何かに対する漠然としたイメージというものがある。それは自分の経験から形成されるものもあれば、その時々の社会の空気のようなものとして自分の中に取り込まれるものもある。その「空気」が結構怖い気がしている。
コロナのこととか尖閣のことなどもあって、近頃は中国に対する「空気」の方はあまり芳しくない気がする。しかし、個人的には何一つ中国とか中国の人たちに対して否定的な要素は抱えていない。そもそも「中国」と一括りにできるほど一つの国が単純であるはずがない。それを特定の一事をしてその国や国民に対して断定的な見解を表出するなど暴挙以外のなにものでもないだろう。
文化文明の伝播経路として、西の方から様々なものがやって来たのは事実だろう。日本の古代国家は中国大陸の文明を手本としてきたのであろうし、習俗の中にもこちらの風土から生まれたとは思えないようなことが多々ある。その土地の起源を何に求めるか、という問題があって、それを言い出すと「国家」だの「民族」だのといった概念は矮小で些か頼りないものになってしまう。
人類の祖先はその昔アフリカ大陸に誕生し、そこから世界に広がったとされている。いわゆる"Great Journy"という移動だ。ホモ・サピエンスは20-15万年前に東アフリカのどこかで生まれ、主にそこから北上、紅海の南で海を渡ってアラビア半島へ到達したのが7-6万年前、紅海の北から陸伝いにアラブへ到達したのが6万年前、そこで東西に別れて東のアジアへ到達したのが6万年前、西の欧州に到達したのが4万年前、またアジア組の中には4万年前には豪州大陸に到達していた者もある。別のアジア組は4-3万年前に中国やシベリア、中には日本にまで到達した者も。そこから太平洋の島伝い、あるいはアラスカを経由して米州大陸へと渡るのである。
日本人として興味深いのは日本だ。日本は海に囲まれいるので、どこからでも渡ることができる。日本人のDNAを調べると、大きく三つのルートが想定されるのだそうだ。(1) 中国大陸沿岸から南の島伝いに北上、(2) 朝鮮半島経由、(3) サハリンから南下。以下、高間大介『人間はどこから来たのか、どこへ行くのか』(角川文庫)からの引用。引用文中の「篠田さん」とは国立科学博物館人類研究部に所属する研究者の篠田謙一氏だ。
「日本にホモ・サピエンスが到達したのは、三万年から四万年前と考えられます。主だった三つのルートのうち、北のサハリンルートから人が入って来たのはもっとも遅く、二万年前以降だと考えられます」と篠田さんはいう。そのころ気候が寒くなった、そのため、北のシベリアから南下してきたのではないかというのだ。(16頁)
そこまで遡ってしまうと、今の人種すら意味をなさなくなってしまう。結局、自他の認識は今生きている我々がなにを以って「私」とか「我々」とイメージするのか、という漠としたものなのだと思わざるを得ない。『文選』は紀元前二世紀から約八百年に及ぶ詩文から編纂したもので、当然に日本の文学にも強い影響を与えている。おそらく明治のはじめまで政治に関わる人々が当然の教養として嗜んだ漢詩は字面だけでなく漢詩が詠むべきとされている世界観までも詠んだであろう。
儒家の詩観では詩は本来、諷刺、批判をその重要な役割とすると考えられたので、「補亡」「述徳」に続いて「諷諫」「励志」が置かれる。「諷諫」が他者に対する批判であるのに対して、「励志」はいわば自分に対する批判、戒め。(89頁)
詩は歌なので音が大きな意味を持つと思われるが、漢詩の音はわからないので、字面と解釈だけを詠んでも本当の意味で理解はできない。それでもこの詩などは字面だけでも良いと思う。
弱冠弄柔幹
卓犖観群書
著論準過秦
作賦擬子虚
邊城苦鳴鏑
羽檄飛京都
雖非甲冑士
疇昔覧穣苴
長嘯激清風
志若無東呉
鉛刀貴一割
夢想馳良図
左眄澄江湘
右盼定羌胡
功成不受爵
長揖歸田盧
学生の頃の必読書のひとつだったが、今初めて読んだ。経済学部に籍を置いていた。特に何か考えがあってのことではなく、なんとなくそういうことになっただけである。何の予備知識もないままに所定の課程が進行するにつれ、経済学というのは結局のところモデル学だと思った。前提条件をあれこれ設けてモデルを構築し、どこの世界のことだかわからないようなことを議論しないと「学問」にはならないということなのだろう。しかし、モデルの世界に留まる限り「学問」にはなっても「科学」にはならない。検証ができないからだ。モデルを構築し検証しょうとする頃には、前提条件が意味をなさないくらいに現実が変化してしまう。
本書の初版は1974年の発行だ。社会的費用という考え方が、当時としてはホットだったのだろう。高度経済成長が石油危機で壁に当たり、いわゆる公害問題や環境問題が大きな関心を呼んだ時期だったのではないか。しかし、間違いなく生活の物質的側面は豊かになっていた。
