桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

会津若松市

2017-09-03 15:55:10 | ブラ歩き情報
30日、前日からの続きで会津若松市内を見て廻りました。


この日は朝から雨が降っていましたが、最初は市内中心部
の国道121、118号線に並行して走る大町通りに行き
ました。写真は漆器店。当地では店蔵や蔵住宅が多く見られ
ました。


ちょっと脇に入った所の西軍墓地。公園みたいになって
いましたが墓が立っていて説明板もありました。この後、
七日町通りを歩くべく、JR七日町駅方面に向かいました。


途中、民家の片隅に古峯神社の石碑が立っていました。
そういえばこの地方ではやたらと古峯神社を見ました。
後で調べたら、秋葉神社と同様に火伏の神として信仰
されているようでした。


こちらは会津新選組記念館。やはり蔵を利用(造り)して
いました。


JR七日町駅近くの阿弥陀寺にきました。こちらには東軍
墓地の表示がありました。


境内奥にあった御三階。元は鶴ヶ城本丸内にあったもの。


七日町通りを先ほどの本町通りに交差する所まで歩き
ました。歴史を感じさせる建物が並んでいます。


これも蔵造り風ですね。


洋風の建物で、元は塚原呉服店、現在は野球工房という
スポーツ用品店みたいです。


こちらは道の反対側にあった活性炭製造輸入販売会社。
洋館と蔵が合体しているようでした。


七日町通りを交差する道にあった油・味噌店。


元の通りに戻って、角にあった蒲生氏郷の資料館。


白木屋。江戸時代から続く由緒ある漆器店みたいです。
現建物は大正時代のもの。大正ロマンそのもの。


ギリシャ神殿を想わせる旧第四銀行会津支店。


大町通りとの交差点角にあった郡山商業銀行若松支店。


続いて飯盛山に行きました。何か急勾配の階段が目の前に
ありました。左に迂回路があったので、そちらを行きま
した。


道を回って行った所の厳島神社。


その隣の戸ノ口堰水神社にあった戸ノ口堰洞穴。猪苗代湖
の水をこの洞窟を通して引き込んでいるみたいでした。


そこから上に進むとさざえ堂がありました。重文指定です。


向拝の龍の彫刻がとぐろを巻いているように見えるのには、
不思議な感じがしました。


白虎隊の墓がある所まで上りました。そこにあったイタリア
記念碑。


白虎隊十九士の墓です。


イタリア記念碑の脇から巻道を少し下りた所に白虎隊
自刃の地がありました。


その前の景観。そこから鶴ヶ城が煙を上げているのを見て
自刃した訳ですね。目をこらすと、中央部に僅かに鶴ヶ城
が見えました。


拡大して撮った写真がこれです。センターのポールの後に
鶴ヶ城が見えています。


飯盛山を後にし、国史跡の会津藩主松平家墓所を見に
行きました。写真はその手前にあった武家屋敷です。
中には入りませんでした。


県道を曲がって墓所へ向かう道。ここでも蔵造りの家、
それから古峯神社の石碑を見ました。


松平家霊域入口の石柱が立つ墓所の入口へきました。
ここから山の中を登って行きました。


この柵を通って実際の霊域に入りました。


分岐が出てき、それによると九代松平容保の墓は上でした。


大きな霊塔が立つ所へ出ました。これは三代正容のもの
でした。


五、六、七代が続きました。その奥から右上に行くと
容保の墓になるみたいです。


九代松平容保の墓です。いやにあっさりした墓だと思った
ら、これは神式の墓なので、その後の盛り土が実際の墓
みたいでした。


容保の墓に向かって建てられた霊塔。容保の亀趺座で、
容保の足跡が刻まれているようです。


戻る途中にヤマジノホトトギスが咲いていました。今回の
ブラ歩きの中で唯一の花ですね。


霊域の柵を出た所に小さな墓が立っているのに気が付き
ました。歴代松平家愛馬之墓と刻まれていました。こんな
所にも会津松平氏の気風が顕われているような気がしました。

会津地方、いままで何回も訪れていますが、今回はじっくりと
見て廻りました。また改めてそのよさが分かったような気が
しています。
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下郷町・会津若松市

2017-09-03 09:47:55 | ブラ歩き情報
2017年8月29日、30日会津地方に行ってきました。
29日、本州中央部の122、121号線を走って最初に
訪れたのは、巨大な岩がそそり立つ「塔のへつり」でした。


