2016年1月27日、伝統的建造物を見に茨城県の結城市、
土浦市に行ってきました。
結城市は健田須賀神社周辺に見世蔵が多く残っています。
最初は、キヌヤ薬舗。明治中頃に建てられたみたいです。
次は、紬問屋だった奥順壱の蔵。
こちらは奥庄。やはり紬問屋で、昭和初期の建物です。
JR結城駅に繋がる道路に出て、赤荻本店。お茶を販売
する見世蔵です。
最初の道とは一本南側へ入って、小西商店。明治初期
築造。
これが健田須賀神社。社殿は右手奥になります。
干瓢を商う桜井長太郎商店。建てられたのは、明治後期
だそうです。
最初の道とは一本北側の道へ行き、これは鈴木紡績。
これも明治後半。
秋葉喬庸商店。元は農業資材の店舗で、明治末築造。
また、JR結城駅に繋がる道路へ出て河野商店。紬問屋
で、明治中頃の築造。
まだまだ、たくさん見る所はあったのですが、結城を
後にして土浦に向かいました。
土浦は、最初に亀城公園に行きました。土浦城があった
所で、市立博物館脇に駐車し歩き始め、写真の西櫓の所
から公園内へ入りました。
こちらは城内からの出口、櫓門。この後、歴史の小径を
歩きました。
歴史の小径に設定されている中城通りに出て、こちらは
山口薬局。
続いて、吾妻庵というお蕎麦屋さん。
土浦まちかど蔵「野村」。江戸時代からの商家だそうです。
土浦まちかど蔵「大徳」。江戸時代末期の見世蔵。観光協会
のアンテナショップが入っていました。
こちらは琴平通りの琴平神社。
もう一度中城通りに戻って、こちらは保立食堂。お昼に、
かきあげ丼を食べましたが、おいしかったですよー。
これは保立食堂の角にあった「桜橋」の標識と土浦の基点
となった「土浦町道路元標」。
中城通りと並行する裏道へ回って、大徳を裏から撮り
ました。蔵など幾つもあって、豪壮な感じがしました。
この後、大徳の観光協会アンテナショップに寄ってから、
中城通りを突っ切って等覚寺へ行きました。この鐘楼の
銅鐘は重文指定だそうです。
等覚寺の本堂。前には立派な松が枝を伸ばしていました。
こちらはすぐ隣に位置する、東光寺。江戸初期の開基。
東光寺の瑠璃光殿。十二支の透かし彫りが印象的です。
この後、少し離れた亀城公園の北西の所にある郁文館正門
に行きました。土浦藩の藩校だった所で、現在は土浦第一
中学校の一部になっています。
その郁文館正門の斜向かいにある神龍寺。土浦藩主
土屋家の菩提寺にあたります。
山門へ歩く途中に、霞ヶ浦海軍航空隊航空殉職者供養塔
がありました。
これはバルナバ協会。駐車場へ戻る手前で、尖塔が覗いて
いたので撮ってきました。
この後、土浦総合公園に行きました。
公園に着き、岸辺が開けている所があったので近寄ったら
白鳥、サギ、カモ類、カモメなどの水鳥がいっぱいいました。
これは、風車の展望デッキから撮った霞ヶ浦の風景。
さすが、広くて大きかったです!!
土浦を後にして、稲敷市の大杉神社へ行きました。夢を
叶えてくれる夢むすび大明神ですね。通称「あんばさま」
といわれています。鳥居の傍に大きなカラス天狗(向かっ
て右)が睨みを利かしていて、かない天狗と表記されて
いました。
この門を潜って境内に入ります。
入ってすぐ、左側の麒麟門が目立ちました。色鮮やかで
した。
真直ぐの景色。突き当たった所は神楽殿。
少し進んで、振り返って撮りました。入ってきた門、
神輿殿(右)、社務所(左)などが見えます。左端に一部
見えているのが社殿。
社殿正面の拝殿。夢を叶えてもらえるよう、よーく
お願いしてきました。
こちらは、麒麟門に戻って彫刻を撮ってきました。名の通り
キリンがいっぱいでした。皆、みごとです!!
扁額の透かし彫り。中国の物語でしょうか?
