しるしのないカレンダー

定年退職した自由人のBLOGです。庶民の目線であんなこと、こんなこと、きままに思ったことを書いてみたい。

49日法要

2013年05月31日 | Weblog

母の49日法要を終えた。

かなりの雨模様の天気の中での49日法要だった。

納骨も傘をさして行った。骨を収める墓石はかなり重い。少々の力自慢の小生でも少し苦労した。

骨箱から手つかみで納骨スレートに移し、墓の小窓に落とし込む。もう何体分も収まっている墓だ。小生も恐らく将来はここに納まる。今年の卒塔婆は又、1本増える。

頭の骨を収めた遺骨容器は本山に安置するまで本堂に預かっていただくことにした。

来年迄に出向いて父の遺骨の隣に納めようと思う。

親戚は最小限に抑えた。平日に行った理由にもよる。菩提寺の住職の予定で土日の実施が難しかったこと、当方の事情もあった。

平日に行うと親戚、家族にも会社勤め等で負担のかかる人が出てくる。年休の取りにくい人がいる。小生の子供、親戚の子供にもいた。契約社員(非正規雇用)の身分で年休の権利が発生していない家族がいるのだ。

通常1年以上連続した雇用形態がないと非正規雇用のパート職員は年休が無い。けっこう責任ある仕事のラインに組み込まれているのに、休むと「欠勤」の烙印を押されて次期更新契約期に「契約止め」通告を受ける恐れすらある。

かくして今回の小生の母の49日法要はわずか7名の規模だった。

利点もある。お斎の会場を自宅で行えた。仕出し料理屋に手配して自宅へ料理を運んでもらえた。自宅でのお斎の方がリラックスして談笑できる。ビール・ワイン・ウイスキー。お茶にコーヒー。2時間以上かけて平服に着替えて談笑できた。

料亭でのお斎では平服でくつろぎ談笑するには少々気苦労も伴う。自宅では遺品確認、法要終了挨拶とお返し品の手渡しが可能となる。いろいろ思い出話も料亭よりは雰囲気が良く、リラックスできた。

お酒の飲めない家族に遠隔地から来ていた親戚の汽車時間に合わせて送る手配も無駄な時間が無かった。

かくして4時間に及ぶ長いお斎が自宅で行えた。祭壇を取り払い、行灯を整理して、仕出し料理も回収に来た。

終わった!。風呂に入って爆睡した。


家庭裁判所

2013年05月30日 | Weblog

滅多に行かぬ場所に裁判所がある。

昨日は裁判所を訪れた。「家庭裁判所」である。

母が急逝して自筆遺言書を発見していた。49日法要に併せてこどもたちが裁判所に出向き、内容確認の申請をすることになった。

「検認」という作業である。自筆であること、書かれた日が記載されていること、あて先が明確であること、未開封であること。いくつか条件がある。

申請に際しては「収入印紙」「切手」「生まれてから死亡までが乗っている連続した戸籍」「相続人の戸籍謄本」が必要だ。

事前に電話して必要書類を聞いていた。印紙、切手が必要なこと。

驚いたことに「家庭裁判所」では印紙・切手の販売をしていない。

ここで初めて申請に来て必要なことを知った人は近所の郵便局へ走ることになる。

改正原戸籍(生まれたから死ぬまでの連続した戸籍)もけっこう手間がかかった。連続していない部分があり、抜けた部分を求めて遠隔地の役場まで出向いて取得している。合計で5千円も戸籍取得費用がかかっている。(窓口に払った分)

窓口の担当は丹念に戸籍を調べる。ここに記載してある時は3月とあるがその前の戸籍は4月とある。ここが不足しているかもしれない。とのたもう。

登記官のミスでしょ!こっちの責任じゃあない。と言いたかった。

実に驚いたことに、登記申請は受けたが、自筆遺言書の提出は一月か一月半後に通知があるまで遺族側で保管するようという話だった。

連続した戸籍がとれるようになるまで死去後、一週間。その後申請しても一月か、一月半後に再度来いとの話。

書類はあ~だこ~だ。となかなかうるさい。5千円もかかった書類は検査・確認後申請すれば返してくれる制度であるが、こちらが言わぬ限り、何の案内もしない。

事前に電話で確認して書類・印紙類を用意して行ったのに1時間もかかった。お役所仕事である。尊大な態度の男の担当だった。血税で食う吸血鬼の役人。そんな印象だった。公僕という印象は皆無だった。

