熊本熊的日常

日常生活についての雑記

vintage

2008年11月30日 | Weblog
昨日、BENTLEYSという骨董品店にお邪魔した。この店は銀座のダンヒルにも入っている。主にヴィトンのヴィンテージを扱っているが、飛行機の模型だの皮革やクリスタルの小物なども置いている。庶民的な骨董の店とは商品の佇まいが違う。この店のようなヴィンテージショップ系の骨董店では、精魂こめて作られ愛情をこめて使われてきたということが一見してわかる商品ばかりが並んでいる。残念ながらどの商品も私には買うことのできる値段ではないが、見るだけなら私にもできる。きちんとした店は冷かしの客を邪見には扱わないものだ。小さな店なのに、40分ほど商品を眺めていた。この間に、常連客らしい老夫婦が来店して、店員と楽しげに会話をして帰って行った。居心地の良い店だ。

先日読んだスーザン・ソンタグの「反解釈」の冒頭にオスカー・ワイルドの「ある手紙より」からの引用があった。
「浅薄な人間に限って、自分は外見によって判断しないなどと言う。世界の神秘は目に見えぬものではなく、目に見えるもののなかにある。」(スーザン・ソンタグ著「反解釈」ちくま学芸文庫 15頁)

生活の様式とか習慣というものは、その人の生き方のひとつの表現であろう。どのような食生活をおくり、どのようなものを身につけ、どのような生活空間を作り上げるのか。人それぞれにそれぞれの様式があり、それが習慣として定着しているものである。その様式は習慣の背後には当然にその人の生きる場の哲学のようなものがあるはずだ。だから、日常生活のひとつひとつのことにこだわってみたいと思うようになった。それだけ歳を取ったということかもしれない。

ヴィンテージ(vintage)というのはラテン語のvindemia「葡萄の収穫、その時期」に由来する。それが転じて「古いが最高級の、高性能の」とか「最高傑作の」といった意味も持つようになった。人生の終わりを意識するようになって、自分自身が自分にとってのヴィンテージになるように心がけなくてはいけないと思うのである。骨董品を所有することに興味はないが、そういうものが自分の持ち物であっても違和感のないような人になりたいとは思う。

元私邸

2008年11月29日 | Weblog
ロンドンで最大の美術館はNational Galleryだが、最小の美術館はSir John Soane’s Museumなのだそうだ。これは地下鉄Holborn駅の近くにある住宅街の一画にある。美術館の名前が示すようにSir John Soaneという人の私邸が公に寄贈されて、そのまま美術館として公開されている。入場無料だが、展示品や建物の保護のため、入場者数が制限されており、館内の人数を監視しながら、順番を待って入場する。このため、週末ともなると美術館の前には入場待ちの人の列ができる。尤も、比較的回転は早いので、余程のことが無い限り、列はせいぜい10名程度だ。

並んで順番を待ち、中へ入ると、入場制限の理由がすぐに了解できる。鞄類は基本的に受付に預けなければならない。私邸時代とそれほど変わらない様子にしてあるのだろう。通路は狭く、部屋の家具も残されており、少し油断をすると展示品に触れてしまいそうだ。「美術館」と書いたし、そう紹介されることが多いようだが、絵画よりもローマ時代の遺跡から採取したようなものの飾り方が面白い。絵画はホーガスの作品が多いが、一見の価値があるというようなタイプのものはない。この元私邸をひとつのまとまりとして鑑賞することに面白さがあるように思う。

Holbornから地下鉄Central LineでBond Street駅に移動し、そこから10分ほど歩いたところにWallace CollectionというWallace家の私邸だった美術館がある。こちらは私邸と言ってもかなり大規模なものだ。5世代に亘るコレクションなので、その量も個人という範疇を超えている。有名なのはフラゴナールの「The Swing」やティツィアーノの「Perseus and Andromeda」だが、フランソワ・ブーシェ、レンブラントやその工房の作品、ロイスダール、ルーベンス、ベラスケス、ゲインズバラなどの作品も豊富である。ルーベンスの風景画というのはあまり目にする機会がないかもしれない。ほかに陶器類や甲冑類のコレクションも多数展示されている。

興味深いのは、陶磁器の展示パネルに絵師の名前が書いてあるものが多いのだが、陶工の名前が書いてあるものはひとつもないことだ。陶芸が美術として西洋で認知されるようになったのは、それほど古いことではなく、長らく工業製品あるいは工芸品(美術的要素はあるものの、あくまで実用品)としての位置づけしかなかったことの端的な証左でもあると思う。尤も、陶芸家というものが歴史の比較的早い段階から登場していた日本のようなケースのほうが、世界的にはむしろ珍しいということらしい。おそらく、それは「美術」とか「芸術」というものの意味するところが、「art」とはぴったり重なるものではないということなのだろう。しかし、今では勿論、陶芸も美術として世界的に認知されている、と思う。

