熊本熊的日常

日常生活についての雑記

5月の鉄道移動履歴

2010年05月31日 | Weblog
501 入 JR 巣鴨  出 JR 池袋
501 入 JR 池袋  出 JR 戸田公園
501 入 JR 戸田公園 出 JR 巣鴨
502 入 JR 巣鴨   出 JR 宇都宮
502 入 東武 宇都宮 出 東武 大宮
502 入 JR 大宮  出 JR 巣鴨
505 入 JR 巣鴨  出 JR 高田馬場
505 入 西武 高田馬場 出 西武 東村山
505 入 西武 東村山 出 西武 高田馬場
505 入 JR 高田馬場 出 JR 巣鴨
506 入 都営 巣鴨 出 都営 日比谷
507 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
507 入 都営 巣鴨 出 都営 神保町
507 入 地下鉄 神保町 出 地下鉄 九段下
507 入 地下鉄 九段下 出 地下鉄 竹橋
507 入 地下鉄 竹橋 出 地下鉄 大手町
508 入 JR 巣鴨  出 JR 日暮里
508 入 JR 日暮里 出 JR 巣鴨
510 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
511 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
511 入 JR 巣鴨  出 JR 池袋
511 入 JR 池袋  出 JR 巣鴨
511 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
512 入 JR 巣鴨  出 JR 高田馬場
512 入 西武 高田馬場 出 西武 東村山
512 入 西武 東村山 出 西武 高田馬場
512 入 JR 高田馬場 出 JR 巣鴨
512 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
513 入 都営 巣鴨 出 都営 日比谷
513 入 地下鉄 銀座 出 地下鉄 東京
514 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
515 入 都電 庚申塚 出 都電 雑司ヶ谷
515 入 地下鉄 雑司ヶ谷 出 地下鉄 渋谷
515 入 JR 渋谷  出 JR 目黒
515 入 地下鉄 目黒 出 地下鉄 白金高輪
515 入 地下鉄 白金高輪 出 都営 巣鴨
516 入 JR 巣鴨  出 JR 戸田公園
516 入 JR 戸田公園 出 JR 浜松町
516 入 JR 新橋  出 JR 北千住
516 入 JR 北千住 出 JR 巣鴨
517 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
518 入 JR 巣鴨  出 JR 池袋
518 入 JR 池袋  出 JR 巣鴨
518 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
519 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
519 入 JR 巣鴨  出 JR 高田馬場
519 入 西武 高田馬場 出 西武 東村山
519 入 西武 東村山 出 西武 高田馬場
519 入 JR 高田馬場 出 JR 巣鴨
519 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
520 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
520 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
521 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
521 入 JR 巣鴨  出 JR 渋谷
521 入 地下鉄 渋谷 出 地下鉄 京橋
522 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
522 入 JR 巣鴨  出 JR 戸田公園
522 入 JR 戸田公園 出 JR 巣鴨
523 入 JR 巣鴨  出 JR 神田
523 入 地下鉄 神田 出 地下鉄 三越前
523 入 地下鉄 三越前 出 地下鉄 水天宮前
523 入 地下鉄 人形町 出 地下鉄 高田馬場
523 入 西武 高田馬場 出 西武 新宿
523 入 JR 新宿  出 JR 巣鴨
524 入 JR 巣鴨  出 JR 駒込
524 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
525 入 JR 巣鴨  出 JR 池袋
525 入 JR 池袋  出 JR 巣鴨
525 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
526 入 JR 巣鴨  出 JR 高田馬場
526 入 西武 高田馬場 出 西武 東村山
526 入 西武 東村山 出 西武 高田馬場
526 入 JR 高田馬場 出 JR 巣鴨
526 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
527 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
527 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
528 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
528 入 都営 巣鴨 出 都営 大手町
528 入 地下鉄 大手町 出 地下鉄 乃木坂
528 入 地下鉄 乃木坂 出 地下鉄 二重橋前
529 入 JR 東京  出 JR 巣鴨
529 入 JR 巣鴨  出 JR 戸田公園
529 入 JR 戸田公園 出 JR 巣鴨
531 入 JR 巣鴨  出 JR 西川口
531 入 JR 西川口 出 JR 東京
531 入 地下鉄 大手町 出 地下鉄 三越前

以上。

Facebook

2010年05月29日 | Weblog
招待メールが届いたのでFacebookに参加した。噂には聞いていたが、便利なのか邪魔なのかまだよくわからない。それでも、あまり愛想が無いのもどうかと思ったので、写真を何枚かアップしておいた。

今日の招待メールが無くても近いうちに参加することになるかもしれなかったので、ちょうどよい機会だと思い、アカウントを開いた。実はタッチラグビーのチームに参加することになった。ラグビーを簡単にして老若男女誰でも気軽に楽しむことができるようにしたものだというのである。そのメンバー間の連絡などに使うかもしれないという話が出ているので、何も知らないのもどうかと思い、ちょうど招待していただいたこともあり、参加してみることにした。

友達検索という機能があり、自分のメールアドレスでやり取りのあったアドレスのなかからFacebookに参加しているアドレスを呼び出すことができる。こういうのを目の当たりにすると、ネットの世界というのは丸見えなのだということが実感できる。なんとなく、ネットの世界は匿名の世界という印象があったが、「頭かくして尻かくさず」に近いのが実体のようだ。この検索機能のように、サイト自体の機能が高度化しているが、今でもあるのかどうか知らないが「ゆびとま」と発想は似ているようだ。要は、プロフィールを特徴付ける要素で、データを掘り起こすということだろう。「ゆびとま」は出身校という要素で、参加者が自ら集合する場を提供するというものだったが、Facebookのほうはネット上に散らばる様々な要素を与えられた条件に応じて自動的に取捨選択するということのようだ。

まだアカウントを開いたばかりなので何とも言い難いが、特に感心するほどのことはないように思う。結局は実体としての関係が先にあり、その関係の上での連絡手段の一つということなのではないだろうか。

誇大広告ではない

2010年05月28日 | Weblog
美術展のチラシに派手な言葉が使われることはないと思っていた。国立新美術館で開催中のオルセー美術館展には1枚ペラのチラシと割引クーポンの付いた3つ折のチラシがあるが、3つ折のコピーに「モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルソー、傑作絵画115点、空前絶後」とある。この「空前絶後」というのが引っかかった。

それで観てきたのだが、なるほど「空前絶後」だと思った。今、三菱一号館美術館でモネ展を開催中で、こちらにもオルセーからそれなりの規模のコレクションが借り出されている。オルセーは大丈夫なのか、と素朴に疑問に思っていたが、現在改装工事中とのことで納得できた。

