あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

世界遺産

2007-08-12 21:40:11 | つれづれ
夕方、用事があって上野にいった。
本当はもっと早い時間に行こうと思っていたのだが、暑さに負けてグダグタとしていて、出かけるタイミングを逸してしまった。
目的地へは浅草口が近いのだが、公園口に出た。理由は、ある建物を見るためである。

昨日の朝刊に、国立西洋美術館を世界遺産に申請するという記事が載っていた。申請者はフランス政府で、「ル・コルビュジエの都市建築作品」の中の一つとして申請されるそうだ。日本政府も前向きに検討しているようなので、実現すれば数年後には東京にフランスの世界遺産が存在することになる。

彼の名を知ったのは、4年前に閉館し既に解体されている渋谷東急文化会館の閉館に際してだった。彼のデザインした緞帳が、会館内で最大の映画館「渋谷パンテオン」に設置されていて、閉館イベントでそのお披露目が行われた。残念ながらそのイベントに行くことは出来なかったが、そのエピソードを含め、彼に興味を持ち始めた。

その後、国立西洋美術館にも行った。それ以前はその建物に対し何も関心を持っていなかったのだが、改めて見てみると、コンクリート壁面の仕上げや室内天井のデザインなど、いろいろと興味が湧いてくる。

さて、現在六本木ヒルズ内の森美術館で、「ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡」という展示会が開催されている。
火曜日以外は22時まで開いているので、行きやすい…と思っていると、いつの間にか終わっているんだよな。展望台「東京シティビュー」も付いていると書いてあったが、こちらは何となく行きにくいような…

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ぶらり

2007-08-10 21:50:28 | つれづれ
久しぶりに平日昼間の街中を歩いた。
食事をしようと途中下車したのは祐天寺、初めて降りる駅だ。

先日、NHKの「小さな旅」で紹介されていたが、本当に渋谷まで数分とは思えないような静かな街だ。
目的地は決まっていたのだが、その場所がわからずあちこち歩いていると、フェンスにくくりつけられた人の絵が気になった。その奥を覗くと子どもたちが遊んでいる。確か番組でも紹介されていた幼稚園だ。
その空間は、僕が行っていた幼稚園とは違いとても開放的で、もう一度子どもに戻れたら過ごしてみたいと思う。

さて、今日の目的地は鉄チャンには有名だと思われるレストラン。
最近はそれほど興味がなくなっているが、単にどんな雰囲気の店なのかを見てみたくて行った。

子どもの頃だったら、店の前に立った瞬間から興奮していただろう。現に僕の前で親子連れが券売機で食券を買っていたが、長男くんのウキウキした感じが伝わってくるようだった。

店内に入ると、カウンターのほかにテーブル席があり、それらは皆鉄道車両のボックス席を流用したと思われる。
そのボックス席のお楽しみは、汽車の模型がお水や料理を運んでくるところで、その姿を見て興奮する子どもたちが微笑ましい。
大人ひとりで何となく気恥ずかしくもあったが、眼が合った男の子に会釈をしたら笑顔で応えてくれて、ちょっぴり安心した。
ハンバーグカレーの特急(辛口)を食べたが、とてもなじみやすい味だった。幼稚園の頃、家族で乗った新幹線のビュッフェで食べたカレーとハンバーグを思い出した。

そんな平日の一日を楽しめる時代に僕らがいることは、もしかしたら偶然の積み重ねなのかもしれない。猛暑日の日差しを受けながら、こんなのどかな時間の中でずっと過ごせたらいいと思った。

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揺り戻し

2007-08-09 23:58:06 | つれづれ
戦後50年の年、さまざま振り返りが行われていたような記憶があるが、その後、あまり積極的にあの時代を考えてこなかったように思う。

時代はある変人の雄叫びとともにドンドン進み、それとともに勇ましさを追い求める空気が支配していた。

けれども、その勢いに何となくかげりが見えてきたような気がする。

テレビでは、戦争を取り上げたドキュメンタリーや討論番組、そしてドラマが数多く予定されている
ただ、それが人々のバランス感覚がもたらした揺り戻しによるものなのか、それとも単に一時的なものなのかはわからない。

いや、この流れを本物にしていきたいなら、まだ遅くない!
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62

2007-08-06 23:33:24 | つれづれ
広島に原爆が投下されてから62年が過ぎた。
最近、前防衛大臣による発言などで、改めて意識した…という感じだ。彼の発言にはいろいろと問題があるが、もし一つ意味があるとすれば、そうした一般の人に、改めて「原爆」について考えるきっかけを与えてくれたことだろうか。

広島、長崎の資料館に行ったとき、ただ教科書を読んだだけの知識が、さらに深まったように感じたが、それでも実際に被爆した方々や、家族を失った方々の気持ちになることは不可能だ。
けれども、62年間ただ記憶が風化するのを黙ってみていた訳ではない。そこには、次の世代に同じ辛さを負わせたくないという思いから、自らの辛い体験をあえて語り続ける人々がいる。が、受け取る側が窓を閉じていては、結局それは伝わっていかない。逆に、人に対する思いが強ければ、そして人の痛みに対する想像力があれば、伝わっていくことなのだと思う。

「仕方がなかった」という言葉を単に批判するのではなく、そのことばを鍵として想像することが、もしかしたら次の被害を防ぐ行動につながるのではないかな…と、少し思った。そう、時間とそれに伴う忘却に負けたら、われわれはまた過ちを繰り返してしまうから。
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呼吸

