僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

母の日に思う

2006-05-14 | Weblog
母の日にはカーネーション。バレンタインにはチョコレート。クリスマスには・・・ひなまつりには・・・
誰が決めたのかは知らんけど、こういう、記念日には○○を。というのは経済界からの仕掛けであることは誰もが知っていること。みすみすそのワナにかかってると知りながらも皆その○○を買う。それはやっぱり気持ちがやすらぐことやし、慶事やと考えているから。だから皆お金を惜しまへんし、最初にこういう仕掛けを考えた人はホンマに賢いなと思う。

その母の日に、次女から嫁に花束が届いた。日頃の感謝を綴った簡単なメッセージが添えてあるカーネーションの花束。この花束を贈るシステムは経済界の策略であっても、娘の気持ちは策略とは無縁。そのメッセージと花束を見てると、赤ちゃんだった頃から今までの娘の姿が急に蘇ってきて、娘の成長に目頭が熱くなった。皆、子供は小さい頃が可愛いというけれど、俺は、子供は大きくなればなるほどかわいいと思う。だって、辛いことも楽しいことも一緒に過ごしてきた時間は小さい頃にはないもん。そんな母の日を過ごしていたところに、でかけていたその娘が帰ってきた。で、自分が送った花束を見るなり一言。「これ頼んだのとちゃう」子供が母親に感謝の気持ちを込めて贈ったのに頼んでいたものと違う花束が届いている。

こういう仕掛けを考えた人は(事業家として)素晴らしいと思う。でも、毎年当たり前のように花が売れる花屋さんは、その仕掛けの力に頼っているだけで、本来、“人の気持ちを届けている”ということを全く意識してないんとちゃうやろか。経済界の仕掛けの目的は、当然金儲けで、それに携わる人は全てプロであるはず。
その間違った花屋の方よ、プロの仕事とはどういうものか、経済の母にでも教えてもらったらどうですか。