先日読んだスーザン・ソンタグの「反解釈」の冒頭にオスカー・ワイルドの「ある手紙より」からの引用があった。
「浅薄な人間に限って、自分は外見によって判断しないなどと言う。世界の神秘は目に見えぬものではなく、目に見えるもののなかにある。」(スーザン・ソンタグ著「反解釈」ちくま学芸文庫 15頁)
生活の様式とか習慣というものは、その人の生き方のひとつの表現であろう。どのような食生活をおくり、どのようなものを身につけ、どのような生活空間を作り上げるのか。人それぞれにそれぞれの様式があり、それが習慣として定着しているものである。その様式は習慣の背後には当然にその人の生きる場の哲学のようなものがあるはずだ。だから、日常生活のひとつひとつのことにこだわってみたいと思うようになった。それだけ歳を取ったということかもしれない。
ヴィンテージ(vintage)というのはラテン語のvindemia「葡萄の収穫、その時期」に由来する。それが転じて「古いが最高級の、高性能の」とか「最高傑作の」といった意味も持つようになった。人生の終わりを意識するようになって、自分自身が自分にとってのヴィンテージになるように心がけなくてはいけないと思うのである。骨董品を所有することに興味はないが、そういうものが自分の持ち物であっても違和感のないような人になりたいとは思う。