121号線から少しそれて行った所が、大川(阿賀川)沿い
に立つ石灰岩質の岩壁、塔のへつりでした。


吊り橋を渡って対岸へ行きました。


えぐられた岩壁の中には虚空蔵菩薩が祀られていました。


続いて下野街道(会津西街道)宿場大内宿へ向かったので
すが、途中にあった中山風穴を見て行くことにしました。
ハイキングコースが広がる山の中を歩いて、風穴に辿り
着きました。


風穴は二基あって、こちらは手前にあったやや小振りの方
の風穴。それでも中は冷風を感じることができました。


湯野上温泉から県道に入って大内宿へ着きました。写真は、
大駐車場に車を置き大内宿を歩き始めた処です。茅葺の
古民家が通りを挟んで連なっていました。


殆どの家がお土産屋や、食べ物屋を営んでいましたが、
この家は休みだったのでしょうか?


大きな白木の鳥居が立っていました。この鳥居の所を
折れて行った先に高倉神社がありました。


曲がって少し歩いた脇に、大内宿の年中行事(に使われる?)
「眠った流し」がありました。


高倉神社へ歩いてきました。


林に囲まれて社がありました。


社本殿のすぐ後ろには、杉の大木が立っていました。


また宿場内へ戻って、奥へ歩いて行きました。


突き当たった所の大きな家。この家も、この日は休みだった
のでしょうか?


左に曲がって山際にあった子安観音。その右が見晴台に
なっていました。


その見晴台から大内宿を撮りました。宿場の様子が手に
とるように分かりました。


宿場内を戻る途中、縁側に飾られた大きな野菜に目が
止まりました。そういえば、もう少しで十五夜ですね。


大内宿を後にし、国道へは戻らず大内宿こぶしラインと
呼ばれている県道をそのまま進むと大きなダムがあり
ました。灌漑用の大内ダムみたいでした。


堰堤の反対側の山あいに見えたのは、さきほどの大内宿
だろうと思いました。


会津若松市へ向かって車を走らせていると、何やら歴史
を感じさせるような家がありました。大沼郡美里町(元は
会津本郷町)という所で付近に焼物の窯がたくさんある
みたいでした。


こちらは会津本郷清郷美術館。いまは閉館しているみたい
でした。


いよいよ会津若松市へ入り、まずは会津鶴ヶ城に行き
ました。東口の廊下橋を渡り城内へ進みました。


東口の方から見た天守閣。


城の最上部五層の展望部から見た西方向。


時計回りに回って、こちらは北方向。真ん中の階段は
武者走り。


東方向。真ん中の低い山が白虎隊の籠った飯盛山。


南方向。南走長屋が飯干櫓へと延びています。


天守閣を出て、南走長屋に設けられた鉄(くろがね)門
を撮りました。


また少し斜め東方向へ歩いて振り返り、天守閣を再度撮り
ました。ここからの眺めはよかったです!!


さらに進んだ所の片隅にあった「荒城の月碑」。仙台の
青葉城公園にもあったような気がしました。


その先の茶室麟閣。


中へ入って出てきた蒲鶴亭。その隣の躙り口の所が
茶室の麟閣だったと、後で知りました。


鶴ヶ城から少し離れた御薬園にきました。松平氏の庭園です。


御薬園の中へ入りました。


その先の薬用植物標本園。見て歩きましたが、クガイソウ
など山で見る花が多いのには驚きでした。


右奥の心字の池。


御薬園の後、白虎隊の学び舎会津藩校日新館へ行きま
した。実際の日新館は戊辰戦争で焼失、現日新館は
S62年に復元されたものです。入口手前に八重の桜
で知った「什の掟」の表示板がありました。


南門です。ここから中に入りました。


中にさらに戟門がありました。時を知らせる太鼓が置かれて
いました。


潜って真っ正面に見えたのが大成殿。


戟門から回廊形式で勉強をする部屋が幾つも続きました。


大成殿近くまで進んで、その屋根を撮りました。鯱と同様
の鴟尾(しび)みたいなものがありました。変わった形を
していて、頭は龍で胴と尾は魚なんだそうです。


大成殿は孔子を祀ったお堂です。


面白い形の銅器が置かれてあったので、思わず撮って
しまいました。


こちらは乗馬の訓練をする木馬場。真ん中にポツンと鞍が
置かれていました。


弓道場は省き、こちらは天文台だそうです。天体観測もして
いたみたいです。


最後は砲術場です。八重もここで鉄砲の射撃訓練をしたの
でしょうか?

