2015年5月15日、高崎市の倉賀野町に行ってきました。
日光例幣使街道の倉賀野宿があった所です。
まず最初に、この二つの道が交わる下町交差点に行きま
した。左側の道が例幣使街道(県道136号線)、右が中山道
(同121号線)です。
そこにあつた閻魔堂です。昨年の大雪で損壊したため、
今年修復したみたいです。
中山道側から見て、閻魔堂左の先端に道標が立っていま
した。右江戸道、左日光道と表示されていました。
日光例幣使街道は、ここからはじまります。
道標の後には、200年前に建てられた常夜燈がありま
した。
閻魔堂の右側に回ってみると、何かの供養塔や石仏等が
残されていました。
中山道を左に歩いて行くと、丁寺堂という明治時代創業
のお菓子屋さんがありました。あいにく、この日は休業で
閉まっていました。
さらに進んだ、この辺りが本陣跡と思える所に標識が立っ
ていました。中山道倉賀野宿と刻まれていました。
これは、そこから少し行った所の向かい側にあった
脇本陣跡です。修復中みたいでした。
中山道から離れて、左の町中を進むと烏川に出ました。
その川縁に、戦国時代末期まで倉賀野城があったみたい
で、その碑が立っていました。川に沿って付近一帯が公園
みたくなっていて、木陰に恵まれ、吹く風が気持ちよく、散歩
をするのに最適な感じがする場所でした。
その後、中山道へ戻る方向にある倉賀野神社へ向かいま
した。
赤い鳥居をくぐって入った所の境内です。左に見えるのは
神楽殿で、真正面の木に隠れているのが神殿です。
神楽殿横左奥に、北向道祖神がありました。
中に入ると、しめ縄が懸った岩がありました。表面に何か
刻まれているのかとよく見たのですが、何もなく、自然の
状態のままで、意味するところは分かりませんでした。
お堂の横にも、双体道祖神が幾つかありました。こけし
みたいに彫られた、かわいげなのもありました。
これは冠稲荷社です。この他敷地内には、大黒天や天神社
など幾つかありました。
こちらが表参道というか正面でした。脇から入ってしまって
いたのですね。
拝殿です。
こちらが社殿です。
もういちど拝殿前に行き、彫刻を撮りました。真ん中に
琴を弾いている人がいて、何か物語があるのでしょうね。
倉賀野神社から中山道へ出て、左へ進んだ所に安楽寺が
ありました。
山門を入ってすぐ所の本堂。
これは、安楽寺に残されている室町時代の異形板碑です。
本堂すぐ裏は築山になっていたので、珍しいと思い撮って
きたのですが、これが安楽寺の名を知らしめている古墳
だったのでした。7世紀後半築みたいです。
古墳の前にキンカンでしょうか、花が咲いていました。
倉賀野宿、町の中を歩くとさすが宿場町、昔を偲ばせる家が
あちこちに見受けられました。例幣使街道の宿場町も玉村は
既に見ていますが、他の町も見て歩くのもいいな、と改めて
思いました。
日光例幣使街道の倉賀野宿があった所です。
まず最初に、この二つの道が交わる下町交差点に行きま
した。左側の道が例幣使街道(県道136号線)、右が中山道
(同121号線)です。
そこにあつた閻魔堂です。昨年の大雪で損壊したため、
今年修復したみたいです。
中山道側から見て、閻魔堂左の先端に道標が立っていま
した。右江戸道、左日光道と表示されていました。
日光例幣使街道は、ここからはじまります。
道標の後には、200年前に建てられた常夜燈がありま
した。
閻魔堂の右側に回ってみると、何かの供養塔や石仏等が
残されていました。
中山道を左に歩いて行くと、丁寺堂という明治時代創業
のお菓子屋さんがありました。あいにく、この日は休業で
閉まっていました。
さらに進んだ、この辺りが本陣跡と思える所に標識が立っ
ていました。中山道倉賀野宿と刻まれていました。
これは、そこから少し行った所の向かい側にあった
脇本陣跡です。修復中みたいでした。
中山道から離れて、左の町中を進むと烏川に出ました。
その川縁に、戦国時代末期まで倉賀野城があったみたい
で、その碑が立っていました。川に沿って付近一帯が公園
みたくなっていて、木陰に恵まれ、吹く風が気持ちよく、散歩
をするのに最適な感じがする場所でした。
その後、中山道へ戻る方向にある倉賀野神社へ向かいま
した。
赤い鳥居をくぐって入った所の境内です。左に見えるのは
神楽殿で、真正面の木に隠れているのが神殿です。
神楽殿横左奥に、北向道祖神がありました。
中に入ると、しめ縄が懸った岩がありました。表面に何か
刻まれているのかとよく見たのですが、何もなく、自然の
状態のままで、意味するところは分かりませんでした。
お堂の横にも、双体道祖神が幾つかありました。こけし
みたいに彫られた、かわいげなのもありました。
これは冠稲荷社です。この他敷地内には、大黒天や天神社
など幾つかありました。
こちらが表参道というか正面でした。脇から入ってしまって
いたのですね。
拝殿です。
こちらが社殿です。
もういちど拝殿前に行き、彫刻を撮りました。真ん中に
琴を弾いている人がいて、何か物語があるのでしょうね。
倉賀野神社から中山道へ出て、左へ進んだ所に安楽寺が
ありました。
山門を入ってすぐ所の本堂。
これは、安楽寺に残されている室町時代の異形板碑です。
本堂すぐ裏は築山になっていたので、珍しいと思い撮って
きたのですが、これが安楽寺の名を知らしめている古墳
だったのでした。7世紀後半築みたいです。
古墳の前にキンカンでしょうか、花が咲いていました。
倉賀野宿、町の中を歩くとさすが宿場町、昔を偲ばせる家が
あちこちに見受けられました。例幣使街道の宿場町も玉村は
既に見ていますが、他の町も見て歩くのもいいな、と改めて
思いました。