2007-08-05 18:48:32 | つれづれ
写真を撮るとき、まず何を撮るのかを考えてから、その被写体をどの角度から、どのような構図で撮るかなど、みんなその際にさまざまな判断を行うだろう。
その「判断」は、撮る人それぞれ違うし、それでいい。ただ、伝えたいという気持ちの強弱で、その判断は大きく異なると、いつも思っている。

先日帰り道で、違う部署の人が美術館に行くという話しを聞いて、忘れていたことを思い出した。東京国立近代美術館で開催されている「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」を観に行きたいと思っていたのだ。
その名は聞いたことがあったものの、その人となりはほとんど知らなかった。でも、街で見たポスターの写真に、心が惹かれていた。

構図がおもしろかった。被写体の置き方、奥行きの持たせ方など、日頃自分でも多少気にしているところに対する見本…っていうわけではないけど、何かヒントを与えてくれるような作品が並んでいた。
そして、被写体を背中から撮っている作品が数点あった。「背中が語る」というのではなく、例えば民衆の話を聞いている枢機卿や、モデルを描くマティスなど、被写体ではなくその相手の表情を見せることで、被写体そのものを表現しようとしているのだろう。そしてそれは、観るわれわれに強く伝わってくる。
展示された作品が並ぶ壁面に、いくつかのことばが書かれている。その中の一つに彼の写真に対するこだわりが書かれていて、妙に納得した。図録に記載されていると思いメモを取らなかったが、まだ見つからない…

写真や絵だけでなく文章もそうだが、描く対象を直接描いたからといって、それが受け手に額面どおり伝わるわけではない。何を表現したいか、何を伝えたいか…まずは自分自身でそれを消化し、持たなければダメだろう。そう、描きたい対象と自分との、そして、伝えたい相手と自分との呼吸が大切だ。けれども、そう簡単なものでもなく、いつも思い悩むところだ。…それでいいし、悩まなくなるのは逆に良くないことなんじゃないかな?

暑いけど、最近休んでいた写真や絵を楽しみたいと思った。
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子守りうた

2007-08-03 23:54:01 | つれづれ
今朝、新聞のテレビ欄で阿久悠さんの特集が放映されるのを知り、予約しておいたのだが、はじめの数分を除いてリアルタイムで観た。

昨日も書いたが、紹介される曲の全てにではないものの、その当時の自分を思い出していた。

父を亡くし、母が仕事に出てから、僕はテレビばかり見ていた。その頃からテレビの弊害を指摘する声があったが、僕を育ててくれた人やモノの中の一つがテレビだと、改めて思う。
そして、そんなテレビの中から、僕らのさみしさを埋めてくれたのが、阿久さんたちが作った歌謡曲だった。

やがて、阿久さんのごつごつとした顔を覚えている人はいなくなってしまうだろう。でも、彼が生み出した曲の数々は、これからも人々の心の奥に伝わっていくはずだ。そしてそんな僕らを、阿久さんは遠い空から見守ってくれるだろうか…
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ことのは

2007-08-02 23:59:52 | つれづれ
今日ばかりは、ワイドショーを見ることが出来ないのを歯痒く思う。

今朝、朝刊で阿久悠さんの訃報を読んでいて、人となりを伝える記事が載っていたものの、その扱いの小ささが気になっていた。
ただ、昼休みにブラウズしていて思ったのは、亡くなって大きく取り上げられることよりも、訃報とともに流れる数々の歌を聴いていると、ふとその歌詞を口ずさんでいることのほうが、よっぽど阿久さんにとってうれしいことなのではないか…と。

広告代理店に勤めていたということは、言葉の持つ力を十二分に理解されていたのだろう。阿久さんの紡いだ詩を支える言葉の糸は、キラキラと輝いている。

僕もこうしてこの場所で言葉を織っている。自分では多少注意を払っているつもりだが、ここを訪ねてくれる人たちに、僕の思いは伝わっているだろうか…

「心はいつでも半開き 伝える言葉が残される…」
西田敏行さんが歌った「もしもピアノが弾けたなら」のワンフレーズが心に浮かんだ。

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デニム

2007-08-01 23:42:11 | つれづれ
今日は早めに帰途に着いた。
乗換駅でデパートに寄り、夕飯のおかずを買い、そしてソフトクリームを味わった。
電車に乗ろうとエスカレーターを上がっていったその時、目の前にある売店の夕刊紙の広告に思わず眼を疑った。

作詞家の阿久悠さんが亡くなられた。

生前、数千曲もの作詞を手がけられた。その詩はちょっと読むと「何だ?」と思うようなものが多かったが、メロディに乗ると華やかさを増し、そして聴いている僕らの心に強烈に届いてくるものだった。
そんな言葉の魔術師のような人が、去ってしまった。

「スター誕生」の審査委員を務められていたときの姿が、今も記憶にある。
ステッチがはっきりしたデニムのジャケットを着込み、その厳つい風貌から鋭い指摘を出場者に投げていた。でも、子どもながらにその心の奥に何となく優しさを感じていた。

常に僕らと寄り添っていた彼の歌。そんなたくさんのプレゼントを置いて、彼は言ってしまった。

ありがとうございました。そして、ご冥福をお祈りいたします。
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