昨日の夜、久しぶりに屋台ラーメンのチャルメラを聞いた。
窓から覗くと、いつものおじさんの屋台。このおじさんのラーメンは
とてもおいしくて、夜食に何度か食べたことがある。
その時におじさんと色々話しをした中で、最近は夜にチャルメラを
鳴らすと、うるさいというクレームがくることがあって、めったに鳴らせ
ないんですよ、という話があった。
その話を聞いて思ったね。最近はまぁなんとケチな神経の持ち主
が増えたものかと。
そら色々な事情や性格の人がたくさんいる訳やから、中にはちょ
っとした音をうるさいと感じる人もいるやろう。それは悪いことやな
いけど、辛抱すべき仕方ないことや思う。
だってチャルメラの音はたぶん戦後すぐから続いているもので、そ
れはもう寺の鐘の音、蝉や虫の声と同じ自然の音やと思うのだ。
「音」は見えないだけに、想像力を掻き立てる。
寺の鐘が聞こえたら心が静まり、蝉の鳴き声に夏の暑さは増し、
虫の鳴き声に秋の訪れを感じる。そして、
チャルメラが聞こえたら、ラーメンの湯気、一生懸命屋台を引く
おじさんの姿、暗闇の中にほのかに浮かぶ赤いちょうちんの灯り。
こんな豊かな「音」を“うるさい”で済ませてしまうなんて、それでは
やっぱり淋しすぎると思う。
最近はチャルメラの音だけじゃなく、寺の鐘の音にもうるさいとク
レームをつける人がいるらしいけど、そんなことに文句を言う人の
声はきっと鐘の音より耳障りに違いない。
おじさんが何故、昨日の夜チャルメラを鳴らしていたのかは知らな
いけど、少なからず俺と同じような気持ちがあったんやないやろか。
小泉首相が靖国を参拝し、テレビではもっぱらその話題が多い。
そんな中ふとチャンネルを変えると、とても気楽なロンブ-の番組を
やっていた。
靖国問題とお笑い番組。質は違っても比重は同じ。国の問題が
起きてる時にお笑いを見てたら非国民だという訳はないし、靖国
を語るのも、お笑い番組で笑うのもよし。今日の自分を癒し、明
日の自分の糧になる行動や考え方こそが正しいのだと思う。
いつもいくつかの選択肢があり、何を選ぼうが自由だということが日
本という国の素晴らしいところではないですか。
「子供と言うのは育てるものだと思われていますが、実は親も育てら
れているのです」
んなことは、普通に子供を育てた親なら誰でも分かっていることやし、
それが分かっていない親はまともに子供を育てていないということで、
そんな親に件の話を教えた所で理解できるはずがない。
ゆえに、それは教えることでもないし、教わっても分かるもんやない。
そんなことを、もっともらしく話す人と、それに頷いている人の気持ち
が俺には全く理解できない。
お盆の夜には仏が家に帰ってくるという。もっともらしいうわべの話を
聞くくらいなら、仏に話かけるほうがよっぽどリアリティーがある。
今日は友達3家族と夏の鍋パーティーを開催。クソ暑い中の鍋というのも
意外といいものなのだ。
そのパーティーの終わり頃。政治の話から料理の味の話まで盛り上がって
きた中で、俺はふと催眠術のことを思い出した。
TV等で催眠術にかかっている人を見るにつけ、「ありえない」と思っていた
ので、みんなに俺は500%絶対にかからない自信がある、という話をして
みた所、テレビ等で言われている通り、そう思っている人が一番かかりや
すいんや、と言われた。
ただ、そう言われても納得できるはずもない。だって、俺には催眠術にな
んてかかる要素が何一つないと思うのだ。それには根拠がある。
1.自分以外は信じない
2.絶対人にマインドコントロールされない自信がある
3.絶対と信じることは1本の足で立っているのと同じことで、足元をすくわ
れたら終わりと分かっている
4.人の説教話は針の穴ほども通さない
5.理解できない人に対しては恐ろしく冷徹