この日はここまででした。いろんなものが見られてよかった
です。

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赤城自然園

2017-08-06 14:25:38 | ブラ歩き情報
2017年8月3日、赤城自然園に行ってきました。国道
353号線の溝呂木交差点から赤城山を上って行き、行き
着いた所に赤城自然園はあって、いま森の妖精と呼ばれる
レンゲショウマが盛んに咲き誇っていました。


赤城自然園の入口に着きました。入園料(¥1,000)を払って
中に入りました。


前へ進み、広場の奥の中央やや左から、園内案内図
に書かれたコースに沿って歩き始めました。


最初に大きなオオバギボウシが目につきました。


歩いて行くとすぐにクルマバナがありました。


さらにその先にレンゲショウマが咲いていました。
レンゲショウマはコースの後半で見られると思って
いたのが、すぐ出てきたのには驚きました。結局
コースの至る所で咲いていたのでした。


固まって咲いている所も見ることができました。


ここはシャクナゲの谷と名付けられた所。辺り一帯、
シャクナゲでいっぱいでした。園内各所にこのような
名前が付けられたスポットが幾つもありました。


これはギンバイソウといいます。ちょっと変わった花
ですね。


またレンゲショウマを見ました。


このヤマユリの花は大きかったですよー。


こちらのアジサイも大きく、バレーボールのボール位の
大きさがありました。


歩く道筋に一輪だけアザミが咲いていました。可憐ですね。


コオニユリだと思うのですが、背丈が随分ありました。


これはハナイカダといいます。葉の真ん中に花が咲いて
実になる、のは少し変わっていますね。


オミナエシが幾つも咲いていました。時季がまだ早いと
思うのですが…


ソバナが形よく咲いていました。


オカトラノオです。これはまだ小さいので花が揃って
いましたが、他の大きなものは、殆どが先端だけ残した
ものになっていました。


マツムシソウ。これも早い感じがします。


カライトソウはもう終わりで、はかなげな姿が印象的
でした。


ヤナギラン。これも終わりで、僅かに残った先端部だけ
を撮りました。


キキョウがいっぱい咲いていました。


ユウスゲもいっぱい咲いていたのですが、形のいいものが
以外と少なかったです。


クガイソウもほとんど終わりで、皆色褪せていました。
写真はその中でも見栄えのいいものを探して撮りました。


こちらはシキンカラマツといいます。初めて見ました。
そういえば葉がカラマツソウ系していますね。


ウバユリ。所々にニョキ!と立っていました。


大分歩いてきて、樹上小屋がある広場にきました。


こちらはその先のアカマツ広場。ベンチがあって大勢が
昼食を摂っていました。


マルバダケブキです。


みどりの広場に着きました。最初のコース半分の最奥部
です。


周辺部の木から何かぶら下がっていました。サワシバ
の花で、まるで蓑虫みたいですね。


周辺部には、こんな群生したレンゲショウマもありました。


これはシラネアオイの苑と呼ばれている所で、辺り一面
シラネアオイばかりでした。花の時期に来たくなりました。


歩いていて、ふと目についた花。コバギボウシだと思います。


これはオトコエシといいます。オミナエシ(女郎花)に対し、
男郎花と書きます。


暗い森の中でひときわ色鮮やかなフシグロセンノウ。


風車みたいな花のシデシャジン。


これは皆ヤブレガサ。小さい時の唐傘みたいな姿から
は随分と違っています。花も咲くみたいですね。


ダイコンソウが咲いていました。


とても濃い色でキキョウが咲いていたので、また撮って
しまいました。


こちらはカワラナデシコ。高い山ではタカネナデシコを
よく見かけますが…


こちらはカワミドリといいます。


こちらはハバヤマボクチ。この後どうなるのでしょう?


シモツケソウもよく咲いていました。


タカトウダイ。こちらも変わった花ですね。


レンゲショウマの苑という所へきました。コース後半の
最奥部です。でも数は他と比べてそんなに多くはあり
ませんでした。


首を傾げたレンゲショウマを、顔が見えるよう下から
撮りました。


キオンがさりげなく咲いていました。


これはルイヨウボタンといいます。色の違った実が幾つも
成っていました。


ミズスマシの池と名付けられた池。木々に囲まれています。


このものすごい数で咲いているのは、クルマバナだと
思うのですが、それにしても多かったです。


遠くからでも目立つ色で、カンゾウが咲いていました。


ノリウツギ、もう花の時季は過ぎようとしているのでしょうか。


大きな、それこそ大きなシシウドを見ました。


こちらはソウシシヨウニンジンの実。


入口近くまで戻ってきた所の見晴し台から見た景色。この
後、そこへ下りて色々な花を撮ったのですが、それは省略
しました。

赤城自然園のレンゲショウマ、森の妖精というだけあって可憐
で、十分堪能できました。また、その圧倒的な数にも驚きました。
その他の花も多種であって、本当はここに載せた以外にもいっ
ぱい撮ってきたのでした。また、何かの機会に行ってみたいと
思いますね。
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新潟三条・新潟