かくして、母の自筆遺言書の検認はあと一月半後の通知が届いてから再訪することとなった。兄にももう一度金沢から来てもらう必要がある。

母の銀行口座は凍結したままである。お役所仕事の後遺症はまだまだ続く。ーー


ふと気づくこと。

2013年05月29日 | Weblog

忙しい毎日を送っている。

暇人=「しるしのないカレンダー主催者」=予定がなく、カレンダーに予定メモを記入することないまっさらなカレンダー。の意だった。

今月月末になってカレンダーの予定メモは30項目あった。 先月もほぼ同じくらいあった。

忙しくて普段できていたことが出来ない。ジムトレーニング、がおろそかになった。

思いおこせば、退職後、1~2回海外旅行に出かけたが、以降一度も出かけていない。妻との旅行も思い起こせば結婚以来数回程度だ。

親戚はけっこう海外旅行している情報をいただく。

国民年金だけだから生活が大変と言っている親戚夫婦(70代)である。

映画愛好会の元主催者であったが、ここ10年くらい一度も映画に行っていない。

自宅のBS/CS映画しか見れていない。生活費は乏しい年金から妻が生活費として配分している。

小生のこずかい。もその一部だ。食費、交際費、交通費、医療費、被服費(床屋等)、携帯、ネット利用料、ジム会費もそこから支払っている。地域のボランテイア団体の会費も払っている。

けっこうかかる。一つは年間6千円だ。もう一つは2千円だが、実際は懇親会で年数万、研修旅行で数万かかる。サラリーマン時代の半額のこずかいしかもらえていない中での支払いである。

現役を引退したと言っても極端に生活水準は下げられないということだ。

ユニクロで衣類は済ます。下着、靴下、ハンカチは100均だ。

車は11年目に入った。一月に数度しか乗ることはない。母の病院送迎のみである。

妻は仕事で使ってはいるが。もうしばらく入れ替え予定は無い。

地域の交際は増すばかりだ。  あとはどこを節約すべきか。ロビンソンクルーソー漂流記、

なすびの懸賞生活を思い起こしている。

政府のモデル年金プランは夫婦で月23万円。夫婦とも65歳を想定している。

小生の様に65歳前に引退した半額年金の受給者の生活はこんなものだ。妻は相変わらずパートから抜け出せない。銀行からは与信調査で係員が来る。

貯金も乏しくなった。葬祭費でかなりの出費があった。49日を前にしてもお返しの工面が出来ていない。

当町内で昨年3件の死亡事件(町内会会員)があったが、2件は葬儀を出していない。生活が厳しい世帯が増えたということだろう。

きょうもネタに乏しく、こんなくだらない愚痴を書いてしまった。


最後の総会

2013年05月28日 | Weblog

昨日は最後の総会だった。

何が最後かというと「連合会組織」の自治・町内会組織の最後の総会だった。

別の組織もある。「コミュニテイ協議会」である。

行政との受け入れ窓口は「コミ協」で内部運営の実態は「連合会組織」だった。

2つを使い分けしていたが、無理があった。連合会運営スタッフの数の多さとコミ協役員の数の少なさは無理があった。

連合会を廃止してコミ協1本とする。会計、人材も1本化する。かなり多くの時間をかけて会則の整備を行った。従来のコミ協の人的体制は実態が伴っていなかった。

必要があって出来た組織だった筈だが、内実お粗末なものだった。

会則に整合した人材配置と運営実態が求められる。

難しい面が数多く出てくる。これ以上の仕事は出来ない!と声を上げる会長さんが多いのだ。

高齢化と仕事の両立が出来ていない実態もある。多方面の仕事を分担してもらう経験者が少ない。一つのジャンルに少数の人材が専任していた。

コミ協はジェネラリストが望ましい。スペシャリストが多い連合会組織からの脱皮。

やるのは「今でしょう!」


運動会

2013年05月27日 | Weblog

小学校の運動会が土日に開催された。

ほとんどが土曜か日曜日である。代案は無い。

雨天時のプログラムは体育館で行うことを想定し、種目を減らして実施している。

かっては雨天時は順延ということでグラウンドを使う案が多かった。ゆとり教育で学校プログラムに余裕があり、出来たのだ。近年学力低下が指摘され、ゆとり教育の見直し。授業時間の大幅増加等で代案実施、延期等の案が難しくなったのだ。

