今日は75回目の終戦記念日です。
私の父は、32歳で招集を受けました。
父は、54歳の両親と31歳の妻、7歳の長男、6歳の次男、3歳の三男、生まれたばかりの長女の7人家族を置いての兵役でした。
私は、戦後生まれですから当時の様子を知ることは出来ません。
おそらく、地域の方から盛大なお見送りを受けたのではないかと想像しています。
父は、主に「満州国」(当時)での兵役だったため、終戦の10月には、山口県仙崎港に無事に復員できました。
4年ほどの兵役の様子について、父は多くを語りませんでした。
一度だけ「家族と自宅の写真を肌身離さず持って頑張ってきた」と離してくれたことがあります。
父は、写真を眺めながら「必ず生きて帰る」との想いで頑張ったのではと私なりに理解しています。
私の叔父さん2人を含む多くの同年配が戦死していることに父は心を痛め、お盆などには「墓参り」をしていました。
私は、市議会議員になって8月15日は、街頭から「憲法9条を生かした平和な社会実現を実現させましょう」と訴えています。
どんなに軍事力を増強しても、新型コロナ禍には打ち勝てない現実を直視すべきです。
せめて、今日一日を「平和を考える日」にしてみては如何でしょうか。
写真は、お盆に「墓参り」をした時のものです。
今年のお盆は、孫が来ない寂しいお盆となりました。