浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

高梁、吉備高原へドライブ(その2)

2013年05月21日 22時06分38秒 | Weblog
今さら先月(4月)のことを記事化してすみません。

4月18日は、わたしも母親も仕事が休みだった。
そこで、岡山県内の高梁と吉備高原方面へドライブに出かけた。
午前(時刻失念)に、マイカーで自宅を出発した。
そして、吉備中央町の吉備高原都市を走り抜け、吉備中央町内にある、道の駅かようで、休憩した。
そのあとも、高梁市に向かって、車を走らせた。
途中、ループ橋があり、その途中に、車を止めて、高梁市街地を見下ろせる場所があった。
そこに車を止めて、景色を楽しんだり、写真を撮ったりした。
また、その日は、八重桜などの花がきれいに咲いていた。









そのあとも、車を走らせ、備中松山城を目指した。
そして、ふいご峠の駐車場に車を止めると、城まで、山道を歩いた。
その途中にも、見晴らしのよい場所があった。
また、遅咲きの桜が花を咲かせていた場所もあった。



備中松山城は、天守が現存する山城の中で、もっとも高いところにあることで知られている。
店主のあるところの標高は430mだという。









備中松山城をあとにすると、通った道を引き返した。
そして、車で高梁市街地へ降りた。
国道180号線沿いにあるセルフうどん店で、遅い昼食をとり、そのあと、吉備高原へ向かって走った。
そして、吉備高原都市にあるきびプラザに休憩を兼ねて立ち寄った。
きびプラザには、岡崎嘉平太記念館があり、入館した。
館内には、岡崎嘉平太氏の書斎を復元したコーナーがあったり、肖像画や遺品が展示されていた。
岡崎氏は、明治30年(1897年)に、吉備郡大和村(現在は、加賀郡吉備中央町)で生まれたという。
大正11年(1922年)には、日本銀行に入行した。
その後、華興商業銀行を設立し、理事に就任し、大東亜省などの参事官も務めた。
それから後も、いくつかの会社の社長に就任していた。
なかでも有名なのは、全日空の全身である日本ヘリコプター輸送の社長を務めていたことである。
それに関連して、館内には、全日空の飛行機の模型がいくつか展示されていた。
岡崎嘉平太記念館をあとにすると、陶芸作品の展示室に入った。
地元の陶芸愛好者たちの作品が展示されていた。
それらの展示品を観覧したあと、飲食店で休憩をし、きびプラザをあとにした。
それから帰路についたが、その途中も、遅咲きの桜などが所々できれいに花を咲かせていた。
その日は、天候がよく、本当にドライブに良い日だったと思った。
コメント
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