6月2日、桐生文化史談会・北公民館主催の「史跡散歩」に
参加しました。
内容は「国境に遊ぶ」と銘打って、桐生市東三丁目から菱町、
東久方町の史跡を4hかけて、観て歩くものでした。
北公民館を出発して、最初に訪れたのは「金谷(因幡)稲荷
神社」でした。この神社は、由良成繁の重臣金谷因幡守が
創建したもので、隣にある金谷家の屋敷神社になっている
そうです。
金谷神社から、養泉寺の塀に沿って西側に少し歩いた四つ
角にある碑で、「青面金剛」というのだそうです。子供の頃、
ここは非常に暗く、不気味な感じがして、こわごわしながら
通った記憶があります。
三猿が刻まれているとの説明があって、よく観たら確かにあ
りました。いままで、全然気がついていませんでした。
養泉寺の「豊川稲荷」です。豊川稲荷は神社がつかない豊川
稲荷であって、稲荷神社とは違うのだそうです。当然ながら
祭神が違います。これも、まったく知りませんでした。
「養泉寺」です。ここは、元々は裏の金谷因幡守の従医で竹本
養意という人の庵(水竹庵)があった所で、江戸時代中頃同じ
桐生の鳳仙寺の末寺になった、と住職から説明がありました。
養泉寺から東に歩いて桐生川にでた所で、ここに以前は
「二州橋」という橋がありました。昔、菱町は野州で、上州
の桐生との間に架けられた橋故、二州橋と呼ばれたみた
いです。子供の頃、よく通って、いまでいうガッチン山へ
行きました。
写真、右手前がガッチン山、左が観音山。
桐生川の幸橋を渡って、ガッチン山麓にある「機神神社」
です。西陣から桐生にきて、高機を伝えた中村弥兵衛という
人を祭った神社です。
機神神社から北へ向かい、観音山の麓にある「普門寺」です。
由良成繁によって、天正年間世良田から移設された寺で、
江戸時代にやはり鳳仙寺の末寺になったそうです。本堂に
「畏無施」という額が架けられています。おそれがないよう
にする、といった意味らしいです。このお寺で、毎年一月に
ダルマ市が開かれています。
普門寺の山門登り口のところに「橋供養」の碑があります。
大変めずらしい碑で、247年前の建立だそうです。
橋は、近くの稲荷橋のことでしょうか?
普門寺からさらに北へ向かい、山菱屋といううどん屋さんに
行く路地の途中にある「行人塚」です。由良成繁軍と戦った
桐生氏の戦死者を葬った跡です。
行人塚からすぐの所で、桐生工業高校グランドの道を挟んだ
反対側で、今は駐車場になっている「伊豆田遺跡(弥生時代)」
と、ちょっと高台の「東光台遺跡(縄文時代)」です。
この後、中里橋を渡って、天神町の群馬大学へ行きました。
同大キャンパス内にある「群大工学部同窓記念館」です。
大正5年に建てられました。映画等の舞台に使われたりもして
います。
この日最後の見学場所でベーカリーカフェ・レンガの隣の
「大蔵院」です。江戸時代始め頃の創建らしく、八丁撚糸機
を発明した岩瀬吉兵衛、シイタケ種駒の森喜作博士などの墓
があります。
4時間と長丁場でしたが、いろいろ細かく説明が聞けて、暑さ
もものとせず回ってこられました。
参加しました。
内容は「国境に遊ぶ」と銘打って、桐生市東三丁目から菱町、
東久方町の史跡を4hかけて、観て歩くものでした。
北公民館を出発して、最初に訪れたのは「金谷(因幡)稲荷
神社」でした。この神社は、由良成繁の重臣金谷因幡守が
創建したもので、隣にある金谷家の屋敷神社になっている
そうです。
金谷神社から、養泉寺の塀に沿って西側に少し歩いた四つ
角にある碑で、「青面金剛」というのだそうです。子供の頃、
ここは非常に暗く、不気味な感じがして、こわごわしながら
通った記憶があります。
三猿が刻まれているとの説明があって、よく観たら確かにあ
りました。いままで、全然気がついていませんでした。
養泉寺の「豊川稲荷」です。豊川稲荷は神社がつかない豊川
稲荷であって、稲荷神社とは違うのだそうです。当然ながら
祭神が違います。これも、まったく知りませんでした。
「養泉寺」です。ここは、元々は裏の金谷因幡守の従医で竹本
養意という人の庵(水竹庵)があった所で、江戸時代中頃同じ
桐生の鳳仙寺の末寺になった、と住職から説明がありました。
養泉寺から東に歩いて桐生川にでた所で、ここに以前は
「二州橋」という橋がありました。昔、菱町は野州で、上州
の桐生との間に架けられた橋故、二州橋と呼ばれたみた
いです。子供の頃、よく通って、いまでいうガッチン山へ
行きました。
写真、右手前がガッチン山、左が観音山。
桐生川の幸橋を渡って、ガッチン山麓にある「機神神社」
です。西陣から桐生にきて、高機を伝えた中村弥兵衛という
人を祭った神社です。
機神神社から北へ向かい、観音山の麓にある「普門寺」です。
由良成繁によって、天正年間世良田から移設された寺で、
江戸時代にやはり鳳仙寺の末寺になったそうです。本堂に
「畏無施」という額が架けられています。おそれがないよう
にする、といった意味らしいです。このお寺で、毎年一月に
ダルマ市が開かれています。
普門寺の山門登り口のところに「橋供養」の碑があります。
大変めずらしい碑で、247年前の建立だそうです。
橋は、近くの稲荷橋のことでしょうか?
普門寺からさらに北へ向かい、山菱屋といううどん屋さんに
行く路地の途中にある「行人塚」です。由良成繁軍と戦った
桐生氏の戦死者を葬った跡です。
行人塚からすぐの所で、桐生工業高校グランドの道を挟んだ
反対側で、今は駐車場になっている「伊豆田遺跡(弥生時代)」
と、ちょっと高台の「東光台遺跡(縄文時代)」です。
この後、中里橋を渡って、天神町の群馬大学へ行きました。
同大キャンパス内にある「群大工学部同窓記念館」です。
大正5年に建てられました。映画等の舞台に使われたりもして
います。
この日最後の見学場所でベーカリーカフェ・レンガの隣の
「大蔵院」です。江戸時代始め頃の創建らしく、八丁撚糸機
を発明した岩瀬吉兵衛、シイタケ種駒の森喜作博士などの墓
があります。
4時間と長丁場でしたが、いろいろ細かく説明が聞けて、暑さ
もものとせず回ってこられました。