2017-04-24 14:17:46 | ブラ歩き情報
2017年4月19日、新潟ブラ歩きの二日目、この日は
三条市と新潟市に行きました。


最初に、三条市の吉野屋という所の石動神社に行きました。
地図上に道がない所をさんざん迷いながら、ここまで辿り
着つことができました。


鳥居を潜ったとき何か悪い予感がしたのですが、この石段
をずうっと上って行くことになりました。辺りに人気は
まったくありませんでした。


どの位上ったでしょう。ようやく社殿の前に着きました。
ここに、今回の主目的にもなった石川雲蝶の彫刻がある
のです。


向拝の龍の彫刻、まさしく石川雲蝶ですね。拝礼もそこそこ、
早速撮らせてもらいました。


屋根裏破風の浪間に亀と鯉が隠れているのが分かります
か?木鼻部分も象ではなく獅子なのですが、こちらから
ではちょっと形がわかりませんでした。


左脇障子には加藤清正と高麗人の彫刻があったのですが、
ガラス戸が嵌められていて、写真では光を反射しはっきり
見えませんでした。


右脇障子は、神功皇后と武内宿禰ですが、こちらはもっと
はっきりしていません。でも、両者とも実物はしっかり見て
きました。


拝殿内部欄間中央(二つ)には、源頼光四天王の蜘蛛退治
(右)がありました。左右には、龍神と俵藤太(左)、
源頼政の鵺退治(右)もありました。


こちらは左の蜘蛛退治です。


このおびんずる様も雲蝶だそうです。


石動神社を下りてから本成寺に行きました。法華宗の
総本山で、ここの雲蝶の彫刻を見るために寄りました。
また、雲蝶の墓もありました。写真は赤門(三門)。


水門。ここから境内に入りました。


水門近くにあった変わった形の鐘楼。


こちらは多宝塔。鐘楼共々、江戸中期再興されたものみたい
です。


寺務所から入った奥の間に雲蝶作の牛が安置されて
いました。明治の火災ですべて焼けてしまい、これ
しかないとの説明でした。何となく安心感を与えて
くれる牛でした。


その隣の白い牛は、雲蝶弟子の作でした。


境内太鼓門から外に出た所にあった六角の千仏堂。


近くには牛の石像もありました。何を意味しているの
でしょうか?


三条市を後にして、新潟市へやってきました。こちらは
信濃川沿いのみなとぴあにあった旧新潟税関庁舎。現在
工事のため閉鎖中でした。


こちらは、旧第四銀行住吉町支店。


内部1Fはレストランになっていました。独特の雰囲気が
ありました。


2Fには会議室。


同、こんな和室もありました。


こちらは新潟市歴史博物館。


傍を流れる信濃川。対岸には佐渡へのフェリーらしき
船が泊まっていました。この日は風が強くて欠航した
みたいです。左へ行った先が河口。川の中にカモメが
浮かんでいるのが分かりますか?


中央区の官庁街にやってきました。この通りは
地獄極楽小路。


傍の屋敷の中をちょっと覗いてみました。後で調べたところ
では旧齋藤家別邸の一部ではないかと思います。


その前は白壁通り。白い石畳になっていました。


その通りを中ほどに歩いてきた所にあった旧齋藤家別邸の
入口。


さらに先に行くと、新潟大神宮という神社がありました。


その神社参道中ほどに、思いもよらず坂口安吾生誕の碑
がありました。桐生には終焉の碑があり奇しき縁というのか、
不思議な感慨をもちました。


こちらはカトリック新潟教会。大きな教会でした。尖塔が
見えているのに、道が複雑に入り組んでいて、なかなか傍
へ行けませんでした。
この後、白山公園に向かいました。



