉

2010-07-20 | 喜久家の情報
 先日16日に、恭平君からこんなメールが届きました。

『元気してますか?
今日はスキが家に遊びに来ています。

 浅野農園のジュースを飲みながら、
思い出話をしています。
やっぱり長武さんがいないといまいち盛り上がりにかけます。

 明日はゆうことげんひとすきと僕で地元のお祭りに行ってきます。
長武さんもよかったら来てくださいね。

 場所は埼玉ですよ。
では、お待ちしています。』

 本当に最高の仲間です。
しかも、なぜかいつも浅野農園の清見ジュースがあります。
うれしいですね。

 小さな小さな平礒にある喜久家。
ここでの出逢いが、
埼玉に、そして世界につながっているのですから。

                  岬人(はなんちゅう)

 
            

 

みかんの雫 

2010-07-20 | ブログ
 田村菓子舗の三代目に聞きました。
夏にピッタリのお菓子はどれ?

 「みかんの雫です。」とのこと。
 
『暑い夏に三代目がおすすめの一品は「みかんの雫」。
地元の温州みかんを使って「みかんツリー」を子供たちと
12月に作るのですが、皮はツリーに実はゼリーになります。
 
 冷凍したピューレを使ってゼリーを作ります。
これを冷凍しておくとシャーベット風になります。
半解凍ぐらいで食べると、さっぱり体も冷えて美味しいです。

 「亀ヶ池温泉」で入浴後の一品として作りましたが、
ご予約いただければ二名津のお店でもお取り置き出来ます。』

 小さな郷の、小さなお菓子屋さん。
地元のモノを使い、想いをこめて作ったお菓子。
 ぜひ、食べてみましょう。

               岬人(はなんちゅう)




田舎暮らし

2010-07-19 | ブログ
写真は、リフォームを予定している家からのながめ。 平磯の戸数は、17戸。 50人いない集落です。 石垣に囲まれた、石垣の郷 先祖が一つ一つ積み上げたものです まだ知らない、ふるさとがだいぶんありそうです。

いかた未来倶楽部

2010-07-18 | ブログ
 田村菓子舗三代目の原点は、
ふるさとに柑橘を広めた「宇都宮誠集」
を調べたことだそうです。

 コメントの続きがありますので、紹介します。

『それが原点で私はこんな活動をしています。

「いかた未来倶楽部」http://www.mirai-c.com/という会です。
私が今学んでいる、社団法人八幡浜青年会議所を卒業したOB (定年が40歳)が、
自分たちが学んだことを地域の若者に伝えていきたいと作った組織です。
 
 私はこの設立趣旨にひかれて入会をしました。
長くなりますがお付き合い下さい(笑)

「設立趣旨

はじめに

 私たちを取り巻く政治、経済、社会情勢の全てに於いて、閉塞感に満ちた今日の日本。 私たちのふるさと伊方の現状も、まさに、その中にあります。
 今、21世紀のふるさと伊方のまちづくりを考える時、
意識を同じくする青年が、同じ理想に向け、
まず、行動を起こすことが必要であると、痛感します。
 
 次代の子供たちに素敵なふるさとを確実に手渡すために、
今、私たちが、やらなければならない事は、何か? 
 そして、今、私たちに何ができるのか?
何ができないのか?
さらに、それが出来ないのは、なぜなのか?
 私たち自身が、常に疑問を提起しながら、
前向きにポジティブに思考し、行動する心を育んでいかなければなりません。
 
 これからの多くの出会いや交流の中から、
必ず私たちの求めるものが、はっきりと見えてくるものと考えます。
 
 まちづくりの主人公は、あくまでも、そこに住む住民一人一人です。
それゆえに、行政と住民の合意に基づき、
すべての施策が施行されることが、理想であります。
 住民は「してもらう」、行政は「している」的な考え方が、
まちづくりの方向性を危うくしています。
あなたは、何もしないで求めるばかりしていませんか?
あなたの知らないうちにモノが出来たり、壊されたりしていませんか?
 
 すべては、住民の行政に対する無関心から生まれるのです。
そういった住民意識、行政意識を、
私たちの活動、運動によって変革していく事が出来れば、
素敵なふるさとを、次代の子供たちに確実に手渡す事になることを確信しています。」

 この会の活動が、誰もが持っている潜在的なまちづくりへの関心を掘り起こし、
その思いを具現化していく「まちの元気」になることが、
この会の存在意義であり、基本理念であると考えます。

 みんながひとごとでなく自分の事として考え、行動する。
環境問題だって解決できるはずです。
気づいてもらうために、誰かが投げかけ続けなければいけないと思うのです。』

 田村菓子補三代目は、
学校生徒の職場体験などをこころよく受け入れ、
心底、本気になって関わってくれています。

 勇気が出ます。
 元気が出ます。

 梅雨明けした四国愛媛県。
今日は、ものすごい暑さでした。
 この暑さ、田村菓子補のおすすめの1品は何でしょう?