いつも日本の美術館の企画力には感心させられるのだが、今回も「ポスト印象派」と銘打っているところがミソである。チラシの表紙、チケット、図録の表紙ともにルソーの「蛇使いの女」。展示の中心はナビ派である。ナビ派の作品は、オルセーのナビ派コーナーで展示されている数の三分の一くらい来ているのではないかと思われるほど充実したものである。貸す側借りる側それぞれの事情があるのだろうが、これをそのまま「ナビ派を中心に」などとするよりも「ポスト印象派」というように日本で人気のある「印象派」という文字を入れることで、来場者数はかなり違ったものになるのは確かだろう。

印象派絵画のほうもモネでしっかりとカバーし、印象派から独自の路線へと進んだセザンヌも独立したコーナーを設け、当然のようにゴッホとゴーギャンもおさえてある。本展全体としての展示作品数が過去に日本で開催されたオルセー展とは比較にならない数ということもあり、これまでのような「つまみ食い」のようなものではなく、ひとつひとつのコーナーだけを取り出しても、それだけでちょっとした企画展ができるほどの内容だ。

今回の展示ではルソーの作品は、チラシの表紙になっている「蛇使いの女」のほかに「戦争」だけなのだが、この2点をオルセーの外で観ることができる機会というのは稀だろう。ルソーは所謂「日曜画家」で、絵画に関する専門教育は受けていないし、画家や有力画商との縁も無い。それでも、ピカソに「発見」されるまでの雌伏期が長いとは言え、力のある作品を描き続けていれば、それがきちんと評価されて、こうして世に出るということが嬉しい。自分とは縁も縁もない人だが、その作品を眺めていてとても嬉しい。たまたまかもしれないが、今日はこれらルソーの作品の前に人だかりができていたのも嬉しい。ルソーに関しては、2006年に世田谷美術館で国内収蔵品とルソーに影響されたと見られる作品を集めたルソー展が開催されていた。これも面白い企画展だったが、今回のような直球勝負的な展示は、やはり見逃せないと思った。

ゴッホとゴーギャンも自分にとっては今回の目玉のひとつだ。ゴーギャンは昨年夏に国立近代美術館で、国内に所蔵されている作品を中心にボストン美術館所蔵の作品等を加えた「ゴーギャン展」が開催されている。このときはオルセーの作品は無かったが、今回は「黄色いキリストのある自画像」を始めとして8点出品されている。ゴッホは神話のようなエピソードが作品を離れて独り歩きしている感が無きにしもあらずだが、本展の作品を観ると独り歩きしていたエピソードが作品に戻ってくるのではないだろうか。今回7点が出品されているが、「星降る夜」や「アルルのゴッホの寝室」だけでも足を運んだ甲斐があるというものだ。

個人的にはそれほど興味は無いのだが、点描画もこれだけまとめて観ると、その発想に興味を覚える。点の大きさや形といった細部に試行錯誤の跡を見て取ることができ、それは単に視覚ということを超えて世界観にまで及ぶ物事の認識の試行錯誤であるように思う。絵画に限らず、彫刻や工芸、文章も、表現という行為は、個別具体的な実体を通して表現者の世界観を語っている、という当然と言えば当然のことを改めて認識させられた。

それにしても、東京という都市はたいしたところだと思う。今の時代にこの場所で生活していることの幸運を感じる、というと大袈裟かもしれないが。

帰ってきたウルトラマン

2010年05月26日 | Weblog

朝、木工へ向かう途中、地蔵通り入り口にある真性寺で大仏の据え付け作業をしていた。京都に補修に出していたのが、晴れて戻ってきたのだそうだ。ここの大仏は三度笠を被っていて、右手に錫杖、左手に宝珠を持っている。こうした持ち物は、やはり取り外されていて、本体が梱包されたような状態だ。大仏としてはそれほど大きなものではなく、どこか親近感を抱かせるようなお姿だ。朝の慌しい時間帯であったこともあり、見物人の姿は少ないのだが、それでも工事関係者を取り巻くように、何人か手を合わせている姿がある。木工からの帰り、寺の前を通りかかると、大仏は台の上に据えられていたが、手はまだ梱包されたままで、傘も被っていなかった。

この大仏は1714年頃に神田鍋町の鋳物師である太田駿河守正儀によって作られたものだという。三度笠姿の大仏というのは珍しいような気もするが、宝珠と錫杖という持物なので地蔵菩薩なのだろう。地蔵は救済のために六道を行くウルトラマンのような仏様なので、旅姿であることに違和感は無い。おそらく、笠は大仏像の保護も意図したものだろう。

三度笠は、時代劇などで渡世人が被っているが、「三度」は江戸時代の三度飛脚に由来する。三度飛脚は月に三度、東海道を往復するのでその名がある。江戸時代の飛脚というのは現在では考えられないような速さで走ったそうなので、雨風のときでも行動の自由が阻害されず、晴天のときには日射から身体を守る、そういう機能性に富んだ被り物として三度笠が使われたのだろう。

大仏というと鎮座している観が強いのだが、地蔵となると機動性も求められるため、錫杖に加えて三度笠を身につけることで、ただの地蔵ではないのだぞ、というようなことを表現しているのかもしれない。テレビドラマや映画の影響なのだが、機動隊とか機動捜査隊、機動部隊など「機動」が付くと、なんとなく精鋭という感じがある。

そう思って改めて眺めると、真性寺はなんとなく消防署とかサンダーバードの基地のような印象が感じられるようになる。正面の重厚な扉が開いて、そこから重機が現れても不思議が無いような気がしてくるのである。あるいは、建物がまるごと倒れて、中からロケット状のものが炎を吐きながら飛び出してきても、驚かないかもしれない。

いや、さすがに驚くだろう。


会話の妙

2010年05月25日 | Weblog
普段は夕方に出社するのだが、今日は会議があったので、陶芸教室の後、すぐに帰宅して着替えて出社した。会議が終わってから昼食を食べることになったので、午後3時をまわってしまい、営業をしている数少ない店のなかから選ぶことになった。

