桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

山形~鶴岡

2016-04-24 15:17:43 | ブラ歩き情報
2016年4月17日、山形県の山形市、鶴岡市をブラ歩きして
きました(実際は16日からの続きです)。


最初に、山形市の繁華街七日町大通りを突き当たった所に
ある山形県郷土館の文翔館へ行きました。写真は旧県庁舎
だったルネサンス様式の大正期建物です。因みに、七日町
大通りは花笠まつりのパレードコースになる所みたいです。


旧県庁舎からつながるレンガ造りの旧県会議事堂です。


前庭に咲いていたシダレザクラ。きれいでしたよ!!


文翔館の裏の方に見えた山形六日町教会。


文翔館の前の道を東南方向へ歩くと教育資料館(山形
県立博物館分館)がありました。旧山形師範学校の校舎
として明治期に建てられたものです。


中に入って近くから撮りました。


その校舎の斜め横にあった講堂。年代を感じさせます。


これは守衛所でしょうか、門近くにありました。


教育資料館の前の方(南)へ歩いて行った所の専称寺の
本堂。大きな本堂でした。


その専称寺の墓地の奥には、駒姫の墓がありました。
駒姫は、最上義光の娘で、豊臣秀次の侍女であった
ことから非業の死を遂げた女性です。なお、専称寺
一帯はお寺がたくさん集まった所でした。


専称寺から七日町へ戻る途中でみかけた千歳館。明治
から140年続く、日本料亭みたいです。


街の中にひっそりと佇む長源寺。江戸開闢期、最上家改易
後の藩主鳥居忠政に因んだお寺みたいです。


山形七日町二郵便局。元は洋品店で大正14年に建てられ
ました。


七日町御殿堰。江戸初期に整備された山形五堰の一つ。


こちらは山形まるごと館紅の蔵。旧家の蔵屋敷を活用して
農産物などを販売する店。

この後鶴岡へ移動したのですが、途中の月山~湯殿山は
まだ雪が多く残っていて、まったくの冬の状態だったの
には、予想していなかっただけに、本当にびっくりしました。


鶴岡に着いて最初に訪れたのは致道博物館。鶴ケ岡城
三の丸あたりで庄内藩の御用屋敷になっていた所です。
門の左は、旧鶴岡警察署庁舎(重文)で、現在修復中。


敷地内に立つ、明治創建で重文の旧西田川郡役所です。


同じく重文の田麦俣の(から移築した)民家。豪雪地帯の
多層(三層)民家。


奥の方にあった酒井氏庭園。国指定名勝。


致道博物館を出てから、隣の鶴岡公園(鶴ケ岡城址)へ行き
ました。こちらもサクラ祭り開催中でした。


堀に沿って歩いていくと橋が架けられていてその先に、
大寶館がありました。鶴岡市先人の資料が収められて
いるみたいです。


ここでも花見が盛んでした。


公園の敷地が尽きた辺りの角に、国指定史跡庄内藩校の
致道館がありました。


致道館の中に入った所の光景。


これは講堂。


講堂の中をずうっと見て歩きました。


公園から先の市役所を通り越して入った道を歩いて行くと
鶴岡カトリック教会天主堂がありました。入口の武家門と
その中の尖塔を持った天主堂のアンマッチが、何ともいえ
ない味わいを醸していました。


明治期に完成の天主堂。重文指定です。


聖堂には、黒い色の聖母マリア様がおられました。


窓にはステンドグラスみたいな二枚ガラスに挟まれた
窓絵が嵌っていました。


天主堂への道を前に歩いて行くと、旧風間家住宅丙申堂
がありました。庄内藩の御用商人であった風間家が、明治に
武家屋敷跡を住居と営業の拠点用に建てたものです。こちら
も重文ですね。


反対側へ回って撮りました。石をまんべんなく置いた屋根
が分かりますか?珍しいですね!!


