あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

永い言い訳(映画)

2017-01-29 21:22:25 | 映画を観る
映画『永い言い訳』を観た。

監督の西川美和さんによる原作を読んだのは2年前だった。映画化されたのを知ってすぐに観たいと思ったもののタイミングが合わず、年を跨いでしまった。

そんな時、フォローしていた映画のアカウントで、下高井戸シネマで1月28日の上映後に西川美和監督の舞台挨拶があると知り、ようやく重い腰を上げた。

9時30分のチケット販売開始に合わせて劇場に行くと、既に30名以上の方が越を作っていた。まあ、みなこの作品を目当てにしている訳はないだろうと思いながら自分の番が来て、チケットを買い25番の整理券を受け取った。

一旦渋谷に買い物に行き、映画『怒り』を観て、さらにその後食事をとったりしたあとに劇場に向かうと、多くの人が開場を心待ちにしていた。そして、いつもなら後方の席を選ぶところ、西川監督を間近に見たいと思い、2列目の席を選んだ。補助椅子も埋まり、立見も出るという盛況の中、上映が始まった。


過去の西川監督の作品同様、映画は登場人物の心の闇を丁寧に描いていく。そして、そこで描かれた闇は、映画を観ている自分の心の中にもあり、その心が疼く。「誰のことも抱いていない」という愛人のセリフが、誰かと心を通わせることを恐れる僕の心に突き刺さった。

登場する2人の子どもの愛らしさを追っていた僕に「子育ては、免罪符」というセリフが更に追い打ちをかける。子どもを育てていくということの重みというのを体験していない僕には、その言葉の本質がわからないという点で、重かった。

そう、子役の2人がほんとに愛らしく、だからこそ、幸夫や陽一の気持ちが、リアルにわからないなりにも伝わってきた。


そして、終盤に幸夫がノートに書き込む「人生は他者だ」という言葉に強く揺さぶられた。


上映後、温かい拍手に迎えられ西川さんが登壇された。テレビ番組などでどんな感じかは視ていたけど、とてもチャーミングな方がこんなにも人の心の闇を描き切れるのかと、今日も改めて思った。

数人の方からの質問に西川さんは丁寧に答えられていた。質問というより質問者の感想や意見が強い内容に対しても、ご自身の感じられたことを丁寧に話してくれた。僕も質問してみたかったけど、遠慮してしまった。


原作を読んだ後に、もっと人に積極的に関われたらと思ったけど、今も変わっていない。

西川さんに質問したかったことを、ここで書かせてもらう。



だいぶ遅れてしまいましたが、ようやく映画を観させていただくことができました。

この映画を拝見していて、そして「人生は他者だ」という言葉に、
西川監督がスタッフとして参加された、是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』を思い出しましたが、
西川監督がこの「人生は他者だ」という言葉に辿り着かれるまでについて
お教えいただけたらと思います。

その答えをいただけなくても、その言葉が僕の中で西川監督の姿と共に記憶された。


そう、陽平の娘・灯を演じられた白鳥玉季ちゃんが来られていて、西川さんに促され登壇し、元気に挨拶をしてくれた。
その姿に姪の姿を思い出し、劇場を後にした。
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怒り(映画)

2017-01-29 20:05:20 | 映画を観る
昨日、映画『怒り』を観た。

昨秋には原作本を読み、早く鑑賞したいと思っていたんだけど、慌ただしく過ごしているうちにロードショーも終わってしまい、諦めかけていた。そんな時、同じように諦めかけていた作品の上映が、監督を招いてのトークショー付きであると知り、ちょうどその日にこの作品の上映もあったので、それなら両方観ようと思い、映画館に向かった。

結末は知っていたけど、役者の皆さんの力によってなのか、そのことを終盤まで忘れてスクリーンに見入っていた。特に誰がというのは言い難いけど、今までにない役を演じられた宮﨑あおいさんと、想像しづらい過酷なシーンを乗り越えた広瀬すずさんには、特に役者としての意気込みを感じた。

原作を読んだ時にはあまり感じなかったけど、映画を観ていて「怒り」とは何なのだろうかという思いが生じた。なぜ人は怒るのか。そして、人は何に対して怒るのか。

子どもの頃、親は僕ら兄弟に「我慢」を強いた。その影響は大人になってからも残ったけど、ある時、もっと自分の気持ちを前に出さなければと思うような出来事があり、それ以降は早めに怒りを顔に出すようにしていた。いや、それは「怒り」ではなく「不快感」なのかもしれない。


原作にも映画にも、社会に対する「怒り」を表現する取り組みが描かれている。原作は読売新聞に連載されていたということだけど、吉田修一さんはこの怒りを絶妙な形で取り入れている。いや、その怒りと通底する、広瀬すずさんが挑んだシーンを、そして、そこにある人々の怒りを描くために必要だったのだろうと思う。もちろん、この作品を政治的に捉えるつもりはないけど。

やりきれなさが募る中、決してすっきりとはしていないけど、登場人物に微かな光が差すように見えたのは救いだった。ここにも、吉田修一さんの優しさが感じられた。

映画を観終え、僕の怒りの矛先について思った。何に対して怒りを感じるのかという自分の気持ちを見つめ、その矛先を間違えずに怒りを発していきたい。
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1月28日(土)のつぶやき

2017-01-29 03:08:50 | つぶやき
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