生徒たちも多くの時間を準備に費やしており、これ以上の負担は難しい。

地域のボランチテイアの協力を頂き実施している。スポーツ振興会、青年部、婦人部、の活動家の面々だ。相変わらずこどもたちの父兄の協力度は低い。

同じ協力者ばかりが数多くの種目で出ている。幅広く協力者を募ってというような希望とはかなりかけ離れている。

小規模校の運動会は負担が大きい。生徒たちにとっても。

一日のプログラムの大半に全ての生徒が出場する。15種目中11種目に出る子もいる。

疲労困憊になる。小生の様に団塊の世代に生まれた者の時代とは明らかに異なる。

小生の時代は1小学校に2000人近い児童がいた。一日の運動会に出場できる種目は2つか3つくらいしかなかった。

それでも記憶に残る。一生涯の思い出となる。多くの父兄が協力的だった。

地域全体のお祭りの様な様相だった。今は違う。反省会はボランテイア団体、学校側。それぞれ別々だ。

いろいろ規制が絡んでくる。午後5時以降でなければ出れないとか、アルコールはだめとか。

教頭の仕事は多い。昨日も大活躍だった。

来年は最後の運動会となる。2年後は統合小学校での運動会だ。

この教員も半数は異動対象だ。4つの小学校が一つになる。生徒は一緒となっても適正規模の教室、適正規模の教員数となると、半数の教員は不要となるのだ。

地域の役員も関与が無くなる。統合とは衰退の始まりかも。


慰労会

2013年05月26日 | Weblog

学校統合の問題を検討する地域の委員を対象とした会の慰労会があった。

2年ほど毎月開いていた会だった。合意があり、4つのコミ協会長名で新潟市長、教育長に提言・要望書を出している。

最終的な行政側の判断が示される7月を待つだけとなっていた。新年度に入り、新たな役員(PTA等交代役員・地域コミ協・民生委員等)の入れ替わりもあり、顔あわせ会のような会でもあった。

海鮮料亭であった。自己負担4千円会費である。頑張って出ていたと思える役員30人が出席した。一言ずつ感想を述べる。地域での温度差がこの会場では無い。

皆熱心に一枚岩の心意気。実にうれしい。まだまだ課題は大きい。統合校の人事。統合されれば職員の多くは異動対象。統合されれば通学路が変わる。

統合されればジャージ等スクールカラーの運動着が変わる。校名、校章、校歌、が変わる。記念碑設置、記念誌の作成、解散式典、お別れ会、

統合校同士のPTAの連携・活動。やるのは「今でしょう!」

と意思確認が宴席の随所で見受けられた。

教育委員会も人事異動があった。全国的にも注目されている大規模な統合問題。

新潟市の中心部での4小学校の統合問題。4つの小学校が一つの小学校に統合される。よくぞこれだけのことを短期間に合意形成できたものだ。と全国的にも注目されている。視察が相次いでいる。学校を視察し、地元コミ協と意見交換したい。と統合話が出ている地域のコミ協が視察に来る。

日程が取れれば協力したい。 同じ痛みを感じる仲間の苦労だから。


顔が覚えられない!

2013年05月25日 | Weblog

地域の役員になると総会という一種特別な会に出る事になる。

何が特別かというと、1年に1回しか無い会ということ。特別な場合を除いて1年に1回しか開かれない。

収集される人はそれぞれの地域の代表ということで、それなりに自分の地域では顔が売れている。

町内会長(自治会長)といった類だ。1小学校区に20~30位の町内会(自治会)がある。

コミ協はだいたいその程度の範囲の召集をかける総会が多い。コミ協の役員をしていない平会長は年に1回程度しか顔を見ない。総会の後の懇親会。けっこうビールの類を注いで廻る。