県民会館近くの駐車場に車を止め、公園と思う方向に
歩いて行くと、歴史を感じさせる建物がありました。
重文の新潟県政記念館でした。


その左手を歩いて行くと赤い鳥居が見えてきました。
白山神社の鳥居ですね。


白山神社の参道です。先ほどの赤い鳥居は右手になります。


左手には忠犬タマ公の銅像がありました。雪崩に巻き込ま
れた主人を二度も掘り起こして助けた犬だそうです。えらい
ですね。


参道を歩いてきて振り返る形で左手の池を撮りました。
池の中の塔はラジオ塔。


白山神社楼門。


社殿です。


その横手に石が祀られていました。説明板には、「御神石
白山くくり石、霊峰白山遥拝所」と書かれていました。
石川県白山市より贈られた石」みたいです。


こちらでも、池の淵にミズバショウが咲いていました。


傍にあった遊神亭。市民茶亭らしいです。


隣り合ってあった燕喜館。明治期の大商家、斎藤家の本邸
の一部を移築再建したもので、登録文化財。茶会などに
利用。この齋藤家は、白壁通りと同じ齋藤家です。


公園内に架けられた高架歩道の上から撮った燕喜館。


高架歩道を下りて、県民会館の前にあった
「みちびきの像」。


最後、萬代橋を撮って新潟市を後にしました。このとき、
風がものすごく、立ってられないほど吹かれました。

新潟は広いですねー!見る所がいっぱいあるのに、移動等に
時間がかかり、計画をしていた個所を何か所もとばしてしまい
ました。残念です。いつの日かまた行けるといいのですが…
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新潟上越・長岡

2017-04-23 09:09:32 | ブラ歩き情報
2017年4月18日・19日、新潟県の上越市から新潟市
までの日本海沿いの各所をブラ歩きしてきました。今回は、
初日の18日についてです。


最初に訪れたのは、上越市の海近くの五智という所の
五智国分寺。越後に配流された親鸞の配所があった
所です。ただ、現在の国分寺は上杉謙信が再興した
ものみたいです。五智如来の旗が立っていました。


古びた山門がありました。


ずうっと奥へ行った所から撮った境内の様子。右が本堂。


その撮った脇にあった親鸞聖人御配所草庵。竹之内草庵
と呼ばれているみたいです。


その傍にあった親鸞聖人腰掛石。


さらに親鸞聖人像も立っていました。


さらに行った先にあった三重塔。


その三重塔には、十二支の彫刻が施されていました。
右から亥、子、丑で、四面に三つずつ干支が刻まれて
いました。最初右のは象と思ったのですが、よく考えた
らイノシシだったのですね。


五智国分寺の後、近くの国分寺別院へ行きました。
こちらは、竹ヶ前草庵といわれ、一年後に国分寺
からここへ移ったとのことでした。


境内にあった銅像。糸魚川から船でこの地に来た親鸞が
最初に降り立った居多ケ浜の情景を再現したものです。
同じ境内には、親鸞袈裟懸けの松跡もありました。


本堂内陣の格子天井。


襖絵もきれいでした。
この後、上杉謙信ゆかりの春日山へ向かいました。


最初に、春日山麓の林泉寺に寄りました。越後国守護代
長尾氏その後を継いだ上杉氏菩提寺ですね。写真の総門
は、最近修復されたばかりの処みたいでした。


立派な山門が立っていました。


その山門には、天井に龍の図(双龍図)が…


本堂脇に歴代の墓所へ延びる道がありました。


その道を登って行くと、川中島戦死者供養塔がありました。


その右方には上杉謙信の墓がありました。


さらに奥の方へ上がって行くと、何やら石をくり抜いた仏像
らしきものがありました。後で調べたら、江戸期の藩主一族
の松平綱賢の墓みたいでした。


この墓所の道端にはスミレが咲いていました。マルバスミレ
のように見えました。この他に、もう終わっていましたが
カタクリも咲いていたようでした。


林泉寺からぐるっと道を回り込んで春日山城趾にきました。
謙信像が立っていました。今回のブラ歩きの主目的の一つ
です。


そこから右へ歩いて行き、春日山神社へきました。
上杉謙信を祀った神社ですね。


拝殿です。


お参りした後、横へ回ったら、心柱あるいは棟持柱で
しょうか外に出ている柱を目にしました。反対側も
同様に外に出ていました。


この春日山神社の脇から春日山本丸趾まで登れる道が
あったので、そこを上って行きました。初めは写真の
ような旧階段が続きました。


道の端にカタクリが咲いていました。こちらのカタクリの葉
には斑(まだら模様)がなく、葉の表面が緑一色できれいで
した。カタクリの隣のとんがり帽子はマムシグサですね。


