チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

都庁がおもしろい

2018年09月20日 13時40分06秒 | 日記
都庁舎が建つ前の十二社は東京の田舎だった
今でも都会とは言えないけど

熊野神社の周りに温泉街があり池もあって料亭では芸者さん達がご接待
道を歩くと三味線の音色が響いて来て
ちょっとした小料理屋や居酒屋では地元の人たちが集まっておしゃべりを弾ませていた

今をときめくヨドバシカメラは淀橋の町の小さなカメラ屋で
お惣菜屋さんの隣でDPEを引き受けてくれていた

都庁が建つ前の淀橋浄水場の都庁建設予定地では
夏は盆踊り大会
毎朝ラジオ体操
昼は少年野球
そのままずっとこの雰囲気でいくのかと思っていたがそうはいかず
都庁が出来上がった

かの有名な丹下健三のデザインという触れ込みだったが大不人気
へんちくりんビルの走りだと地元のおっさん達は居酒屋で騒いでいた
だって朝日が海から上がる姿を拝めていたのに
ビルが太陽の姿を消してしまったんだもの

しかしその前にできた新宿中央公園は少しずつ形が整い木々も育って桜の名所になっちゃった

だけど都庁のガラス窓に夕日が映ると結構美しく思ってしまう
慣れという怖さだね
今度はこのビルがないと十二社らしくなくなっちゃうんだから

というわけでチャコちゃん先生はよく利用する
美味しいわけではないけど職員が使う食堂も時々行くんだな
その上の展望台もご贔屓
ここのレストランでクリスマスパーテイーも開いた

夜は特におすすめ夜景を見ながらシャンパンが合う
しかも元旦の日の出も拝める
ただし最近は申し込み順だそうだ

そんな中、週代わりで地方の町の物産会が小さく行われていてこれが結構役立つ
今日は岩手県の釜石だった

ちゃこちゃん先生はらぐびーフアンなので釜石と聞くとruggerと思う
案の定
ruggerラーメンなるものが売っていた
もちろん購入
なんてたって松尾のいた釜石だもん(古いか)
でも感動を与えtrくれたひとだし釜石という街を全国区にした功績は大きい

などなど色々楽しめる都庁舎であるぞよ

ついでに言えば大江戸線の地下鉄あり
銀行、郵便局、本屋、珈琲店も整ってる

と言うわけで今日も展望台で遊んできた
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着物が繋ぐもの 20

2018年09月19日 08時17分57秒 | 日記
山崎青樹さんと初めてお遇いしたのも柿生の家であった
その日青樹さんはやや興奮した上ずった声で
「あいだま持って帰りましたよ」
と父上の斌さんに報告している声を障子越しに聞いていた

「あいだま」ってなんだろう?
恐る恐る境の障子を開けると
「やあーー父の年若いお弟子さんね、雑誌記者のーー」
とニコニコ笑いながら語りかけてくれた
青樹さんが新聞紙に包んで持っている紺色の炭のような玉が気になり
近寄って許しもなく手にとって見る

「きゃーなんですか手に色がついちゃった」
「これから藍色を染めるんですよ」
「ほ~~染料ですか」
「7月号はこの藍染をテーマにしようと思って探したんだよ」
「阿波まで行って手に入れてきました」
「阿波?」
「四国の徳島ね」
「なんでそんなに遠くまで行かないと手に入らないんですか?」
「まあーー座ろうか」

ここの家は座ると酒だ。でもおつまみが美味しい

「阿波は誰が藩主だった?」
(ああまただ質問好きのおじさんになった!)
「蜂須賀公ですよね」
(豊臣秀吉の家来でもとは盗賊だった蜂須賀クン私は結構彼のフアンだからよく知ってる)
その蜂須賀公が潘の政策として吉野川の反乱を防ぐために藍草を植えた
(なぜならというのは話が長くなるので今回はスルー)

つまりは保存させるために藍玉を作りそれを諸国に売って歩いた
なんとここ阿波だけの産物として独占企業をやってのけたのだ
藍玉を売り歩く商人は札所も検問には引っかからないように幕府が保護
そして各地に紺屋という藍染をする工房を作り染職人の教育もしたという

今でも徳島に残る藍商人の家屋は素晴らしい
いかに富豪だったか偲ばれる

まそれはさておき

今でも紺屋町という町名が残っているところもあるが
紺屋はだいたい一箇所に何軒もあって浴衣や作業着手ぬぐいなど染めていた
庶民の色として愛された藍染
特に虫が寄ってこないとかマムシも避けるとか言われ
作業着には絶対藍染めを着るという習慣があった