6.くじけそうな時はよけいに甘い話に拒絶反応を起こす
7.こういう考え方をしてる人には逆説が有効で、催眠術師ははそれを
うまく使う、ということを知っている
8.基本的に甘えた
特に最後の「甘えた」というのは、このような意地を張るときの大切なクッ
ションというか柔軟剤になる。他の7つの考え方はあまり伸び縮みしないけ
ど、この「甘えた」が入るだけで、その7つの考え方に伸縮性を持たせるこ
とができるのだ。
どうよ?こんな完璧な催眠術ガードを持つ俺が催眠術なんぞにかかるは
ずがないじゃないですか。
もちろん、俺が催眠術にかかるようなことがあれば、当然それを信じるの
で、とにかく俺は今スゴ腕の催眠術師と対決したくて仕方ないのだ。
誰か知っていたら、是非対戦をプロモートして欲しい。
そんな話の一部始終を聞いていた友達が言った。
「お前、それほとんど一人で催眠術にかかっとるで」
とりあえず、今一番の強敵は友なのだ。
今日から15日までお盆休み。今日は久しぶりにおふくろも含めた家族
6人(犬の優を含)全員でお盆恒例の墓参りに出かけた。
かなり特別なケースやと思うねんけど、ウチの先祖の墓はあちこちにちら
ばっていて、毎年4箇所の寺を回る。遠い所では天王寺、近いところで
は、家から徒歩30歩。全部回ると交通事情によっては丸1日かかる場
合もある、一大行事なのだ。
神仏を信じない俺やけど、俺の先祖達が何代にも亘って自分の子供
を大切に育ててきてくれたおかげで今の俺があるということは疑いのない
真実なので、先祖を尊敬するという気持ちは強く持っている。だから、
その感謝の気持ちを忘れない為に数箇所の墓参りにも行き、それを教
えるために子供達も必ず一緒に連れて行く。
毎年、そして今日もまた炎天下の墓参り。おふくろは少々バテ気味やっ
たんんやけど、今日、そうやって育ててきた子供達が、おふくろの手を取
り、歩くのを支えてくれていた。
尊敬する谷川俊太郎さんの詩の一部に、
「僕は自分の生が自分自身の墓石になってくることを願っている」
というくだりがある。
墓参りというのは、何も墓という形が必要な訳じゃなく、墓に何を見て、
何を自分自身に還元するか、それが大切なんだと思う。
今日俺は、自分の母を支えてくれる子供達を見て、涙が止まらなかった。
高校生の頃友達と、女の子に「いい人」と言われたらその子とは脈なし
やとよく話していた。
それは、女性が男に対して使う時の「いい人」は、よく言われるように、
その前に「どーでも」がついていることがほとんどで、場合によっては、
「死んでも」くらいの勢いの言葉がついていることさえあるからで、ようする
に、いい人=アホ・ボケ・カスと言われてるとのと同じということやと。
それから30年以上経った今、対象が女の子から女性に変わり、そして
男性が加わっても、その時の自分達の論にはいささかの揺らぎもない。
50歳の足音が忍び寄ってきた今になってもし、いい人なんて呼ばれる
ことがあったら、未だに自己が出来上がっていないのと同じで、北朝鮮
に「好きです」と言われるくらい、終わっていると思う。
男は、「冷たい」とか「変わってる」とか「自分勝手」とか言われてナンボ
やと思うのだ。
そんな持論に向かって努力してきた甲斐あって、最近はもちろん誰かに
「いい人」などと呼ばれたことはない。会社の人にも友達にも、新地の
ホステスさんにも。
その代わりと言ってはなんやけど、最近皆がアホ・ボケ・カスのストレート
を遠慮なく胸元に投げ込んでくるようになり、俺もそのあたりの球には
手も足もでない。たまには危険球もある。
自分が目指した道とはいえ、これはなかなかイバラの道ですぞい。
パチンコ屋かゲームセンターやったか忘れたけど、その店頭に、同じ所を
ぐるぐる回るようにしてある宣伝用のスヌーピーの人形があった。
