熊本熊的日常

日常生活についての雑記

クレジットロール

2008年09月30日 | Weblog
休暇を終え、VS901便でロンドンに戻りました。今回の一時帰国でお目にかかった皆様、お忙しいなか貴重なお時間を頂きありがとうございました。おかげさまで楽しい時間を過ごすことができました。また、以下のお店では、おいしいお食事やお菓子を頂きました。どのお店もそれぞれにおいしかったです。ごちそうさまでした。

あじさい 東京都港区赤坂3丁目
伊勢廣 帝劇店 東京都千代田区丸の内3丁目
イルクオーレ 埼玉県さいたま市大宮区北袋町
かいはら 東京都千代田区丸の内2丁目
五穀亭 東京都新宿区西新宿2丁目
妻家房 東京都中央区日本橋1丁目
はし田屋 東京都渋谷区渋谷3丁目
百人亭 東京都千代田区一ツ橋1丁目
双葉 東京都中央区湊2丁目
デニーズ 茂原店 千葉県茂原市八千代2丁目
トラッフル 東京都港区白金1丁目
凛 本店 東京都中央区銀座4丁目
Belgian Beer Cafe Antwerp Central 東京都千代田区丸の内2丁目
Bistro Lapin D’or 東京都品川区南品川2丁目
Blue Note Tokyo 東京都港区南青山6丁目
(五十音順 ローマ字表記はアルファベット順)

さらに今回の一時帰国では、自然農によって栽培した野菜を頂きました。代金はこの農園の関係者でもある同僚のTさんが負担してくれました。どうもありがとうございました。それぞれの野菜の個性があって美味しかったです。来年1月の帰国後は、定期購入を申し込むつもりです。

そらむぎ農園 山梨県北杜市長坂町日野

それでは、皆様と再びお目にかかるのを楽しみにしております。さようなら。ごきげんよう。

「コドモのコドモ」

2008年09月29日 | Weblog
また子供の妊娠話か、と思ってはいけない。子供が主役なので演技面は荒削りなのだが、話の深さがこれまでの類似作品とは比較にならないのである。

自分がこれまでに観た類似映像作品としてすぐに思い浮かぶのはテレビドラマ「3年B組金八先生」であり、最近の作品だと日本でも今年6月に公開された「Juno」である。どちらも、周囲の大人たちが妙にものわかりが良いことに違和感を覚え、みんなで命を大切にしましょう的な説教臭さが鼻についた。

「コドモのコドモ」は、小学生が出産するという話だが、要するに子供だの大人だのという区別がいかに無意味であるかということを語っている。産むという決断を下す過程に甘さがあることが、この作品に対する批判を大きくしているように思われるが、産まれてくる命を大切にしようという主人公の素朴な思いがあるからこそ出産に至るということだろう。勿論、不用意に妊娠するというのはあってはならないことだと思う。しかし、あってはならならないことが起きるのが現実というものだ。その時に、その現実をいかに受け容れるかということが、それこそ「大人」に問われるのである。この作品は危機管理のいろはについても語っているのである。

印象的だったのは主人公の担任教師や「自分の腹から出てきた子供のことは何でもお見通し」と豪語する母親が、分娩に至るまで妊娠に気付いていないことである。そこには「子供が妊娠するはずがない」という先入観がある。腹が出てきたのは、単に太ったとしか見ないし、食欲が強くなって食べる量が増えても、成長期にはよくあることと気にも留めない。主人公の異変に最初に気付くのは、主人公と特別親しい関係にあるわけでもない学級委員の女子児童である。彼女は優等生であり、学級委員という立場上、クラス内のことに人一倍注意を払っているという事情があるにせよ、このことの持つ意味は大きい。人は自分が見たいと思う現実しか見ないということなのだ。小学生の妊娠という、教師や親にとって都合の悪い現実は彼等の目に入りにくいのである。

しかし、担任教師に問題があるというわけではない。ここに登場する教師は、誰もがそれぞれに職務に熱心である。結果として、担任は辞任させられることになるが、彼女は間違ったことは何一つしていない。それは親や家族も同じことである。主人公の家は2世代同居の農家であり、主人公は高校生の姉と部屋を共同利用している。妊娠後期まで誰も気付かなかったが、さすがに祖母、そしておそらく祖父も、分娩に至る前にはそれとなくわかっていたように見える。子供のことは何でもわかると豪語した母親はとうとう気付かない。

