斉藤ひとりさんから、初めてこの表題を聞いたとき、斬新になぜか 心に響きました。でもよくよく考えてみるとこれは当たりまえのこ とで、だが確信をついた言葉です。どんなにいい話を聞いたり、 説教されたり、諭されても、自分がそのことを受け入れて換わろう としなければ、変わることもないし魂の成長も精神的変革も望む ことはできないようです。この表題に関して東大名誉教授養老孟司 氏のコラムがありました。 脳に負荷をかけると、脳機能が発達するかどうかは知らない。 ただし、同じことをやらせると、あきらかに上手になる。いわゆる 「慣れ」である。それは、それ以前に比較して、「脳が鍛えられた」 のである。それならそれでほかのことが上手になるかというなら、 そんな保障はしない。やったこと、それに関係のあることは、上手に なる可能性が高いが、それだけのことであろう。そういう意味では、 マトモに仕事をして生きていれば、当然ながら脳は鍛えられるはず である。ボケ-としていれば、脳も身のうちだから、怠けるに違い ない。身体は合理的にできていて要らない部分をすぐに省略しよう とする。若くて、元気いっぱいの人でも、絶対安静で一週間寝かせ ておいたら、そもそも立ち上がれなくなる。それなら、脳だって怠け るはずである。
脳について、むしろいまの世の中で気になることは、多くの人が 「自分は変わらない」「変わってはいけない」と思っているらしいこ とである。「人は変わる」という話をするときに、君子豹変と述べた ら、この言葉は悪い意味た゜と思っていました、という人が多いこと に気づいた。「誤っては改めるにはばかることなかれ」で、間違った と思ったときは、サッサと意見を変えるのが君子である。それを 「悪いこと」だと思っていたのでは、脳の鍛えようがない。いつまで 「同じ」脳でいるつもりだ、といいたくなる。同じ脳でいることは、 じつは楽だという気がするのであろう。本当はそれは楽ではない。 なぜそれがわかるかというと、自分を変えまいとする人は、肩に力 が入って、機嫌が悪くなっているからである。いまではそういう人を 多く見かけるように思う。とくに年配の男性に多い。以前はたしか に男性は簡単に歯を見せてはいけないといった。つまりむやみに 笑うなということである。箸が転げても笑うなんて必要はないが、 笑いは百薬の長である。苦虫をいつもかみつぶしていないで、もう 少し笑っていいのではないか。オバサンはよく笑うので、笑いすぎ るきらいがないかと思うほどである。だから女性の平均寿命が男性 よりはるかに長くなったのかもしれない。日本の高齢者、とくに男性 には、自分を変えることをお勧めしたい。それが脳を鍛えることであ ると思う。いままでの自分と違う自分に変われば、感じることも、 することも違ってくる。それがいちばんいい脳の鍛錬であろう。私は 五十代の後半で、何十年もの勤務先を離れ、仕事も変えたが、 その後ははなはだ元気である。自分を変えることに、さした体力は 要らない。自分が変わると、世の中が違って見える。それは自分を 変えてみればわかる。違った世の中から脳に入ってくるものは、 以前入ってきたものとは違う。だから脳が刺激を受ける。それが分 からない人は、まだ変わったことがないからである。それならこれ から「変わる」という楽しみがあるではないか。・・・・ここまでが一文 ですが逆説的な表現もあり、味わい深い内容に大変共鳴いたしま した。