先日、中島京子さんの『夢見る帝国図書館』を読んだ後、久しぶりに他の作品も
読みたくなって本棚を眺めていたらこの本を見つけました。
そうそう、おもしろくてもう一度読もうと思いながらそのままになってたのでした。
この『かたづの!』に出てくる少女祢々、後の清心尼は江戸時代初期の実在の人物。
根城南部第十九代当主直栄と三戸南部二十六代当主の娘千代子と間に生まれ、
ひとつ年下の直政と婚姻しますが第二十代当主となった直政が夭折したため、
自分が第二十一代を継ぎます。
・・・と、書き始めたところ、読んだ当時のレビューがありました →(*)
(今と違ってマメに書いていたのですね~)
まあ、それでも、『夢見る・・・』を読んだ後にこの作品を読むと、かわらない作者の思いを
感じたのでもう少し書き足してこうと思います。
どちらも描かれているのは女性ということで理不尽な目にあい、時代に翻弄されながらも
背筋を伸ばし凛と生きた女性たちです。
昔も今も、どこかで争いがあり、それによって犠牲をしいられるのは女性や子どもたち。
そんな状況下で、信念をもって柔軟に生き抜いていく女性たちを描いているわけですが、
その女性たちが強いだけではなくどこか可愛らしいのですね。
「夢見る・・・』のとわ子さんも『かたづの!』の祢々も。
この年になると、なかなかいいなと思う女性のお手本がみつからないのですが、
いくつになってもどこかに少女のころの真っすぐな気持ちを持ってる女性って
素敵だなと思いました。
その魅力に、片角となった羚羊〈カモシカ〉も、河童も、そして読者も惹かれて
応援したくなるのでしょう。
両方の作品で強く感じたのは、戦争や争いごとに対する作者の姿勢。
「戦いでいちばんたいせつなことは、やらないこと」という祢々の言葉に、作者の
思いがこめられているんだろうなあと感じました。
そして実際、困難に遭遇しながらも家臣をなだめ、戦うことを避けて国を治めた
清心尼はとても立派だと思います。
これって、女性だからこそできたのかもしれせんね。
最初に読んだ当時あまり意識しなかったのですが、この清心尼が生きた時代に
三陸大津波があり、この作品の中でも片角となった羚羊がまだ生きていたころ
愛する妻がその大津波に呑み込まれてしまうという箇所があります。
その羚羊が、片角となって意識だけ現代まで生き続け、八戸の美術館へ
展示品として戻っていくのですが、清心尼の物語を語り終えた羚羊(の意識)が
最後に戻っていくのは、白い羚羊であった妻の眠る海・・・
この作品は、東日本大震災後に書かれたとのことです。
清心尼が生まれ育った八戸、領地替えとなった遠野。
この二つの土地から生まれた作品なのだなあとつくづく思いました。
さてさて、中島京子さんの作品、次は何にしようかな~
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