こちらは、無量光苑釈迦堂。丙申堂の別邸として建てられ
ました。


鶴岡公園に戻ることにし、中央辺りの地点から入って
荘内神社へ向かいました。


こちらが荘内神社社殿。酒井氏歴代藩主を祀った神社で、
鶴ケ岡城本丸跡地に建てられました。


サクラを見ながら本丸周辺を撮って行きました。


ぐるっと回って、旧西田郡役所が見える所まできました。


この後、羽黒町へ向かい、途中松ケ岡開墾場に寄りま
した。維新後、旧藩士3,000名で開墾した所です。
ここもサクラまつりをしていました。


道の両側に大きな建物が並んでいて、こちらは第一蚕室
で、現在は松ケ岡開墾記念館になっています。


こちらは庄内映画村資料館として使われていました。


反対側にあった新徴屋敷。庄内藩江戸取締の際に配下に
した浪士組組織「新徴組」の人達が庄内に移住してきた
ので、明治3年に藩が建てた住宅です。ここも屋根に石
が敷いてありました。


これは庄内農具館となった建物。建物の構造がよく分かり
ますね。


車道を挟んで反対側にあった松ケ岡本陣。


羽黒山山頂にある出羽三山神社へ通じる参道の入口に
きました。


随神門を潜ると下りの石畳が続いていました。両側は杉林。


下りて行くと出てきた須賀の滝。手前は祓川。


その先に出てきた爺杉。樹齢1,000年以上、胴回り
8mを超えるそうです。周りには雪が…


こちらが、国宝の五重塔。平将門の創建といわれていま
すが、現在の塔は600年前に建てられたもの。厳かな
佇まいをみせていました。この後、参道を出羽三山神社
へ歩くのは大変なので、車で行くことにしました。


出羽三山神社へきました。神社ですが鐘楼がありました。


こちらが三神合祭殿ですが、現在修復中で、よく見ることは
できませんでした。


三神合祭殿の前の鏡池。雪が池の中にはみ出てました。


三神合祭殿を過ぎていった所の蜂子神社。出羽三山の
開祖と伝えられる蜂子皇子を祀った社ですね。


こちらは隣り合わせで並んでいた厳島神社。


柱には大きな龍が巻き付いていました。


その傍の参道。五重塔からの道を歩いてくると、ここへ辿り
着くことになります。

この日も、いっぱいサクラを見たり、いろんな場所へ行った
りと、盛りだくさんでした。おまけに、雨が降ったり、陽に照ら
されたりもしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米沢~山形

2016-04-24 10:11:55 | ブラ歩き情報
2016年4月16日、山形県米沢市、天童市、山形市に
行き、今が盛りのサクラや歴史遺産などをみて歩きました。


最初に訪れたのは、市のほぼ中央に位置する松が岬公園
(米沢城址)。上杉城史苑に車を置き、歩き始めるとこの
松岬神社がありました。上杉鷹山を祀った神社です。


松岬神社を過ぎて行った所が、上杉謙信を祀る上杉神社。
丁度サクラの見頃を迎え、たくさんの人が訪れていました。


サクラ、きれいですね!!


境内を進むと上杉鷹山の銅像が。傍らには、「成せば成る、
成さねば成らぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」の
碑が添えてありました。


上杉神社社殿です。


社殿の右側へ回り込んだ所に宝物殿である稽照殿があり
ました。


稽照殿の裏から城の外郭を回るように歩きました。これは
稽照殿の反対側、上杉神社左手の光景です。地元の人が
撮影スポットだと教えてくれたので、撮ってきました。


これは、先ほどの写真を撮った位置から道を渡った先の
上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館)の庭。


