チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

墓まいり

2011年02月08日 11時59分09秒 | 日記
立春のあとの柔らかい日差し
廣島の空も優しい青
その下の墓石に
新しい名前が彫られていた

平成22年12月24日没
中谷好子 98歳

あなたに始めてお会いしたとき
全身から歓迎の温かさを感じて
すぐに打ち解けた

それから40年余
小さな諍いすらなく
また誤解もなく
私の行動の全てを
大きく、広く受け止めてくれ
なにもかも許してくれた

あなたは80までは
私の着物の全てを縫ってくれた
「此処一分、此方は5分つめて」
とややこしい注文にも
面白がって
縫ってくれた

90を越したら
会うたびに私に手を合わせ
「比佐子さんとはご縁があるんじゃね」
と子供のような無邪気な笑顔をくれた

そして98歳の冬
自分のベットで
夜お休みといったまま
静かに朝立ち去ったと言う

今日の廣島は温かい
お墓にお花を生け
線香を手向け
好きだった焼酎のお湯割を供え

過ぎし日のアレコレを思い出す
何もいうわけではなく
あなたの行動が全てで
居心地の良い関係であった

淡々としたお付き合いなのに
心に残るものが深い
「おかあさんありがとう」

小さくゆっくりつぶやいた
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ナイトコスモスなう

2011年02月04日 17時49分45秒 | 日記
今日は「修身」について
ナイトコスモスでお話したいとおもう
チャコちゃん先生は修身を教わっていないが
修身世代が兄姉にいて
何かと言えば注意されたことを思い出す

「口に物が入っているときは話さないの」
「襖の戸は静かに締めなさい」
「きちんと目を見て話しなさい」
などなど
親ではなくえらそうに姉達が言う

友達と遊んで遅くなったら兄が
「女の子は日が沈む前に家に戻るもんだ!」
なんて
末っ子は親が甘い分兄姉の目がきびっしい

どちらかと言えば
修身なんてどんな教科書かなど気にもかけずにいた
修身と言う言葉があることすら忘却
しかし
電車の中での化粧に始まり
ヘイキで足を広げて座る女学生
コンビニの階段で足を投げ出し即席ラーメンをすする

歩いていると
ぼーんとつっかかっても「ゴメンナサイ」がでない
前を歩いている女性の突然の方向転換でぶっつかりそうになる
見るからに年老いた人を立たせメールに夢中

ベビーカーをバスに乗せ通路にデーーンと置いて知らん振り

おばさんになりたくないが
このままだとどんな日本人になるのだろうと心配
そうだ「修身の教科書を見つけよう」
と手にしたら
こんな当たり前のことがどうして教えてはいけなかったのか
読めば読むほど面白い

昭和20年の12月にこれも占領軍指令で授業の停止になっている
修身の教科書は占領軍に接収されて焼かれたのだそうだ
しかし知恵者がいてこっそり数を間違えた振りして
自宅に持ち帰ったり
また占領軍の中で日本語の勉強をしたいと
その教科書をネコババした軍人もいて
10年位前から密かなブームを呼んでいる

人の悪口を言ってはいけません
それは天に向かってつばを吐くようなものです
お天道様はあなたをいつも見ています
人はだませても自分自身は常に真実を知っています

いいよいいよ
いまこそ「修身」だわ
自分発見とか、ワクワクして人生過そうとか
夢を現実にするために行動をおこそう
どんな小さなことでも習慣にしてみようとか
いま以上のようなことを知るために
何万円も払ってセミナーを受けている人がわんさかいる

「修身」には
その全ての回答があった
アメリカに毛嫌いされたのは
こういう真っ当な日本人が増えるとだませないからだ
こういう国民からお金巻き上げられないもの
そういうことも良く分かる

今夜はどんな反応か楽しみ
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節分・新月・旧正月

2011年02月03日 13時24分25秒 | 日記
太陽と月のエネルギーが交じり合い
大きな変化をもたらす日といわれている今日
60年に1回の幸運の日のようだ

「比佐子つれづれ」の有志12人は
我が産土さんの熊野神社の節分会に
黒紋付を着て出席
皆張り切っているわ

その後境内に集まった善男善女に
エイヤと豆まきをする

この豆まきだが
2月1日にこれまた有志4人が
アメ横まで行って仕入れてきた
その後事務所で袋に分け
その袋ごと撒く

結構手間がかかっているんだよ
デモこの手間も楽しみの内

さてさて
当方に歳女が居る
チャコちゃん先生は1合枡に入った
純国産の大豆を昨日京王デパートでゲット
高かったよ まいいけど

「これを午の時刻12時に勢いよく撒いて頂戴」
とその歳女に渡した
「終わりました」
「え何も聞こえなかった!ねえ皆聞こえた?」
「エーーいつ終わったの?」

チャコちゃん先生
その一升枡をかなぐり取り
「福はー内 鬼はー外」
と大声を出して豆をまく
「うわーそんなに大声ですか」
「当たり前でしょう?まったくうーーー」

どうして午の刻に豆まきするかの説明は
時間がかかるので止めるが
初午の8日に稲荷神社に御参りしてくださんしょ
いいことありますぜ

さらに今日この日願い事書いて
密かに忍ばせて満月の日にマッチかローソクの火で燃してください

必ず叶うよ
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能登空港の花嫁のれん

2011年02月02日 19時33分43秒 | 日記
窓に映る真っ白い積雪をバックに
花嫁のれんが気持ちよさそうに翻っている
石川県能登空港

この地方の婚礼道具の一つで
お嫁さんは花嫁のれんを持って嫁ぎ
それを仏壇の部屋に吊るして
自分がこの家のものになったことを先祖に伝える

花嫁のれんはもちろん素材は絹
しかも友禅で染められていて美しい
昔は友禅職人の若手が先ずは作っていたものらしい

前田藩の文化奨励の一環であった
その技術の積み重ねが今日の加賀友禅になっている

チャコちゃん先生
空港でこの花嫁のれんを見たとき
思わずこみ上げるものがあった

今七尾の一本杉通りの商店街では
毎年五月の母の日をはさんで1ヶ月近く
各お店に花嫁のれんが誇らしく翻る

この運動の始まりは
我が友佐々木和子であった
彼女は七尾の塩と昆布がおいしいと食材の研究に七尾に足しげく通った
そのとき商店の若い女将さんたちと仲良くなって
花嫁のれんの存在を知り
一肌脱いだ
つまり町おこしだ

彼女の好きなフレンチレストランで
嬉々として話す彼女を思いだす
その何年か前に
チャコちゃん先生は
金沢の花嫁のれんを取材していて
その美しさを我がことのように自慢したので

花嫁のれんの話は終わりのないほど弾んだ

その彼女はもうこの世にいない
この能登空港の花嫁のれんの様子を見せてあげたい
そう思って女将さんの一人に電話を入れたら
「絶対に一緒に翻っていますよ私達はそう信じています」

佐々木和子はいい仕事を残した

花嫁のれんの写真はツイッターにのこしていますよーーー
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