スイスでも日本の原発の再稼働の話が出たけど、みんな不思議そうな顔してたよ。あれだけ深刻な事故が起きたのになぜ?と。ちなみにスイスは段階的な脱原発を決定済み。遠く離れた国の人たちが事故から教訓を得ているのにね。恥ずかしい話です。
オリンピックエンブレム問題に関する湯浅卓さんのお話を伺いながら、帰ってきちゃったターミネーター安倍政権発足以降この国を覆う「全く問題ない」症候群に蝕まれていることを改めて憂う。 #クロス
文部科学省やJSCの愚政が霞ヶ丘アパートまで及ぶことに疑問を感じる。空き部屋を考慮し一部をリフォーム・耐震化し集約し、一部を取り壊し公園などに活用するのがいいと思う。そして、外苑マーケットの活性化も考えられたらいい。 pic.twitter.com/idYV3LAmfD
一方、仏教の伝統では、生命をもともと良いことと悪いことがないまぜになった複雑な事象としてとらえていて、「反省」というのは、いわば、そのような生きるということのやっかいさを自ら省みて、「リセット」するというような、そんなアプローチである気がする。
仏教的な伝統での「反省」は、生きるという業の延長線上にあるから、その句読点として、たとえば四国のお遍路さんになる、というような展開が出てくる。絶対的な善、悪を前提に、聖職者の前で告解するというかたちにはなりにくい。
SPEEDIの予測を使わない。実際に事故が起きた時は測定結果を元にと言う事になるのか。それだと被曝してくださいと言う事になる可能性もある。データが不確かなら正確にする努力をする必要が前提で、現状でも避難の前提の基礎データとしては十分だと思われる。予測されては困る事があるのか。
男の僕でも同じように感じる時がある。自分で選んだ人生だけど。そんなこともあり、fbはたまにしか見ないことにしている。 twitter.com/miyake_yukiko3…
次の朝ドラを、喉が乾いた時のビールのように楽しみにしているYO!。
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「ヘーベルハウスの二世帯住宅」のCMを見ると、読売新聞の世論調査はこんな風に行われるのかなと思う。僕はヘーベルハウスの会社にも疑念を持っているけど…