紺屋はとにかく繁盛をしたらしい

「ジーンズがだいたい藍色ですけどねあれも藍染ですか」
(途中でいつもおかしなことを質問する私)
「あれはinndeigoといって顔料系になるかな、昔はアメリカでも藍で染めていたそうじゃ」
「顔料というのは染料と違うんですか?」

正確には皆染料だけど植物染料とは違う
「コールタールみたいなものですか?」
「うんたとえは良くないけど乗せる染料じゃね」
わかったようなわからないような会話を切り上げ
その藍玉をこれからどうするかのお二人の会話になる
(つづく)



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お祭りは長老が元気になる

2018年09月18日 18時50分36秒 | 日記
わが町十二社に位置する熊野神社が土曜日曜と大祭であった

宮出し一時
宮入21時ということでこの瞬間を楽しみに過ごす
立派な神輿で一の宮二ノ宮が夜7時まで新宿中を練り歩く
黒紋付を着た氏子達が先導するが
「今年は馬は出ないの?」
「総代がお歳なので人力車にしたの」
「それに宮司さん女性ですものね」

ここ十二社は昭和40年代まで温泉街で花柳界でもあったのでその頃は女神輿も出ていて
それに変わって若い女性も脚絆をつけて歩く
美人が多いので
「どこからいらしたの?」
と聞くと「地元ですよ」側にいた長老が「わしの孫むすめ」と言って自慢する

あらこのおじいさんお布団やの隠居じゃあないの
いつもと違ってはつらつとしている

見渡すとあらこんにちはと顔見知りの長老
みなさん腰が伸び背筋がちゃんとして生き生きとしている
思わず吹き出したくなってくる

だっていつもしょぼくれた顔をして歩いている人たちだもの
あらラジオ体操で張り切りおじさんも黒羽織を着て江戸前の顔をしている

男の人って面白い
今宵のおじいさん達は集まっている若人より色っぽいよ

宮入の木遣りが聞かせる
江戸の祭りはこう来なくっちゃあ

しかしチャコちゃん先生のひいき目
わが町の鳶のかしらが一番かっこいい

ここの所口を聞いてくれるので嬉しくて仕方ない
やたら質問ぜめして独り占め
舎弟達が目配せして笑っている

終わって長老達はご神事を受けるのだけど
やれやれという感じで急に背中が丸くなる

暇だねえそういうことを事細かに観察しながら同じ趣味の仲間と油を売る
そこにはおばあさんはいない
祭りは男達の晴れの舞台なんだね
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着物が繋ぐものだが 19

2018年09月17日 13時25分18秒 | 日記
撮影は無事終わりネガを持って柿生へ
美しいと言って大感激!
ゆっくりできていなかったので菊正飲みながら信濃路の報告
山崎先生我が意を得たりの顔つきで「愛弟子」(結局最後の弟子と呼ばれるようになったが、私は染織はなし、しかし研究の態度を喜んでくれたらしい)の盃に嬉しそうに菊正を注ぐ

そして2月から6月号まで染まった反物を見せてくれた
2月は紫根染、これは寒の水で染めると色落ちしないのだそうだ
高貴な輝くような紫色
生まれて初めて着たいと思った色だ

昭和13年に出した「月明」という小冊子の中に「島崎藤村」が巻頭の文をのせている
全文は長いので抜粋

紫の一もとなりとも採集したいと山崎は南部の遠き地まで赴き花輪の山奥なる湯瀬に踏み入れたが紫の根は手に入らなかったといふ
かすかに野生のものを採集できたとのことである
私たちと自然との微妙な関係は常にかうしたものかと思ふ
多くの場合に、私たちは自然から与えられることばかりを知って自然にあたへることを知らない
母なる大きな自然を養はうとすることが、やがてわたくしたちの生活を誠に豊富にする所以ではあるまいか


紫根の染めは染色の中で最も難しいのだそうだ
染料を煮て色を出すのではなく60度を越すとに黒くなってしまう
根は一晩水にしたし酸性のぬるま湯に根がひたひたに浸かるようにして手でもんで色を出す
「酸性のぬるま湯ってどう作るのですか?」
渡された原稿を読みながら質問をする
「そうだな、熱湯の湯10リットルに対して水酸素5Cc入れて作る」
「化学ができないとなんだか面倒臭いですね」
「染めは化学じゃよ」