ただ、主人公が妊娠初期に、担任教師に妊娠の可能性があることを告げているにもかかわらず、担任はそれを主人公のわるふざけと解釈し、相談に乗るどころか、事実や発言の真意を確かめようともせずに主人公を叱責している。自ら教頭に許可を求めて性教育の授業を実施しているほどの教師なのだが、まさか自分のクラスの子供が妊娠することはないという先入観があるということだ。理想の教育を目指しているが、現実の教育に目覚めるには人生経験と感性が決定的に不足しているということでもあろう。だが、彼女を責めるわけにもいくまい。

これは映画なのでデフォルメされた部分があるが、それでも我々の日常生活は根拠のない「べき」とか「はず」のことが満ちあふれている。それは習慣と呼べるほどのものでもあり、要するに考えもなしに従っているだけの社会規範なのである。平均的な人の行動の8割は習慣に拠っていると言われる。

さすがに子供たちだけで分娩まで処理してしまうとうことは、よほどの安産でもない限り無理だと思う。作品のなかでも産婦人科医に「稀に見る安産で…」と語らせて、その無理を意識しているようである。しかし、日本においても小学生の分娩はあり得ないことではない。私は中部地方の或る国立医大の先生に、その附属病院で8歳の子が出産したという話を伺ったことがある。発展途上国のなかには子供が子供を産むことなど珍しいことではないというところもあるだろう。

しかし、子供というのは日々刻々成長を続けて、さまざまな事を意識するとしないとにかかわらず学習しているのである。小学5年生ともなれば、成人並みの体力・知力・精神力を発揮する子だって珍しくはないだろう。尤も、その能力が周囲に認められるか否かは別の話である。

一方で、ある年齢を過ぎれば、人の能力は日々刻々衰退し、さまざまな能力が意識するとしないとにかかわらず失われていく。人生経験といったって、人様々で、いくつになっても自立できない人だって珍しくはない。世間体を気にすることが思考することだと思いこんでいる人、つまり、習慣を守ることと思考することの区別がつかない「大人」など数限りないのではないか。

この作品の子供たちは、少なくとも子供を産むということについて、それぞれの経験と能力に応じて思考することを余儀なくされたことだろう。だからこそ、学級委員を中心に一致団結して新しい命を守ろうとしたのである。考えのない奴なら、教師や親に恫喝されれば、たちまち態度を変えてしまう。それが一糸乱れぬ団結を見せたということは、彼等がそれぞれに考え抜いて主人公とその新しい命を守ろうと決断したということなのである。だから、彼等の軸が振れないのである。なかでも、主人公の分娩に立ち会った子供たちは、自分たちの手で命を生み出したという自信をも得たであろう。下手な教育よりもよほど有益な体験だ。

子供とか大人という区別は年齢に拠るのではない。思考する能力の多寡に拠るのである。

as it is

2008年09月28日 | Weblog

これほど不便な場所にある美術館は珍しい。おそらく、自宅を出てからここに至るまでの間の時間と空間もこの美術館を体験することの重要な構成要素なのだろう。さらに遡って、ここを訪れようと決断するところから美術館体験が始まっているのかもしれない。ほんとうは電車とバスを乗り継いで、山道を歩いて、這々の体でここに辿り着き、がらがらがらと入口を開けてほっとする、という作法がふさわしいのだろう。

まるで田舎にある友人の家を訪ねるような感覚だ。たまたま現在の展示が「中村好文 すまいの風景」で、この空間を自宅に見立てたものである所為かもしれない。この建物の大きさと佇まいが民家のようであることも、この場に親近感を覚える要素だろう。

美術館と書いたが、ここには所謂「美術品」はない。日常生活や信仰のために名も無い人々によって作られたものばかりが並んでいる。そのデザインや存在感を体験したときの心の動きは、自分自身の日常生活のなかに散りばめられている美を再発見する契機になる。あるべきものがあるべきところに収まっていることの安心感というものを改めて意識することもあるかもしれない。

一通り鑑賞を終えてここを後にする。心安らぐ住まい方というものが、以前よりも具体的にイメージできる自分に気付く。それは住まい方だけでなく生き方にも通じる、と言ってしまうと少し大袈裟になるが、住まい方は生き方の端的な表現であることは確かだ。これから普段使う道具や雑貨を選ぶとき、もっとたくさんのことを考えてみようと思う。そこから何か自分にとって大きなことも変わるかもしれない。