こちらが本殿です。手前社殿周りの囲いには、二十四孝の
透かし彫りが施されていました。
大杉神社のすぐ隣は安穏寺というお寺で、こちらは
まったく正反対に、質素な佇まいでした。
その境内には、きれいな花が咲いていました。名は分かり
ません。
表に回って撮りました。大杉神社は、まったく国道125
号線の際に建っています。麒麟門が見えますね。
最後、潮来のあやめ園の夕暮れ。もちろん今は誰も訪れて
いません。潮来の伊太郎の像がぽつんと立っているだけで
した。
茨城の各地、忙しく回ったので見落としがいっぱいあるとは
思います。でも、歴史的、伝統的な建造物群を幾つも見られて
よかったと思ってます。
土浦市に行ってきました。
結城市は健田須賀神社周辺に見世蔵が多く残っています。
最初は、キヌヤ薬舗。明治中頃に建てられたみたいです。
次は、紬問屋だった奥順壱の蔵。
こちらは奥庄。やはり紬問屋で、昭和初期の建物です。
JR結城駅に繋がる道路に出て、赤荻本店。お茶を販売
する見世蔵です。
最初の道とは一本南側へ入って、小西商店。明治初期
築造。
これが健田須賀神社。社殿は右手奥になります。
干瓢を商う桜井長太郎商店。建てられたのは、明治後期
だそうです。
最初の道とは一本北側の道へ行き、これは鈴木紡績。
これも明治後半。
秋葉喬庸商店。元は農業資材の店舗で、明治末築造。
また、JR結城駅に繋がる道路へ出て河野商店。紬問屋
で、明治中頃の築造。
まだまだ、たくさん見る所はあったのですが、結城を
後にして土浦に向かいました。
土浦は、最初に亀城公園に行きました。土浦城があった
所で、市立博物館脇に駐車し歩き始め、写真の西櫓の所
から公園内へ入りました。
こちらは城内からの出口、櫓門。この後、歴史の小径を
歩きました。
歴史の小径に設定されている中城通りに出て、こちらは
山口薬局。
続いて、吾妻庵というお蕎麦屋さん。
土浦まちかど蔵「野村」。江戸時代からの商家だそうです。
土浦まちかど蔵「大徳」。江戸時代末期の見世蔵。観光協会
のアンテナショップが入っていました。
こちらは琴平通りの琴平神社。
もう一度中城通りに戻って、こちらは保立食堂。お昼に、
かきあげ丼を食べましたが、おいしかったですよー。
これは保立食堂の角にあった「桜橋」の標識と土浦の基点
となった「土浦町道路元標」。
中城通りと並行する裏道へ回って、大徳を裏から撮り
ました。蔵など幾つもあって、豪壮な感じがしました。
この後、大徳の観光協会アンテナショップに寄ってから、
中城通りを突っ切って等覚寺へ行きました。この鐘楼の
銅鐘は重文指定だそうです。
等覚寺の本堂。前には立派な松が枝を伸ばしていました。
こちらはすぐ隣に位置する、東光寺。江戸初期の開基。
東光寺の瑠璃光殿。十二支の透かし彫りが印象的です。
この後、少し離れた亀城公園の北西の所にある郁文館正門
に行きました。土浦藩の藩校だった所で、現在は土浦第一
中学校の一部になっています。
その郁文館正門の斜向かいにある神龍寺。土浦藩主
土屋家の菩提寺にあたります。
山門へ歩く途中に、霞ヶ浦海軍航空隊航空殉職者供養塔
がありました。
これはバルナバ協会。駐車場へ戻る手前で、尖塔が覗いて
いたので撮ってきました。
この後、土浦総合公園に行きました。
公園に着き、岸辺が開けている所があったので近寄ったら
白鳥、サギ、カモ類、カモメなどの水鳥がいっぱいいました。
これは、風車の展望デッキから撮った霞ヶ浦の風景。
さすが、広くて大きかったです!!
土浦を後にして、稲敷市の大杉神社へ行きました。夢を
叶えてくれる夢むすび大明神ですね。通称「あんばさま」
といわれています。鳥居の傍に大きなカラス天狗(向かっ
て右)が睨みを利かしていて、かない天狗と表記されて
いました。
この門を潜って境内に入ります。
入ってすぐ、左側の麒麟門が目立ちました。色鮮やかで
した。
真直ぐの景色。突き当たった所は神楽殿。
少し進んで、振り返って撮りました。入ってきた門、
神輿殿(右)、社務所(左)などが見えます。左端に一部
見えているのが社殿。
社殿正面の拝殿。夢を叶えてもらえるよう、よーく
お願いしてきました。
こちらは、麒麟門に戻って彫刻を撮ってきました。名の通り
キリンがいっぱいでした。皆、みごとです!!
扁額の透かし彫り。中国の物語でしょうか?
こちらが本殿です。手前社殿周りの囲いには、二十四孝の
透かし彫りが施されていました。
大杉神社のすぐ隣は安穏寺というお寺で、こちらは
まったく正反対に、質素な佇まいでした。
その境内には、きれいな花が咲いていました。名は分かり
ません。
表に回って撮りました。大杉神社は、まったく国道125
号線の際に建っています。麒麟門が見えますね。
最後、潮来のあやめ園の夕暮れ。もちろん今は誰も訪れて
いません。潮来の伊太郎の像がぽつんと立っているだけで
した。
茨城の各地、忙しく回ったので見落としがいっぱいあるとは
思います。でも、歴史的、伝統的な建造物群を幾つも見られて
よかったと思ってます。