メタポリックシンドロ-ム(メタポリック症候群)の基準の中で一番注 目されているのはウエスト(胴囲)のサイズです。日本の基準では 男性で85㎝以上、女性で90㎝以上が必要条件となります。これを 満たした上で、血糖値、血清脂質値、血圧などの数値の二つ以上 に異常があると、メタポリックシンドロ-ムと診断されるのです。数値 基準には、男女で少し差があり、特に目立つのはウエストの基準の 違いです。男性の85㎝以上はざらにいますが、女性で90㎝を超え る方はそう多くないようです。女性では、90㎝までは内臓脂肪のた まった悪性の肥満とみなしていないわけです。この点に関しては研 究者の間に意見がいろいろあり、ウエストの基準が現在のままでは、 女性でメタポリックシンドロ-ムと診断する頻度が大変低くなるので、 見逃すのではないかという心配があります。そこで、二つの問題を考 えてみたいと思います。一つは、女性と男性で動脈硬化の危険性が 違うという点、第二はウエストの基準は内臓脂肪の量を基にしてい るという点です。女性はもともと男性に比べると動脈硬化による病気 が少ないことが知られています。それは性ホルモンの周期が順調な 間は、女性ホルモンの作用で動脈硬化が起りにくいからです。ちょう ど男性の中年がメタポリックシンドロ-ムの危険度が最も高い時期で あるのに比べて、女性はもう少し上の年齢までは、動脈硬化の危険 が男性より低いといわれます。つまり女性ではメタポリックシンドロ- ムと診断される方が少ないのは、妥当な結果と言えます。次の問題 ですが、ウエストで内蔵脂肪量を代表する方法は、日本の肥満学会 が作った統計的な基準によっています。実際に、幅広い年齢層の日 本人多数のウエスト周囲径と、実際にCTスキャンで測定した内臓 脂肪面積の間の関係を分析した結果は、内臓脂肪量の危険域であ る100平方㎝を超えるのが、男性85㎝、女性90㎝のウエスト周囲 径だったわけです。現在の基準で女性がメタポリックシンドロ-ムに 診断されにくいのは、実際に動脈硬化の病気の危険を持つ内臓脂 肪肥満の女性が、まだ日本では男性ほど多くないことと関係がある からだ、といえます。メタポリックシンドロ-ムの診断基準は働き盛り のお父さんたちのためにあると言っても過言ではありません。 (中島弘・大阪府立成人病センタ-特別研究員)
クリエイティブ・クラスの世紀 価格:¥ 2,520(税込) 発売日:2007-04-06 |
鷹城 宏(評論家)解説
R・フロリダの「The Rise of the Creative Class」は2002年に 刊行されて以来、わが国でも都市再生政索の観点から話題にのぼ ることが多い。フロリダが名づけるところの「創造階級(クリエイティブ・ クラス)」とは、コンピュ-タ・数学、建築・エンジニア、科学、教育等 等に携わる専門職から構成され、こうした人材が集積する地域が活 性化すると彼は考える。そうした主張だけならば、情報社会やハイテ ク経済を説く従来の論とさして変わらないが、フロリダ説の特色は、 芸術家やデザイナ-、あるいは料理人や美容師の手技(スキル)に も、等しく創造性の発露を見るところだろう。さらに今後の経済発展に は、技術(technology)、才能(talent)に加えて、多様な価値観を 許容する寛容性(tolerance)が欠かせないと主張し、それらの「3T」 に富んだ都市こそが成長すると分析している。一方、創造階級の勃 興を言祝ぐフロリダ説にエリ-ト主義を嗅ぎとりこれを批判する向きも ある。フロリダ初の邦訳となる本書「クリエイティブ・クラスの世紀」は、 自説に寄せられた、かかる批判に対する反論としての性格を持つ。 もっともその著者自身にしてからが作中で、格差拡大はクリエイティブ 経済の副産物であると認めてはいる。加茂利男の言葉を借りれば「フ ロリダの考え方にはボヘミアンやゲイ容認のリベラルな風土が創造 階級を生むという『文化的ラディカリズム』が顔を覗かせるかと思えば、 市場競争を重視する経済的保守主義のト-ンも並存している」気配 なのだ(佐々木雅幸+総合研究開発機構「創造都市への展望」、 学芸出版社)。
情報環境論集―東浩紀コレクションS (講談社BOX) (講談社BOX) 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2007-08-02 |
東浩紀の「情報環境論集」を読んでいて、米国西海岸に由来するハ ッカ-文化を評したくだりに似たような二面性を感じた。「ハッカ-た ちは、プログラミングのような専門技術の習得に大きな価値をおくが、 同時にその技術は大衆と共有すべきものだと考えている。また彼ら は、コンピュ-タの普及が従来の権力や社会体制を破壊するものだ と信じながらも、同時に金銭的な成功を追及している」。東は、選良 主義にして大衆主義、反体制にして資本主義的という相矛盾する 価値観の両立を、ポストモダンの基底に見いだす。「情報技術の進 歩は、私たちに自由を与えてくれるものであると同時に、また私たち から自由を奪うものでもある」。東の現代社会論は徹頭徹尾、現代 社会を覆うこうした逆説(パラドックス)に貫かれている。そして、この 逆説を解消する手段は容易に見つからない。私自身は、寛容性に由 来する創造性が都市を活性化するというフロリダの議論には大きな共 感を覚えている。ただし、それが地方都市を元気にするためのアイデ ィアとして重宝されるかたわらで、格差社会の加速へと繋がりかねな い傾きも兼ね備えることには自覚てきでありたいと思う。