幻想としての芸術

2008年09月27日 | Weblog
竹橋の近代美術館を訪れた。企画展は「エモーショナル・ドローイング」である。コンテンポラリーは客を集めるのがたいへんだと思うが、この展覧会でも奈良美智のコーナーを大きく取っているのは、そうした運営上の工夫なのだろう。

常設展の一画で、8月22日に収録された元永定正のアーティスト・トークの映像が流れていた。「アートはアートと認められた瞬間にアートではなくなる」という氏の言葉が印象的だった。それぞれの時代において創造活動を行うのがアーチストの務めであるとするなら、現役のアーチストというのは存在しないことになる。なぜなら、本当に新しいものなら、それは既存の知性や感性を超越したものであるはずで、世の中にそれを評価することはできない。従って、評価されないものの作者は何者でもないということになるからだ。現代において高い評価を得ている芸術家のなかに、存命中は全く評価されなかった人が少なくないのは、彼等が真の芸術家であったことの証とも言える。

そう考えると、真のコンテンポラリー・アートが観客を動員できるはずがない、ということになる。現役の「芸術家」というのは、つまり大衆芸術家でしかなく、既に高い評価を得ているということは、その作品が既存の感性による評価の域を出ていない俗物である、とも言えるであろう。

以前、V&Aの美術講座で陶芸家であるGrayson Perryは自分を「professional artist」と称していた。その要件は、世の中に対して何事かを訴えることだという。作品を通して主義・主張を表現することが職業芸術家ということらしい。確かに彼の作品は饒舌だ。先日観た「アキレスと亀」でも画商が「作品にメッセージ性があるのが、そういうのがいいんだ」という台詞がある。

理屈はさておき、現実の世界において芸術とは表現であり、芸術家の存在を支えるのは、その表現に応えるパトロンと、そのパトロンの権威に追従する大衆ということなのだろう。なにはともあれ、芸術家は自分の生活を立てようと思うなら、大衆を大切にしたほうがよさそうだ。

「グーグーだって猫である」

2008年09月26日 | Weblog
先日、食事をしながらの会話のなかで、友人が「日本映画はちまちましていて、テレビの2時間ドラマみたいなやつが多い」とのたもうた。「そうかねぇ」と軽く流してしまったが、やはりテレビドラマと映画は違うような気がする。なにがどう違うのかと尋ねられれば、明快に答えることはできないのだが、細かな違いが満ちあふれているように思うのである。

例えば映像の構図が全く違う。映画は人物と同じくらい背景に重要な意味があることが多いが、テレビは人物中心に絵が作られる。端的には、映画は台詞のある場面でも人物の全身が画面に収まっていることが多いが、テレビは半身あるいは首から上ということが多い。他にも、台詞の振り方とか、平均的なシークエンスの長さとか、挙げればきりがないようにも思われる。

さて、「グーグーだって猫である」だが、これは映画というよりも、超長編CMである。不自然に「ニャンとも清潔トイレ」が散りばめられている。主人公の漫画家が飼い猫のトイレの脱臭抗菌マットを交換するシーンがあるが、交換用マットの入った袋の商品名がこれみよがしに見えるように手にしている。その漫画家がペットショップで猫の入ったケージを見ているシーンではケージひとつひとつの扉全てに「ニャンとも清潔トイレ」というシールが貼ってある。そのペットショップの至る所に「ニャンとも清潔トイレ」のパッケージが積み上げられてもいる。自分はペットは飼ったことが無いが、ペット用品の卸売業者の再生案件にかかわったことがあるので、ペットショップの様子というのは知っているつもりである。あんなに猫用トイレばっかり陳列しているショップなどあるはずがない。

これは些細なことのようだが、たとえ映像の一部であっても、不自然な部分が目に入れば、物語全体のリアリティが失われてしまうものである。それでもそうせざるを得ないほど多額の資金を花王が提供しているということなのかもしれない。

作品自体は可もなく不可もない。中途半端と言えなくもない。猫か吉祥寺か漫画家の世界のいずれかに興味がなければ、退屈かもしれない。私にとっては、吉祥寺が身近な場所であった時代もあるので、楽しく鑑賞できた。