個人の住宅であったものが博物館や美術館として一般公開されているというのは、日本でも珍しいことではないが、その規模を考えると、ロンドン最小とされるSir John Soane’s Museumですら、東京にある平均的な企業美術館とたいして変わらないか、若干広いくらいだろう。所謂「階級社会」というものが意味する実体の一端が、こうした住宅のありように現れているのだろう。展示されている内容も勿論興味深いものばかりなのだが、展示のありようそのものも文化というものを饒舌に語っている。

減税

2008年11月28日 | Weblog
12月1日から消費税の税率が17.5%から15.0%へ引き下げられる。政策金利の操作以外では、おそらく最初に実施される景気対策である。今回の金融危機に対する英国政策当局の動きは迅速だったと思う。これは要するに、政治や政府における責任の所在が明確だということだろう。

もちろん問題が無いわけではない。減税を実施すると言っても、その財源の議論は十分になされたとも思われないし、国もロンドンをはじめとする地方自治体も財政難に喘いでいる。夕刊紙などには「つけはあとまわし」のような見出しが踊っている。

先日、Sainsbury’sという大手スーパーの業績が好調だという話を書いたが(11月14日「マンゴー食いだめ」)、昨日は別のスーパーチェーンであるWoolworthsが倒産した。このスーパーはもともと米国Woolworthの英国現地法人として創業したものだが、1981年に英国資本に買収されて以来、英国の会社として事業を展開してきた。英国での営業開始は1909年と古いが、事業規模は中途半端の感を否めない。事業環境が厳しくなると、特徴の乏しい市場参加者が排除されるのは自然の流れである。

もうすぐ12月だというのに、クリスマスの飾り付けも去年に比べると地味な印象がある。商店街や店舗は去年と変わらぬ飾りが施されているが、一般家庭に元気がないようだ。通勤途上に団地のようなところを通り抜けるのだが、去年は外からも見えるような派手な飾りがどの家の窓やベランダにもあった。それが今年はまだ無いのである。去年はまだ団地の一部が工事中であったのが、今は全棟竣工しているにもかかわらず、である。

ちなみに時々言及している近所のガソリンスタンドでの無鉛ガソリンの値段はリッター89.9ペンスである。ここで暮らし始めてからの1年2ヶ月間での最低水準だ。インフレの抑制、減税と利下げで実質可処分所得が底上げされも、雇用を失ったり給与が削られてしまって、底上げされるべき所得を失っては元も子もない。応急措置的な景気対策はほぼ完璧と言える迅速さで出揃った。この後の抜本的対策が注目される。ところで日本はどうなっているのだろう?

異変

2008年11月27日 | Weblog
今週はこのブログのPVに異変が起っている。訪問IPの数は殆ど変化が無いのだが、PVがそれまでのほぼ倍になっている。同じ人が一日に何度もこのブログサイトにやって来ているということだ。読んで頂くのは大変嬉しいことである。何度も読んで頂くのはなおさらに嬉しいことである。より多くの人に何度も読んで頂けるような内容と文章を書くことができるよう精進しなければならないと自らを励ましている。

勿論、数が多ければよいというものでもない。多くの読者を集めようなどとは露も思わない。ただ、縁というものは確率の問題でもあるので、ある程度の母集団を確保しなければ、そもそもこうして公開する意味がない。

参考までに、11月の最初の2週間の1日あたり平均訪問IPは37、同PVは73であったのが、17日月曜から昨日26日までの平均IPが44でPVは139である。1IPあたり約2PVであったのが、3.2PVになった。

能舞台

2008年11月26日 | Weblog
「みなさん、さようなら(原題:Les Invasions Barbares)」のラストに近い場面で、亡くなった主人公が仕事場として使っていたアパートの部屋の書棚がアップになる。そこに並ぶ本の背表紙を一冊一冊映し出していく。書棚というのは、その持ち主の人となりの深いところを表現していると思う。ラストに書棚をもってくることで、作品自体が亡くなった主人公を偲んでいるかのようにも見える。

以前に書いたかもしれないが、私は本を買って読んだ後、たいがいのものはアマゾンのサイトを通じて売ってしまう。原則として定価の半額で売りに出すので、たいていすぐに売れてしまう。結果として、新品の本を半値で買って読んだのと同じことになる。ただ、手元に置いて何度でも読んでみたい本もたまにはある。そういう本だけが手元に残ることになる。残念ながら書棚がないので、手元の本はトランクルームに眠ることになる。いつか、自分の気に入った書棚を手に入れて、そこに気に入った本を、気に入ったように並べてみたいと思っている。そうしたら、自分の知らない自分が見えてくるかもしれない。