特に有機染料の草木染めは化学の基本を知っていないといい色は出せないだと
「成る程料理の味付けの似たところがありますね」

その後様々な土地で染織家にお会いするが、ほとんどの方が料理上手であった
そして味に敏感であると思う
「料理は目分流
でも構わぬが色はそうはいかぬ、分量を間違うと違う色になるからね」
「私この仕事絶対無理です」
「やればできると思うけどね、もっと俯瞰して眺めたいんじゃろう?そういう人も必要じゃね

3月桃染 4月梔子染 5月梔子染 6月山藍染 まで完成
全ての染めはご長男の山崎青樹さんの高崎工房で染めたのだという

原稿と染めの細かいことは父山崎、現場の仕事は青樹さんの手になるので
現場取材は高崎に行くようにと言われた
(つづく)
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無条件の愛

2018年09月16日 08時27分32秒 | 日記
今養蚕の技術も織りの技術も日本は瀕死状態
テレビドラマでは明治維新を近代国家として高らかに持ち上げているが
蚕の状況はこも明治維新から苦節の時代を迎えている

絹が日本の近代国家を推し進めたことは
多くの方は知っているだろう
日本の蚕の種、糸は世界で最も優秀であった

その輸出で日本は富栄えた
そのことに少しでも頭を働かせる政治家がいれば
日本絹はここまで酷い状態にはならなかった

絹から化学繊維への移動はどこの国よりも早く
私たちは絹を捨てた

絹の生産輸出が世界一の頃は昭和40年代で終わった
そういう中で
当然養蚕農家も日々減っていく全国で50軒足らず
個人で続けているところを入れればもっと数は増える

さてそこで
どんな時代になってもひたすら糸を吐く「蚕」の存在

蚕は糸が糸を吐き繭を作るのは自分の命を守り次の世代に命を引き継ぐためだ

種ー幼虫ー成虫ー蛹ー蛾と蚕は変態動物でもある
その一つ一つに人間が関わって
蚕から恩恵を受けている

種は利殖になる
今でも種の取引は金が絡む 日本はこれで稼いだ
虫の間は貴重なタンパク質 食料にしたり粉末にしサプリメントに強精剤
繭は糸
それ以外もセリシンというタンパク質、ポルへノールが含まれているので
石鹸や化粧水シャンプーなどに
またオイルをとって料理に使う

蛹は今キロ四万円で取引されるが
それもサプリメントに使われている
鎮静剤や利尿剤、腸の運動をよくし血流も速やかにする

蚕は自分が糸を吐く場所をあちこち歩いて定める習性がある
その時糸を吐きっぱなしにするがその糸を「きび素」と言う
そのきび素を粉末にして野菜などの肥料にする

蛾になって命が終わっても粉末にして肥料となる
アミノ酸が含まれているから上等の肥料だ

つまり
蚕には捨てるところが一つもない
自分の命を全て人に差し出している
見返りは何か?

それは
着物の仕立てに一ミリも布を捨てないという人間の志が蚕に対する礼かとも思う

自ら見返りを求めない蚕の姿こそ「無条件の愛」

さらに驚くべきことは
蚕が伝染病にかかっても
その病原菌が気管支や呼吸器の漢方になる
そのことを先日養命酒の工場へ行って知った

絹を身につけよう
蚕に対する御礼はそれしかない

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着物が繋ぐもの 18

2018年09月15日 08時30分00秒 | 日記
信濃路の紬では
日本の養蠶事情、製糸事情更には基本的な織のことなどが勉強できた
そしてそれぞれの地方ん景色や食べ物
底に住む人達の暮らしぶり考え方
着物を訪ねていったのに「民族」というジャンルの学びができた気がした

いよいよ「草木染め12ヶ月」の撮影が始まる
やはりモデルさんか新人女優さんに着物を着せようということになった
当事の女優さんはメイクはご自分でするしかしヘアーはそうはいかない

モデルのオーデイション、ヘアーは宮崎貞夫ちゃんに(後に超有名になりアメリカでなくなった)
「着付けは誰がするの」
「あら自分できないの?洋服のモデルは皆自分で着るのに」
「じゃあ簡単自分で着られるモデルさんを頼めばいい」「なるほど」

白っぽい糸と薄紅色の糸の可愛らしい縞が出来上がった
着物に仕立てるのなら購入しなければいけない
山崎家に負担はかけられない
かと言って編集費で購入することはまかりならぬと言われている