感動

2008年09月25日 | Weblog
今日は立川らく朝の独演会を聴いてきた。この人は落語家というよりも、落語が上手い医者なのだろう。技術はあるのだろうが、面白くない。

そのキャリアには目を見張るものがある。医師でありながら、44歳で立川志らく門下に客分の弟子として入門。46歳で本来の弟子として入門。50歳で二つ目になり、今年54歳で真打に挑戦。一般に二つ目昇進から真打になるまで20年程度と言われているので、人生経験を積んでからの入門とは言え、これで真打になれば異例の速さでの昇進である。

既に真打だの二つ目だのという落語家の身分制度は形骸化しているとも言われているが、それでも真打の芸と二つ目のそれとの格差は決して小さなものではない。ただ、形骸化ということの意味は、芸の質が真打にふさわしい水準に至っていなくても、観客動員力のある落語家が少なくないということなのである。

今日のゲストである立川談春によれば、らく朝の観客動員力は真打並なのだそうだ。今日の独演会もほぼ満席である。ただ、会場が新宿の駅前という立地条件は勘案しなければならないだろう。

らく朝が果たして真打に値するのか否かはさておき、44歳にして新たな道に挑戦するという決断は尊敬に値すると思う。医師というのはいろいろな意味で激務である。その仕事を続けながら落語家の弟子になるというのは、容易な決断であったとは思えない。芸事というのも、やはり激務であると思う。その落語を聴く限り、日々の並々ならぬ稽古のあとが窺える。どちらの仕事にも全力で向き合っていることがなんとなく伝わってくるのである。その一生懸命な生き方に心動かされるものがある。

今日も、昨日の独演会とは別の意味で、良い経験をさせていただいた。

芸の極

2008年09月24日 | Weblog
大宮のソニックシティ小ホールで柳家花緑の独演会を聴いた。落語も音楽のようにCDやDVDが数多く出ているが、これこそ生で聴かなければ聴いたことにはならない。上手い噺家は、枕から本題へ入ると人相が変わる。一瞬にして噺家個人から本題の登場人物に豹変するのである。それは単に仕草とか言葉遣いの問題ではない。高座の空気も含めてその場全体が変化する。こればかりはその場にいないと体験できない。

おそらく落語ほど舞台装置が単純な芸は無いだろう。舞台に座布団が敷いてあり、そこに和服の噺家が座って話をするだけである。小道具として手拭と扇子、上方ではさらに見台と拍子木、張扇が使われる。純粋な話芸で、興味も関心も知性も千差万別の大勢の聴衆を魅了し、そこに異空間を創り上げるのである。

芸というのは、ある水準を超えると理屈では説明のつかない領域になる。それが才能と言ってしまえばそれまでなのだろうが、演じる人の人格とか人としての総合力のようなものが抜きん出ていないと、そうした域には達し得ないのだと思う。発声練習や滑舌の練習といった基礎訓練も勿論重要なのだろうが、経験の厚みのようなものも必要であろうし、それによって生来から恵まれた想像力に磨きがかかるというようなことも必要なのだろう。

今日はまさに芸を堪能できた。良い経験をさせていただいた。

ちなみに、今日の出し物は「出来心」、「粗忽長屋」、「紺屋高尾」の3本。前座は柳家緑君で「金明竹」。

いぶし銀

2008年09月23日 | Weblog
今日、実家でユーゴスラビア製の銀製スプーン6本セットを見つけた。殆ど使っていないので、渋い色に変色していて、それを使って何かを食べたいとは思わないが、たまには眺めてみたいような感じになっていた。

この銀の匙は1989年1月にドゥブロヴニクを訪れた時に土産として購入したものである。当時、既にこの町は世界遺産に登録されていたが、世界遺産であることはもとより、「ドゥブロヴニク」という町の存在自体を知らなかった。たまたま留学先の大学内にあった旅行代理店でパンフレットを見つけ、費用が安かったのと、写真が美しかったので出かけてみる気になったのである。

マンチェスターからBAのシャトル便でロンドンへ出て、そこからユーゴスラビア国営航空の直行便でドゥブロヴニクへ飛んだ。空港は旧市街の南にあり、空港から市街へ向かうバスの車窓から、アドリア海に浮かぶ煉瓦の島のような旧市街が見えてきたときには、おとぎの国のような風景に息を飲んだ。宿泊したのは旧市街の北側に広がる新市街の海辺にある国営ホテルだった。着いた日の夕食が旅行代金に含まれていた。食事は決められた時間にレストランで決められたものを頂くということになっていて、それはまるで修学旅行の食事のような風景だった。当然、食事の内容も残念なもので、社会主義国の現実を垣間見たような気分になった。