先日、無印から届いたメルマガ「無印良品の家 メールニュース Vol. 112」に必要最小限の物しか持たない一家が紹介されていた。私も、理想としてはこの一家のように物を持たない暮らしをしたいと考えている。現に、今の住処には余計なものは殆どない。ただ、書籍とDVDやCDだけは選び抜いたものだけを書棚に並べておきたい。書棚も含め、ひとつひとつの持ち物に徹底的にこだわってみたい。能の舞台のように、殆どまっさらだけれど、何かひとつ、ささやかに見えるものを置くだけで、そこにそれまでとは全く違った意味が付与されるような空間をつくってみたい。もちろん、その空間の意味は自分だけが理解できればよい。誰にでもわかるものなどというのは、たいがいろくなものではない。

serendipity

2008年11月25日 | Weblog
既にお気づきの読者もおられるかもしれないが、2008年8月21日「いい話」に、そのブログの引用元の菅野さんからコメントを頂いた。昔、「オーロラの彼方に(原題:Frequency)」という映画があったが、そこに描かれているような興奮を覚えた。ありえない人と出会った喜びとでも表現したらよいのだろうか。もちろん相手は現在活躍中なので、映画の内容とは全然違う。ただ映画のなかで主人公のジョンが感じたであろう幸福感を覚えたのである。

ブログを書くようになったのは2004年頃からである。それ以前に2000年頃にフリーソフトを利用して自分のウエッブサイトを作った。しかし出来上がってみると欲が出るもので、その見栄えの悪さをなんとかしようと「ホームページビルダー」というソフトを購入した。それでも、いまひとつで、どうしたものかと思っていた頃に、世間でブログというものが広がり始めたのである。ウエッブサイトそのものに対する興味というより、インターネットを利用して個人的に世の中とつながるということに興味があったので、gooのIDを取得して、その時々に思ったことや感じたことを書き始めた。単に書くことが好きなのである。

この熊本熊を始めたのはいつことだっただろう? アーカイブには1985年2月から入っているが、もちろんこれはその当時に書いたものを後から入力したものだ。熊本熊を始めたのとほぼ同時期に別名で写真入りのブログサイトを立ち上げたが、それが2006年3月17日だ。アーカイブにあるこの頃以前のブログは、それ以前に書いていたブログサイトから引っ越してきたものである。

なにはともあれ、実生活でいろいろのことがあり、2008年4月14日からは毎日書いている。これは、書くことが好きということの他に、自分の考えたことや感じたことを閲覧できるようにすることで、自分の人となりの一端を紹介している。だから多少は飾っているところもある。そうした飾りも含めて自分なのである。これを読んで、熊本熊はこういう奴、というイメージを持って頂いたほうが、付き合う時にあれこれ詮索する手間が省けて便利なのではないか。

あとは自分自身のために書いている。文章というのは、書くことによってしか上達しないということを多くの作家が異口同音に語っている。自分が作家になるつもりはないが、書くことに関係した仕事がしてみたいと常々思っている。今の仕事は他人が書いたものの校正なので、書くことに関係していないわけでもない。しかし、もっと自分が何事かを創造する立場で、書くことに関わりたいと思っているのである。

今回のような、思わぬ出会いがあると、やはり何事も継続しないといけないと励みになる。と同時に、自分にserendipityがあるのかどうか試されているようにも思われる。

時候の挨拶

2008年11月24日 | Weblog
今日、クリスマスカードの第1段、7通を発送した。そして第2弾の7通を書いた。今年は少し早めに書き始めている。文面はある程度共通なのだが、一枚一枚、万年筆で書いている。7通書くのにほぼ一時間を要する。

クリスマスカードが、そもそもどのようなものなのか知らない。年賀状は、年賀の挨拶回りの代用だったのだそうだ。だから、本来なら相手に直接、年始の挨拶の口上を述べるべきところを、手紙で失礼させていただくというものだ。ところが、一旦形式が定着すると、簡便な方向へと流れていく。挨拶の口上を述べるつもりで賀状を書いている人が、世の中にどれほどいるものなのだろうか? 形だけの、文字通りの虚礼なら、それは意味が無いのではないだろうか。

そう考えて、今年は時候の挨拶のカードを書く枚数を最小限にしようと思っている。先日、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの売店で、4種類の図柄のカードが6枚ずつ収められているセットを購入した。この24枚を書いてみて、それで済むのかどうか考えてみること決めている。中身の無いことはもうやらない。

娘へのメール 先週のまとめ

2008年11月24日 | Weblog

元気ですか?
もうそろそろ期末試験ですね。しっかり勉強してください。

今年もカレンダーを作りました。1週間ほどで届くと思います。今年は原則として、その月に撮影した写真を選んであります。12月はまだですから、去年の12月に撮影した写真を使いました。今年は写真の説明を入れました。

この週末はロンドン市内に何カ所かある骨董品街のひとつ、マリルボーン・チャーチ・ストリートというところへ出かけてきました。ここは主に家具や照明器具、陶磁器などを扱っている店が多く集まっています。骨董品街と一口に言っても、場所によって扱う品物の品質には雲泥の差があります。所謂「お宝」系の商品を扱う地域もあれば、玉石混淆の地域もあります。このマリルボーンは、それほど敷居の高いところではないのですが、比較的状態の良い品物が多いように思います。

