こちらは久しぶりに読んだ三浦しをん氏の作品。
現代版『細雪』ということで、古びた洋館に住む女四人(母・鶴代と娘の佐知、ひょんなことから
同居することになった佐知の友人雪代とその後輩多恵美)の穏やかな共同生活を描く・・・
なんてことはなく、水漏れ騒動に開かずの間の謎、元カレのストーカー事件に泥棒騒ぎなど、
同じ敷地に住む謎の老人山田さんを巻き込み、四人のまわりで次々と珍事が起こります。
途中でこの話を語っているのが、善福寺川のほとりに住みこの家の歴史を見てきたカラスであると
わかったときには思わずのけぞってしまいました(笑)
そのあたりから、ストーリー展開が意外な方向に進んでいきます。
確かに唐突感は否めませんが、37歳で独身、結婚のあてもなく刺繍を楽しみに母と暮らす佐知の、
これまで父親を知らずに生きてきたことへの漠然とした淋しさや欠落感、ずっと抱き続けた
もやもやした思いなどが、それら珍事のあとには自分を肯定できるまでに変わっていくところが
よかったなあと思います。
私たち生者は気づいていないけれど、いつも死者に、それも自分のことを大切に思ってくれてる
死者に見守られている。
そう思うことで、生きていく勇気ももらえるし、少し孤独感からも解放されるんじゃないかな。
でも、それだけではなくて、佐知には(普段人使いはあらいけど)自分のことを愛してくれている
母親と、気心の知れた友人がそばにいる。
この関係がいつまで続くかわからないけれど、この四人の共同生活がとても羨ましく思えました。
さてさて、還暦も過ぎると、そろそろ自分のゴール地点を意識するようになり、
悔いのない老後を迎えるにはどんな風に暮らしていけばいいのだろう、と気になり始めます。
というか、老後の不安ばかりが募る今、自分らしく、人生を楽しんで暮らしている
そんなお手本になるような素敵なお年寄りないないものかしら、と思っていたのところ
見つけたのがこのご夫婦の本でした。
これは、つばたしゅういち・英子ご夫妻を長期間取材して書かれた本です。
このご夫婦の暮らしを描いたドキュメンタリー映画「人生フルーツ」が話題になりましたが、
残念ながら見る機会がなく、DVDも出てなくて、とりあえずお二人の本を何冊か読みました。
ご主人のしゅういちさんは建築家で、建築事務所を経て日本住宅公団に入社し
多くの団地の計画や設計を手がけます。
愛知県の高蔵寺ニュータウンを任されたとき、道路以外は全部山のままで
山なりに家を建てるという計画を立てましたが、高度経済成長の時代、結局は山を
平らにして住宅地を造成する、ということになってしまいました。
その後大学教授などを務め、ヨーロッパでキッチンガーデンに出会ってから
自分が手がけた高蔵寺ニュータウン内の300坪の土地に家と畑をつくり、
“自分の食べる野菜を、自分の庭でつくる”という取り組みを始めます。
その畑仕事の担い手となり、キッチンガーデナーとして大地に根ざした丁寧な暮らしを
実践されたのが奥様の英子さんです。
しゅういちさんは2015年に、英子さんは2018年にどちらも90歳で亡くなられましたが、
それまでご夫婦で土地を耕し野菜をつくり、自分たちの納得のいく手作りの暮らしを
されていました。
最近、定年後に田舎で暮らす人生の楽園的な生活がよく紹介されます。
(私もそういう暮らしをときどき羨ましくおもうこともありますが)
お二人がそれと一線を画しているのは、その生活が自分たちの生き方の延長であること、
つまりは自分たちの暮らしに意志と覚悟を持って実践されていたからなのでしょう。
本の写真で拝見する限り、穏やかな表情のおじいちゃん、おばあちゃんですが、
そのきりっとした潔さと行動力は誰にでも真似できることではないと思います。
老後の生活といっても、結局はこれまでの生き方の積み重ね。
誰かを真似しようとじたばたしても、そう簡単にできることではないのですね。
今の生活を楽しみ、充実させなくては。
我が家でも主人が趣味で畑を始めてからというもの、野菜つくりにのめりこんでおりますが、
この時期待ったなしに収穫する夏野菜に、調理担当の私としては頭を抱える日々。
手作りの丁寧な暮らしに憧れはするものの、それは主婦が他の時間(読書だとかお昼寝とか)を
犠牲にした上で成り立つものなのですよ!