自分は主催者側で顔が売れるが(相手は比較的覚えてくれる)だが、しかし、小生は顔の覚えが悪いどうしても覚えられない特徴の薄い人が数名ある。

町内会(自治会長)を対象とした行政の召集した総会に出るとこの類の人と遭遇する。

相手は目ざとく小生を見つけて隣席に座って来る。

笑顔で当コミ協の話をしてくれる。うれしいのだが、小生はこの人の名前、町内会が思い出せない。このことがばれないかとはらはらする。

顔に特徴の無い人は本当に覚えられない。目が2つ、鼻が一つ、口一つ。小柄で小太り。どこにでもいる顔だ。う~ん。名札を付けてもらいたい。

小生のコミ協では事前に出席予定者には名札を用意し、ブロック毎に懇親会の会場は分けて案内する。

ブロック毎の役員同士の意思疎通が図れるようになった。名札の効能だ。

役員も役職毎に席分けする。会長、副会長、会計、総務部長、青年部、婦人部等だ。

それぞれの分野で共通する話題に花が咲く。かっては小さなピン刺しの名札だったが、今は首から下げる大きなタイプだ。

案外目に付く。町内会名、役職、氏名が大きく表記されている。顔が覚えられない理由の一つに発言の少なさがある。総会で話す訳でなく、懇親会の場でも目立つ訳でない。

1年に1度だけ現れて酒を飲んで去ってゆく。

この手の町内(自治)会長の顔を覚える術は無いものか。

コミ協の会報を出そうと思っている。

顔写真を載せたい。これを機会に資料として顔を覚えたい。小生のそして恐らく同じ思いをしている地域住民の為にも。


閉校・開校事業着々と

2013年05月24日 | ニュース

二葉中学・舟栄中学という伝統ある新潟市の中学校が閉校する。

閉校して新たな「新潟柳都中学校」が開校する。

新しい校歌、校章がこの10月にも完成する。11月にも御披露目予定だ。

閉校記念式典、お別れ会の予定も企画が進んでいる。お盆過ぎにも市報で周知する。

予算が無いのでOB/OGに郵送案内はしない。ホームページを見てくれを合言葉に経費節減を目指している。

実行委員の懇親会で企画が進む。なんせ100年をこえる伝統校の閉校記念の総予算はわずか1校100万だ。(記念誌、記念碑、広報、要綱、印刷費)

金がないのはいずこも同じ。地域の役員は皆手弁当だ。自費会費で会合を開き、飲んで語って合意を積み上げてゆく。

校歌・校章・皆新潟大学の先生に決まった。かっての山田耕作、服部良一の様な全国的な有名人は関与してもらえなかった。関与する新潟大学の先生が後々有名となることを期待したい。

『お知らせ。』

平成25年11月2日(土)閉校記念式典 二葉中学校 体育館、お別れ会 ホテルイタリア軒

11月16日(土)閉校記念式典 舟栄中学校 体育館 、お別れ会 ANAクラウンプラザホテル

OB/OGの方、今から参加ご予定いただければうれしいです。


社会福祉協議会

2013年05月23日 | Weblog

モデル事業実施団体意見交換会という会議に出てきた。

社会福祉協議会の会合である。

参加コミ協の役員の発言にずいぶん温度差を感じた。

「社会福祉協議会」というと社会福祉の制度・事業、ボランティア、福祉の仕事・研修、福祉関係図書、福祉機器、社会福祉団体など、社会福祉に関するさまざまな情報を紹介している団体です。

昭和26年に制定された社会福祉事業法に基づき、設置されている。それぞれの都道府県、市町村で地域に暮らす住民のほか、民生児童委員、社会福祉施設・社会福祉法人等の社会福祉関係者、保健・医療・教育など関係機関の参加・協力のもと、地域住民の住み慣れた町で安心して生活できる「福祉のまちづくり」の実現を目指したさまざまな活動を行っている。

財源は地域住民からの会費・行政からの補助金・事業委託料・共同募金分配金等を主な財源としている。

町内会(自治会)の会長が幹事として会費徴収を担っている。1世帯300円程度をメドに募金をかける。30%は後日、コミ協に戻ってくる。

コミ協会長が地域の社協会長となっている。

コミ協は戻ってきた資金をコミ協活動の財源にしている。募金活動も赤い羽根、歳末助け合いと様々な要請が入る。郵便局、銀行を経由して振り込む作業はほぼ2月に1回はある。

自治・町内会の班長(組長)の集金作業はけっこう多い。いろいろな活動がいかにして地域に浸透し、役立っているかお知らせすることも幹事の大切な仕事だ。

案外社会福祉協議会の職員との接点が少ない。小生はけっこう出向いて大分顔を覚えていただけた。地域の自治・町内会会長と民生児童委員・社協担当者との交流会を年1回開いている。好評だ。以降会費の徴収漏れも無くなった。

案外自治・町内会会長は活動に温度差があるのだ。任意と思って会費を納めない会長すら出てくるのだ。会長職の持ち回りの自治会に多い。長くやらないと理解できない福祉活動の実態もある。