蕎麦が食べたかったので、小松庵で「本日のおすすめ」となっていた冷やし鴨南蛮をいただいた。この時間帯は空いていて、私のほかには2組の客しかいない。ここの蕎麦は、やや高めの価格設定なのだが、なんとなく上品な作りで、たまにこういう蕎麦もよいと思う。勘定を払う段になって、レジのところに「本日の蕎麦は福井産…」というPOPが目に入った。「本日の」ということは、毎日蕎麦粉が変るのか、と店の人に尋ねてみた。さすがに毎日は変らないそうだが、月単位というような決まったものでもないらしい。ここでは国内に7つほど仕入先があり、現在使っているのが福井県のものだが、その前は北海道産で、この後も北海道産になる予定だという。比較的、北海道産のものを使うことが多いのだが、国産ということにこだわっているとのことだった。ただ、昨年は凶作で、現在は蕎麦粉の確保に苦心しているという。「凶作で品薄ということは、それだけ価格が上がるわけだから、店で出すおそばの値段もあがるってことですよね」と尋ねてみる。値上げについては直接的に肯定も否定もしなかったが、「価格に見合う中身を目指します」という実質的な値上げ宣言が返ってきた。ほかにも蕎麦粉のことや蕎麦のことをいろいろ尋ねてみたのだが、たいへん気持ちよい応対で、気分良く店を後にした。

その後、勤め先が入っているビルに戻り、商店街のなかの雑貨屋を回って鍋を見て歩いた。使っている鍋の内側の皮膜が剥がれてきたので、そろそろ買い替えを考えるようになっている。昨年、帰国して住む場所が決まり、家財道具を揃える時に、鉄瓶を買うのにさんざん見て歩いたので、鉄器については詳しくなった。そういう眼で眺めると、今日のところは、これはというものに出会うことができなかった。ただ、ある店で調理に使える陶器というのがあり、面白いと思いながら眺めていると、店員が近づいてきて、いろいろ説明してくれた。この店で扱っているのは三重と出雲の窯のもので、出雲のほうは出西だった。ここはバーナード・リーチが訪れて指導した場所のひとつで、商品のなかにもリーチ直伝のものがいくつかある。エッグベーカーは日本人には、まず思いつかないものだろう。自分で買ったり作ったりして使おうとは思わないが、プレゼントにすると、面白がってもらえるかもしれない。今日のところは買う気が無いので店の人には申し訳なかったのだが、説明を聞いたり商品を見たりして思い浮かんだ疑問はすぐに質問していたら、ひとつひとつ丁寧に答えて頂いた。昨今は商品知識が無い店員を置いている小売業者が多いなかで、きちんとした商品知識を持って客と向かい合う店員がいるというだけで、この店に対する印象がたいへん良くなった。

職場に戻る前にコーヒーでも飲もうと思い、ビルのラウンジの中にあるillyでエスプレッソと小さいケーキを注文した。ちょうどプリペイド式のハウスカードの販促期間とのことで、勧められるままにカードも作った。普段は500円の発行手数料が300円なのだという。いつもはそんなことはないのに、今日は店の人が「コーヒーはお好きですか」などと尋ねてくる。カードを作ったからそんなことを聞いてきたのかもしれない。「ええ、豆を買って自分で挽いて淹れてるんですよ」と答えたら、驚かれてしまった。コーヒーのことは、話を振られてしまうと黙っていられないので、エスプレッソの抽出を待つわずかの時間だったが、思いの外、会話が弾んだ。

偶然とはいえ、行く先々で、ちょっとした楽しい時間を過ごすことができた。何でもないことなのだが、こういうことがあるだけで、今日一日が輝いて見える。

産休連打

2010年05月24日 | Weblog
職場の同僚で今年1月に1年間の産休から明けて職場に復帰した人がいる。この人が10月から再び産休に入ることになった。めでたいことではある。この人とは別に、今年の1月から産休に入っている同僚もいる。2人とも英国在住で在宅勤務の英国人である。その身分は英国法の下にある。日本で産休というものがどれほどの期間なのか知らないが、自分の身の回りには1年間の産休を取得したという人はいない。こちらが驚くほど早く職場に復帰している人は何人も知っているが、そうした自分の知り合いが偶然にも育児環境に恵まれた人が多かったというだけのことかもしれない。自分の子の時は、当時の配偶者は専業主婦だったので産休というものとは無縁であった。

少子化というのは国家の存亡にかかわる重大問題なのだが、そのような認識が社会において共有されているとは思えない。いますぐどうこうなる問題ではないので、選挙の票にはつながらず、政治の焦点にはならないのだろう。少子化担当大臣なるポストがあるが、何をしているのかさっぱりわからない。それこそ仕分けの対象にでもしたほうがよいのではないか。政治が動かなければ役所は動かない。官が動かないのに、民だけでどうこうできるものでもない。世の中には自分でどうにかできることと、社会としてどうにかしなければならないこととがあるが、人口問題は社会全体の問題だ。子供を持っている人もいない人も、子供を持ちたい人も持ちたくない人も、ともに考えなければならないことである。

少子化対策というと育児支援のことばかりに関心が向く傾向が強いようだが、子供を産み育てるにはその器である家庭がなければならない。必ずしも結婚という形を取る必要があるわけでもないだろうが、親が無ければ子は生まれない。家庭を持ちたいと思う人が増えるようにするにはどうしたらよいのだろうか。

「婚活」などという言葉もあるようだが、結婚が目的で、そのために相手を血眼になって探すというのは、どこか前近代的なような気がする。せっかく原則として自由に相手を選ぶことができるのだから、一緒に暮らしたいほど好きな相手ができて、その結果として結婚があるというのが自然だろう。形式ばかりを意識すると、後悔する結果になることが多いような気がする。世間で生きる限り、ある程度の形式的なことには付き合わないと人間関係が円滑に運ばないことがあるのは事実だが、たいして長くもない人生を世間に振り回されて生きるのは自分に与えられた時間の使い方として、果たしてどうなのだろう。

私の現在の職場には男性が6人、女性が5人いる。5人の女性は全員独身だ。「独身の女性」が「若い女性」と同義ではないことが、いかにも現代風である。私が大学を出て最初に就職した職場には、5人の同期の女性がいた。「大学を出て最初に就職」した人間にとっての「同期の女性」というのは、「若い女性」と同義である。この5人の女性のうち4人は既に既婚である。残る1人は婚約まではしたのだが、不幸な事情があって結婚に至らなかった。この4人のうち2人が外国人と結婚している。ひとりはアメリカ人と、もうひとりはエジプト人である。アメリカ人と結婚した人はカリフォルニア在住で、エジプト人と結婚した人はルクソール在住だ。相手がどこの国の人でもよいのだが、いずれにしても、5人とも少なくとも恋愛というものを経ている、と思う。ところが、今の職場の5人の独身女性のうち、少なくとも何人かは、おそらく恋愛というものを経験していないのではないか、というのが私の偏見に満ちた判断だ。