この当時、私は小学生だったが、小学校に上がる頃から年を追う毎に家の中に家電製品が増えていった。筆頭はテレビ。記憶にある我が家の最初のテレビは白黒だった。小学校1年後半から2年にかけて学友たちの家のテレビがカラーになり始めた。なぜそんなことを覚えているかというと、カラーテレビになった奴の家にテレビを観にみんなで出かけていって「へぇー、カラーはちがうねぇ」なんて感心していたからだ。はじめの方でカラーになった家は、まだガチャガチャとチャンネルのダイヤルを回す式だったが、小学校2年後半でカラーになった家のテレビはリモコンで、初めてそれを見た時は腰が抜けるほど驚いたものだ。今はほぼ一人一台の割で電話機を所有しているが、当時は電話がない世帯もあった。そういう家の人は近所で電話の設置されている家に電話を借りに行ったのである。また、何かの書類に住所と電話番号など書く時には、「(呼)鈴木方」などとして、自分宛の電話をその鈴木さんに受けてもらう、なんてことが当たり前だった。だから古い家屋では電話は玄関に置かれていた。洗濯機、冷蔵庫、掃除機、エアコン、その他諸々それぞれにめざましい進化を遂げた。
それで、そういう利便性向上の背後に社会的費用というものが発生している、という視点がおそらく当時としては新鮮だったのかもしれない。テレビの社会的費用というと、テレビの消費電力を賄うための社会資本の費用であるとか、テレビが家庭に入り込むことで失われた家庭内での会話であるとか、計測と効果測定が困難なことが多いので、わかりやすさと費用計測の難易度の点から自動車と道路を取り上げたのだろう。
結局は費用対効果の話だと思うのだが、何を費用と捉え、何を効果とするかという主体の設定に引っ掛かるものを感じる。序章のなかで、「市民的権利の侵害」という節が設けられている。「市民」とは何者なのだろう?
近代市民社会のもっとも特徴的な点は、各市民がさまざまなかたちでの市民的自由を享受する権利をもっているということである。このような基本的な権利は、たんに職業・住居選択の自由、思想・信条の自由という、いわゆる市民的自由だけでなく、健康にして快適な最低限の生活を営むことができるという、いわゆる生活権の思想をも含むものである。このような基本的権利のうち、安全かつ自由に歩くことができるという歩行権は市民社会に不可欠の要因であると考えられている。(12-13頁)
憲法もそうなのだが、はじめに権利ありき、という論の展開はどこか嘘くさい気がする。もちろん、こうして自分は生きているので、生きているというだけで付与される権利があるのはありがたいことである。誰に向けたら良いのかわからない感謝の気持ちでいっぱいになる。しかし、現実の社会はその各自の「権利」を守るようにできていると言えるだろうか?結局は弱肉強食で強者の側の都合の良いように社会は回るようになっているのではないか。だからいつまでたっても基本的権利だの市民的自由などという綺麗事を声高に叫ぶことになるのだろう。本当に「基本的」な権利や自由なら、わざわざ主張する必要がないはずだ。
アメリカの経済学者は、市場機構について一種の信念に近いような考え方をもっているともいえる。利潤追求は各人の行動を規定するもっとも重要な、ときとして唯一の動機であると考え、価格機構を通じてお互いのコンフリクトを解決するのが最良の方法であるという信念である。新古典派理論はこのような信念を正当化するものにすぎないともいえるのであって、理論的な帰結からこのような信念が生まれるのではない。(114-115頁)
個々人のレベルでは行動の動機は様々であろうが、市場とか社会という枠組みの中では主体を動かすものを利潤追求と想定して何の不都合があるというのだろう。権利の有無だとか人格の有無といったことについては人それぞれに考えがあるだろうが、人間が労働を提供する生産要素であるということについては動かすことのできない事実であろう。人間というものが特別尊重されるべき存在だというような思い上がりが、書いている側と読む側の両方にあるから、こうして長きに亘って売れ続けるのだと思う。
料理は人の生活の中の自然だと思う。料理は台所や調理場での行為だが、植物であれ動物であれ食材を通じて地球全体と繋がっている。料理をしようと、食材を探し求めて選ぶ。植物であれ動物であれ、目の前のものを見て旨そうだと直感する。「食」はすでに始まっている。それは食べるものに対する姿勢だけでなく、付き合う相手を見る時の感覚にも通じているはずだ。
料理をするのにレシピを必要不可欠とし、食材はそのものを見るよりも包装に表示された文字情報に依存し、旨いか不味いかまで自分では判断できずにレシピの評を自分の判断とする。何事にも「正解」があると思い込んでいるのか、自分で物事を判じる能力が欠如しているのかわからないが、そういう人もいるらしい。