上る途中で出てきた空堀。二本とも普通の山道に見えます
が空堀との説明がされていました。


エンレイソウが咲いていました。それも数多くです。何だか
通常の山登りの様相を示すようになってきました。


本丸(頂上部)が近づいてきた所に直江山城守趾がありま
した。直江兼続の屋敷ですね。


さらに上って行くと、こんどはイカリソウソの群落が…


こちらは毘沙門堂。TVなどでは上杉謙信が洞窟に籠る
シーンが多いですが、実際はお堂だったのでしょうか?
現在立っているのは復元されたお堂です。


さらに先にいくと、謙信が戦勝祈願した護摩堂趾があり
ました。


その右をちょっと上ると諏訪堂趾、さらに奥に毘沙門堂趾の
碑が立っていました。


また少し上って、本丸趾へ着きました。


本丸と続いた先に天守趾がありました。その先はもう
ありません。


本丸からの景観。内陸側でしょうか?


こちらは天守からの景観。目の前の雪が残る山は妙高と
思うのですが…


本丸から下り始めたとき、横手から天守趾を撮りました。
自然の地形をうまく活用した山城であったことが、納得
できました。


ここは直江邸近くの二ノ丸趾辺りですが、崩落していま
した。そういえば虎口から二ノ丸へ行く道は閉鎖されて
いました。


春日山城趾の次に、浄興寺へ行きました。親鸞開山の
お寺です。写真はその本堂(重文)。


こちらは聖徳太子堂。このお寺では、当初は親鸞聖人
が自作した聖徳太子像を本尊とし、後に釈迦如来に
代えたといわれています。


境内の様子。右にちょこっと見えているのが太子堂、
同様左が本堂です。


本堂続きの先にあった聖人御本廟拝堂。


その裏に回った所の御本廟。親鸞聖人の御頂骨が安置
されています。


唐門の彫刻。柏崎の名匠・篠田宗吉作みたいです。


同様に、門扉とその脇の彫刻。


山門が最後になってしまいました。


山門を出た所の道路端に立っていた説明板。この一帯は
寺が密集していて、越後高田の寺町界隈といわれてる
みたいです。
この後、高田公園に行くのですが途中で旧今井染物屋
を見ていくことにしました。


旧今井染物屋は、江戸時代に建てられた町屋で、古い
形式の雁木を備えています。


高田公園にきました。徳川家康の六男、松平忠輝の居城
として築城された高田城の跡に造られた公園です。写真
はその西堀と西堀橋。


公園内にはいくつものブロンズ像がありました。写真は
地元彫刻家岩野勇三作(作品名不明)。


内堀越しに三重櫓が見えました。


本丸にはこの極楽橋を渡って入りました。


極楽橋の袂で咲いていたヤエベニシダレザクラ。高田公園
では、この日の前日17日までさくらまつりをしていました。


本丸跡です。


三重櫓を近くによって撮りました。


外堀と内堀の間にあった小林古径邸の本邸。登録文化財
です。


これは門柱を残すのみですが、旧陸軍第十三師団の跡。
ここまでで上越市を終え、この後長岡市へ向かいました。


長岡市では最初に火焔土器を見に馬高縄文館(火焔土器
ミュージアム)に行きました。館内を見学し、火焔土器が
こんなにも数多く出土していることを知って驚きました!


一緒に展示されていた土偶。ミス馬高だそうです。


次に、悠久山公園に行きました。ちょうど桜まつり開催中
でした。


駐車場から蒼紫神社へ向かう道脇にミズバショウが咲いて
いました。こんな町中なのに、です!


蒼紫神社です。長岡藩主牧野氏所縁の神社みたいです。


その神社の高明門。こちらから登ってくるのが本道。


ここではサクラがいっぱい咲いていました。


公園最上部にあった長岡市郷土資料館。長岡城を模して
作られたみたいですね。ただ石垣は本物を使用している
ようです。


戻る途中、河井継之助の碑があるのに気が付きました。


これは、蒼紫神社社殿に併設される形であった牧野家歴代
御霊所、悠久山招魂社河井継之助・山本帯刀墓碑です。

以上で、まだまだ見たい所がいっぱいあったのですが、
この日は時間がなくなったので終わりにしました。それ
にしても、たくさん見て廻ったものだと思いました(ここに
掲載していないものもたくさんあります)。
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