30日、前日からの続きで会津若松市内を見て廻りました。
この日は朝から雨が降っていましたが、最初は市内中心部
の国道121、118号線に並行して走る大町通りに行き
ました。写真は漆器店。当地では店蔵や蔵住宅が多く見られ
ました。
ちょっと脇に入った所の西軍墓地。公園みたいになって
いましたが墓が立っていて説明板もありました。この後、
七日町通りを歩くべく、JR七日町駅方面に向かいました。
途中、民家の片隅に古峯神社の石碑が立っていました。
そういえばこの地方ではやたらと古峯神社を見ました。
後で調べたら、秋葉神社と同様に火伏の神として信仰
されているようでした。
こちらは会津新選組記念館。やはり蔵を利用(造り)して
いました。
JR七日町駅近くの阿弥陀寺にきました。こちらには東軍
墓地の表示がありました。
境内奥にあった御三階。元は鶴ヶ城本丸内にあったもの。
七日町通りを先ほどの本町通りに交差する所まで歩き
ました。歴史を感じさせる建物が並んでいます。
これも蔵造り風ですね。
洋風の建物で、元は塚原呉服店、現在は野球工房という
スポーツ用品店みたいです。
こちらは道の反対側にあった活性炭製造輸入販売会社。
洋館と蔵が合体しているようでした。
七日町通りを交差する道にあった油・味噌店。
元の通りに戻って、角にあった蒲生氏郷の資料館。
白木屋。江戸時代から続く由緒ある漆器店みたいです。
現建物は大正時代のもの。大正ロマンそのもの。
ギリシャ神殿を想わせる旧第四銀行会津支店。
大町通りとの交差点角にあった郡山商業銀行若松支店。
続いて飯盛山に行きました。何か急勾配の階段が目の前に
ありました。左に迂回路があったので、そちらを行きま
した。
道を回って行った所の厳島神社。
その隣の戸ノ口堰水神社にあった戸ノ口堰洞穴。猪苗代湖
の水をこの洞窟を通して引き込んでいるみたいでした。
そこから上に進むとさざえ堂がありました。重文指定です。
向拝の龍の彫刻がとぐろを巻いているように見えるのには、
不思議な感じがしました。
白虎隊の墓がある所まで上りました。そこにあったイタリア
記念碑。
白虎隊十九士の墓です。
イタリア記念碑の脇から巻道を少し下りた所に白虎隊
自刃の地がありました。
その前の景観。そこから鶴ヶ城が煙を上げているのを見て
自刃した訳ですね。目をこらすと、中央部に僅かに鶴ヶ城
が見えました。
拡大して撮った写真がこれです。センターのポールの後に
鶴ヶ城が見えています。
飯盛山を後にし、国史跡の会津藩主松平家墓所を見に
行きました。写真はその手前にあった武家屋敷です。
中には入りませんでした。
県道を曲がって墓所へ向かう道。ここでも蔵造りの家、
それから古峯神社の石碑を見ました。
松平家霊域入口の石柱が立つ墓所の入口へきました。
ここから山の中を登って行きました。
この柵を通って実際の霊域に入りました。
分岐が出てき、それによると九代松平容保の墓は上でした。
大きな霊塔が立つ所へ出ました。これは三代正容のもの
でした。
五、六、七代が続きました。その奥から右上に行くと
容保の墓になるみたいです。
九代松平容保の墓です。いやにあっさりした墓だと思った
ら、これは神式の墓なので、その後の盛り土が実際の墓
みたいでした。
容保の墓に向かって建てられた霊塔。容保の亀趺座で、
容保の足跡が刻まれているようです。
戻る途中にヤマジノホトトギスが咲いていました。今回の
ブラ歩きの中で唯一の花ですね。
霊域の柵を出た所に小さな墓が立っているのに気が付き
ました。歴代松平家愛馬之墓と刻まれていました。こんな
所にも会津松平氏の気風が顕われているような気がしました。
会津地方、いままで何回も訪れていますが、今回はじっくりと
見て廻りました。また改めてそのよさが分かったような気が
