あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

さよなら渓谷

2010-12-12 15:51:04 | 本を読む
昼食を食べに出た時は暖かかったが、今は寒い。空には厚い雲がかかり、いつ雨が降り出してもおかしくない様子だ。とりあえず折り畳み傘は持ってきているので、最悪の状況は免れそうだが、願わくば家に着くまで泣かないでほしいと祈るような顔をしてみる。

吉田修一さんの『さよなら渓谷』を読んだ。誰が主人公かわからなくなりつつ、途中でそんなことはどうでも良くなっていた。吉田さんのストーリー構成の賜物だろうが、一見バラバラな彼らが収斂していく流れを楽しんだ。まあ、物語は楽しいものではなかったが。

どこまでも追いかけていきたいという女性に巡り会ったことがあっただろうか。そんな女性と巡り会うことがなかったのか、それともそんな気持ちになれないだけなのか。

今はただ、穏やかに暮らしていけたらいい。それも贅沢な望みかもしれないが。

ひそやかな花園

2010-08-27 20:25:59 | 本を読む
書店に行くと、特定の作家さんの新作を探してしまう。瀬尾まいこさんは教師として忙しい合間を縫って執筆しているだろうから、余計に新作が待ち遠しい。あとは、吉田修一さんと角田光代さんだな。吉田さんはあの『悪人』が映画化されるのに際し、脚本を手掛けるという。あの心をざわつかせる世界がどのように映像化されるのか楽しみだ。観に行くとしたら、誰かと一緒に行きたい。

夏休み用に買った、角田光代さんの『ひそやかな花園』を今朝読み終えた。初めはどんな話なのか掴めず、ページをめくる手も動きが鈍かったが、途中からスピードが速まった。登場人物の多さに頭が混乱しながら、それでも彼らの行きつ戻りつする気持ちをリアルに感じていた。

その途中、僕はひとりの女性に自分を投影していた。いつも自分だけ不幸だと思い、それを他人のせいにする。そんな、自分のいやなところを凝縮したような彼女に嫌悪感すら抱いたが、その先には僕自身がいるとおもうと、複雑だった。

でも、ラストには光が見えた。その光は、心の暗闇にもがく今の僕が求めている光だった。だから、その光に誘われて前へと歩いていこう。

ショートショート

2010-05-30 20:41:59 | 本を読む
しばらく車を動かしていなかったので、ちょっと運転して出かけた。眠気は多少あったが、運転に支障はなかった。しばらくすると、運転を楽しいと思う感覚が蘇ってきた。

吉祥寺を出て、世田谷文学館に向かった。『星新一展』を知ったのは、どこかの駅に貼られていたポスターを見たのがきっかけだった。そろそろ終わってしまうと思い駆けつけたところ、来月27日まで開催されているそうで、焦らなくてもよかった。

兄の影響で一時期彼の作品世界に嵌ったことも理由としてあるが、彼自身に興味を持ったのは、最相葉月さんの『星新一 一〇〇一話をつくった人』を読んでからだ。今回の企画も、ご遺族とともに最相さんが協力されている。

細かい文字で書かれたたくさんのメモや、子供の頃の日記など、彼の人となりを表す資料が展示されていた。彼の作品を読んでいた頃は全く知らなかったが、星新一という文学界の星が生まれた軌跡を知り、人生っておもしろいと思った。今の自分が歩んでいる道で失敗し挫折しても、この道だけしか歩いていけないなんて事はないとも…

もっとじっくり見たかったものの、帰りの時間が気になり、短い時間で足早に見てしまったが、出来たらもう一度訪れたい。

パレード

2010-03-20 13:45:08 | 本を読む
待ち時間を含め、2時間半も診療所にいた。診断結果は鼻炎で、しょっちゅうかかっている「持病」であるが、ついつい忘れてしまっている。

帰りに買ったサンドイッチを食べた後に、炎症を抑える薬を飲み、心の中で早く治まるよう祈ってみた。

待合室で、吉田修一さんの『パレード』を読み終えた。所々に着火装置の焦臭さを感じながら、独特の軽妙かつリズミカルな文章に引き込まれながらも、一向に小火も出ない展開に、逆に不安を感じていた。これは単なる群像劇ではないだろう…と読み進めて、最終章で仕掛けが働いた。だが、良くも悪くもそれで華々しく終わるような展開ではなかった…と感じた。そして、それが吉田さんの小説世界で、それが僕らの世界だと思った。

川上弘美さんの解説が秀逸にその世界を切り取って見せてくれた。解説は文庫版の特権であり、また時に楽しみを邪魔するものだが、この解説は、「解説」の範囲で高レベルのバランスかつ内容だった。