この後、セシル・コートという古本街へ行きました。古本街といえば、東京では神田神保町が有名ですが、セシル・コートのほうはそんな大規模なものではありません。ロンドンでは古本や骨董の店というのは家族経営のところが多く、店主が亡くなり、その子供たちが店を継がないと店も無くなるということが多いようです。さらにここ数年続いた土地の値上がりで税金の負担が重くなっていることもこうした店の経営を圧迫しているようです。セシル・コートには、かつて古本屋であった店が、経営者が交代して事業内容を転換してしまった店があったり、最近店主が亡くなって在庫整理を始めた店があったり、少し寂しい状況です。

セシル・コートからは歩いて大英博物館へ行きました。大きな博物館で、エジプトのミイラのコーナーがいつも人気を集めていますが、私が見るのは日本のコーナーとその下の階の特設会場です。日本のコーナーは全体の8割ほどは決まった展示物が並んでいますが、一番奥の部分が頻繁に展示替えが行われます。昨日は浮世絵の風景画が並んでいました。テーマは富士山です。富岳三十六景というシリーズものと、江戸の町から見える富士を描いたものが並んでいました。ポンドが暴落して、そのまま円に変えるのもおもしろくないので、少し面白そうなものがあれば買って帰国しようと思っています。大英博物館の書店を覗いてみたら、面白そうな本がたくさんあり、久しぶりに立ち読みで長い時間をつぶしてしまいました。

では、健康に気をつけて、毎日を過ごしてください。


骨董の町

2008年11月23日 | Weblog
骨董というと「お宝」というイメージを持つ人が多いかもしれない。英語のantiqueには、美術品としての価値のある古道具類という意味もあるが、単なるがらくたも含まれる。

ロンドンは町そのものが骨董のようなものなのだが、そのなかでも骨董品店が軒を連ねる地域がある。例えば以下のような地域がある。

Portbello: 2008年4月5日付「骨董考」に紹介したPortbello Roadは約2,000人のディーラーが集まっていると言われており、世界最大規模である。どのような場所であるかは、4月5日のブログをご参照頂きたい。映画「ノッティングヒルの恋人(原題:Notting Hill)」の舞台となる地域でもあるので、映画を観た人なら骨董に興味がなくてもその風景が記憶に残っているかもしれない。

Camden Passage: 似たような名前でCamden Townというのがあるが、場所も内容も全然違うので要注意である。Camden Passageのほうは行ったことがないので、どのような場所であるのか知らない。手元の「ロンドンのアンティーク」という本をぱらぱらと見る限りではPortbelloよりも高級な感じがする。Camden Townのほうは、コーヒー豆の調達に出かける町なので何度かマーケットのほうも訪れたことがあるが、アメ横の巨大版という感じだ。今年2月にその一画が火災で焼失してしまった。私が初めてこのマーケットを訪れたのが、その火災のあった週の週末だったが、その時は火災があったということを知らず、火災跡に気付かないままマーケットを歩いていた。それくらい規模が大きく、人出の多い場所なのである。

Bermondsey: 毎週金曜の早朝に業者間の取引が行われるマーケットである。業者間取引は午前9時前には終わってしまうので、掘り出し物を見つけたければ早起きをして、業者に交じって品物を探さなければならないのだそうだ。平日早朝なので、訪れたことはないし、骨董そのものに興味があるわけでもないので訪れてみようとも思わない。

その他、玉石混淆系: 骨董に限定した市場ではないが、骨董も売っているマーケットとしては、Covent Garden、Greenwich、Spitalfield、St James’s Church、そして先ほど触れたCamden Townの一画などがある。Spitalfield以外は訪れたことがあるが、どこも特に面白いとは思わなかった。

以下の地域は、お宝系骨董あるいはそれに準ずるきちんとした商品を扱っている。なかには事前に予約をしておかないと店に入れてもらえないところもある。

Mayfair: Oxford StreetとPiccadillyを結ぶBond Street界隈である。ロンドンを訪れたことのある人なら、おそらく一度はこの通りを歩いたことがあるだろうし、ガイドブックには必ず載っている地域なので説明は不要だろう。とにかく敷居が高い。骨董に関しては超高級品店が地域内に点在しているのだが、Royal Academy of Arts脇のBurlington Arcadeには多くの高級骨董品店が軒を連ねている。観光客が多い地域なので、殆どの店でクレジットカードが使える。

Kensington Church Street: 留学時代の知人で浮世絵の収集をしている人がいて、その人が帰国直前に足繁く通っていた浮世絵の店がこの通りにある。この通りで気軽に入ることのできるのはそのJapanese Galleryくらいのものである。クレジットカードを受け付けない店もあるし、曜日によっては予約客しか店に入れないところもある。カードが使えない場合はどうするのかというと、銀行振り込みとか、BADAやLAPADAといった骨董ディーラーの業界団体が発行したノートを利用するのだそうだ。