しています。
この日は朝から雨が降っていましたが、最初は市内中心部
の国道121、118号線に並行して走る大町通りに行き
ました。写真は漆器店。当地では店蔵や蔵住宅が多く見られ
ました。
ちょっと脇に入った所の西軍墓地。公園みたいになって
いましたが墓が立っていて説明板もありました。この後、
七日町通りを歩くべく、JR七日町駅方面に向かいました。
途中、民家の片隅に古峯神社の石碑が立っていました。
そういえばこの地方ではやたらと古峯神社を見ました。
後で調べたら、秋葉神社と同様に火伏の神として信仰
されているようでした。
こちらは会津新選組記念館。やはり蔵を利用(造り)して
いました。
JR七日町駅近くの阿弥陀寺にきました。こちらには東軍
墓地の表示がありました。
境内奥にあった御三階。元は鶴ヶ城本丸内にあったもの。
七日町通りを先ほどの本町通りに交差する所まで歩き
ました。歴史を感じさせる建物が並んでいます。
これも蔵造り風ですね。
洋風の建物で、元は塚原呉服店、現在は野球工房という
スポーツ用品店みたいです。
こちらは道の反対側にあった活性炭製造輸入販売会社。
洋館と蔵が合体しているようでした。
七日町通りを交差する道にあった油・味噌店。
元の通りに戻って、角にあった蒲生氏郷の資料館。
白木屋。江戸時代から続く由緒ある漆器店みたいです。
現建物は大正時代のもの。大正ロマンそのもの。
ギリシャ神殿を想わせる旧第四銀行会津支店。
大町通りとの交差点角にあった郡山商業銀行若松支店。
続いて飯盛山に行きました。何か急勾配の階段が目の前に
ありました。左に迂回路があったので、そちらを行きま
した。
道を回って行った所の厳島神社。
その隣の戸ノ口堰水神社にあった戸ノ口堰洞穴。猪苗代湖
の水をこの洞窟を通して引き込んでいるみたいでした。
そこから上に進むとさざえ堂がありました。重文指定です。
向拝の龍の彫刻がとぐろを巻いているように見えるのには、
不思議な感じがしました。
白虎隊の墓がある所まで上りました。そこにあったイタリア
記念碑。
白虎隊十九士の墓です。
イタリア記念碑の脇から巻道を少し下りた所に白虎隊
自刃の地がありました。
その前の景観。そこから鶴ヶ城が煙を上げているのを見て
自刃した訳ですね。目をこらすと、中央部に僅かに鶴ヶ城
が見えました。
拡大して撮った写真がこれです。センターのポールの後に
鶴ヶ城が見えています。
飯盛山を後にし、国史跡の会津藩主松平家墓所を見に
行きました。写真はその手前にあった武家屋敷です。
中には入りませんでした。
県道を曲がって墓所へ向かう道。ここでも蔵造りの家、
それから古峯神社の石碑を見ました。
松平家霊域入口の石柱が立つ墓所の入口へきました。
ここから山の中を登って行きました。
この柵を通って実際の霊域に入りました。
分岐が出てき、それによると九代松平容保の墓は上でした。
大きな霊塔が立つ所へ出ました。これは三代正容のもの
でした。
五、六、七代が続きました。その奥から右上に行くと
容保の墓になるみたいです。
九代松平容保の墓です。いやにあっさりした墓だと思った
ら、これは神式の墓なので、その後の盛り土が実際の墓
みたいでした。
容保の墓に向かって建てられた霊塔。容保の亀趺座で、
容保の足跡が刻まれているようです。
戻る途中にヤマジノホトトギスが咲いていました。今回の
ブラ歩きの中で唯一の花ですね。
霊域の柵を出た所に小さな墓が立っているのに気が付き
ました。歴代松平家愛馬之墓と刻まれていました。こんな
所にも会津松平氏の気風が顕われているような気がしました。
会津地方、いままで何回も訪れていますが、今回はじっくりと
見て廻りました。また改めてそのよさが分かったような気が
しています。