さて、この作品は映画化され、現在公開されている。観たいと思わなくもないが、積極的になれない。そういえば、映画からだいぶ遠ざかっている。

再び

2010-02-25 08:41:47 | 本を読む
角田光代さんの『八日目の蝉』がドラマ化され、来月末から全6回の放送が始まる。その話題には以前も触れたし、小説についても何度か書いている。放送前にもう一度読んでおこうと思い、先週からページをめくり始め、昨夜読み終えた。

あらすじは覚えていたが、細かいところはかなり記憶が抜けていた。そのことを含め、一つひとつ拾い集めるように読み進め、同じ場面で涙した。前回は夜中に読み終えたが、今回は帰りの電車内で、それでも構わずボロボロと、本当にそんな感じで涙が出てきた。

改めて、その描写の細やかさに胸がこみ上げ、その世界にはまり込んでいく自分がいた。主人公の希和子に自分を重ね、想像の中で薫の手を引いていた。

ドラマでは、檀れいさんが希和子を演じる。NHKのホームページには、子どもの頃の薫を演じる女の子が紹介されていたが、読み進めながら、2人が手を繋いで歩く姿を想像していた。その先にいつも不安を抱えつつ、今繋いでいる手の温もりに幸せを感じ、それが続くことを願った希和子は、檀さんの姿を重ねることで最初に読んだ時よりもリアルに心に染み込んだ。

ドラマはどのシーンから始まるのか、二部構成の作品をどのように再構成するのかなど期待が膨らむ。あと1ヶ月が、本当に待ち遠しい。

僕の明日を照らすのは

2010-02-14 11:32:12 | 本を読む
一昨日、品川駅のチップトイレに入った。子どもの頃に新宿駅のチップトイレにただで入ったことに何となく罪悪感を感じ、たまにそうしたトイレに入らざるを得ないときは10円でも入れるようにしている。だが、利用者の大半は何も気にせず入っていく。チップトイレなんていうシステムに疑問を持ちつつ、お金を入れることで「他人とは違う」という優越感を買っているのかもしれない。結局、投入した50円分の算段をしていた僕にも、「チップ」という考え方は浸透していない。

トイレは長居するところでもないから、約束までの時間を考えて書店に入った。大崎善生さんの新作の新聞広告を観ていたので、パラパラとページをめくってみようという気持ちがその瞬間生まれたのだが、すぐに消えた。平積みされた新刊本の中に、瀬尾まいこさんの新作『僕の明日を照らして』を見つけたからだ。

瀬尾さんの新作は、一昨年の『戸村飯店青春100連発』以来で、あれから何冊かの文庫を読みながら新作を待ち焦がれていた。そのうち、「彼女も教師として忙しい日々を過ごしているのだろう」と、諦めというより、子どもたちにとってはいいのかなという思いで自分を納得させていた。だが、正直嬉しかった。装丁を見て、戸村兄弟が活躍するような話ではないと思っても…だ。

生まれた時から母と子の二人で育ってきた中学生の隼太と、新しい父親となった優ちゃんとの関係を通じて描かれる物語にぐいぐいと引き込まれた。昨日は姪の子守で昼間は開くこともできなかったが、夜遅く目が覚めて、それから一気に読み終えた。

義父は息子に時折キレて虐待をする。それでも息子は、その関係を失いたくないがために義父がキレることのないよう二人で努力を続ける。何度かの失敗を経ながらようやくそれを克服した時、思わぬ結末が訪れる…といった話で、決して明るい話ではないのだが、隼太の飄々とした感じ(に受け取ったが、心はそうではないだろう)に、読んでいる側は心の負担を気にせずにその世界に入っていけると思う。

さて、年齢からして僕は優ちゃんの立場で読むのかなと思ったが、実際には隼太の立場で最後まで読んだ。兄弟はいても二人とも家を出て、今は母と二人暮らしの僕は、その関係の重さに耐えられない時もあるけど、それを解消するところまでは踏み込めないでいる。隼太の優しさとどれほど重なるのかはわからないが、重なると感じた部分は少なくはなかった。そして、今僕が関わっているところでの僕の立ち位置にも重ね合わせていた。

本に書いてある結末は、決してハッピーエンドではない。でも、ここから先の道は決して暗くはないと確信できる、そんな希望の持てる結末だった。僕の明日を照らすのは僕自身でもあるし、誰に照らして欲しいとも思う。

語り合う

2009-12-03 08:07:23 | 本を読む
筑紫哲也さんの著作『ニュースキャスター』を読んだ。彼がメインキャスターを務めた『NEWS23』は、初めはあまり見ていなかったが、何かのきっかけで見始めた。ただ、その「何か」を思い出すことができない。