Marylebone Church Street: 通りの名前はChurch StreetだがKensington Church Streetと区別するためMaryleboneを付けるのだそうだ。昨日ここを訪れた。骨董品店はAlfiesという建物のなかに入居している。それ以外では、このAlfiesの周辺に数軒の骨董品店があるだけだ。昨日訪れたときには、このChurch Streetに市が立っていた。通りの市場はごくありふれた食品や日用雑貨を扱う店ばかりである。アラブ人街のようで、商店にはアラビア語の看板が目立ち、街を行く人々もそういう人たちが多い。そうしたなかでAlfiesの店内だけがちょっと違った雰囲気になっている。ここに並ぶ商品は家具とか照明器具、陶器が多い。玉石混淆系のマーケットに比べると総じて上品な店の構えである。自分は陶器が好きなので、壷や茶碗に目がいくのだが、ここに並んでいるものは総じて状態が良く、丁寧に作られ使われてきたことが窺われるものが多い。

その他、高敷居系: Pimlico RoadやLillie Roadに数件の骨董品店が集まっている一画があるそうだ。もともと骨董品店が集まっていたKings RoadやFulham Roadは地価の高騰で業者が営業を続けられなくなってしまい、今では「骨董品街」と呼ぶことのできる状況ではなくなってしまったのだそうだ。

昨日はMaryleboneのChurch Streetを訪れ、その後Cecil Courtを覗いて、大英博物館へ行ってきた。大英博物館の書店に並ぶ同博物館が企画出版した本になかなか面白いものが多く、久しぶりに立ち読みに長い時間を費やした。

漫遊

2008年11月22日 | Weblog
年末が近づき、職場では休暇の連絡が飛び交い始めている。休暇というのは雇用されていなければ取得することができない。年末まで雇用主が存在しているかどうか危うい状況なのに、休暇をいつにしようかなどと考える剛胆さは、宮仕えには必要な素質かもしれない。私の年齢になると、乗っている船が沈没するときは、一緒に沈む以外に選択肢が無いのだが、若い人は近くを航行する別の船に乗り移るなり、溜め込んだ材料を使って自分で筏を組むなり、いろいろやらなければならないことがあるだろう。尤も、そんなことは私が心配することでもないのだが。

これまでに何度も転職をした。勤務先が外資系企業に買収されることになり、自分の居場所がなくなりそうになったので、そうなる前に自らそれまでの職場を離れたこともあれば、勤務先のリストラで自分の所属部門が丸ごと無くなってしまい、わずかばかりの手切れ金をもらって放り出されたこともある。いずれの場合も、まだ30代だったので、なんとか短期間で移籍先を見つけることができた。しかし、今回はさすがに無理であろうと覚悟はしている。企業の採用において年齢の壁があるのは事実である。現に自分が採用を担当していたときも、応募者を年齢で区切って機械的に分類していた。年寄は使いづらいのである。

勤務先の経営危機というのは想定していなかったが、雇用してくれる先がなくなることは遅かれ早かれ必ず来ると思っていたので、数年前から対策をいろいろ考えていた。それが、建設途上で放置された建物のような状態になって今日に至っている。これをなんとかしたいと考えたのも、帰国を決めた理由のひとつである。

帰国することに決めた後は、残された時間を極力自分のために使うことを心がけてきた。日本に残してある債務の返済もあれば、子供のためにある程度の貯えもしておかなければならない。そうした制約のなかで、今自分が何をするべきかを考えた結論は、漫遊することだった。漫遊といったって、そこらをうろうろするだけのことである。ささやかなものだ。

人間関係も債権債務関係も日本にある。「住めば都」とは言うけれど、このままロンドンで生活をしたいとは全然思わない。となると、ここでできることなど何も無い。それなら自分の好きなことをするのが一番良いだろうと考えた。「好きこそ物の上手なれ」という言葉もある。自分が楽しいと思うことなら、自分のなかに消化されて残るものだろう。その残ったものが役に立つか立たないかは二の次である。既に人生の最終コーナーかもしれないし、それは既に過ぎているかもしれない。それなら生きて行く上での基本は、自分が楽しむことだろう。その上で、生活を組み立てるのが老年の生き方だと思うのである。

ロンドンで暮らしたこの1年はそれなりに充実していた。パリへ遊びに行ったのも良い経験だったし、ロンドン以外の英国の町をいくつか訪れることができたのもよかった。絵画に対する見方がこの1年ですっかり変わったのは自分でも驚きだ。ひとり暮らしをしてみて、生活に必要な物というのは殆ど無いということが確認できたのも大きな収穫だ。夏に比べると天気が良くないので、出歩く先も当日の天候次第というところはあるのだが、残り1ヶ月も無理の無い漫遊をしてみたい。