何が言いたいかというと、結婚しない人が増えているというのは、要するに円満な人間関係を構築するのが苦手な人が増えているということであって、不況で経済力が無いとか、自由な時間が欲しい、というのは取って付けた理由でしかないのではないかということだ。何の根拠もない想像なのだが、戦後の急速な経済発展と外国文化の上っ面だけを取り入れたことによって、それまでの日本の歴史の積み重ねの上に築かれていたはずの人と人との関係の持ち方とか個人の在りようといったものが失われてしまったのではないかと思うのである。価値観の軸を失えば、自己と他者の領域の区別などできなくなるだろうし、そうなれば適切な人間関係を構築するなど不可能だ。その結果、人は孤独に陥り、恋愛などできず、家庭も子供も生まれないということになる。

ところで、産休期間中はよほどの理由が無い限り解雇されない。1年間で社員の3割近くが整理された時期に産休で、ギリシャ問題をきっかけに不穏な空気が漂いはじめている時期に再び産休に入るというのを間近に見ていると、勿論本人にそういう意図はないのだろうが、産休が雇用確保のための武器のようにも見えてくる。

「川の底からこんにちは」

2010年05月21日 | Weblog
普段、台所ではタオルではなく手拭いを使っている。この映画の前売りのオマケが手拭いだったので前売り券を買ったのである。

いままで観た映画のなかで、最も面白いもののひとつだと思う。なにがどう面白いのかというのは説明するのが面倒なので、端的な例をいくつか挙げてみることにする。

予告編のなかにも出てくるシーンでの主人公の台詞である。
「あたしなんか、たいした人間じゃないからさ、だから、がんばるよ」

前半部分は諦めとかいじけた雰囲気のある、落ち込む方向にある心情を語る言葉だ。
「あたしなんか」の「なんか」とか「たいした…じゃない」というあたりにそうした否定的な文意を醸し出す作用がある。

ところが、これに「がんばるよ」という結論がつながる。前半と後半との間で心情の流れの方向が逆転するのである。こういうのを、開き直り、というのだろうが、この台詞だけではなく、作品全体の構造が、こうした転換の組み合わせのようになっている。

それが物語として成立するのは、転換に意表をつくところがあるにせよ、論理としてはおかしなところがないからだろう。「たいした人間じゃないから、がんばる」というのは、当たり前のことだろう。それが当たり前に聞こえないのは、その会話が展開する場面との組み合わせとか、その会話を聞いている側の思考の習慣といったものが影響するのだろう。

もうひとつ、予告編にはない部分の話だが、主人公の彼氏が主人公の幼馴染と一緒に主人公の前から姿を消してしまうという場面がある。先ほどの「あたしなんか、…」という予告編の台詞は、その彼氏が去ってしまった直後の主人公と父親との会話の一部なのだが、それに続く主人公と父親とのやりとりのなかで、主人公は男が去ってしまったから、その男と結婚することにする、というのである。しょうもない男だからこそ、「たいした人間じゃない」自分にふさわしいという。

確かに、個人を巡る不幸の大半は、自分のことを棚に上げて他人に対してやたらと厳しい評価を下すこと繰り返したことに起因するのではないだろうか。肥大したセルフイメージを基準に自分を取り巻くものを評価するという過誤ということだ。尺度の基準が不適切なのだから、物事が納得できる形に収まるはずがないのである。

この作品はコメディという感じに仕上げられているが、主人公の台詞や行動を通して、多くの人々が抱える不幸の本質を言い当てているように思われた。自己が多少過大に肥大していても、若いうちなら、その後の人生の積み重ねのなかで、自己と環境との調和、調和とまでいかなくとも妥協くらいはなんとか図ることができるようになり、その人なりの満足を以って人生を満了するのだろう。厄介なのは、40とか50とか人生の折り返しを過ぎてなおも自己の肥大を止めることができない人たちだ。本人もつらいだろうが、その周囲にとっても迷惑の種だ。尤も、そういう輩は第三者の立場から見れば突っ込み処満載で、ただ眺めているには楽しいものである。

他にこの作品のなかで面白かったのは景気とエコの扱いだ。主人公が勤務先の給湯室で同僚と会話しているとき、景気が悪いということが話題になる。その会話のなかでの主人公の台詞は「でも、しょうがないと思います」。確かに、しょうがないのだ。世の中では、例えばマスメディアの報道などで、景気がいかに悪いかということを熱心に取り上げている向きもあるように感じられ、そうした風潮のなかで個人の会話でも「景気が悪い」というのはもやは挨拶のようなものになっている。しかし、その悪さをいくら語ったところで、自分の置かれた状況がどうこうなるものではない。エコも同じである。主人公の彼氏が、なにかというと「エコライフ」を指向していることを語るのだが、それはまるでファッションの一部のようだ。いざ失業して主人公の実家に転がり込み、文字通りのエコライフ実践を迫られると言い訳を作って自然とのかかわりを拒否する。エコロジーのことなど何も理解していないのに、世の中の風潮がエコロジーをひとつの価値であると認知するかのような動きになると、それに盲従して得意がるのである。映画だからかなりデフォルメされた表現にはなっているが、世間の「景気」や「エコ」の語り手というのは、得てしてそういう輩が多いのではないだろうか。これもセルフイメージ形成の重要な部品なのである。自分ではなにひとつ理解していない記号を身に纏って恰好をつけたつもりでも、傍目には裸の王様のようにしか映らないということに、本人は気付かない。

少し長くなってしまうが、もうひとつ興味深いと思ったのは、一転奮起した主人公が実家のしじみ加工業を建て直すべく最初に取り組んだことが社歌の刷新と、商品パッケージの変更だったことである。たまたま先日ネットで見かけたスタンフォードかどこかのMBAプログラムで課題として5ドルを元手に起業するという記事を思い出した。期限は2週間か3週間だったと記憶しているが、パフォーマンスのよかったチームは一様に元手の5ドルには手をつけていなかったのだそうだ。つまり、コストをかけずに収入を得たのだそうで、最も多くの利益を上げたチームは600ドルだったそうだ。自分自身の人件費というものを想定する必要はあるのだが、ここではそれをゼロと置いてしまうと、その5ドルに手をつけていないのだから、投資収益率は無限大ということになる。もちろん、いくつかのチームは5ドルを摩ってしまったが、事業のためには元が必要、というのは実は幻想にすぎないということなのである。誰にでもできるわけではないのだが、商売というのは結局のところ買い手の心理を刺激することなのである。この映画のなかでは販促のコストがゼロというわけではない。しかし、商品パッケージに使ったモデルは従業員の1人と主人公の彼氏の連れ子なので、印刷費が多少多めかかっているくらいのものだろう。それに主人公が歌詞を考え従業員のなかで音楽の素養のある人がいて、その人が曲をつけて社歌兼販促ツールとすることで社歌にまつわるコストはゼロだ。それで商品の売上が倍増した、ということになっている。本当にそんなことで上手くいくとは思えないが、考え方としてはおかしなことではない。