彼の、いや、彼らの切り口がおもしろかった。その年の締め括りに文字で世相を表すというのは、確か京都のお寺でやっていただろうか。それと似てなくもないが、ある文字をキーワードに現在を掘り下げていく特集を興味深く見ていた。
また、自分の心に響いたニュースがあったときなどは、彼がどんな想いを持ったのかと「多事争論」だけを待った夜もあった。
今も心の中に微かに灯る「人間」への思いは、彼が注いでくれたものも残っている。

彼がいない世界に開いた穴を埋めることはできない。それは、彼がこの本で書いているように、彼自身が「ただの現在にすぎない」からだ。それでも、時代を彼と共有した者は、その穴の大きさを日々実感する。ならば、一人ひとりが誰かに語ればいい。そして語り合い、その輪を広げればいい。それこそ、彼が望んだ「多事争論」だ。

あの頃の僕は

2009-11-10 22:49:47 | 本を読む
大学時代の友人とは疎遠になり、今では年賀状を交わすのも唯一人となってしまった。もともと友達を大事にしない自分らしいといえばそれまでだが、友達に相談できたらと思うことが、振り返ると少なくなかったように思う。

その本を手に取ったのは出版されてすぐだったが、その時は結局買い物かごには入れなかった。タイトルに拍子抜けしたというのが正直なところだろうか。
吉田修一さんの『横道世之介』を読み終えた。一年間に亘り新聞に連載されていたことも知らず、作家名のみを頼りに手に入れた。僕と同じ時代に学生生活を送った若者がそこにはいた。そう、吉田さんと僕は同じ年で、世之介の設定は吉田さんに重なる。ただ、性格までが彼と同じなのかはわからないが…

小気味よいリズムをもった文章に、自然と読むスピードも速まる。物語の展開もそれを加速する。厚さの割には早く読み終えたなと思ったが、パソコンに向かい少し落ち着きを取り戻したものの、読み終えた瞬間はボロボロ涙をこぼしていた。

昨夜、電車の中で読んでいた時、ある決定的な場面に差し掛かったところで新大久保の駅に辿り着いていた。物語では代々木駅となっていたが、モチーフとした事故が起きたのはここだった。何かが僕とつながっているのだろうか。僕の学校にも世之介のような男がいたのだろうか。

思えば、トンネルの中で4年が過ぎるのを待っているような大学時代だった。その反動だろうか、社会人になってから外に目が向くようになった。それは、使えるお金が増えたからというだけではない。見てくれはすっかりオッサンなのだろうが、それを承知で遅れてきた青春時代を、多少遠慮気味にではあるが楽しんでいる。

あの頃の僕に出会うことがあったら、もっと楽しめと言ってやりたいが、それは叶わない。だから、今を楽しむことで若い仲間にそれを伝えられれば…って、そんなおせっかいは必要ないくらいに彼らはうまく楽しんでいる。ならば、遠慮をせずに青春を楽しむとしようか…

感性

2009-10-18 17:36:53 | 本を読む
先日、仲間から借りた長野まゆみさんの『天体議会』という本を読んだ。貸してくれた彼ともう一人女をと3人で話しているうち、好きな作家がテーマとなり、彼が挙げたのが長野さんだった。僕は何人か頭の中でノミネートされた人の中から、瀬尾まいこさんを挙げた。

読むのに時間がかかった方でもないに長く感じたのは、普段読む本とは作風が全く異なるのと、SFな内容に付いていけなかったからだろうか。女の子も好きだと言っていたが、2人とも僕と一回り以上年下となので、世代の違いが大きいのかもしれない。

まあ、彼らがこの本と出会ったのと同じ年頃に読んだら、もしかしたらはまっていただろうか。その頃は読書嫌いだったから、出会っていたらという仮定も成り立たなそうだ。

ところで、彼は『戸村飯店青春100連発』をどう読んだだろう。

出会いの意味

2009-10-17 08:52:54 | 本を読む
先日ふと立ち寄った最寄り駅の駅ナカ書店で一冊の文庫本を買い求めた。中身はわからなかったが、帯のコピーと表紙のイメージ、そして、「有川浩」という作者の名前が頭の中できれいに並び、あとは迷うことなくレジへと向かった。

去年読んだ『阪急電車』がおもしろくて、その後彼女の他の作品も読んでみたいと思いつつ、なかなか気になる作品に巡り会えず、巡り会おうともしなくなっていた。

『レインツリーの国』は、青春時代に読んだ作品のラストが心に引っかかった男女がネットを通じて出会い、互いに惹かれつつ傷つけあい、それでも…といった恋愛小説だ。

互いの心を隔てる壁となってしまうことが設定されているが、内容や程度は違うものの、誰もが抱えているものだと思った。主人公の2人がそんな壁を行きつ戻りつしながらもそれを乗り越えていく姿に心動かされた。

ここしばらく人を好きになることに臆病になっていたけ僕にとって、この本との出会いは意味があったのだと思うが、まずはあの人にこの本を薦めてみよう。