旧市街は城壁に囲まれていて、どの家の屋根も赤茶けた色の瓦で葺かれていた。業務などで許可を得た車両以外は旧市街に乗り入れることができないようになっていたので、その街並はいかにも欧州の古い町という味わいがあった。路地に入ると子供たちが遊んでいて、私の姿を認めると「コンニチワ!」と口々に挨拶をしてくれた。これには驚いた。日本人など滅多に来ない場所だと思っていたからだ。別の路地では、道端でアコーディオンをひきながら歌っている中年男性がいて、演奏が終わると彼の立っているところへ、建物の上の階の窓から紐につるされた籠がそろりそろりとおりてきた。男性はその籠から紙幣を取り出すと、上の窓から顔を出しているその家の住人たちに手を振っていた。そんな平和な風景がわずか2年後に崩れ去ろうとは、その風景のなかにいた誰も予想していなかったのではないだろうか。

あれからもうすぐ20年が経とうとしている。硫化した銀は「いぶし銀」と呼ばれ、もちろんそれを汚いと感じる人も少なくないだろうが、よい味が出ていると感じる人もいる。ドゥブルヴニクの町は、破壊と再生を経て、今は昔のように観光客を集めている。自分はどうなっているだろうか。なんだか、ただ汚くなっただけのような気もする。それではいけないとは思うのだが。

「アキレスと亀」

2008年09月22日 | Weblog
幸せとは何か、ということを考えた。それは自分の居場所があるということだ。居場所というのは、勿論、物理的な場所のことではない。人間が関係性のなかを生きている以上、心地よいと感じられる関係こそが、その人の居場所である。言うまでもなく、関係性というものは時々刻々変化を続けている。今、心地よい関係が、明日も心地よい保証はどこにもないし、むしろ心地悪くなっていることのほうが多いものである。この作品では出会ってからずっと主人公を支え続ける伴侶が登場し、その伴侶との生活のなかで自分にとって本当に大切なものが何かということに気付く主人公の姿がある。この作品はそういうファンタジーなのである。

登場人物があっけなく次から次へと亡くなるのが、いかにもこの監督の作品らしい。死を軽軽に扱っているようにも見えるので、少なからず批判もあるだろうし、不愉快に思う人もいるだろう。しかし、現実の人生というのは儚いものだろう。一見すると無駄なシーンのように見えるが、実は、主人公の周囲の人々の死ひとつひとつに意味があるように思う。事業家で成金趣味の父親の死は、経済的あるいは社会的成功の華々しさと脆弱性を示し、その夫亡き後の後妻の死は生活力を持たずに他人に依存して生きることの困難を表している。美術学校の仲間の死は、極端に近視眼的な思考が現実から遊離する姿を暗示しているように見える。そうしたなかで、相も変わらず自分の道を求め続ける主人公の姿は、社会的評価を求めるというような皮相な思考によらない、純粋なものが持つ強さを感じさせる。

半永久的に評価されない画家、というのがこの映画の主人公なのだが、それでもその作品が画廊に飾られていたり喫茶店に飾られていたりするシーンがあり、どことなく、あと一息で評価を得られるようになりそうな雰囲気が漂っていることが、この物語に光を与えているように感じられる。もちろん、主人公を丸ごと受け入れ支え続ける伴侶の存在がこの物語の中核なのだが、当事者以外は主人公の絵を全く評価しないというのでは、ただのコメディに終わってしまう可能性もある。細かいことだが、主人公の作品に客がいるという現実を与えることで、主人公夫婦の存在が荒唐無稽なものとして浮き上がらずに物語の中心を維持できていると思う。また、その安定感によって、希望のあるエンディングが生きてくる。

なお、この映画のなかにはアンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、パウル・クレー、ジャン=ミシェル・バスキア、ワシリー・カンディンスキー、ピート・モンドリアン、ジョアン・ミロ、ジャクソン・ポロック、クロード・モネ、山下清ほか多くの作品をパクった作品が次々に登場するのも楽しい。