この作品には、そうした人間とか人の営みといったものへの洞察が富んでいて、しかも、その洞察を素直に表現しているように思う。観終わって、やはり自分の好きな作品で「ウィスキー」を思い出した。これはウルグアイの映画で、おそらく日本で紹介された最初のウルグアイ作品ではないだろうか。この作品もコメディなのだが、主人公の妄想が静かに暴走して最後にサゲがある。よくできた作品というのは、冷静な人間観察に基づいて、なおかつ、その洞察の結果を作る側が面白がりながら作っているように感じられる。どのような仕事でも、楽しく仕事をしようとする姿勢のある仕事は、結果として良いものを残すように思う。

蛇足になるが、細かいところでは気になることが残らないわけでもなかった。例えば、主人公は暇さえあれば缶ビールを飲んでいる。ビールなのか発泡酒なのか、あるいは別のものなのかよくわからないのだが缶に大きな字で「麒麟」と書いてあるのはわかる。父親も酒飲みで死因は肝硬変の悪化。そのつながりはよいとして、缶ビールの消費量に対して、主人公の外見が細すぎるのではないか。私自身は酒をほとんど口にしないので、酒飲みの身体がどのようなものか実感としてはわかりかねるのだが、あれだけ飲んでいれば、例え若くて基礎代謝量が大きいとしても、もう少し不健康な肉付きになりそうなものである。350ml缶のビールの熱量は約140kcalだそうだ。熱量と糖質の量はビールと発泡酒との間に大きな差異は無いが、糖質成分を抑えた製品(キリンで言えば「淡麗グリーンラベル」や「麒麟ZERO」)やビールテイストというカテゴリー製品はビールや発泡酒の半分程度の熱量である。食事以外にこうしたものを常習的に摂取していれば、やはりそれなりの体型になるのではないだろうか。

ところが、さらに調べてみると、ビールなどのアルコールに含まれる熱量は文字通り熱として放出されてしまい、身体には蓄積されないのだそうだ。ビールの場合、アルコール以外の原料に含まれる熱量が蓄積される分なので140kcalのうち蓄積されるのは50kcal強に過ぎない。ビールをたくさん飲むから太る、ということではないのである。酒飲みがデブ、という印象があるのは、酒の熱量ではなく、肴の熱量の所為で太る人が多いためだろう。本当の酒好きで、つまみなど口にしないで酒だけ飲んでいるというような場合は、肥満にはつながらないのだそうだ。この作品のなかで、主人公は缶ビールを飲むときには、ビールだけでつまみを口にする場面は無かったので、あの体型でもおかしなところは無いのである。本当に蛇足になってしまったが、せっかくいろいろ調べてみたので、このままこの文章は残すことにする。

「川の底からこんにちは」公式サイト http://kawasoko.com/

ピリ辛つゆの鶏つけ蕎麦

2010年05月19日 | Weblog
夕食は職場のあるビルのなかの商店で買って、自分の席で食べる。使う店は3つか4つくらいだが、今の職場で働くようになって1年5ヶ月目に入り、商品棚やケースに並ぶ惣菜や弁当はほぼ食べつくしてしまった。それでも、コンビニの棚にはいつも何かしら新商品が並んでいる。

今日は午前中の木工に出かけ、帰りに「ますも庵」で「モツ煮込みうどんセット」をいただき、家に帰って2時間も昼寝をしてしまったので、夜になってもそれほど空腹を覚えなかった。ただ習慣なのかもしれないが、19時を過ぎると息抜きも兼ねてコンビニに出かけた。そこで「ピリ辛つゆの鶏つけ蕎麦」とペット入り紅茶を買い、夕食にした。

コンビニで販売している弁当類の進化には驚かされることが多かったが、さすがにもうできることはやり尽したという観が無きにしも非ずだ。今日の蕎麦もそうなのだが、買ってすぐに食べることのできるものが割合として減っているように感じる。勿論、買ったものをどのように食べようと買った人の勝手なのだが、「おいしいお召し上がりかた」というものが書いてあれば、それに従うものだろう。この蕎麦の場合、まず付属の水を蕎麦にかけてほぐし、別の容器にそばつゆを用意していただくのである。

確かに、かたまったままの蕎麦をもぐもぐ食べるよりは水でほぐして蕎麦らしく啜ったほうがおいしく感じられるかもしれないし、そばにふりかける海苔は別の袋にしておいて食べる直前にかけたほうが海苔の風味が活きるのはわかる。しかし、しょせん出来合いの蕎麦でしかない。なんのかんのと作る側の思い入れを語ったところで、そのもの本来のあり方からは程遠い代物が多い。「本格派」の「本格」とはどのような意味なのだろうか。総じてコンビニの弁当類のありようは、中途半端な感を否めない。ついでに言わせてもらえば、電子レンジで仕上げ調理をすることを前提にした商品というはやめて欲しい。私は電子レンジが嫌いだ。あの不自然な温まり方が気持ち悪い。家に電子レンジはあるが、たまにオーブンとして使う程度で、レンジ機能を使うのは3ヶ月に1回あるかないかだ。

とはいえ、商品開発の苦労は伝わってくるものだ。工夫の跡もなんとなく分かるつもりだし、そういうところがコンビニ商品の味わいのでもあると思う。今、手元にアエラのムックで「Go!Go!コンビニライフ」という2005年5月に発行されたものがあるのだが、面白いのでいまだに捨てずにとってある。こうしたものを読むまでもなく、並んでいる商品を手に取ったり食べてみたりすれば、その開発から販売に至るまで、多くの人たちがそれぞれに情熱を持って関わっていることも感じられる。しかし、コンビニの商品でおいしいと思うものはひとつもない、と断言できる。

今日のように食欲がそれほど無いとか、仕事の繁忙期で席を外す時間を極力短く抑えたい、というようなことがない限りは、コンビニでの買い物は必要最小限にとどめている。弁当は「えん」のほうが値段もそれほどかわらないのにおいしいし、サンドイッチなら「神戸屋キッチン」まで遠征したほうがはるかにおいしいものをいただける。