家電製品の普及で家事労働はかつてとは比べものにならないくらい軽減され、情報処理機器や通信能力の向上で賃労働の作業効率も格段に上昇した。さぞかし生活にゆとりができて人々が生き生きと幸せそうに暮らしているのだろうと思いきや、オメデタそうな人ばかり増えたような気がする。私の周囲だけのことなら良いのだが。
とくに子供たちにとっては、手料理というようなものを食べるという経験が未来への想像力、イマジネーションをはたらかせるというかね、あるいは、「この人こんなこと言うてはるけど、さあ、ええ人かどうか」っていうようなね、いわゆる直観力みたいなものを育むものだということ。目に見えないものをはたらかせる力、いわゆる健康のため栄養のために食べるという以上のものが、料理をして食べることのなかには生まれてくる、ということですね。(45頁)
世間は幻想に満ちている。1日三度飯を食う、規則正しい生活、若々しくあるべし、前向きな考え、などなど。しかし、どれも近代以降に生まれたものだ。産業革命を機に巨大な工場設備を効率よく稼働させるべく、工場労働者の暮らしに機械設備稼働に都合の良い周期性を与えただけのことだ。生まれたら必ず死ぬというサイクルの中で、そもそも健康であることにどれほどの意味があるのだろう。腹が減れば飯を食い、眠たくなったら眠る。身体の欲求に即す方が自然で健康的ではなかろうか。社会集団を律するためには、個々の構成員の行動が予見可能であったほうが、支配管理する側からしたら都合が良い。できることなら軍隊のように上意下達で物事が動いて欲しいだろう。そのためには個人も一定の運動能力と知能を持っていないといけない。駒の動きの統率を取るには、スイスイ動く駒と梃子でも動かないような駒が混在しているとマズいのである。各人は集団の規則を進んで守るようでなくてはいけない。創造だの創作だのを個人が好き勝手にやるようではいけない。そういうことは比較的適性の強い人を煽てて「才能」があるように見せて別枠に置いて衆目を納得させることで、圧倒的大多数の大衆を諦めさせて上意下達のサイクルに押し込んでおくのが優れた統治というものだ。そのためには、大衆には世の中に「正解」というものがあると信じ込ませないといけない。そして「正解」に到達しないこと、間違えることを恐れるように仕向けないといけない。近頃、「自粛警察」という言葉を聞くようになったが、これぞ大衆の鏡だ。
さて、本書の著者は訪問診療医だ。たくさんの人を見送った。そうした中から42の事例が紹介されている。たった42でも、実にさまざまな死があるものだと思う。人にそれぞれの生き方があるように、それぞれに相応しい死に方というものもあって然るべきでる。しかし、生の方が規格化されているのだから死の方だって似たようなことになる。どっちか片方だけ満足のいくように、なんてことになるはずがない。「死ぬときくらい、好きにさせてよ」なんていうコピーがあったが、好きに生きられないのに好きに死ねるわけがない。個人も世間も都合の悪いことを外部化して、本来あるべきではないこと、のように見せかけるのものだが、「認知症」もどこまでが本当の「病気」なのだか知れたものではない。都合の悪い老化を「病気」ということにして、本当はそんな人じゃなかったと本人とかその周囲が思い込みたいだけ、というのも案外多いのではないだろうか。
世間の手を煩わせないのが死に方の「正解」であるとするなら、いわゆる「ピンコロ」などその理想だろう。よく生命保険のセールスが「ご家族に迷惑がかからないように」などとぬかす。大きなお世話だとは思うものの、気が小さいので、セールスの気合いに圧倒されて高い保険料を何年も搾取されるハメになる。昔、仕事で保険会社を顧客として抱えていたので、「営業協力」で随分無駄な保険料を払ってきた。そういう仕事を離れて義理がなくなったので、片っ端から解約したがどうしても解約できない保険が一つ残った。その保険会社の担当者がスゴイのだ。更新などで会う約束が入る。会うまでは絶対に解約しようと思っているのだが、なぜか更新してその人に礼などを言って別れることになる。しかし、次こそは、と今も思っている。
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは…」というような話は「昔話」と言われる。本書で言う「民話」は「神話」に対するもののようで、「昔話」は「民話」の範疇に入る。思いきり単純化してしまうと、神話は秩序のためにあり、民話は生存戦略を語るものであるように思う。
民話が現代での娯楽と捉えられている感があるが、それは多分一面的に過ぎる。おそらく民話が生成された時代は人々の暮らしは今より忙しかった。家事を担う家電製品はなく、通信や交通も基本は直接対話なので、肉体労働は現在の比ではなく、照明が限られていたので夜間にできることが限られ、生産活動のための稼働時間は現在とは比較にならないほど短かったはずだ。娯楽で昔話を語る余裕がどこにあると言えるだろうか?