伯爵邸を出て上杉城史苑の方へ歩いた所にあった置賜の家。
この地では、成年前にこの家で過ごす風習があったみたい
です。後に見えているのは、上杉博物館。


次に、上杉神社から少し離れた国指定史跡の上杉家廟所
に行きました。


歴代の当主(藩主)が眠っていました。この右側にも同様に
して並んでいました。


丁度真ん中の少し奥まった所が上杉謙信の廟でした。


こちらは、その手前左一番目の二代上杉景勝の廟。


上杉家廟所の真ん前にあった法音寺。上杉家の菩提寺で、
古い塔や景勝に殉死した家来の墓などがありました。


また少し離れた所の旧米沢高等工業学校本館を見に行き
ました。明治43年に建てられ、国の重文に指定され、現
山形大学工学部内にあります。群大の同窓記念館に似て
いますが、建築様式はルネサンス様式だそうです。因みに
群大はチューダー様式です。


真正面から撮りました。趣がありますねー!!


中に自由に入れて見学できました。これは階段方式の
教室。この他にも、いろいろな資料室に応用された教室
などがありました。


こちらは、山形大学工学部に隣接した林泉寺。直江兼続
夫妻の墓などがあるお寺です。


またちょっと松が岬公園へ戻る方向に行き、この造り酒屋
東光の酒蔵を見てから、米沢を後にし天童へ向かいました。


天童市の、山寺こと立石寺の根本中堂へ来ました。重文
です。


お堂の入り口真ん中に、大きな木彫りの招福布袋尊が
鎮座していました。


根本中堂の左に、芭蕉句碑がありました。「閑さや 巌に
しみ入 蝉の聲」ですね。奥に見えるのは清和天皇御宝塔
です。


さらに左へ行った所にあった亀石。お金に名前を書いて
石の上に置くと願いが叶うみたいです。


こちらは芭蕉像。右近くに曾良の像もありました。


さらに左へ進み、山門を潜って奥宮へ向かいました。
ジグザクの急階段が続きます。そそり立つ岩壁もすごい
ですね。


せみ塚です。さきほどの句を短冊にしたためこの地に埋め、
石垣を建てたものです。


大分上にあがった所にあった最上義光の御霊屋です。


800段位を上って、奥の院に着きました。


奥の院下横に重文の三重塔があるとの表示を見て、向かっ
たのですがそれらしきものが見当たりません。よく見ると、
この岩の中に納められている小三重塔がそれみたいでした。


さらに、横道を開山堂へ向かいました。その途中の風景。
絶壁にお堂が幾つも見えました。手前の大きな建屋は
性相院。


開山堂です。右の石段を上ると五大堂。左の岩の上には
小さな納経堂が立っていました。


五大堂から眺めた下の光景。


登ってきた道へ戻り、下りの途中で通った仁王門。


道脇にスミレがきれいに咲いていました。


奥の院への入り口の山門を出て、本坊の方へ歩いていくと
門があり、そこを潜ってから振り向いて撮りました。抜苦門
という名が後で分かりました。両側にサクラが咲いていて、
突き当たった左が奥の院への山門になります。


こちらが、立石寺本坊です。


立石寺の天童市から山形市へ向かい、サクラまつり開催
中の霞城(かじょう)公園(山形城址)へ着きました。花見
の人、とくに若い人たちで賑わっていました。


東大手門前の広場へきました。櫓の中も見学することが
できました。


広場にあった最上義光像です。


大手門の先、高麗門を出てすぐの所から北の方向を撮り
ました。サクラが堀の水面まで伸びていました。


これは土塁の上に残る置き石。この石の上に塀を立てた
みたいです。大手門から左の方へずうっと延びていました。


山形市郷土館(旧済生館本館)。大手門から南にきた角地
にありました。明治期に県立病院として建てられたもの
みたいです。


その郷土館左斜め前辺りの本丸一文字門です。


空堀がくっきりとしていて、よく分かりました。


本丸内へ入ると、古井戸の跡がありました。


本丸の石垣です。

この日、欲張っていっぱい見て回ってしまいました。各地で
サクラもいっぱい。十分満足いくものでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする