東日本大震災から1年が経過した。
あの日、僕は奈良を旅行していた。年度末にまとまった休みを取ることになり、東大寺の修二会(お水取り)を観に行った。そして、その日は朝早くから法隆寺、中宮寺、薬師寺、唐招提寺、そして平城宮跡を巡っていた。そして、大阪のNHKで開催されていた『てっぱん』のセット公開を見ようと、大和西大寺という駅に向かって歩いていた。
駅に着くと、タクシーの運転手さんが「東京で地震があった」と話しているのを聞き、胸騒ぎを覚えた。その地でも電信柱が揺れていた。駅の構内に入り、モニターに映るニュース映像を見ながら、ようやく家にいる母と連絡が取れた。「怖かった」という言葉に地震の大きさを思ったが、感覚としてはわからなかった。
その後、大阪のNHKに着き、モニターに映し出された八戸市の様子をずっと見ていた。ただ、ゆっくりとした映像に「大半の人は避難できたのではないか」と思ったが、翌朝のニュースで認識の甘さを思い知った。
あれから1年。僕は何をしてきて、何をしてこなかったのだろう。それは、この1年間常に頭の片隅にあり、小さくなることはなかった。そして、今日を迎えた。
午前中、日比谷公園で開催されていた『Perce On Earth』というイベントを訪れた。ボランティア仲間が参加するイベントで、仲間たちが元気にイベントを支えていた。彼らの多くは昨日もあの寒さの中参加していた。イベントにとっても、仲間たちにとっても、今日の天気は良かったと思う。ただ、夕刻の雨は辛かっただろう…
ちょうど昼時だったので、小盛りのカレーライスとシチューを食べていた。すると、目の前に僕より一回り以上(と思う)上の女性が座った。いつもの癖で場を和やかにしようと話しかけたら、原子力発電所について以前から反対の気持ちを表明し活動しているが、「もう駄目だ」という気持ちが強いという。あれこれ問答しながら、僕も原子力発電所が止まらない歯痒さを募らせた。
その後、仲間の一人が中心となって開催していた、ろうそくづくりのワークショップに参加した。ろうそくづくりは初めてだったが、芯を融けたろうに漬け、引きだし、ろうが乾いてからまた漬けるというのを繰り返しながら、その時間を楽しんだ。
多くのアーティストらが参加する場や賑やかだった。その時間をこの場所で迎えてもいいかなと思いつつ、会場を後にし歩き出した。
東京国際フォーラムのガラス棟の内部に入ったのは何年振りだろう…なんて、そんなことを考えながら骨組みを見上げた。少し前を歩いていた2~3歳くらいの女の子も見上げていた。
東神田でこんな粋な植木鉢を見つけた。江戸を感じる。
1時間余りかけて辿り着いたのは、外神田にある 3331 Arts Chiyoda という場所だった。ここで今日から25日(日)まで開催されている『つくることが生きること 東日本大震災復興支援プロジェクト展』を見に行った。
仮設住宅の作り方に対する提言などもあれば、被災された方々との繋がりを実感するワークショップなどもあった。小さな会場だったが、多様性に富んでいて面白いと思った。
石巻市桃浦地区という場所で活動をおこなっているユイノハマプロジェクトや、今回クローズアップされた、津波に流された写真を再生するプロジェクトを展開する富士フイルムの取り組み、そして、いわき復興モヤモヤ会議といった企画を行っている藤浩志さんの話をなどを興味深く聞いた。
そして、その藤さんによる「モヤモヤ会議」がこの場所で行われるというので参加した。他己紹介から始まり、さまざまな切り口で論議が進んだ。だが、もっとも関心が高いのは原子力発電に対することで、僕も2回発言させてもらった。
さまざまな取り組みをリアルに知ることができるという意味で、僕には昼間のイベントより興味深いものだった。だが、著名人が集まり意見表明するという意味はものすごいパワーを持っていて、否定するものではない。
一人ひとりがそれぞれ今できること、やりたいことをやる。それがまとまった力になればいいのだろうが、人はともかく、自分はそういう考え方で進んでいければと思う。
黙祷の際、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、命を繋ぎとめた人たちがこれ以上の苦労をされることがないよう願った。願うだけでなく、そのための力になれればと思う。