昨日の会議もそんな温度差を感じた会議だった。社協への運営主体・活動基盤の不理解からの発言がけっこう感じられた。モデル事業をやっているという案外理解のあるはずのコミ協の実態がこれだから。

来月の当地区の社協総会ではこの点地域の役員に十分理解を深める会としたい。

 


与信調査

2013年05月22日 | Weblog

与信とは、融資や信用取引などの融資に関する枠を供与すること。信用を与えるという意味になる。

金銭の貸付もしくはその同等行為を行うこと。取引の相手方が期日内に約束通りの返済を行う、また、債務を代理弁済する必要がないということの信用を与えることをいう。

実は先日身内の不幸があり、まとまった資金が必要となった。普通預金をほとんど引き出し、精算に当てた。

昨日、急に住宅ローンを担保してもらっている銀行から、電話があった。

「確定申告の申請者控えを見せてほしい。過去5年分お願いしたい」との内容だった。

新築した住宅の与信調査は現役時代に一度あっただけである。隠居して収入が途絶えて、年金生活。ローンはまだ大きく残っている。

普通預金にある程度まとまった資金があった時は良かったが、残高がほとんどなくなった残高を心配しての与信調査らしい。

「確定申告のB表を過去5年分コピーを取つて帰っていった」

個人情報の極みもたいな情報を持っていく国家権力の様な印象だ。

アパートの入居状況はどうですか?と聞く。

銀行とはなんとあけすけな調査を行うことか。

借金をしている相手でもあり、怒る訳にもゆかず、平穏に対応したつもりである。

必要があれば来るのが筋でしょう!と言って自宅に来させたことが、唯一の抵抗であった。

当初は銀行窓口に書類を持って出頭せい!という調子だった。

大手の銀行の高圧的な態度を感じた。   信金・信組の態度と大分違う。

これからも小生は「信金・信組」を大切にしたい。


反省あれこれ

2013年05月21日 | Weblog

交通止めをしていても突破して道路を車で通行しようとする人が何人も出た。

近隣住民には自治・町内会長より通行止めの回覧をお願いしている。駐車場を持ち、普段から車で出入りのある住民へもお願いに廻っている。

進入できるルートの説明、案内は誘導員に指示している。  それでも苦情はある。

○昨年と異なり、フリマの開設位置の隣に駐車場所を確保できなかった。会場が狭くなった為であるが、来年もそうだ。来年度の課題となった。

○学生に参画していただいた。慰労会に本来の会費2000円を500円に引き下げ案内したら24名も参加してくれた。その分実行委員会側の負担が増えた。誤算もあった。

○反省・慰労会にドタキャンが結構出た。材料・仕入れ連絡は既に終わっており、その分損害となった。正確な参加予定者がわからない中、集金徴収担当となった。

○精算を任されたが立替金の実態がわかるのはこれからである。

○慰労会終了後の施錠はできたが、注意が一部不完全だった。会場の暖房が一部切れていなかった。翌朝気がついたが、管理人が気づく前に消すことも出来た。

○スタッフの休憩所は大勢で溢れていた。トイレの紙が足りなくなり、紙、紙、と利用者から声を掛けられ女子トイレに紙の補給で会場を探し回る羽目となった。

いろいろあったが、とにかく終わった。疲れがどっと出て、ベッドからなかなか起きられなかった。


第8回ツツジ祭り

2013年05月20日 | Weblog

今年の祭りも無事終えることが出来た。「新潟下町早川堀通りつつじ祭り」の終了である。

心配されていた天気も終了までもってくれた。

終了とほぼ同時に雨も降り始めた。

運にも恵まれたまつりだった。

今年も大勢のボランティアの協力で運営が可能となった。

地元、大学生、芸能集団、町内会、朝6時前から設営に動いてくれた。

前日の前夜祭でもほぼ1日の作業があった。

保険契約者数は100名を超えた。生年月日、住所、氏名、連絡先電話番号。すべて個人情報ということで把握の難しいデータ(本当の実行委員分)だけである。

新潟市長も来てくれた。来年全部の工事区間が完工し、下町が誇れる市民散策地(遊歩道)が整備されること。低木のつつじを始め、5種の高木(桜・柳・サルスベリ・等)の植樹も為され、ベンチ、街路灯、水路照明、防災トイレ、等地域の必需設備も整備される。

多くの市民インフラが整備されるのだ。地元にとってもとてもありがたい。生活環境が良くなるということだ。多くの市民が訪れたいと思うような一帯となってほしい。地元が元気になり、地域連携の見本である「まつり」がより一層もりあがることが期待される。


