僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

新しさは自分の中に

2010-04-02 | Weblog
発想法のひとつであるアナロジー(類推)には「ごっこ」「つもり」という着眼点がある
とされる。ようするにお医者様ごっこ等の類で自分がその立場になったら同感じるのか
という発想法である。
今朝、テレビで「外国人が撮った日本(人)の写真」というテーマで特集を組んでいたが、
これがとても面白かった。工事現場のイラストだったり、コンビニでの立ち読み風景だ
ったり、女性の内股であったり、と俺たちが普段どうとも感じないものがいっぱい切り
撮られていて彼ら外国人から見るとそういうところが日本らしさなんやと。
でも、ちょっと考えるとそれは俺たちが普段持っていなければいけない視点でもある。
50歳を超えて大抵のことは経験してしまい、そう新しいことは身の回りに起こらないん
じゃないか、と思いがちだがそうではない。
「外国人になったつもり」「外国人ごっこ」はもちろん通勤電車で女子高生になってみ
るのもよし(ええことないなこれは。気持ち悪いぞ)、車掌さんになってみたり、とさま
ざまな新しい発見をする機会があるではないか。
仕事上、クライアントやエンドユーザーの気持ちになって考えることはするが、最近少
しそういう遊び心を無くしていたように思い、大いに反省しているところである。
ということでとりあえず今日一日は「外国人になったつもり」で過ごそうと思うが、
「外国ではこんなに働かないので帰っていいですか」という考えがまず浮かんできた
時点で「社会人ごっこ」の域から抜けていない自分にあきれている次第でございます。