仕立ては?裏地は?難問が出てくる
全くわからない分野

同期のお母さんが仕立てをしてくれることになった
裏地はどこで買うの?デパートに行けば売ってるよ
「チャコ寸法はどうするの?」
「適当じゃあいけないの?」
「標準というのはあるわよ身長156センチ体重48キロ」
「モデルさんは殆ど170センチはあるわね」
「ところで帯も染めたの?」
「えええいるんだそんなもんがーー」

こんなことで右往左往しなければいけないのかとうんざり
着物は文化性があると意気込んでいたのになんだかつまらない(ぶつぶつ)

うん着物をどう美しく攝るかに集中しよう
バックを考えたりポーズを決めたり結構楽しいかもしれない

着物は二番目の姉に売りつけた
ちょっと安心
帯もその着物に合わせて借りることにして帯揚げだの帯締めだの長襦袢とかもう嫌になってしまう
細かい付属品があれやこれやとあり覚えるのが大変

洋服はすとんと着てしまえば形になるが
着物は誰でも同じ形のものを着るが
その着方によって上品にも下品にも可愛くも若々しくにもなるのだ
なんとも不思議な衣装である

「12ヶ月同じモデルさんがいいと思います」
「どうして?」
「着物は同じ形なので12色の変化によって着る人の表情が変わるのが面白いと思う」
「そうそれはいいアイデイアだ」

先輩のアドバイスで撮影場所は靖国神社のお茶室を借りることになった
庭も美しい池もある色んな場所を使えると言ってくれる
カメラマンとロケハンに行き決定

楚々とした気品のあるモデルさんで自分で着付けられる人を選んだ
そのモデルさんに持ってきていただくもの
下着一式、紐類一式 足袋、草履、長襦袢(いまのモデルさんは足袋としたのみ)
時代ですねえ (続く)




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着物が繋ぐもの 17

2018年09月14日 08時55分18秒 | 日記
信濃路は養蚕の宝庫でありまた多くの製糸業もあった
日本の製糸業の4割が信濃路で活動をしていた
製糸工場には多くの若い女性が働いていたので街は華やかでみんなの顔が明るい

上田は昔「蚕都の上田」と呼ばれていた
量も多いが糸質も良かったようだ
小岩井さんはそういう養蚕農家にも私を連れて行上田の現状を説明してくださった

蚕棚を見せてもらったり桑畑を探索したり
まだ私は蚕が苦手で独特の養蚕の匂いにも耐えられなかった
みんなが「お蚕様」と呼び家族以上の扱いを受け大事に育てられている姿に驚いた
蚕が収入源であることはもちろんだが
それ以上に蚕に対して思い入れようがあるようだ
ほとんどの農家の人が蚕に接する態度が優しくて愛に溢れていた

その姿に胸が熱くなりそこのところもルポに書き入れたらデスクにバッサリ削られた
「あちこち書くなよ読む方の頭が混乱するお前の頭が整理されてねーんだな。書き直し!」
(フンわかったわよ)
という態度でプリプリするのだが、確かにデスクのいうとおり、小岩井さんのことに集中しなければいけない

養蚕が多いので紬が生まれたという因果関係がある

養蚕農家は完成された繭を製糸業に売るのだが
その時動力機にかかる繭しか製糸業者は購入しない

汚れた繭潰れた繭二頭(蚕は一頭二頭と数える)の蚕が一つの繭を作る
このような繭は製品価値がなく農家に残される
それが半端な数ではない
それで昔の人たちは機械にかからないので手で繭から糸を引き
それを草木の汁で染め
おりはたにかけて織っていく
それが上田紬でありその他の地方の紬だ

養蚕の盛んなところでは必ずその地の特色がある紬ができた

動力機にかけられた繭の糸は白生地になり染めの着物となっていく
染めと織りそれを業界では後染め先染めと言うのだと知った

とにかく着物用語は難解であり読み方も難しいし第一かけない文字が多い
それをごく普通に使っている人たちがいることに日本の文化の深さを知る

小岩井さんが経糸を整経する
たくさんの色数がある糸が整然と並ぶ
「これだけでも充分に美しいですね」」
「見ててください、ここから横糸を通すことでもっと色が変わりますよ」
バタンシュと杼を通すと緯糸が入り色に深みが出て来る
(杼なんて言葉も初めて知る)
「成る程赤なのだけれども緯糸の黒に乗せられて渋みが出て赤が落ち着くんですね」