倒産

2008年11月21日 | Weblog
上場企業の場合、株価が一桁になると倒産する確率が高くなると言われている。実はこれには合理的な根拠はない。ただ、株価が多分に心理的な要素によって動くのは確かなことである。

株価というより、それに発行済株数を乗じた時価総額には注目する必要があるだろう。理屈から言えば、企業の時価総額は、少なくともその企業の解散価値よりは成長期待の分だけ高くて然るべきである。解散価値とは企業が解散したときに、総資産から負債を除いた純資産部分の価値のことである。業況や経営に問題が生じて、収益成長に対する期待感が剥落すれば、株価が下落して時価総額は解散価値を下回ることもあるが、健全な企業という認識が市場にあれば、その下値のめどは解散価値になる。例えば、欧米の景況悪化を反映して、急速に業況が悪化しているトヨタ自動車の今日の終値に基づく時価総額は10兆6,198億円であり、直近に開示された9月30日時点での純資産総額11兆9,269億円を下回っているが、乖離幅は11%である。一方、欧米の金融危機による影響が比較的小さいとみられる内需型産業の典型ともいえるアサヒビールの時価総額は7,988億円で、純資産総額5,364億円を49%上回っている。これだけでは十分なサンプルとは言えないのは承知しているが、株価は企業の解散価値を基準に、業績見通しに対する期待感をプレミアムとして形成されていると見ることもできるであろう。

今は規定が廃止されてしまったが、長らくの間、株式には額面というものがあった。多くの日本企業は50円額面であり、それに株数を乗じて算出される資本金に剰余金を加えたものが純資産額であった。その名残りで、「株価が50円を切ると」云々、「株価が二桁になると」云々、と今でも言われたりするのであろう。現実にその企業が倒産して上場が廃止されれば、その株はただの紙切れだ。株価が解散価値を下回って下落を続け、いよいよ一桁台に突入するというのは、株式市場がその企業の終焉を予見しているということでもある。企業の利害関係者は、当該企業の経営情報を全て把握しているわけではないので、株価が下落を続ければ、確証がなくとも、取引を控えたり、融資を引き上げたりして債権の保全を図ろうとするだろう。そうなると、その企業が従前通りの事業を継続するためには、より多額の現金を用意しないと商品や原材料の仕入れができなくなってしまう、というような事態にもなりかねない。つまり急速に資金繰りが悪化して、事業継続が困難な状況に陥ってしまうことになる。株価が企業の終焉を予見したのか、株価によって企業が終焉を迎えざるを得なくなったのか、実態はケースバイケースなのだが、いずれにしても株価が下げ止まらない企業に対しては警戒が必要なのである。

このようなことは日本に限ったことではない。米国でも株価が1ドルを下回ると要注意だと言われている。リーマン・ブラザーズの倒産が示すように、企業規模が大きいというのは何の安心材料にもならない。事実、巨大企業の倒産はリーマンに限ったことではない。

実は、自分の勤務先の株価が下げ止まらない。ただ、仮に本当に危ないとして、自分が幸運だと感じるのは、既に帰国準備が着々と進行していることである。もちろん、今から準備を始めたとしても、結果としては同時期に帰国することになるだろう。しかし、去る5月頃に来年1月に帰国することを決め、いろいろ準備をしながら物事を進めるのと、何の準備もなくこれから急に行動を迫られるのとでは、精神的な余裕が全然違う。どのようなことでも落ちついて対処できるということは、心地よく生きる上で大切なことだと思う。

583

2008年11月20日 | Weblog
たまたま某新聞社のサイトで新潟と大阪を結ぶ急行「きたぐに」についての紹介記事を見つけた。使用されている車両は583系だそうだ。連載記事だったが、思わずその連載のバックナンバーまで読みふけってしまった。

583系と言えば、世界初の電車寝台特急で、運行開始当時の日本の在来線では最速の時速120キロで走行可能という画期的な車両だ。しかも、足回りは同時期に開発された481系とほぼ同じで開発コストを節約、運用面では、昼間はボックスシート、夜間は寝台に転換して使用と経済性にも優れた設計であった。当初は新大阪と博多を結ぶ寝台特急「月光」、新大阪と大分を結ぶ昼行座席特急「みどり」として581系が1967年に運用を開始した。翌年、東北本線の全線電化に合わせて581系を改良し、3電源(直流1,500V、交流50・60Hz20kV)対応となって更に利用範囲が広がった583系が開発された。

私は、高校生の時、修学旅行で583系の「ゆうづる」に乗車した。上野から常磐線経由で青森に出て、青函連絡船で函館に渡り、そこから函館本線の特急で札幌まで行くという経路だった。札幌からは札幌市交通局の観光バスで移動し、帰路は函館から青函連絡船、「ゆうづる」を乗り継いで上野へ帰ってきた。

