昨日母と電話でしゃべった。この年末は就職活動と国指定の英語の試験のため帰国できそうにないこと、それから来年のことなど。そのついでに、先日ここでも書いた私のこの次の目標についても話した。
「お母さん、私、永住権獲得に成功したら、次は研究者を目指すわ」
「…………あ、そう」。
この沈黙にはいろんな意味が含まれてるんだろうなーと感じた。一人で海外にいる子供が親として心配なわけはないだろう。30代後半になっても更なるキャリアに精を注ごうとする姿勢を誇らしく思いつつも、一人身の娘を不憫にも思ったかもしれない。それに日本に帰ってきてほしいという希望も単純にあると思う。こういうことを考える瞬間に自分の親に心配かけてんねんなーと気づいてしまう。まぁ、あと一年ぐらいでどっちの国に住むかの最終決断が出るので、それまでは何も言えない。
結婚願望はある。けど、今はあまり興味がないのが本音。恋はしたいけど。望んだところでどうにもならんことがわかっているので、すべてを縁と運に委ねているといったところ。結果、生涯独身となったらそれはそれでいっかーという感じだ。それよりも、今の私は将来の選択肢がたくさんある。とりあえずオーストラリアでは看護士。その後は研究者の希望がありつつ、助産婦資格取得と婦長クラスを狙うために院に行くことも考えている。日本に戻れば戻ったで興味のある分野はある。年齢があるので夢見がちなことを言っていたら痛い目を見そうだけど、今はそういう目標をクリアしていくことが楽しい。
昔から一体いつになったら“満足”を覚えるんやろうと思っていた。すっごくえらそうなことを書くけど、自分は一度満足を覚えたら次なる満足を求めて歩き出す性質なんやと思う。
目標がないときの自分は結構テキトーに生きていたような気がする。特に20代は全然足元を見ていなかった。小さい頃から大した努力もなしにわりとなんでもこなす子供だったので、30代を目前にしたとき、なんのとりえもないことにすっごく焦った。あの時ほど全国予選を目前にして緊張しているタッちゃんが言った「プレッシャーだよ、プレッシャー」「和也と違って実績がねーんだよ」の言葉を理解したことはない(「タッチ」より。なんかこんな感じの台詞)。自分には何もなくて、したいこともなくて焦りに焦った。それに比べると今は目標があるためにちゃんと“歩いている”感じがする。20代だって一生懸命生きていたけど、今思うと20代の私はペラッペラで魅力的ではなかっただろうとすら思う。
ずっと自分のわがまま通しながら生きていくんやろうなーと思う今日この頃。だって“達成感”は交感神経をビシバシに刺激して、それによりアドレナリンとノルアドレナリンがドクドク。心的興奮で心拍数は上がって、血圧も上昇しますから(少しだけ看護学生であるということの意味のないアピール)。最初、この稿のタイトルは違うものだったけど、どうも自分がブルドーザーでガーッと木々をなぎ倒しながら進んでいる印象なので訂正。
どこまでこの調子でいけるやろかねー。
ささ。
もう少し図書館。試験まであと3日!
「お母さん、私、永住権獲得に成功したら、次は研究者を目指すわ」
「…………あ、そう」。
この沈黙にはいろんな意味が含まれてるんだろうなーと感じた。一人で海外にいる子供が親として心配なわけはないだろう。30代後半になっても更なるキャリアに精を注ごうとする姿勢を誇らしく思いつつも、一人身の娘を不憫にも思ったかもしれない。それに日本に帰ってきてほしいという希望も単純にあると思う。こういうことを考える瞬間に自分の親に心配かけてんねんなーと気づいてしまう。まぁ、あと一年ぐらいでどっちの国に住むかの最終決断が出るので、それまでは何も言えない。
結婚願望はある。けど、今はあまり興味がないのが本音。恋はしたいけど。望んだところでどうにもならんことがわかっているので、すべてを縁と運に委ねているといったところ。結果、生涯独身となったらそれはそれでいっかーという感じだ。それよりも、今の私は将来の選択肢がたくさんある。とりあえずオーストラリアでは看護士。その後は研究者の希望がありつつ、助産婦資格取得と婦長クラスを狙うために院に行くことも考えている。日本に戻れば戻ったで興味のある分野はある。年齢があるので夢見がちなことを言っていたら痛い目を見そうだけど、今はそういう目標をクリアしていくことが楽しい。
昔から一体いつになったら“満足”を覚えるんやろうと思っていた。すっごくえらそうなことを書くけど、自分は一度満足を覚えたら次なる満足を求めて歩き出す性質なんやと思う。
目標がないときの自分は結構テキトーに生きていたような気がする。特に20代は全然足元を見ていなかった。小さい頃から大した努力もなしにわりとなんでもこなす子供だったので、30代を目前にしたとき、なんのとりえもないことにすっごく焦った。あの時ほど全国予選を目前にして緊張しているタッちゃんが言った「プレッシャーだよ、プレッシャー」「和也と違って実績がねーんだよ」の言葉を理解したことはない(「タッチ」より。なんかこんな感じの台詞)。自分には何もなくて、したいこともなくて焦りに焦った。それに比べると今は目標があるためにちゃんと“歩いている”感じがする。20代だって一生懸命生きていたけど、今思うと20代の私はペラッペラで魅力的ではなかっただろうとすら思う。
ずっと自分のわがまま通しながら生きていくんやろうなーと思う今日この頃。だって“達成感”は交感神経をビシバシに刺激して、それによりアドレナリンとノルアドレナリンがドクドク。心的興奮で心拍数は上がって、血圧も上昇しますから(少しだけ看護学生であるということの意味のないアピール)。最初、この稿のタイトルは違うものだったけど、どうも自分がブルドーザーでガーッと木々をなぎ倒しながら進んでいる印象なので訂正。
どこまでこの調子でいけるやろかねー。
ささ。
もう少し図書館。試験まであと3日!