「手間」を簡易辞書で調べると、・ある事をするのにかかる時間 ・手数のかかる時間・職人の仕事・手間仕事などと記載されてい ます。この手間のかかる状態を、いかに簡略化し短縮するかに 神経を注ぎ日夜努力しています。所謂スピ-ドへのあくなき挑戦 であり、量の拡大、質の向上の3点セットへの探求である。そして 全てのもの事にこのことを当てはめようとして、弊害を起こしてい ることに気付かないまま、推移していることが多々見受けられま す。通信機器の発達は、世界との距離を縮め、可也の情報を瞬 時に得ることができます。一方で手近に存在するものや可能性の ヒントを、世に発信し共鳴や共感を得ることも簡便化しています。 だが決して省力化の対象に絶対的に馴染まないこと、その上、 してはいけないことに対しての畏敬の念や感謝の念が欠落して いるように見えます。
どんなに操作に熟達して、スピ-ド力を習得しても、何かをインプ ットする行為は変えられない基本的動作である。作物は一定の 期間を経過しないと収穫できない。その期間もただ放置していた のではよりよい収穫を期待できない、当然手間をかける。動物も 然り、生き物を育てるには、並大抵ではない手間が必要となる。 そのことを考慮するだけで、チ-ズ等に加工されていない牛乳も、 手間のかかった飲み物である。この育む期間の手間が農家人の 個性であり、よりよい人間愛に満ちた、安心・安全の物作り理念が 尊敬と感謝の念を抱かせる行為であり、それらに携わる人達に対 して賞賛を惜しまない。逆に言うと、その手間の行為に、単にスケ -ルメリットと効率化のために生物にとって、劣悪な環境での飼育 方法を取り入れていたとしたら、見逃されることは無いと思います。 作物は肥沃な土地から栄養分を吸収し、太陽と水の恵みで成長 する。動物は良質の植物で育まれる。それでは手間を惜しまず、 可愛がり過ぎるとどうなるか?枯れたり、ひ弱な状態になると言い ます。所謂、病害菌に対する抵抗力の弱い状態。このことを最も 端的に有するのは人間社会で、当然なことと受け止められます。 誕生に対する何らかの操作で問題提起はなされています。 だがそれ以降の成長過程では、不変的期間か゛存在します。 愛情と手間をかけて育みます。(例外は存在しますが・・・?)この 成長過程を作為的に短縮することは、決してあってはならない。 彼、彼女達が自力で行動し、思考し始めたら適切なアドバイスを 提言し、見守る環境を確保し手間をかける。手間がかかることもあ るが、自立での成長が人生を有意義に生き抜く、強く、逞しく、 心優しい人間形成を構築していくと信じます。