もちろん健康な精神生活に娯楽は不可欠だ。しかし、民話はもっと切羽詰まったものであっただろう。人から人へ口承で伝えられる物語には、どうしても伝えておきたいことが盛り込まれていたはずなのである。それは生存戦略、生存ノウハウではなかったか。
民話、そもそも「話」は話す相手がなければ成立しない。なんのために話すかと言えば、共同・共生のためだ。同じ倫理観を共有していなければ生活を共にすることはできない。
われわれの生活は、かつては晴と褻の二つが、今よりも判然と分かれていた。晴の日は祭の日である。この日は食物も衣服も褻の日とは截然と区別されていた。晴の日は神との共食が行われる日であった。日常の食事とは根本的に区別されるべきである。日常の食事は食うために集り、祭の食事は集るために食う食事である。昔話を語るのにも、恐らくこうした区別があったのではないかと考えられる。昔話をかたるという<かたる>は、柳田国男氏も指摘される通り、仲間に<かたる>(加わる)ことを意味する言葉である。(中略)祭日にも、特にそのために用意された話ではなく、誰もが知っている話が、ある特定の人によって語られる。これが語部である。人はこの語部を中心に、昔話を媒介として集るのである。(94-95頁)
昔話を語ることは、そこで語られている世界観を共有していることを確認する作業だったと思う。そして、共に生きるということは、生産活動での協働だっただろう。生産こそが善なのである。その基本は汗水垂らして働くこと。忍耐・節度・協力・勤勉・謹み・遠慮・気配りができないと協働・共同生活を営むことはできないのである。
昔話のなかでは、道徳そのものは極めて素朴な形でとり上げられる。しばしばいうように、善と悪とが鋭くわかれ、相互に対立した二つの群としてとり扱われる。しかし、善と悪とは、それぞれ独立した概念ではない。両者を比較することによって成立する。善に対して悪であり、悪と対比することによって善である。(中略)善とはなんらかの報酬を与えられることである。悪はその反対である。勝ったものはつねに官軍であり、善人である。負けた者は、理由のいかんに拘らず、悪人である。悪の代表者が処罰されるということは、われわれの概念による不法行為に対して課せられるのではなく、人間的な弱さ・強欲・嫉妬・怠惰・高慢・無遠慮・愚鈍に対して課せられる処罰である。(173頁)
共同体を維持することは人口を維持することでもある。婚姻は生存と同義でもある。
昔話の多くは婚姻譚である。しかし、恋愛はほとんど語らない。生活の安定を目標にした婚姻であり、恋の冒険も愛の奉仕も語らない。婚姻は同時に物質の充足を意味する。(187頁)
慈悲と同情は、この世界における人間性の外面的な特徴である。勇敢と誠実とが一切の悪を克服し、自らを保護し、一切を包容する。同情と親切とは、つねに幸福と報酬とが約束され、幸福な婚姻に到達する。(196頁)
今はネット空間上のゴミのような文章や画像が時々刻々無数に生成されている。昔話とは違って時間と社会による選抜や淘汰を経ることなく最初から記録されているが、スクリーニングを経ていないことによる脆弱性は否めず、昔話とは違って後世に語り継がれるほどの強い内容はない。それにしても誰もが文章や画像を公開できるというのは贅沢なことである。こんな状況を豊かと呼ばずに何とする。と、思うのだが、あまり幸せそうな文章や画像にはお目にかからない。生産活動とは縁の薄いものが多い所為もあるのだろう。