だってBだから

2008年09月21日 | Weblog
血液型が同じであるというだけでオヤジ4人が集まって飲み食いするという集いがある。他にもいろいろ接点があるのだが、主には血液型と(かつての)職場でつながっている。そう頻繁に集まるわけではないので、まずは互いの近況から自然に話題が始まる。かつては職場が重なっていても、今はそれぞれの世界で生活しているので、現在進行形の共通の話題は無い。それでも、途切れることなく誰かしかが熱弁をふるっている。

私は血液型と性格の相関は世間で話題にされているほど強いものではないと思っているのだが、こうして集まってみると一種独特の雰囲気があり、やはりそういうこともあるものかと思える瞬間もないわけではない。今日、改めて観察してみて気付いたのは、話に起承転結の結が無いことが多い。起承転まで行って、そこでほったらかしになってしまうのである。結が無いので、突っ込みが入っても、それが跳ね返されることなく抜けてしまう。人の話を聞かない。自分の話したいことを、その前後の別の人の発言とは脈絡無くぶつけてくる。そういう状態を4時間も平気で続けていられる。店の人がラストオーダーを取りに来なければ、たぶんもう少し続いていたかもしれない。これは驚異的なことだと思う。

なまもの

2008年09月20日 | Weblog
ブルーノートでROY HARGROVE BIG BAND with special guest ROBERTA GAMBARINIを聴いた。特にジャズが好きとか関心があるというわけではないのだが、たまにちゃんとしたものを聴きたくなる。何事も生に勝るものはないと思う。

いかに技術の粋を集めたオーディオセットでも、そこで再生されるのは録音されたものとは別のものである。勿論、オーディオ機器の価値というものはあるだろうし、再生自体もその場の大気や聴き手の心理の組み合わせは無数なので一回性のものと言える。しかし、演奏は生身の人間がその場の状況に応じて行うもので、会場や観客によってさまざまに変化するものだ。音が響き合うというのは、単に楽器の音だけではなく、演奏者と観客の心が響き合うものでもある。そうしたものを体験できるのは、その場にいる瞬間でしかない。

表現者の立場としては、観客を前にすることが必ずしも歓迎すべき状況ではないということもあろう。自分自身の演奏のイメージというものがあり、それを追求しようとすれば、ライブ会場よりはスタジオのほうが好ましい環境ということもあるのだろうし、楽器によっては容易に持ち運ぶことができないという制約もあるだろう。

それは音楽という現在進行形のものだけでなく絵画のような静物についても言えるだろう。どれほど優れた印刷技術を駆使したところで、実物の絵画そのものを再現することはできなし、実物だけが持つ佇まいを表現することはできない。

当然のことだが、我々の生は1回限りのもので過ぎ去った時間は取り戻すことができない。いつ終わるとも知れない時間のなかを、生死に関わる病気をしたり事故に遭遇でもしない限り、まるで今という時間がこれから先も永遠に続くかのような感覚で生きている。それは自分に都合の悪い事には気付かないふりをするという本能のようなものだ。音楽や美術に限らず、ほんとうに良いと思える人やものに出会うと、出会っている瞬間を意識するのである。普段は気付かないふりをしていることに気付き、生きていることに対する感覚が研ぎすまされ、時間の終わりを意識する。それがほんとうの楽しさというものでもあると思う。

「おくりびと」

2008年09月19日 | Weblog
ここまでわかりやすくしないといけないものなのかと溜め息が出るような作品だ。スポンサーや興行成績を意識せざるを得ない立場にある、製作に携わっている人たちの苦労が滲み出ているようにも思われた。仕事というものには自分自身思うところがあったので、その点では自分のなかの仕事観・職業観により強い方向性を得た気持ちがして、見てよかったと思う。しかし、映像作品としてはいまひとつの出来ではないだろうか。物語が出来過ぎていて展開が不自然だと思うのである。

死を穢れと感じるのは、おそらく世間一般の感情としては自然なのだろう。私は仕事の関係で葬儀会社や火葬場にお邪魔させて頂いたことがあるが、そうした会社を経営している人たちは、いかに社員に誇りを持たせるかということに腐心しておられる様子だった。今でもある種の職種に就いている人に対しての差別が現実にあるのだそうだ。

しかし、生まれたからには、遅かれ早かれ必ず死ぬのである。生が「ハレ」で死が「ケ」という単純な記号付けをするなら、その間にある人生は一体何であろう? 「ハレ」から「ケ」に向かう過程ということになるのではないか? そうだとしたら、我々の生は丸ごと否定的なものになってしまう。