              岬人(はなんちゅう)

 

田村菓子舗三代目の原点

2010-07-18 | ブログ
 7月13・14日、愛媛新聞ヤング落書き帳に特集された三崎地域めぐりについて、
私の大好きな田村菓子舗の三代目からコメントをいただいたので紹介します。

『「自分ごととして考える」
 岬人さん。すばらしい取り組みですね。
子供たちが、ひとごとでなく自分のこととして意識する。
まさにこれが大事ですね。

 私も中学校の時、郷土クラブで
三崎に柑橘栽培を広げた「宇都宮誠集さん」について調べました。
このことが、私が故郷を自分のこととして考えるようになった原点です。

 その時のクラブのメンバーは5人、
県大会での発表で最優秀賞もいただきました。
 その時のメンバーのひとりは、平礒のヒゲのおじさんの娘です。
私の一つ年下。

 余談になりましたが、そんな体験が私に意識改革をもたらしてくれました。
一生懸命、私たちを導いてくれた木下先生に感謝です!!!』

 ふるさとを、自分のこととして考える。
ふるさとを、自分とのつながりとして考えるといってもいいのでしょうか。

 みなさんのふるさとは、どんなふるさとですか?

                    岬人(はなんちゅう)

 

田舎暮らしを楽しむ

2010-07-18 | ブログ
 現在、佐田岬の二名津という田舎に住んでいるのですが、
さらに田舎のふるさと平礒に移り住む予定です。

 写真は、リフォーム予定の家から見た風景です。
真下には、みかん畑が広がり、
釜木湾につながっていきます。
 手前に、フクロイセという砂浜が見えます。
よく泳いだ浜です。
かつて漁をしていた時代の船蔵跡の石積みが今も残っています。
この浜に打ち寄せる波の音が、ここまで聞こえてきます。
 向こうの山は、釜木の山で、
この方向から朝、太陽が昇ってきます。

 この風景は、30年数前の幼き頃とほとんど変わっていません。
 この変わらない風景にとても惹かれるようになりました。
まるで、時間が止まったかのような。

 こんな変わらないふるさとというのも、もう少なくなったようです。
「変わらないことが、魅力を発する」
そんな時代になってきたのではないでしょうか。

 そんな田舎で、家族といっしょにゆっくりと暮らしていきます。


                        岬人(はなんちゅう)

佐田岬豊予要塞 めぐり

2010-07-17 | ブログ
 7月14日、愛媛新聞ヤング落書き帳に特集された中から、紹介します。

『「今ある史跡残し 語り継いでいく」 バンビ(14歳)
 
 総合的な学習の時間に史跡めぐりをしました。
前回に比べ、戦争関係のものがたくさんありました。

 印象に残った正野の砲台跡は、木に囲まれていて、
暗くて怖かったです。
 でも昔は、そんな所や、
もっとたいへんな場所で働いていた人たちもいたんだなあと思うと、
今はとても幸せな時代なんだと思います。

 私たちは昨年、広島で原爆の被害にあった方の話を聞きました。
興味を持ったので、その後はテレビなどでも戦争に関する話題や
戦争の被害にあった方の話などに気をつけるようになりました。

 戦争の悲惨さと、戦争の被害にあった方のつらい気持ちを、
少しずつわかっていきたいです。
 被害にあった方はだんだん減っています。
今ある史跡を残し、私たちが語り継いでいきたいです。』

 写真は、砲台跡のわきを通っているところです。
砲台跡には、水がたまり、沼のようになっています。
 この奥に迷彩色に塗られた通路と砲弾倉庫があり、
向こう側にも同じような砲台跡があります。

 ここにたどり着くまでの山道も整備していないため、
なかなか人が近づくこともありません。
 
「どういった目的で、何を、どう残していくか」
地域や行政の姿勢が問われるところです。

 まちがいのないことは、この貴重な戦争施設跡を感じた子どもたちが、
戦争や平和というものを、今までとは比べものにならないほど、
自分のものとして考えるようになったということです。

 未来は、まさに人づくりなのです。

                      岬人(はなんちゅう)