それでも、私の生活はコンビニ抜きには成り立たない、かもしれない。今はコンビニでの買い物に使うカードを2枚持っているのだが、一番多い時は4枚持っていた。それがあれば、現金なしで買い物ができるので、現金を持たないことを心がけている身としては(持つ現金が無いという説もある)所持金を気にせずに買い物ができてポイントがたまり、そのポイントを現金化することもできるコンビニカードはたいへん有り難い。アマゾンで買ったものは近所のローソンで受け取る。コンビニは昔の田舎のよろずやのようなもので、単なる商店ではなく、生活支援拠点と呼んでも過言ではない。

ところで、コンビニのおにぎりや弁当を製造している会社が先月1日に民事再生法の適用を申請した。この会社は1988年に水産物の製造・加工業として始まり、2004年に食品加工工場を買収、2005年には民事再生法適用を申請した同業他社を買収して冷凍寿司の製造販売に進出、2006年には大手コンビニから10%の出資を得た子会社を設立、同業他社から営業権を取得して千葉県にそのコンビニ専属の水産物加工工場を稼働させる、というように急速に業容を拡大していた。2009年5月期の売上は過去最高の145億2900万円、グループ全体では205億5000万円である。それが、冷凍寿司事業の海外展開で躓き、通貨オプション取引でもこのところの円高で損失を発生させ、急速に資金繰りが逼迫したという。民事再生法適用申請時点での負債総額は92億2200万円で、これとは別に通貨オプション取引の損失があるという。

詳しい事情は知らないが、こうして報道されている情報から察するに、財務の失敗だろう。本業の現場が必死の努力で築き上げた信用とその上に成り立つ収益を、一握りの財務担当が博打のような金融商品で摩ってしまったということではないだろうか。なんとなく、経営者の発想が、コンビニの商品のように中途半端だったのだろうなと感じてしまうのは私だけだろうか。

この会社のウエッブサイトを見ると、デザインには凝っているようだが、中身の無いサイトだ。見てくればかり、それすらも人を食ったような薄っぺらなもので、業容の急拡大と経営者の能力が乖離してしまったことによる倒産という、よくありがちな姿が見え隠れしている。

こういうことを見聞きしてしまうと、自分の生活のなかにコンビニというものをあまり関わらせるのは健康な姿ではないと感じる。

悪態の芸

2010年05月16日 | Weblog
なんとなくの印象なのだが、落語会に来る客は滑稽噺を期待しているように思う。だから、特に観客の平均年齢が高い会場での怪談噺は受けが悪いような気がする。同じように、老化とか死をテーマにした噺も、聴いているこちらがはらはらしてしまうようなこともある。しかし、一方で、そうした際どい話題ほど当たれば強烈に受けるのも確かであるようだ。元来、落語は悪態の芸である。

今日の落語会、中入り前までは無難な演目が続いたのだが、中入り後は葬式の噺と老齢の任侠の噺である。談笑「片棒」は古典だが、単なる古典に終わらせるのではなく、今の時代の要素を盛り込んで、少しはしゃぎ気味に走っていた。「唐獅子牡丹」は創作。三枝の作なのか作家の作なのかは知らないが、よくできた噺だ。

笑いの背後には批判精神がある、ということはよく言われていることだ。笑いに関してはわからないことが多いし、文化によっても笑いの内容は異なるように思う。あくまで自分が属している文化のなかだけのことなのだが、落語にしても日常生活のなかにおいても、滑稽というのは権威が崩壊する様子を指すような気がする。例えば、大人がつまらない遊びの夢中になる様子は「大人」という権威が「遊び」という「大人」に対立するイメージに絡め摂られることによって崩壊するというふうに解釈ができる。笑いを作るという行為は、自分たちを取り巻く権力構造のようなものを読み解いて、そこを微妙に崩してみせることではないだろうか。その崩れがドミノ倒しのように、途中で止まってしまえば「くすっ」で終わり、カタストロフィックな崩壊を見せれば大爆笑ということになる、というのは今のところの私の理解だ。

「唐獅子牡丹」の面白いところは、高齢化ということを社会現象から個人の生活へ落とし込んでいるところにあると思う。このブログのなかで過去に何度も書いているが、人生は不確実だ。一寸先は闇、という言葉があるように、人の生活は不確実性の中にある。しかし、ひとつだけ絶対確実なことがある。それは、死だ。生まれたら遅かれ早かれ必ず死ぬ。ところが、自分の死というのは不思議と意識しないものである。

余命幾許も無いことがわかっている状況にでも無い限り、人は明日とか明後日といった近未来に想定される、しょうもない諸々のことに心を砕きながら生きているものだ。おそらく、自分の死を意識しないのは、精神の安定を維持するための自己防衛本能のようなことなのではないか。人は自分の知らないことを恐れることはできないので、よく巷で言われる「死の恐怖」というのはどこか作り物のような言葉であるように思われる。死を忌避するのは、わけのわからないものはうっちゃっておく、というだけのことに過ぎないのではなかろうか。その「わけのわからないもの」の集大成が宗教や世間の掟のようなものだろう。科学技術が発達して未知のものが既知に変われば「わけのわからないものの」の在庫は目減りしてくるだろうから、その目減りに従って宗教や世間の重みが軽くなるのは当然だ。

さて、「唐獅子牡丹」だが、題名となっているのはいわずと知れた刺青のデザインである。主人公のヤクザの親分は齢90歳。背中の唐獅子牡丹が皺皺だというのである。彼のシマがかつて対立関係にあった組の若い者に荒らされている。しかもその荒らされているという事態を新聞やテレビのニュースで初めて知るという状況だ。組の高齢化で若い組員がいないため、シマの監視ができないのである。若頭は63歳、あいつはどうした、こいつはどうだ、と幹部を数え上げてみたら、最盛期に200名を超えていたはずの組員はわずかに5人。頼りにしていた右腕の幹部は田舎で自給自足の隠居暮らし。今は自分の畑のほうが組のことより大事なので、昔世話をした渡世人に話をしてみたら、というので探し出してみたところ、その渡り鳥も今は老人ホーム暮らし。ホームに外泊届を出させて親分と旧渡世人が対立する組長を襲いに出かける。敵の組長は既に引退して、組は孫が切り盛りしている。その引退しているほうの元組長がこれから襲う相手なのだが、いざというところで相手が心臓発作を起こして急死してしまう。