織りあがっていく色の不思議さ
これが紬の魅力なのかもしれない
紬には桑の木から始る蚕の旅 動物と植物の結合が一枚の布に織りあがっていく
それを纏う階級は庶民
選ばれた繭の糸で染めた着物は上流階級のもの ふーーんすごいことだね
蚕の二面性‼️つづく

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着物が繋ぐもの 16

2018年09月11日 08時30分00秒 | 日記
別所温泉での小岩井さんとの話は夜を徹した
世界の中の日本というものに目を向けさせてくれた
着物をつくるというだけの仕事が
ここまで世界を広げていくのかと興奮した

例えば
明治政府が行った養蠶の簡略化と在来種の育成の劣化
糸を動力機で作ること
糸が大量生産に向かっていく状況で養蚕農家の離農が始まる

戦後民主主義と言う世の中になったが
すべてが大きな企業に飲み込まれていき
やはり搾取する側とされる側の対立構造になってしまったこと

しかし
昔の金持ちは「文化」にお金をつぎ込むことが国を豊かにすると確信して
「手仕事」の価値を認め応援した

日本人の手仕事は「美術品・芸術」の域にある
その美がわかるためには使ってみること
「あなたはお若いのにこういう産地の手仕事を世に広めるという心がけが本当に尊いと思う。私はとても嬉しいし、あなたのこと大好きになりましたよ」

褒められて舞い上がってしまう私

大人の話をしている自分がなんだか別人のように見えて落ち着かなかったのだが
にわかに成長している自分に面映いものを感じた

そうか
私は日本の手仕事の尊さを伝えていくという心がけで仕事をしていけばいいのだ
と自分の仕事への姿勢を教えてもらった

温泉に何回も浸かり
山の幸にお腹を喜ばせたくさんのおしゃべりをして
「着物が持つ社会性」について考えさせられもした

今から6年前その時別所温泉で撮した写真を
上田で講演をした私に小岩井さんのお孫さんが届けてくれた
参加者に回したら「へ~~~」と驚かれ微笑まれた
流行の洋服を着て賢そうな顔をして収まっていた

山崎さんといい小岩井さんといい
地味な手仕事を続けながらも社会の動きの中でご自身の仕事の有り様をしっかりと見据えている
こういう方を「足が地についている」というのだと思った
その後もこのような先輩たちに私は「着物と社会性」について学ぶことになる

温泉で癒やしたからだと
社会に役立つページを作るという使命感に燃えた私は
カメラマンが到着するやいなや(お茶も飲まさず、いきなり働く女になっている)
手織り機にかかった経糸のアップ
そして畳の上に転がした数十点の反物の山

縞張や整経の手順そして織る人の姿
といっきにやや硬い真面目なページ作り
カメラマンの身体が硬直しているのを感じ(お腹が空いてるんだ)
なんとなく楽しそうでないので
千曲川に降りて川をバックに反物の撮影をして空気感をページの中に織り込んだ

そこに小岩井さんがお重におむすびやら煮物漬物を入れて持ってきて
カメラマンの喜ぶまいことか
ピクニック気分の撮影風景

上田紬は縞柄が主流
後に江戸時代「上田柳条(しま)」として上田の平織りの紬が一世を風靡したという古文書を見たのは
その日から30年後 (続く)






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着物の価値

2018年09月10日 16時57分52秒 | 日記
前にカタカムナの文字を配置した帯を作り
チャコちゃん先生自分で締めようと思ったのに
たまたま出来上がりを見た「比佐子つれづれ」の仲間の一人が
「私ほしい」
といって持っていってしまった

その彼女Tさんは当事「初期の乳癌」にかかっていて
「手術したら着物は着られないのよね」
と寂しそうに話していたので
情にもろいチャコちゃん先生は
即座に譲った

そしたらなんと!
にわかに信じられないだろうが
その帯を頻繁に締めていたらなんと癌が消えただけでなく
Tさんの運勢そのものも素晴らしく良くなり
あれよあれよという間に分限者になった

その帯を宝のように思い
擦り切れてもなお半幅にしたりまた袋物にしたりと
大事に使ってくれていた

前置きが長くなったが
そういう言葉のいえ文字の波動というのがこの世にあることを
私達の先祖はよく知っていて着物や長襦袢の柄や帯、帯揚げなどの小物に至るまで
季節の旬の波動を取り入れることをしている