あ、久しぶりにブログ書いてたらもうこんな時間
夕方になると、主人がまたどっさり野菜を持って帰ってくるんだろうなあ・・・
それまでに野菜庫のキュウリとナスとトマト、なんとかしなくちゃね
現代版『細雪』ということで、古びた洋館に住む女四人(母・鶴代と娘の佐知、ひょんなことから
同居することになった佐知の友人雪代とその後輩多恵美)の穏やかな共同生活を描く・・・
なんてことはなく、水漏れ騒動に開かずの間の謎、元カレのストーカー事件に泥棒騒ぎなど、
同じ敷地に住む謎の老人山田さんを巻き込み、四人のまわりで次々と珍事が起こります。
途中でこの話を語っているのが、善福寺川のほとりに住みこの家の歴史を見てきたカラスであると
わかったときには思わずのけぞってしまいました(笑)
そのあたりから、ストーリー展開が意外な方向に進んでいきます。
確かに唐突感は否めませんが、37歳で独身、結婚のあてもなく刺繍を楽しみに母と暮らす佐知の、
これまで父親を知らずに生きてきたことへの漠然とした淋しさや欠落感、ずっと抱き続けた
もやもやした思いなどが、それら珍事のあとには自分を肯定できるまでに変わっていくところが
よかったなあと思います。
私たち生者は気づいていないけれど、いつも死者に、それも自分のことを大切に思ってくれてる
死者に見守られている。
そう思うことで、生きていく勇気ももらえるし、少し孤独感からも解放されるんじゃないかな。
でも、それだけではなくて、佐知には(普段人使いはあらいけど)自分のことを愛してくれている
母親と、気心の知れた友人がそばにいる。
この関係がいつまで続くかわからないけれど、この四人の共同生活がとても羨ましく思えました。
さてさて、還暦も過ぎると、そろそろ自分のゴール地点を意識するようになり、
悔いのない老後を迎えるにはどんな風に暮らしていけばいいのだろう、と気になり始めます。
というか、老後の不安ばかりが募る今、自分らしく、人生を楽しんで暮らしている
そんなお手本になるような素敵なお年寄りないないものかしら、と思っていたのところ
見つけたのがこのご夫婦の本でした。
これは、つばたしゅういち・英子ご夫妻を長期間取材して書かれた本です。
このご夫婦の暮らしを描いたドキュメンタリー映画「人生フルーツ」が話題になりましたが、
残念ながら見る機会がなく、DVDも出てなくて、とりあえずお二人の本を何冊か読みました。
ご主人のしゅういちさんは建築家で、建築事務所を経て日本住宅公団に入社し
多くの団地の計画や設計を手がけます。
愛知県の高蔵寺ニュータウンを任されたとき、道路以外は全部山のままで
山なりに家を建てるという計画を立てましたが、高度経済成長の時代、結局は山を
平らにして住宅地を造成する、ということになってしまいました。
その後大学教授などを務め、ヨーロッパでキッチンガーデンに出会ってから
自分が手がけた高蔵寺ニュータウン内の300坪の土地に家と畑をつくり、
“自分の食べる野菜を、自分の庭でつくる”という取り組みを始めます。
その畑仕事の担い手となり、キッチンガーデナーとして大地に根ざした丁寧な暮らしを
実践されたのが奥様の英子さんです。
しゅういちさんは2015年に、英子さんは2018年にどちらも90歳で亡くなられましたが、
それまでご夫婦で土地を耕し野菜をつくり、自分たちの納得のいく手作りの暮らしを
されていました。
最近、定年後に田舎で暮らす人生の楽園的な生活がよく紹介されます。
(私もそういう暮らしをときどき羨ましくおもうこともありますが)
お二人がそれと一線を画しているのは、その生活が自分たちの生き方の延長であること、
つまりは自分たちの暮らしに意志と覚悟を持って実践されていたからなのでしょう。
本の写真で拝見する限り、穏やかな表情のおじいちゃん、おばあちゃんですが、
そのきりっとした潔さと行動力は誰にでも真似できることではないと思います。
老後の生活といっても、結局はこれまでの生き方の積み重ね。
誰かを真似しようとじたばたしても、そう簡単にできることではないのですね。
今の生活を楽しみ、充実させなくては。
我が家でも主人が趣味で畑を始めてからというもの、野菜つくりにのめりこんでおりますが、
この時期待ったなしに収穫する夏野菜に、調理担当の私としては頭を抱える日々。
手作りの丁寧な暮らしに憧れはするものの、それは主婦が他の時間(読書だとかお昼寝とか)を
犠牲にした上で成り立つものなのですよ!
あ、久しぶりにブログ書いてたらもうこんな時間
夕方になると、主人がまたどっさり野菜を持って帰ってくるんだろうなあ・・・
それまでに野菜庫のキュウリとナスとトマト、なんとかしなくちゃね
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