スプリングナイトイルミネーション

2013年05月19日 | Weblog

昨日の晩は前夜祭だった。

「第8回新潟下町早川堀通りつつじ祭り前夜祭」であった。

「スプリングナイト・イルミネーション」という格好いい名前も頂戴している。

工事が植栽部分を残しほぼ完了した道路部分に手作りのキャンドルを灯し、春の夜を楽しむ。

ほのかに揺れる小さなカラフルなローソクの灯りが数百メートル灯った。

大勢の学生・地元実行委員の労力がかかっている。携帯のカメラで撮影したため、本当に暗い日没後の写真は撮れない。きれいなローソクの明かりが表現できなくて申し訳無く思います。

7時以降は本当にきれいだった。もっと多くの市民が見にきてくれると思ったが、案外少なかっ

た。今年初めての前夜祭。しかたのない面もある。屋台が2台出ていた。アイスクリーム屋、焼きそば、フランクフルト屋だ。売り上げがちょぼちょぼだったそうで赤字の様だった。明日の本番に期待したいものだ。


歓送迎会

2013年05月18日 | Weblog

昨日は歓送迎会に出席した。

地域の中学校の歓送迎会だった。転入してきた先生、転出した先生、校長、地域代表の挨拶があった。

教員は皆話し慣れている。挨拶が長いといつも言われるので短い挨拶をします。とけっこう簡潔に挨拶した転出した元教頭。

元教頭の代わりに大規模校から転入してきた教頭は自分が前教頭に勝てることは若さと髪の多さだけと謙遜する。

後ろ髪を引かれる思いで転出したと言った元教頭には前髪が無い。

明るく前方を照らす広いおでこが特徴だ。

転出先では話法の巧さから多くの会場で笑いを取っているような話もあった。

地域代表として小生も話しをさせていただいた。

この中学校が母校だったこと。生徒会活動にも参加させていただいたこと。サラリーマン時代の記憶はないが、学生時代の記憶は実にリアルに残っていること。嫌な記憶はすぐに記憶が薄れ、楽しかった事こそ一生の財産になること。

地域は新たなふれあいの場所となること。行政が地域コミ協を頼りにしていること。建て前と実態の格差は大きいがそれが行政にはよくわかっていただけてないこと。それが過大評価と良く言えば力量に見合わぬ効果を生むこと。

事例を述べて話をしてみた。お酒の力を借りて。

権威とは組織図なのだ。一部のトップアスリートが脚光を浴びるが、大多数は脚光を浴びることなく本来目指した目標とは異なる社会で生活を送る。

それでもその挫折を乗り越えられる生活規範を正しく教え、どこに行っても通用するまじめで真摯な生活態度を教えたいとする先生方の熱意に触れることが出来た。

伝統のともし火はあと1年で途絶える。新たな中学のともし火はこの会から灯したい。

最後の伝統のともし火が今日、一段と大きく灯されたことを記念し、万歳したい。と述べた。

ただの万歳担当だったが10分も話をしてしまった。

「話が長い!」罵声が飛んで来そうだったが、最後の全員の笑顔で救われた。


総会が始まった!

2013年05月17日 | Weblog

5月6月は総会が多い。3月末に年度会計を終えて4月に総会が出来る所は町内会・自治会位かもしれない。

膨大な総会資料が必要な少し大きな組織は5月、6月にずれこんでしまう。

土曜、日曜にやる所も多い。そうすると日程が限られる。「総会屋対策」が出来る。平日にやる総会も多くなる。出席該当者が限られる(代理人がいない)総会は早めに日程連絡して出席率を確保する必要がある。

昨日(5月16日(木)の総会)の総会案内は4月11日付けである。一ヶ月以上前である。

事務局はそうとう前から準備が必要ということだ。総会資料も膨大だ。

当日配布なのに、読みきれる訳がない。85ページ1冊、50ページ3冊。わずか1時間の説明時間の中で事務局提案と説明、承認を求める総会だった。

これで意見・質問はわずか1件だけだった。

これでも極く一部の資料なのだろう。職員人件費、事務局経費、特別会計、等公にできない会計資料は全くない。

公的機関の総会とはこうゆうものだ。案外誰も異論を述べない。

理事会資料で門外不出。

懇親会の時間が迫っている。と早々に総会を終える会もある。形だけの総会。

今年も始まった。


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