いつまでの鮮明に残る記憶とすぐに消えてします記憶がある。
ソウルで行われた競泳大会。カメラを盗んだとして、略式起訴されて、罰金を払って帰国。後日、あれは間違いだった。
帰国できなくなると言われて、怖くなり、事実と違う形で認め、帰国した。事実は何ら罪を犯していない。とする主張。
記憶とは日数が過ぎると、確信が持てなくなる。
事実はいつのまにか、自分のこうあってほしい。とする意識とリンクしてゆく。
オリンピック選手がセンターポールに日の丸を挙げるイメージトレーニングをし続けて、事実として、深層心理に働きかける。いつか事実として、認識でき、強力な意思として、行動に働きかける。
この類例かもしれない。思い出したくない記憶はすぐに薄れ、こうあってほしいとする意識が深層心理とリンクして、それが事実として自身に認識されてゆく。
証拠の乏しい死刑囚の多くに長期拘留の弊害というか。事実は無実という認識が確実に浸透する。
記憶に頼らない、事実捜査。DNA鑑定等新たな科学的捜査手段の確立が求められる。科学的証拠がなければ、「無罪」それでゆくしかない。