小学生の1年生か2年生の頃、友人の池上君の家にはHOゲージの模型がたくさんあった。彼の父上が趣味で車両を自作していたのである。彼の家に遊びにいくと、その581・583系やEF66に20系の客車を連結したものを走らせて遊んだものである。一度だけHOゲージのレールを芝生の上に直接敷いて走らせたこともあった。今から思えば無謀なのだが、当時はそんなことはあまり考えもしなかった。当然、砂が車輪に絡み付き、そのうち走らなくなる。そして、当然、池上君は父上に怒られるのである。それでも彼は「ゆうべとうちゃんにおこられちゃったよ。えへへ。」とあっけらかんとしたものだった。

私と583系との接点は、この2つのエピソードだけだ。そんなことはどうでもよいのである。

新幹線網の拡大と、羽田空港の沖合展開や地方空港の整備による国内航空の利便性向上に伴い、寝台特急というものへの需要は必然的に低下する。そうしたなかで、もともと特急用車両として開発されたにもかかわらず、運用環境の変化に応じて、格下の急行だろうが、臨時列車だろうが、なりふりかまわず使いつぶされて、やがて老朽化により廃車されるという車両の歴史が、人の生活史と重なるように見えて興味を引かれるのである。

結局、581・583系は1967年から72年にかけて434両が製造されたそうだ。このうち現存しているのはJR東日本に6両編成2本の12両、JR西日本に10両編成5本の50両だけでだそうだ。JR東の2編成は臨時列車用、JR西のは主に急行「きたぐに」として使用されている。今度、乗りに行ってこようかと思っている。

遠回り

2008年11月19日 | Weblog
仕事帰り、職場の最寄駅のホームで、自分の帰路方向へ向かう人がいつもより混んでいるような気がしたので、反対方向の電車に乗って、National Galleryに寄ってきた。

以前にも書いたように水曜日はNational Galleryの夜間開館日である。これまでに何度か夜間に訪れた時は、毎回どこかしらの展示室が定時で閉鎖されていて、ひどい時は昼間の半分程度しか開放されていないこともあった。それが、今夜は全館開館していたのである。

National Galleryのことはこれまでに少なくとも3回はこのブログに書いている(2008年6月12日「ナイト・ミュージアム」、8月10日「ナショナル・ギャラリーを最短時間で見学する法」、10月16日「肖像画が語る」)。絵画に限ったことではないのだろうが、触れる度に自分と対象との距離感が違うように感じられるものである。ある時は引き寄せられたものが、別の時にはそれほどでもなかったり、その逆もある。小さな美術館で静かに作品を眺めるのは、とても贅沢な時間に感じられるものだが、大きな美術館でたくさんの作品に圧倒されるのも、それはそれで得難い時間である。ロンドンやパリでは、そのどちらの時間も思い存分楽しむことができる。東京の美術館は、どこも企画のアイデアが秀逸だが、規模の制約は免れない。

今日はとりあえずカラヴァッジオの作品を観ることができればよいと思っていたが、全館開放されていたので、Sainsbury Wingを見て帰ることにした。ここには主として15-16世紀のイタリア絵画が展示されているのだが、どの作品にも尋常ならざるオーラのようなものが感じられる。当時の画材も技巧も、現在とは比較にならないくらい原始的なものであったと思う。その制約のなかで、顧客の要望に精一杯応えるべく、画家や工房の職人たちが工夫に工夫を重ねた情熱のようなものが、ひとつひとつの線やひと塗りひと塗りの色にこめられているように見える。構図にしても、ちょっとしたバランスの変化で印象が変わるものである。その微妙な加減が、しっかりと追求されているように感じられるのである。これらの点でピエロ・デラ・フランチェスカのThe Baptism of Christとかヤン・ファン・エイクのアルノルフィニ夫妻は突出して素晴らしいと思う。

結局、観始めたら止められなくなってしまい、ひと回りしてしまった。ついでに夕食は館内のカフェで済ませた。野菜とチーズのパイ、ネギのタルト、それと紅茶を頂いた。

一文字の違い

2008年11月18日 | Weblog
仕事から帰ると郵便局からクリスマスカードのプロモーションのようなカードが届いていた。そろそろクリスマスカードを書く時期なのだろう。私はキリスト教徒ではないのでクリスマスを祝うという習慣はないのだが、年賀状の時期と近いこともあり、今年は年賀状の代わりにクリスマスカードを書くつもりでいる。尤も、普段の付き合いがある相手に改めて書く必要は無いと思っているし、原則として虚礼は無用だと思っているので、たいした量にはならない。

