先日、千葉市美術館で開催されている「田中一村展」を鑑賞した。
田中一村の名を知ったのは確か、榎木孝明さんが一村を演じた映画「アダン」がきっかけだった。映画は観ていないけれども、なぜか印象に残った。改めて検索してみると、木村文乃さんはオーディションを経てこの映画のヒロインとしてデビューしたそうだ。
話が逸れたが、正直なところ、僕は田中一村については「奄美大島の画家」程度の知識しか持っていなかった。それでも、テレビなどを通じて目にした彼の作品に強い力を感じた。「日本のゴーギャン」と呼ばれることも知らなかったくらいだけど、南国の木々や鳥、そして海を描いた作品は、その言葉を裏付けるものだと思った。
さて、千葉市には伯母が住んでいて、生前は定期的に訪ねていた。自動車に乗るようになってからは自宅と伯母の家を往復するだけで、千葉の街を歩くことはほとんどなかった。その伯母も亡くなって10年以上経ち、すっかり縁遠くなった。
京成線の千葉中央駅から美術館通りをまっすぐ進み、目的地の美術館に向かう。もともと道沿いには店が多くない上に、今の状況を受けてか土曜日だからか、街は閑散としていた。それでも美術館の展示室には、密とまでは言えないものの、この状況にしてはお客さんが訪れていた。そのうちの一人が僕であることは棚に上げて。
展示は、幼少期から晩年までの生涯をフェーズに分け、その作風の変遷を紹介していた。幼い頃から周囲に絵の才能を認められていたものの、画家として評価されたのは亡くなられた後だったそうだ。賞を逃して作品を自ら葬り去ったというエピソードに、彼のプライドの高さを思った。
50歳を過ぎ、どのような思いで奄美大島に渡ったのだろうか。紬工場で働き得たお金で暮らし、また絵を描くという暮らしの中で、彼にとっての労働とは単にお金を得るための手段でしかなかったのだろうか。そして、紬工場を辞めてのちに色紙に綴った「もう永久に工場で働くことはありません 絵だけを楽むことになりました」という言葉を噛み締めながら、展示会のポスターなどに使われた「アダンの海辺」という作品に向かい合う。近づいて目を凝らすと、日差しを受けて淡く光る雲と、きらきらと輝く浜辺の砂に目を奪われる。彼自身もそこを描き切ったという思いがあったようで、その思いを感じられたことが嬉しかった。そして、しばらく絵に向き合っていると、涙が溢れてきた。僕も、母親と暮らしてはいるけど、いつも孤独を感じている。その孤独を、南の島で独り絵を描く田中一村に重ねてのものだったのか。
いつか僕も、ほんとうに独りになる。その身軽さとその寂しさとを天秤にかけても仕方ないけど、その日が訪れた時、僕には描く絵が、綴る言葉があるだろうか。「忙しい」という言い訳を意地とともに封印し、少しずつでも興味の先に手を伸ばしていこうと改めて思いながら、家路についた。