おそらく多くの人は、他人の死は穢れだが、自分の死はハレだの穢れだのといった記号付けからは超越したものなのだろう。それは「考え」とか「良い悪い」というようなことではなく、文化や歴史に根ざした、感情の深いところに定着しているものの見方だと思う。それが、たとえば身内の死体をきれいにしてもらったくらいで容易に変わるものではないだろうと思うのである。

夫婦とか親子の関係という誰しもが必ず悩むであろう身近なことを、納棺という微妙な職業に乗せて、安易に描き過ぎていないだろうか? チェロ奏者だった主人公が、生活のためとはいえ、納棺の仕事にずるずると関わるようになるという設定は説得力があるだろうか? 主人公がチェロを演奏するシーンが不必要に多すぎるのではないだろうか? ほかにもいろいろ引っ掛かったところはあるのだが、要するに、話がきれいにまとまりすぎていて、現実味を感じないのである。映画なのだから、話はまとめなければならない。だからと言って、あまり物わかり良くまとめてしまうと、薄っぺらな話になり、観る側の思考が深くならないだろう。尤も、観る側に負荷をかけると興行成績に影響が出てしまうのだろう。映画をつくるという仕事もつくづく大変だと思う。

東京にて

2008年09月18日 | Weblog
昨日の朝、住処を発ってSoutheastern RailwayのWestcombe Park駅に行ったら、乗ろうと思っていた列車が運休で、その20分後の次の列車は遅延だと表示されていた。これはいけないと思い、そのまま駅近くのバス停へ行きバスを待つ。どのバスに乗ってもよかったので、最初に来た108系統のバスに乗り、North Greenwichで下車。そこから地下鉄Jubilee Lineに乗りBaker StreetでBakerloo Lineに乗り換えてPaddingtonへ。ここからHEXで空港へ行った。空港に着いたのは10時半頃。諸手続きを終えて一服したのが10時45分だった。搭乗口は11時45分に開くとの表示が出ていたが、実際に開いたのは12時15分頃。長い道のりを歩いてようやく指定された24番搭乗口に着くと、そこはバス乗り場だった。バスには5分くらい揺られていただろうか。搭乗予定のVS900便のAirbus 340-600はターミナル5に近い駐機場にBAの機体と並んで客を待っていた。ターミナルから離れた場所に駐機するのは当初の予定外であったようで、今日に限って搭乗口のやりくりがつかなかったとの機内アナウンスがあった。13時出発の予定だったが、搭乗に時間がかかり30分ほど遅れての離陸となった。

機内には、またもや乳幼児。今回は3月の一時帰国に比べると距離が離れていたが、前回に比べると泣いている時間が長かった。断続的に成田に着くまでの間泣き続けである。泣いている本人に罪は無いが、生後1年にも満たないような子供を12時間も飛行中の航空機内に置くのは虐待だと思う。

成田には定刻通り今日の9時に到着。荷物もすぐに出てきたので、予め予約しておいた携帯電話を受け取った上で、9時45分発の新宿行き成田エクスプレスに乗ることができた。列車は11時10分に新宿に到着。そのままJRの別の線に乗り換えて今回宿泊する宿に行き、荷物を預ける。今回の宿泊先は駅につながっている建物なので移動が楽だった。

今日は13時に友人と待ち合わせており、時間に余裕があったので、宿泊先と待ち合わせ場所の途中にある乗り換え駅のエキナカ書店で時間をつぶす。ロンドンに比べると東京の鉄道車両や駅構内は清潔だ。大気は重苦しく湿っていて不快だが、公共施設がこざっぱりとしているのは好印象。駅の出発案内が分単位で表示され、しかも列車が表示通りに発着するのは新鮮に感じられる。車内には他線の遅延情報が表示されている。見慣れていたはずなのに、少し驚く。

久しぶりの再会で1時間強盛り上がった後、宿に戻り宿泊手続きを済ませる。荷物を解いたり、シャワーを浴びたりして一服する。18時に宿を出て実家へ行く。溜まっていた郵便物を整理したり、軽く食事をしたりして時間を過ごす。頼んでおいた野菜が山梨の農園から昨日とどいていたので、少しつまんで味見をしたあと、持参した袋に移し替えて、白金高輪にある知り合いのレストランに持ち込む。ここのシェフに評価をお願いしておいたのだが、届けた野菜を見るなり、興味津々の様子で野菜をひとつひとつ手に取っていた。その様子が、やはりプロっぽいなと思う。結局、宿には23時頃に戻り、こうしてこのブログを書いている。