誰に書くか、今年の正月に頂いた賀状や去年のクリスマスカードを眺めていたら、クリスマスカードの差出人は留学時代の同窓生が多いことに気がついた。約20年前にマンチェスターに留学していたとき、1学年120名の学生がいて、そのうち日本人は私を含めて7名だった。全員企業派遣である。一つ前の学年では3人、一つ後の学年には5人の日本人がいた。以前にも書いたが、日本の企業が社員を留学させるとき、精鋭を送る先は米国のアイビーリーグか、シカゴ、UCバークレーといった名門校が多い。米国以外の国に送り出すのは、米国の学校に入学できなかったような奴とか、ちょっと変わり者系の奴であることが多かった。いろいろエピソードはあるのだが、マンチェスターの7名も妙な奴ばかりだったと思う。それが今は、私を除いて、みなすっかり出世してしまった。上場企業の子会社の社長をやっているのが2人もいる。

「できる人」というのと「できた人」というのとでは、わずかに「る」と「た」の一文字の違いでしかないが、その意味するところは文字数の違いを遥かに超えたものがある。人の上に立つ人というのは「できる」だけでなく「できた」人であるように思う。それは、具体的にどのような人、と説明のつくものではなく、そういう素質を感じさせる人と言うしか形容のしようがない。これまで生きてきた経験から言うなら、「できる人」というのはたくさんいるが、「できた人」というのは滅多にいるものではなく、「できる」上に「できた」あるいは「できた」上に「できる」人となると宝くじの一等に当たるくらいの確率でしか出会うことができないように思う。

激しい時代

2008年11月17日 | Weblog
今日、以前の職場の同僚が先週土曜に結婚式を挙げたという知らせをもらった。式に出席した別の同僚からのメールによれば、その結婚した同僚の相手というのは、激しい時代に出会った相手なのでとても優しそうな人だった、とのことだった。その「激しい時代」の意味するところは定かでないのだが、なんとなく想像がつくような気もして面白い表現だと思った。

今週も人員削減のニュースで始まった。朝、駅で配っている「City A.M.」のトップニュースは「NOMURA TO ABANDON THE WHARF」というものだ。リーマンの欧州部門を買収した野村証券は、ロンドンでの拠点をシティに集約し、Canary Wharfにある元リーマンのオフィスからは完全に退居するのだそうだ。

既に、メリルリンチを買収したバンク・オブ・アメリカが、ロンドンの拠点をシティにあるメリルリンチが使っているビルに集約してCanary Wharfのビルから退居する方向で検討中との報道を読んだことがある。一方で、JPモルガンが欧州本部をCanary Wharfに設けることになったそうだ。このところ出入りが活発だが、どちらかといえば出のほうが多いようだ。

夕方、駅で売っている「Evening Standard」という新聞のトップニュースは「50,000 JOBS GO AT CITY GIANT」というものだ。シティグループが5万人の人員削減を実施し、詳細は未公表だが、ロンドン拠点もかなりの人数が削減されそうだという。

同紙の別の記事では、先週末から始まったロンドンの繁華街でのクリスマス商戦が好調な滑り出しを見せているという。ポンドが対ユーロで過去最低水準に下落しているので、欧州大陸から買い物客が押し寄せているのだそうだ。どのように数えたのか知らないが、先週金曜から日曜にかけての3日間におけるOxford Street、Regent Street、Bond Streetの人出は前年同期比11.6%増で、最も混雑した日曜日に限れば同17.4%増だったのだそうだ。

先日、このブログのなかで英国の大手スーバーであるSainsbury’sの業績が好調に推移しているという話(11月14日「マンゴー食いだめ」)を紹介したが、経済のミクロとマクロは必ずしも同じようには動かないのである。人々の暮らしがある限り、財やサービスに対する需要は必ずあるのだから、過度に悲観論に走って、消費者心理に冷や水を浴びせるような記事が氾濫する状況は好ましいとは思えない。そうは言っても、センセーショナルが見出しを踊らせるのが、メディアというものの商売なのだから、それも仕方の無いことなのだろう。

それにしても、これまでにいくつもの景気の波を乗り越えてきたが、これほどまでに雇用調整が話題になることは過去に無かったように思う。金融業界は、おそらく最も業界再編の動きが活発な業界のひとつだろう。収益を追求すれば必然的に規模拡大による収益機会の網羅的追求に走らざるを得ず、結果的に合従連衡が進んで巨大な会社がいくつも生まれることになる。組織は巨大化すれば、官僚制的秩序が導入されるものである。そこに収益獲得とは無関係に、単にコストを食いつぶすだけの部署も生まれてしまう。こうしたコストセンターを単なるコスト消費部門に終わらせることなく、組織の健全性維持や危機管理を通じて、間接的に収益獲得能力増強に寄与させる手だてを考えるのがマネジメントの仕事のひとつでもあるはずだ。しかし、現実には組織が巨大化すれば、それだけ構造が複雑化する一方で、経営環境の変化も激しいので、組織の細かなところまで管理しきれなくなってしまう。そうした状況下で、業績の低迷が顕著になれば、肥大化した低収益部門を単に除去してしまうのが、最も即効性の大きな収益性改善策ということになるのは自然な流れであろう。組織のなかにいる人間にとっては、自分の働きとは無関係なところで、突然解雇されてしまうことになる。激しい時代になったものだ。