仕掛けは単純で、電池で動くスヌーピー人形の首に釣り糸のようなもの
をくくりつけ、支柱にくくりつけてあるだけ。これでスヌーピーは支柱を中心
にして電池が切れるまでずっと動き続ける。
ただのスヌーピーの人形。やのに、それを見て俺はなんとも可愛そうにな
り、もうその糸を外してやってくれ、という感情に駆られてしまった。
それは、スヌーピーに悲しい何かを投影したからに違いないねんけど、何
を投影したのかが自分でもよく分からない。
色々なものに縛られ、変わり映えのしない生活をしている自分を映した
のか。はたまた、スヌーピーを虐待されている動物として映したのか。
店としてはもちろん、そんなくだらないおセンチな感情の持ち主のことを考
える必要なんか全くないし、そのディスプレイのやり方に問題がある訳や
ないけど、人を呼び込むのが目的にしては、あまりセンスのいい宣伝とも
言えんと思うねんな。
とにかく暑いのが苦手な俺にとって、ここのところの暑さはもう我慢の限界を
超えつつある。
でもまぁなんとか乗り切るしか仕方ない訳で、たとえば、恒例のお盆の墓参
りなんかは、一昨年あたりから、少しでも暑さから逃れるため、早朝にでか
けることにした。
仕事で、外に出る時はできるだけ影の多いところを歩き、車でいける所には
できる限り車で行き、家ではできるだけスイカを食べ、水分を補給するように
している。
それでも最近はものすごく疲れやすくて、眠たくてしかたない。
立秋という言葉に必要以上に反応してるのは俺だけやろか。
今日帰って何気なくテレビを見てたら、天国からの手紙なる番組が
流れていた。そんな番組があるのも知らなかったし、大体からして、
俺は占いとか霊感とかの類のものは新地のホステスさんのお世辞よ
りも信じないので、うさんくさいなぁ、と思って見てたんやけど、ビックリ
したのは、霊能力者(なん?)の江原ナントカ氏が亡くなった人に変
わって、遺族に「真実」を伝えるというシーン。
死後の世界のことが分かるのなら、死人に口なし、なんてことはなく
なり、未解決の殺人事件も全て解決するはずや。それなのに、遺族
の方は彼が聞こえるという、亡くなった方の「真実の言葉」を聞いて
納得し、涙を流し、その江原さんとやらに感謝している。
ただ、「誰にも分からない」世界なので、それが絶対に真実じゃない
とは言い切れないかも知れないが、絶対に真実じゃないと言い切る
ほうが、それこそ「真実」に近い気がするのに。
こんなのは、詐欺罪に問われて当然のように思うんやけど、相手が
嘘でもいいからうまく騙して欲しいと思ってるのであれば、話は別だ。
ただ、そうであれば、番組タイトルを「江原ナントカとの霊感マジック
!」とし、「あなたも気持ちよく騙されてみませんか!」みたいなサブ
タイトルでもつけなあかんよな。
この江原さんとやら、今ちょっと流行っているらしいけど、ちょっと毛色
の違うマジシャンということなら、確かに新しい気はするけどね。
客観的にみても、一体どれだけツイてないのか、と思うくらい辛い目に
合い続けている友達がいる。プライベートなことなので内容は控えるけど、
神様、もう彼を許してあげてください、と言いたくなるくらいそれはそれは
大変なのだ。
その友達に久しぶり―といっても1ヶ月ぶりくらい―に会った。そして、会っ
てびっくりした。わずか1ヶ月会わない間に恐ろしく白髪が増えていたのだ。
電話では、最近また大変なことになってるというのは聞いてたけど、今まで
そんな急に白髪が多くなったことなんてなかったので、ここ1ヶ月間の苦労
というのは、今までの苦労と重なって、たぶん今まで一番大きいものやった
んやろう。
それでもいつも彼はほとんど愚痴をいうこともなく、黙々と、そして淡々と生
きていて、そんな彼を俺は尊敬している。その彼がこの間ふとこんなことを
