『沼地のある森をぬけて』
亡くなった叔母から久美が受け継ぐはめになった先祖伝来の「ぬか床」。
ところがそのぬか床から卵が現われ、小学生の男の子やのっぺらぼうの女(!)が孵ります。
ぬか床の秘密を知るため祖父母の故郷の島に渡った久美は、自分の先祖の秘密を知ることになるのですが・・・。
ぬか床から卵が生まれる=人が実体化する、というオカルト的な現象が、この人にかかるとこんなにも壮大な命に連なる物語になるのだと、本を閉じたらため息がでました。
これぞ、梨木ワールド。
『からくりからくさ』でもそうでしたが(この場合は人形とコミュニケーションをとるという)非現実的な現象にも関わらず、主人公たちはそれを受け入れ、淡々と地に足の着いた生活を送っています。
だから読んでいる私たちも、異様な出来事としてではなく、自然にその現象を受け入れることができるのです。
ただ今回は話があまりにも壮大すぎて、正直言って私には手におえませんでした。
一度読んだぐらいでは、とてもとても・・・
男とか女とか、レンアイとかケッコンとか、そういうものを超絶した生物の本能としての生命の連なり。
地球上に生命体が(偶然にも)生まれて、過酷な環境にもなんとか生き残り進化し続け、その延長線上に私たちがいるという驚き。
ああ、もうなんて書けばいいのでしょう!
「世界は最初、たった一つの細胞から始まった。この細胞は夢を見ている。ずっと未来永劫、自分が「在り続ける」夢だ。この細胞は、ずっと夢を見続けている・・・」p381より
「・・・そもそもたった一つの細胞の夢が、っていう話。全宇宙でただ一つ、浮かんでいる孤独、ってすさまじいものだったろうなあ、と思って。・・・全宇宙にたった一つの存在。そのすさまじい孤独が、遺伝子に取り込まれて延々伝わってきたのかな、って思って・・・。細胞が死ぬほど願っているのは、ただ一つ、増殖、なんだ。・・・」p396より
私たちが感じる孤独感は、地球上で一番最初に生まれた細胞からずっと持ち続けているものなのでしょうか。
それはけっしてセンチメンタルなものではなく、ひとりぼっちでは自分の遺伝子を残せない、というけっこう生々しい、でも生命体としては切実なところからきているのですねえ・・・ふむふむ・・・。
とても不思議で優しい物語です。
おこたに入り、浮世のことは忘れて、この壮大な命の物語を読んで見てはいかがですか?
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