所謂「任侠物」で、本来ならテンポよく展開するはずの話が、高齢化ということでリズムが崩れ、権威の象徴であるはずの刺青が皺皺、敵は自滅、という具合に、本来そこにあったはずのもの、そこにあって永遠に続くと信じていたものが、うたかたのように消え去ることの哀愁が、笑いに包まれて展開する。この話が何十年か後に古典の仲間入りをするかどうかは知らないが、あるとおもっていたものが幻だった、というのは当事者にしてみれば悲しむべきことでも、少し距離を置いて見れば滑稽でしかないということを巧みに語ってみせる正統派の落語である。悪態のなかに物事の真理のようなものがあるように思う。

本日の演目
月亭方正「猫の皿」
三遊亭王楽「牛ほめ」
桂三若「生まれかわり」
古今亭菊之丞「棒鱈」
(中入り)
立川談笑「片棒」
桂三枝「唐獅子牡丹」

開演 14:00
閉演 16:30

そういう年頃

2010年05月15日 | Weblog
かつての職場の同期の集まりがあって高輪コミュニティーぷらざ内にあるキフキフという店を4人ということで予約した。数ヶ月に一度の割合での寄り合いなのだが、この4人が中核メンバーで、時に応じて増えたり減ったりする。今日は実際に集まったのが2人になってしまった。

18時集合だったので、早めに家を出て美術館のひとつでも寄って行こうかと考えた。ところが、家の中の細々としたことをしているうちに中途半端な時間になってしまったので、少し遠回りをして出かけることにした。15時半頃、家を出た。

高輪コミュニティぷらざは地下鉄の白金高輪駅の上にある。巣鴨から白金高輪までは都営三田線を利用すれば乗り換えなしで乗車時間は25分である。家を出て、巣鴨駅とは逆方向へ向かって歩き出す。少し小腹が空いていたので飛安でたい焼きでも買って、食べながら歩こうと思っていたら、今日は地蔵通りの人出が多いため焼けるまで待たなければならない状況だった。たい焼きは諦めて、そのまま都電の庚申塚駅へ向かう。都電で雑司ヶ谷へ行き、そこで地下鉄副都心線に乗り換えて渋谷へ出るつもりだった。

都電の線路は起伏に富んでいる。乗っているとそれほど気付かないのだが、庚申塚から大塚へ向かって緩やかに下り、大塚を底にして上りに転じ、東池袋4丁目からは再び下りになり、それが神田川まで続く。あとは神田川に沿って終点の早稲田に至る。

東池袋4丁目の次が都電雑司ヶ谷である。単に「雑司ヶ谷」というのではなく頭に「都電」が付いていることに要注意だ。都電雑司ヶ谷と地下鉄副都心線の雑司ヶ谷とはかなり距離がある。地下鉄の駅の上にあるのは都電の鬼子母神前駅である。地下鉄のほうが都電の遥か後に竣工しているのだから、先にある都電の駅名に合わせて地下鉄の駅も「鬼子母神前」とか「鬼子母神下」というようにすればよさそうなものだが、どうしてこのようなことになるのだろうか。

実は、私は「雑司ヶ谷で乗り換える」という頭があったので、都電を都電雑司ヶ谷で下車してしまったのである。下車する直前に次の鬼子母神前で降りたほうが便利であることに気付いたのだが、せっかく下車の合図のブザーを押してしまったので、そのまま降りてしまった。雑司ヶ谷の駅から線路を渡って明治通り方面へ向くと目の前に駐車場が広がる。最終的には他の用途に使われるのだろうが、とりあえず駐車場にしてあるという風情だ。その駐車場の一角にぽつんと蔵が建っている。その風景が妙だったので近くに行って嘗め回すように眺めてみる。何枚か写真も撮る。この付近に限らず、都電沿線、殊に春日通りを渡って目白通りに至るまでの間は地上げしたような空き地が点々と続いている。その空き地が、都電雑司ヶ谷から鬼子母神にかけて、水道工事の現場に変わる。

都電というと路面電車という印象が強く、文字通り路面あるいはそれに準ずる土地を走行するものと思い込んでいたが、雑司ヶ谷から鬼子母神にかけて線路面が土手のように高くなる箇所があり、線路の下を道路が走る現場に出くわした。こんな場所があったのかと、ガード上を走る都電をカメラに収める。

鬼子母神の駅前にReelsというカフェがある。巣鴨でたい焼きを食べ損なったので、ここで一服することにした。カウンターにサイフォンが並び、店の片隅にダッチコーヒー用の大きなサイフォンが2台。豆は自家焙煎。本格的なカフェなのだが、店名が示すように釣具であるリールも販売している。どちらも扱う人のこだわりを感じさせるものだ。初めて入る店なので、ハウスブレンドをいただいたが、深めに煎られた豆を使い、香り・ボディ・苦味のバランスのよい味だ。コーヒーと一緒に注文したはちみつのパウンドケーキも風味豊かで美味しい。美味しいときは店の人にいろいろ尋ねたいことが湧き起こる。サイフォンを使うのは、一人で店をやっているときに複数の客が来て各自別々の注文をした場合でも、待ち時間を最小限にとどめつつそれなりの味のものを提供する最良の方法だと考えるからだそうだ。ハンドドリップだと一杯7分は必要なので例えば3人の客が別々のものを注文すれば、3番目のコーヒーができあがるのは一杯目を淹れ始めてから21分後になるが、サイフォンを複数用意すれば3人分同時進行で抽出ができる。ダッチコーヒーは営業時間外、主に夜に仕込むのだそうだ。これからアイスコーヒーが美味しい季節になるので私もダッチではないが、水出しコーヒーを作るが、それでも8時間は必要だ。もっといろいろ尋ねてみたいことがあったが、客が次から次へと来てしまったので、この程度のことしか聞けなかった。

せっかく鬼子母神前というところに来たので、初めて鬼子母神も訪れてみた。ちょうど境内で子供たちの相撲大会が終わったところで表彰式をやっていた。境内自体は特にどうということはないのだが、参道の風景が面白い。欅並木なのだが、その欅がどれも大木だ。数えることができる程度の本数なのだが、これほどの大木が並んだ姿は壮観で、その上、この通りには個性的な建物が並んでいる。そうしたひとつひとつの建物を眺めるのも楽しい。通りは石畳で、緑のトンネルのような風情なのに歩行者専用ではなくて、一方通行ながらも時折自動車がそろそろと通り抜けるのも生活感があって良い。この通りから路地に入ったところに手塚治虫が1954年から57年にかけて住んでいた並木ハウスというアパートが今でもある。時々、東京R不動産に空家の広告が出ていたりするので、その存在は知っていたのだが、こうして目の当たりにすると骨董品を眺めるような気分がしなくもない。参道に面して並木ハウス別館というものもある。2階建てで通りに面した1階部分には営業はしていないけれど人が住んでいる風、カフェ、営業していないところ、板金業者と4つの区画がある。参道に面した部分はファザードが新しいものになっているが、裏に回ると杉板を貼り並べた昭和風の外観だ。新しくしたファザードもデザイン自体は従来のものを踏襲しているのだそうだ。