もらした。
「ちょっと何かのタイミングがずれていたら俺は自殺してかも知れない。でも
死ぬのはホントに簡単でいつでも死ねるからこそ、そう簡単に死ぬことはし
ないでおこうと思ってる」、と。
そう、考えてみれば、自分で命を裁つことは、いつでもできるとても簡単な
ことなのだ。なのに、世界30ヶ国以上の内戦で、親の我儘で、行政の不
手際で、訳の分からない殺人鬼に、自分で命を断つ自由さえ奪われて
いる人(幼い命も含めて)のなんと多いことか。
ということは、生きていく辛さを味わえるだけで、十分に幸せなのかも知れ
ない。だから、最後に俺は彼にこう言ってやった。
「お前、白髪でもあるだけええやんけ」
日本で活躍する外国人二人の言葉に痛く感動した。
ひとつは横綱 朝赤龍の言葉で、
「父の涙は何よりも高い」
これはこの間の亀田選手の世界戦のあと、亀田選手のお父さんが泣
いているのを見て言っていた。
もうひとつは 今や格闘家?のボビーオロゴンの言葉で、
「僕はお母さんのお腹に5年いた」
これは、ボビーのお母さんが子供の大切さを表現するために、自分の
子供達に、あなたは私のお腹に5年いたのよ、と言っていたらしい。
どっちもこの短い言葉の中に両親に対する感謝・尊敬の気持ちが詰
まっていて素晴らしいなと思った。
日本ではどんどん健全な親子関係がなくなっていく。
そんな中、何かと物議を醸し出している亀田家やけど、親子関係だけ
は、間違いなく世界クラスに違いないね。
授業の一環として、現地の幼稚園児に日本語を教える機会があったそうな。
その中で、1から10までの数字の発音を教えるにはどうするかを考えた時、
3なら“太陽のSUN”、5なら“行くのGO”という風にして教えていったらしい。
そうやって教えていって「9」まで来た時。発音の例より先に日本語で「キュウ」
と言ったところ、何故か子供たちが揃ってその「キュウ」が大好きだと言い出し、
別に1から10までの数字の中の好きな数字を言いなさいといった訳でもない
のに、とにかく I LOVE “kyu”だったということなのよ。
それを聞いてなんでなんやろと思って、実際に1から10までの数字を普通に
日本語で発音してみたら、 確かに9だけがやけにチャーミングな音には違い
ない。でもただそれだけなんかな、と考えてたらもうひとつあった。9だけには他
の数字にはない、間に小さい「ュ」があって発音すると、くちびるがキスをする時
の形になるのだ!
きっとアメリカの子供ならキスには慣れてるやろし、表現力が豊かで、人の表情
もよく見てるから、そのあたりで9が好きになったんとちゃうやろか。
まぁこの論が正しいかどうかは分からんけど、その論を検証する時に絶対にし
てはいけないことがひとつある。
間違っても俺がキスする時の顔を連想しないでください。
7/30「パロマと同じ?」で書いたけど、結局壊れたエフェクターの代わりに
新品のエフェクターを購入しました。
買ったのはLINE6というメーカーのPODxt LIVEというマルチエフェクター。
今までBOSSというメーカーのエフェクターを使ってて、今度もまたBOSSに
しようかなぁ、と考えてはいたんやけど、それも能がないし、いづれにせよ試
奏をさせてもらうとしても、なんかいいエフェクターがないもんやろか、とネット
で色々検索してみたら、そこに実際に使ったユーザーの感想とかが掲載さ
れているサイトがあり、こぞってとてもいい評価をされていたのが件の商品。
もちろん万人受けするものが自分にも合うとは限らんけど、このマルチエフ
ェクターという代物はどこのメーカーの商品でも、使いこなして自分の気に
入った音が出せるようになるまでには結構な時間がかかるので、楽器屋さ
んでちょっと試奏したくらいでは結局のところよく分からん。だから最終的に