あの日、僕は奈良を旅行していた。年度末にまとまった休みを取ることになり、東大寺の修二会(お水取り)を観に行った。そして、その日は朝早くから法隆寺、中宮寺、薬師寺、唐招提寺、そして平城宮跡を巡っていた。そして、大阪のNHKで開催されていた『てっぱん』のセット公開を見ようと、大和西大寺という駅に向かって歩いていた。
駅に着くと、タクシーの運転手さんが「東京で地震があった」と話しているのを聞き、胸騒ぎを覚えた。その地でも電信柱が揺れていた。駅の構内に入り、モニターに映るニュース映像を見ながら、ようやく家にいる母と連絡が取れた。「怖かった」という言葉に地震の大きさを思ったが、感覚としてはわからなかった。
その後、大阪のNHKに着き、モニターに映し出された八戸市の様子をずっと見ていた。ただ、ゆっくりとした映像に「大半の人は避難できたのではないか」と思ったが、翌朝のニュースで認識の甘さを思い知った。
あれから1年。僕は何をしてきて、何をしてこなかったのだろう。それは、この1年間常に頭の片隅にあり、小さくなることはなかった。そして、今日を迎えた。
午前中、日比谷公園で開催されていた『Perce On Earth』というイベントを訪れた。ボランティア仲間が参加するイベントで、仲間たちが元気にイベントを支えていた。彼らの多くは昨日もあの寒さの中参加していた。イベントにとっても、仲間たちにとっても、今日の天気は良かったと思う。ただ、夕刻の雨は辛かっただろう…
ちょうど昼時だったので、小盛りのカレーライスとシチューを食べていた。すると、目の前に僕より一回り以上(と思う)上の女性が座った。いつもの癖で場を和やかにしようと話しかけたら、原子力発電所について以前から反対の気持ちを表明し活動しているが、「もう駄目だ」という気持ちが強いという。あれこれ問答しながら、僕も原子力発電所が止まらない歯痒さを募らせた。
その後、仲間の一人が中心となって開催していた、ろうそくづくりのワークショップに参加した。ろうそくづくりは初めてだったが、芯を融けたろうに漬け、引きだし、ろうが乾いてからまた漬けるというのを繰り返しながら、その時間を楽しんだ。
多くのアーティストらが参加する場や賑やかだった。その時間をこの場所で迎えてもいいかなと思いつつ、会場を後にし歩き出した。
東京国際フォーラムのガラス棟の内部に入ったのは何年振りだろう…なんて、そんなことを考えながら骨組みを見上げた。少し前を歩いていた2~3歳くらいの女の子も見上げていた。
東神田でこんな粋な植木鉢を見つけた。江戸を感じる。
1時間余りかけて辿り着いたのは、外神田にある 3331 Arts Chiyoda という場所だった。ここで今日から25日(日)まで開催されている『つくることが生きること 東日本大震災復興支援プロジェクト展』を見に行った。
仮設住宅の作り方に対する提言などもあれば、被災された方々との繋がりを実感するワークショップなどもあった。小さな会場だったが、多様性に富んでいて面白いと思った。
石巻市桃浦地区という場所で活動をおこなっているユイノハマプロジェクトや、今回クローズアップされた、津波に流された写真を再生するプロジェクトを展開する富士フイルムの取り組み、そして、いわき復興モヤモヤ会議といった企画を行っている藤浩志さんの話をなどを興味深く聞いた。
そして、その藤さんによる「モヤモヤ会議」がこの場所で行われるというので参加した。他己紹介から始まり、さまざまな切り口で論議が進んだ。だが、もっとも関心が高いのは原子力発電に対することで、僕も2回発言させてもらった。
さまざまな取り組みをリアルに知ることができるという意味で、僕には昼間のイベントより興味深いものだった。だが、著名人が集まり意見表明するという意味はものすごいパワーを持っていて、否定するものではない。
一人ひとりがそれぞれ今できること、やりたいことをやる。それがまとまった力になればいいのだろうが、人はともかく、自分はそういう考え方で進んでいければと思う。
黙祷の際、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、命を繋ぎとめた人たちがこれ以上の苦労をされることがないよう願った。願うだけでなく、そのための力になれればと思う。