先週末に石巻に行った。先月と同様、仮設住宅で一人暮らしをする高齢者の方々に声を掛けるという活動に参加した。
そこで出会った仮設住宅に住む方々とお話しすることができた。
お一人の方は、お連れ合いを震災で亡くされた男性だった。会話の中では「お父さん」と呼ばせていただいた。お父さんの奥さん…お母さんは人寄せがお好きで、いつも賑やかだったという。お友達のご夫妻が、お母さんを亡くされたお父さんを気遣い、遠慮からか疎遠になっていることが寂しいとおっしゃっていた。それでもお父さんは、お母さんの心を受け継いでなのか、同じ仮設に住むみなさんが集うイベントをやりたいという話をしてくれた。つられて僕は、こんなことはできないかなどと余計なことを言ってしまったが、それを実現させてほしいと願う。
もう一人の方は、高齢者ではなく若い方で、そこの仮設住宅であれこれお世話をされているという。僕らの活動について説明したが、その方は「この仮設住宅からは孤独死される方を出さない」と仰っていた。実際、集会所を使ってイベントを開催するなどされているそうだ。
このお二人のお話を伺い、ここについては次のステージに進むべきではないかと思えた。ただ、僕の中で被災した方々の復興へのステップがしっかりとした像になっている訳ではない。
今日、3月11日に行った『つくることが生きること』というイベントを再び訪ねた。今日は最終日だった。到着すると「シンポジウムが始まります」というお誘いを受け、聴講席に座った。
冒頭、気仙沼の美術館で学芸員をされている方のお話があった。震災直後、「アートで何かできないか」と多くのアーティストが被災地を訪れたそうだが、その頃はアートよりも生きていくために必要なことが求められていた。だが、一年が経った今、彼らが活躍する場はあるという。また、現在も被災地では動き出せない人がいる一方、子どもたちを甘やかせ過ぎてはいけないという指摘をされていた。
その話を伺いながら、石巻に行った際にお二人と話をしてから思っていたことが強く感じられた。
立ち上がるまでの時間も、立ち上がる力も、一人ひとり異なる。その違いに対しどのように向き合えばいいのだろうか。ただ、今活動しているその先に何があるのか、そして、その活動は今だけでなく将来も含めてその対象となる人たちのためになるのかということは考えておかなければいけないと思った。
今日の会場内で、岩手県大槌町の吉里吉里国での取り組みが紹介されていた。シンポジウムでもこの取り組みについて触れていたが、ここでは震災で発生した瓦礫を薪として売る「復活の薪」プロジェクトを行っていた。そしてその間、いずれ瓦礫が整理され、薪を売ることができないことを見越し、森を再生し、間伐した木を薪として売り出す「復活の森」プロジェクトを計画し、スタートさせているという。
人と物との違いはあるが、時間や空間により変化するニーズに対し、それを想定し、さまざまなプログラムを組み合わせながら支援を続けて行くことが必要だ。もちろん、「もう支援は要らないよ」というゴールは必要で、それは早いに越したことはない。地域ごとの違いについては、仮設住宅ごとにコーディネータを置くなどの対応が考えられる。すでにそうした取り組みをしている所もあるのだろう。
まあ、僕自身がそうしたコーディネートをする立場に立つこともできないし、その資格もない。だったら…
当面は、参加させてもらっている活動に、仲間を誘って参加し続けたいと思う。僕がクルマを出すことで、少人数ではあるが気軽に行くことができるなら、それもささやかな支援になるだろうか。そして、通い続けるうちに、本当に自分ができること、やりたいことは何なのかが見えてくるかも知れない…
そこで出会った仮設住宅に住む方々とお話しすることができた。
お一人の方は、お連れ合いを震災で亡くされた男性だった。会話の中では「お父さん」と呼ばせていただいた。お父さんの奥さん…お母さんは人寄せがお好きで、いつも賑やかだったという。お友達のご夫妻が、お母さんを亡くされたお父さんを気遣い、遠慮からか疎遠になっていることが寂しいとおっしゃっていた。それでもお父さんは、お母さんの心を受け継いでなのか、同じ仮設に住むみなさんが集うイベントをやりたいという話をしてくれた。つられて僕は、こんなことはできないかなどと余計なことを言ってしまったが、それを実現させてほしいと願う。
もう一人の方は、高齢者ではなく若い方で、そこの仮設住宅であれこれお世話をされているという。僕らの活動について説明したが、その方は「この仮設住宅からは孤独死される方を出さない」と仰っていた。実際、集会所を使ってイベントを開催するなどされているそうだ。
このお二人のお話を伺い、ここについては次のステージに進むべきではないかと思えた。ただ、僕の中で被災した方々の復興へのステップがしっかりとした像になっている訳ではない。
今日、3月11日に行った『つくることが生きること』というイベントを再び訪ねた。今日は最終日だった。到着すると「シンポジウムが始まります」というお誘いを受け、聴講席に座った。
冒頭、気仙沼の美術館で学芸員をされている方のお話があった。震災直後、「アートで何かできないか」と多くのアーティストが被災地を訪れたそうだが、その頃はアートよりも生きていくために必要なことが求められていた。だが、一年が経った今、彼らが活躍する場はあるという。また、現在も被災地では動き出せない人がいる一方、子どもたちを甘やかせ過ぎてはいけないという指摘をされていた。
その話を伺いながら、石巻に行った際にお二人と話をしてから思っていたことが強く感じられた。
立ち上がるまでの時間も、立ち上がる力も、一人ひとり異なる。その違いに対しどのように向き合えばいいのだろうか。ただ、今活動しているその先に何があるのか、そして、その活動は今だけでなく将来も含めてその対象となる人たちのためになるのかということは考えておかなければいけないと思った。
今日の会場内で、岩手県大槌町の吉里吉里国での取り組みが紹介されていた。シンポジウムでもこの取り組みについて触れていたが、ここでは震災で発生した瓦礫を薪として売る「復活の薪」プロジェクトを行っていた。そしてその間、いずれ瓦礫が整理され、薪を売ることができないことを見越し、森を再生し、間伐した木を薪として売り出す「復活の森」プロジェクトを計画し、スタートさせているという。
人と物との違いはあるが、時間や空間により変化するニーズに対し、それを想定し、さまざまなプログラムを組み合わせながら支援を続けて行くことが必要だ。もちろん、「もう支援は要らないよ」というゴールは必要で、それは早いに越したことはない。地域ごとの違いについては、仮設住宅ごとにコーディネータを置くなどの対応が考えられる。すでにそうした取り組みをしている所もあるのだろう。
まあ、僕自身がそうしたコーディネートをする立場に立つこともできないし、その資格もない。だったら…
当面は、参加させてもらっている活動に、仲間を誘って参加し続けたいと思う。僕がクルマを出すことで、少人数ではあるが気軽に行くことができるなら、それもささやかな支援になるだろうか。そして、通い続けるうちに、本当に自分ができること、やりたいことは何なのかが見えてくるかも知れない…