パソコンを開いてメールを読むと、今回の日本滞在中に会う予定だった人たちのうち2人から健康問題を理由に予定の取り消しを求めるものだった。ちょっとしたことで体調を崩す、そういう年齢になったということだ。やはり、私も落ちつくべき場所に落ちつかなければという気持ちを新たにした。

「ヴェネツィア」

2008年09月17日 | Weblog
エッセイのように見えるが、ヴェネツィアという街を詠んだ散文詩だと思う。ヨシフ・ブロツキーがこの街の何に魅せられたのかは知らないが、1972年から17年間、毎年のように訪れたのだという。

ヴェネツィアはいまだに車が入れない。人間だけが往来を行くことができる。このことが象徴しているのは、この街のプライドとか歴史、文化であると思う。かつて都市国家として栄華を極めながら、今は少なくとも行政区画上はイタリアの一地方都市に過ぎない。しかも、潮位が年々上昇し、街自体が物理的な存亡の危機に瀕している。そうした時間が錯綜する様が人を惹き付けるということはあるだろう。まして、自分自身にそうした激動の歴史のある人なら、そこに己の人生の何事かを重ね合わせて見る思いがして、釘付けになってしまうかもしれない。

「山の音」

2008年09月16日 | Weblog
川端康成の作品はあまり読んだことがなかった。たぶん、若い頃によんでもその良さがわからなかったと思う。私も山の音を耳にする年齢に達してきた所為か、これは面白くて一気に読んでしまった。

良いものを自分のものにする喜びというのは誰にでもあるだろう。その「良い」を何に求めるかは人それぞれだが、それが何であっても、ほんとうに良いものというのは何がどのように「良い」のか理屈では説明できないものだ。良さを言語化できるというのは、その程度のものでしかないということだ。私は「山の音」が何故面白いのか全く説明できない。説明した瞬間、その面白さも消滅してしまいそうだ。

この作品が発表されたのは1954年4月である。私はまだ生まれていないが、ここに描かれている社会の様子はある程度想像できる。多くの人が戦場で、銃後で、地獄のような時代を経験し、戦後の混乱がようやく治まってきたものの、人々が心に受けた傷はまだ癒えてはいなかったであろう。そもそも心の傷というのは生きている限り癒えることはないものだ。折りに触れて疼き出す得体の知れない傷を抱えながら、それぞれが必死にあるべき日常を模索していたのがこの頃だったのではないだろうか。

当時の習俗として、当り前のように2世代が同居し、結婚した女性は専業主婦である。結婚は、もちろん当人同士の意志によるものもあったろうが、家というものを中心に人間関係が結ばれることが多く、不本意ながらも親が決めた相手と所帯を持つということが珍しくない時代である。それが当り前であったから、よほどのことが無い限り、夫婦関係が破綻していようが、家庭が実態として崩壊していようが、家庭とか家族が社会を構成する基本単位として機能していた。個人という概念は希薄で、家族という関係のなかで自分が守るべき立ち位置があり、しかるのちに社会における位置というものがあった。しかし、人間の心理というものは、時代が違うほどには違わないものである。親孝行だの家庭円満だのという、個人のエゴとの葛藤を生むことが明らかな価値観が尊重されるべきものとして社会にあれば、どこかしかに歪みが生じるのは自然というものだ。

その歪みの自然がこの作品の世界であるように思う。成人した子供の個人的な問題まで我が事のように扱う老親や、エゴをむき出しにしながら肝心なことは親に頼るその成人した子供たちの姿はグロテスクですらあるが、それが当り前の世界である。歪みがあるのだから、そのままではやがて崩壊する。その静かな崩壊を、季節の移り変わりとか身の回りの些細な出来事の成り行きによって饒舌に語っている。歪みや崩壊を通して浮き彫りにされるのが、人間とはいかなる動物であるのかという普遍性のあるテーマであることに小説としての技巧の妙も光る。登場人物の誰を主人公にしても成立する深さをひとりひとりが与えられている。文章のリズムは音楽のように心地よい。ほんとうの小説というのはこのようなものかと目の覚める思いがした。