ご存知のようにアメリカは訴訟社会。
バナナの皮を踏んで転んだといっては訴訟、マクドのハンバーガーを食べて太ったと
言っては訴訟、ちょっと例えが違うけど、雰囲気で言うと、ゆりかごから墓場までとに
かく訴訟。
こんな文化は俺たち日本人にはとても理解できんとこやねんけど、でもこないだふと、
ちょっと待てよ?と思った。よく考えると訴訟というのはつまり「客観的判断を仰ぐ」と
いうことであって、自分の考え方が世の中で通用するのかしないのかを確かめるとい
う行為やんか、と。
自分ひとりではいくら相手のことや環境を考えても自己中心的になるのは当然やし
相手がある以上収まりがつかないということはよくある話。なら、他人に判断してもら
おうという理屈は極めて論理的で、とかく、個人主義と言われるアメリカやけど、個
人主義であるからこそ、その弊害を埋めるシステムとして訴訟というツールをうまく使っ
てる、という気がするな。
一回ちょっとした訴訟をしてみる、されてみる、なんてのも悪くないような気がするな。
犬も食わない話でも、むしゃむしゃ食べる人だっておるんやろしねぇ。