今日はそのような波動を身体がどう受け入れているのかを
心理学的に知りたくて「言葉の波動と精神性」を研究しているM先生に取材をさせていただいた

先生の話は
赤ちゃんと言葉の波動から始まった
赤ちゃんは生まれる前から「母」との波動会話をしている
そして生まれ落ちて
片時も「母」を自分のところから離したくない

お母さんがトイレに行って姿を消しても
赤ちゃんから見ると自分は捨てられたと思う
ましてや人に預けるなんてとんでもなく
それが自分の父親ですら赤ちゃんにとっては別の人
お母さんではない

・24時間愛して
・そばを離れないで
・自分とだけお話して

それができないとき
「お母さんはこれから眠るので身体は側を離れるけど心はあなたに向いてるのよ」
「お母さんはちょっとお客さまとお話してきますねでも心はあなたのそばにいるわ」
「お父さんとお話していても心はあなたとお話しているのよ」

こう言って聞かす
言葉が喋れなくても必ず話しかける
それが言葉の波動であり心の波動でもある

これが守られたお母さんに育てられた赤ちゃんは
物心がつくと他人を愛せるように成る

もし欠乏していると大きくなればなるほど他に愛を求めてさまよってしまう

日本人が子供の成長に合わせて着物の柄を考案し
子供を主役にしてその時期の柄を描いた着物を着せたのは
・こんなに愛されている
・こんなにも認められている
・こんなに大事にされている
・こんなに褒められている

こうしておとなになった人間は
常に穏やかで豊かな人生を送るようになっている
ということであった
なんだかドスンと腑に落ちた先生の話
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着物が繋ぐもの 15

2018年09月09日 08時00分00秒 | 日記
次に上田に行くことにし
柿生に菊正もって相談に乗っていただいた
山崎斌さんも上田近くの出身で同志とも言える小岩井さんを紹介してくれた

山崎さんの上田に対する思い入れも強く上田を中心にした手織りの工房が動力機になったことから
手織りの技術を次の世代に伝えるために「民芸運動」も始めている
そして紬織の技術を奨励した
小岩井工場はその中心にあった

山崎さんの紹介状を持って上田に急ぐ
もちろん電話をして承諾は得ている
今の人達は紹介のとき電話を代わり相手と話をするように仕向けるが
山崎斌さんはそういうことはせず「行くからよろしく」みたいな言葉で電話を切ってしまわれたので
どういう方に合うのか全く未知数
当事は上野駅からの出発で信越線は地下ホームの暗いところにあり
なんだか寂しい感じがした

小岩井工場につくと出迎えてくださったのは凛とした美しい女性
年の頃は母の年齢のようだ
「よーくいらしたこと」
と大歓迎

早速お茶と野沢菜きゅうり漬のおもてなし
手土産に持っていった文明堂のカステラを「だいすきですよ」
と喜んでくれる

何だかすっかり打ち解けて上田紬の現状を聞かせてくれる
当事の学生運動に興味があるらしく「あなたはどうなの?」
と聞いてくるが、この私「ノンポリ」安保騒動のときも外側にいたし
メーデー参加を義務付けられたとき
行列の中で「空をゆくー」と鉄腕アトムの歌を歩きながら高らかに歌ってひんしゅくを買い
「お前はもう家に帰れ」と開放された

でも同級生で砂川基地に座り込む人もいたし(女子大だよ 当事の女子大生は政治に疎かった)
兄も学生運動をしていたのでその様子は少しは分かり
話の内容を合わせることはできた

こういう調子の良さは末っ子の特権
兄や姉のことをしっかり観察しているので大人の話についていける
小岩井さんは大喜びで世界から見た日本の状況
またこれから日本がどういう方向にむかうのかしっかり見ていないと日本の良さが危うい
という話題になり

日本の文化を背負って立つような心持ちになって話が広がっていく
明治の女性の聡明さにただただ感動して
受け売り状況の兄から聞いた話などをまぜこぜに賢そうに話す自分にきまりが悪かった

「今日は別所温泉に行って続きをおしゃべりしましょう」
「えーー?温泉があるんですか?」
「いい温泉ですよ、愛染かつらという映画をご存知?」
「姉と一緒に見ました」(姉のデートにつきあわされたんだった)
「そのロケ地も案内しますね」
予約していた宿をキャンセルして別所温泉に行くことになった

カメラマンが来るまでに撮影の段取りを決める約束だったが
ま・いいかーーと別所温泉へと行く



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