昨夜、なかなか寝付けなくて夜中にテレビを見ていた。Nスぺ『クジラと生きる』の再放送をラスト10分ほど見た。
昔はクジラが貴重な食料だったが、今はクジラを食べなくてもいいし、僕自身、クジラの美味さは記憶にあるが、敢えて食べたいとは思わない。食物連鎖を通じた有害物質の蓄積を考えると、むしろ食べないほうがいいと思える。
だが、地球という生態系を維持していく上でどのような連鎖が必要なのかという論議が必要だ。漁師さんの「骨以外はすべていただく」という言葉は、アイヌの人々の熊送りに通じる。クジラ漁もそうだが、遠くない昔には生活と文化が密接な関係を持っていた。
野菜や果物を含め、食べることは命をいただくことであり、だから「いただきます」と手を合わせるそうだ。
たまにテレビで、海外の地方を訪れたリポーターに、歓迎の印にヤギや豚を絞めて料理にして振る舞ってくれるシーンを見る。スーパーやお店に並ぶ肉や魚にもその場所はあるが、日常でそこに触れる機会はない。だからといって、その過程がないわけではなく、それを忘れてはならない。
捕鯨に反対する人々が、単に「クジラを殺すのはかわいそう」というだけで行動を起こしているとしたら、そんな風にしか思えないことをかわいそうだと思う。まあ、帰ったらじっくり見よう。
昔はクジラが貴重な食料だったが、今はクジラを食べなくてもいいし、僕自身、クジラの美味さは記憶にあるが、敢えて食べたいとは思わない。食物連鎖を通じた有害物質の蓄積を考えると、むしろ食べないほうがいいと思える。
だが、地球という生態系を維持していく上でどのような連鎖が必要なのかという論議が必要だ。漁師さんの「骨以外はすべていただく」という言葉は、アイヌの人々の熊送りに通じる。クジラ漁もそうだが、遠くない昔には生活と文化が密接な関係を持っていた。
野菜や果物を含め、食べることは命をいただくことであり、だから「いただきます」と手を合わせるそうだ。
たまにテレビで、海外の地方を訪れたリポーターに、歓迎の印にヤギや豚を絞めて料理にして振る舞ってくれるシーンを見る。スーパーやお店に並ぶ肉や魚にもその場所はあるが、日常でそこに触れる機会はない。だからといって、その過程がないわけではなく、それを忘れてはならない。
捕鯨に反対する人々が、単に「クジラを殺すのはかわいそう」というだけで行動を起こしているとしたら、そんな風にしか思えないことをかわいそうだと思う。まあ、帰ったらじっくり見よう。