購入の判断をするときには、世間の評判というのも結構大切な要素にな
る訳なのよね。
こういう時にインターネット環境というのはホントにありがたいと思う。昔なら
友達や楽器屋さんというごく限られた狭い範囲の人からしか得られなかっ
た情報が全国の、しかも実際に使っているユーザーから得ることができる
んやもんな。
その中でとても気に入った感想に「あまりに素晴らしい音がするので一日中
弾いててもまったく飽きることがない」というまるでメーカーの人が書いたよう
な(実際サクラというのもありえる訳やけど)感想があった。あとの感想も結構
それに近いものが多くて、まぁそれを信じて買ってみようかと思ったわけ。
で、使ってみた感想。 「ムチャクチャいい音するー!」
これホンマに誰もが書いてた通りやった。今日、昼前から弾き始めて気がつ
いたらもう夕方になってもんな。今まで使ったエフェクターの中でもダントツ。
世知辛い世の中、音楽を愛する人の意見に嘘がなかったのが、いいエフェ
クターに当たったことに加えてまた良かったと思えた一日でありました。
やっぱり、昨日の亀田くんの試合結果に対しては誰もが疑問を抱いていた
みたいやね。今日のネットニュースなんかを見てもその話題ばっかりやもんな。
その話題で、昨日ひとつ書き忘れていたことがあった。
昨日はウチの長女も一緒にあの試合を見てたんやけど、試合結果を聞いて
しばらくポカーンとしてた。それからしばらくして、長女が真顔で言ったひとこと。
「お父さん、ボクシングって"やる気"も採点対象になってんの?」
そんなんは小学生の通信簿だけや、と娘に言いながら、こんなオモロイ視点
が残ってんたんやと、ちょっと感心しながら、久しぶりに大笑いしてしもた。
後味の悪い試合やったけど、大笑いを残してくれたのがせめてもの救いか。
今日は自宅に帰ってきました。
二日間に及ぶ炎天下での撮影で、もう両手の日焼けはやけど状態。腫れて
じっとしてても痛い。まぁ言うたところで、日薬で直すしかしゃあないねんけどね。
ということで、福山での一番の思い出は結局日焼けになった。
で、帰ったら亀田くんの世界タイトルマッチをやってたのでずっと見てたんやけど、
きっと誰しもが「えっ」て思った亀田勝利の判定やったよね。
リングサイドの解説者たちも、「これが世界の強さなんです、ここでそう簡単に
勝ったら、逆に亀田にとってプラスにならない。よくぞここまで頑張った!」
なんてことを言うてたし、観客も亀田本人も負けた、てな感じやったし。
もちろん、亀田は頑張ったし、彼が悪い訳はないんやけど、以前から日本で
行なわれるタイトルマッチでは疑惑の判定というのがしょっちゅうあったし、今回
も審判に袖の下を渡したと言われても仕方のない内容やったと思うな。
だいぶ時間が経ったけど、日本人は、柔道の篠原が負けた時の明らかなジャ
ッジミスにはどうだこうだとさんざん突っ込んだし、記憶に新しいところでは、WB
Cのデービッドソン審判の誤審をボロクソに責め立てた。でも、自国の選手が
勝ったときの明らかなジャッジミスは黙ってるなんて、正直さという日本人の誇り
はどこへ行ってしもたんやろかね。
死に物狂いで練習してきて、やっとつかんだ勝利。運も実力のウチやし、勝利
をそんな簡単に手放せるわけはないと思うけど、亀田には、新チャンピォンコー
ルを受けた時、「このジャッジは間違ってる、お前がチャンピオンや」と言って、相
手にベルトを渡して欲しかった。そうすれば、それこそ下衆な話やけど選手とし
ての価値も上がるし、強さも上がったんとちゃうかな。
日本人でチャンピオンになる人間はそうであって欲しいと俺は思うねんけど、こん
なん亀田くんのオヤジさんに聞かれたら、あのおかしな練習用具でしばかれるん
やろなぁ。