先延ばしにしていると気持ちが薄まってしまうので…
先週、瀬尾まいこさんのエッセイ集「見えない誰かと」を読んだ。
映画「幸福な食卓」の影響がまだ心の中に残っていて、原作本を読んでますます、こんな作品を生み出す彼女のことを知りたいと思ったからだ。
学校というのはさまざまな出会いの場だと、改めて思う。でも、当時の僕はそんなことをちっとも考えていなかったなあ
教師である彼女が、赴任した学校でのさまざまな生徒や先生、親御さんたちとの出会いを綴った言葉に、彼女の人を見る視線のやさしさを感じる。
「学級崩壊」などという物騒な言葉がはびこる前から、学校というのは人によっては怖いところだと思うが、彼女自身怖い思いをしているだろう。けれども、次から次に部品を運んでくるベルトコンベアからは逃げても、彼女は人から逃げようとはしていない。そして、そういう彼女の芯を本能的に察知するかのように、周りの人も彼女に寄り添い、彼女を支えているようだ。
「幸福な食卓」には、心の奥にじんわりと染みてくるセリフがちりばめられていたが、その一つに「凄いだろ。気付かないところで中原っていろいろ守られているってこと」というのがあるが、彼女も多くの人たちに支えられているのだろう。そして、それは彼女自身も多くの人たちを支えているからに違いない。
特に印象的だったセリフをもう一つ、これは原作本を読んで確認したのだが、「他人じゃないと救えないものが直ちゃんにはある。きっと、同じように私にも」というセリフだ。
先日参加したセミナーで、同じグループになった人が「うまくいっている組織は、それを壊さなければその先に行けない」といったことを言っていた。
家族じゃなきゃ出来ないこともあるし、家族だからこそ出来ないこともある。今の僕に必要なのも、まさに「他人」である。
この前の記事で書いた「他人と向き合うことは、自分と向き合うこと」という言葉にインスパイアされたのも、このセリフが頭の中で鼓動していたからだろうか。
ずっと閉じていた心の眼を、いや、開いていたけど真面目に正視しようとしていなかった心そのものを変えていこう。その先にはきっと、今は見えていない誰かがいるはずだから…
先週、瀬尾まいこさんのエッセイ集「見えない誰かと」を読んだ。
映画「幸福な食卓」の影響がまだ心の中に残っていて、原作本を読んでますます、こんな作品を生み出す彼女のことを知りたいと思ったからだ。
学校というのはさまざまな出会いの場だと、改めて思う。でも、当時の僕はそんなことをちっとも考えていなかったなあ
教師である彼女が、赴任した学校でのさまざまな生徒や先生、親御さんたちとの出会いを綴った言葉に、彼女の人を見る視線のやさしさを感じる。
「学級崩壊」などという物騒な言葉がはびこる前から、学校というのは人によっては怖いところだと思うが、彼女自身怖い思いをしているだろう。けれども、次から次に部品を運んでくるベルトコンベアからは逃げても、彼女は人から逃げようとはしていない。そして、そういう彼女の芯を本能的に察知するかのように、周りの人も彼女に寄り添い、彼女を支えているようだ。
「幸福な食卓」には、心の奥にじんわりと染みてくるセリフがちりばめられていたが、その一つに「凄いだろ。気付かないところで中原っていろいろ守られているってこと」というのがあるが、彼女も多くの人たちに支えられているのだろう。そして、それは彼女自身も多くの人たちを支えているからに違いない。
特に印象的だったセリフをもう一つ、これは原作本を読んで確認したのだが、「他人じゃないと救えないものが直ちゃんにはある。きっと、同じように私にも」というセリフだ。
先日参加したセミナーで、同じグループになった人が「うまくいっている組織は、それを壊さなければその先に行けない」といったことを言っていた。
家族じゃなきゃ出来ないこともあるし、家族だからこそ出来ないこともある。今の僕に必要なのも、まさに「他人」である。
この前の記事で書いた「他人と向き合うことは、自分と向き合うこと」という言葉にインスパイアされたのも、このセリフが頭の中で鼓動していたからだろうか。
ずっと閉じていた心の眼を、いや、開いていたけど真面目に正視しようとしていなかった心そのものを変えていこう。その先にはきっと、今は見えていない誰かがいるはずだから…