鬼子母神を後にして、都電と目白通りが交差する目白通り千登世橋の上で立ち止まり、周囲の風景を十分に眺め回してから、目白通りに面した地下鉄雑司ヶ谷駅入り口に入る。

新しい地下鉄は既存の地下構造物の下に建設されるので、自ずと駅は地下深いところになる。それでもこの駅は副都心線のなかでは浅いほうではないだろうか。土曜の夕方、電車の本数は都心の地下鉄にしては少なく感じられるが、駅構内は閑散としていて、7分ほど待った末に到着した渋谷行きの電車も空席が目立っていた。渋谷駅に着いて妙に感じたのは、案内表示である。東急や地下鉄銀座線と半蔵門線方面への乗り換えは文字が大きくてわかりやすいのに、JRの文字は何故か小さくてわかりにくい。これはどういうことなのだろうか。

渋谷から山手線で目黒に行き、そこから地下鉄で白金高輪に出る。かなり時間に余裕があるつもりだったが、キフキフに着いたのは18時ちょうどくらいだった。

今日は当初4人の予定だったが、当初から1人は親の介護の関係で参加の可能性が低い状態で、別の1人が体調不良で欠席となり半分の2人になった。まず生ビールをいただき、おまかせコースをお願いし、コースのなかの魚料理(ホタテと野菜とバジルのグリル)に合わせて白のグラスワイン、肉料理(鴨のグリル、赤ワインソース添え)に合わせて赤のグラスワイン(こちらのワインは相方のみで、私はパス)をいただき、3時間近く料理と酒と会話を堪能する。私は付き合い程度にしか酒は飲まないのだが、これら三拍子が揃うというのは、そう頻繁にあることではない。会話の内容は年齢に応じてシビアなこともそれなりに織り込まれるのだが、そういうことも含めて、楽しい時間を持つことができるというのは有り難いことである。

キフキフを夜に利用するのは今回が初めてだが、久しぶりに原さんの料理をいただくことができたのも嬉しいことだ。店の営業時間と自分の生活時間とがうまくかみ合わないので、ちょくちょくお邪魔するわけにはいかないのだが、もう少し頻繁に利用できるようなことを考えてみたい。

生活を刷新して2年8ヶ月、帰国して1年5ヶ月、ようやく最近になっていろいろある自分の生活の歯車の一部が噛み合い始めたような心持がするようになった。

器を眺めるとき

2010年05月13日 | Weblog
器を眺めるとき、自然とその器を洗うときのことを想像してしまう。貧乏性というのか所帯じみているというのか、それも個性なのだろう。

よく、器と料理の関係を口にする人がいる。食事というものは単に空腹を満たすものではなく、見た目であるとか場の状況といった全体で旨いとかそうでもないという評価になるのだろう。日頃から旨いものを食べ慣れている人は、食べる直前の状態というものを自然に想像しながら器を眺めるのだと思う。そのような結構なことに馴染みの無い者は自然に洗い物のことなどが思い浮かぶのである。

お茶の稽古をご一緒させていただいている人から勧められて山本安朗氏の個展を観てきた。

山本氏の作品は全て焼締だ。ご本人がおられたのでいろいろお話を伺った。土は琵琶湖近くの鉄分など不純物を多く含むもので、ご自身が気に入った作家が使っている土なのだそうだ。その採取地の近くには大手陶磁器メーカーの採土地もあるという場所なのだそうだ。陶磁器メーカーのほうはより深いところにある不純物の少ない地層から採取していて、山本氏のほうは上層からということだ。焼成は年一回、手製の窯を使って8日間ほどかけて焼くという。そのための薪を集め、薪割をするのに4ヶ月ほど要するのだそうだ。窯のほかにアトリエも轆轤もご自身で作られたという。

焼締の作品というのは、いかにも焼き物らしい野趣がある。好みは大きく分かれるだろうが、私は花器には良いのではないかと思う。食器に使うとなると、少し考えてしまう。扱うのには高台はしっかりとしていたほうが間違いが少ないだろうし、飲食物が納まる内側は突起が無く、できれば平滑であるほうが、使用後の衛生管理上も都合が良いだろう。洗い終わった器を布巾で拭くときのことを考えれば、内側のみならず外側も平滑であるに越したことはない。となると、焼締よりは施釉されているもののほうが使い勝手は良いということになる。

やもめ暮らしで家事を切り盛りしていると、否が応にも動作の自然というものを考えるようになる。それは必ずしも効率第一ということではなく、自分の身体の動きとの親和性のようなものを感じさせる道具類に愛着を感じるということだ。親和性というのは、見た目も重要な要素だが、何よりも使ったときの感触に大きく左右されるものである。さらに欲を言えば、道具類はあくまで道具であるべきだと思うのである。使う人間が主で道具が従という位置関係が崩れると妙な感じになるのではなかろうか。茶道具などには、そう思って見る所為か、存在感の強いものがある。パフォーマンスとして茶会や道具類の鑑賞があるなかで、立派な道具類と向かい合うのは愉快な経験ではある。しかし、日常生活において過敏なまでに扱いに注意をしなければならないようなものがあるというのは快適なことには思われない。勿論、かといって作り手不在の安直な物に囲まれるのも荒涼とした風景だ。自分が心地よい場というものを作り上げるのは、思いの外に難しいことだと思う。

ところで山本氏の作品だが、毎月どこかしらで個展を開く予定だそうなので、何度か足を運んだ上で、ひとつふたつ自分の生活空間のなかに取り入れてみることを考えてみるかもしれない。次回は6月に鎌倉で、その次は7月に青山で個展があるそうだ。

水筒持参

2010年05月12日 | Weblog
週末に近所の西友で水筒を買い、今週から出勤前にコーヒーを淹れて勤め先に持参している。水筒を買おうと思ったのは10日ほど前のことである。コーヒー豆の在庫がたまってしまい、それを消費するためというのがひとつの理由。これまでは、職場近くのコンビニでペットボトルや紙パック入りの飲料を買って飲んでいたのだが、容器から直接飲むという行為がどうもしっくりこないというのがもうひとつの理由である。

勤務先が入っているビルの商店街には雑貨を扱う店がいくつかあり、そこでひと通り商品を検討してみた。さらに隣のビルの商店街にあるロフトも覗いてみて、ある程度商品を絞り込んだ。ロフトで買ってもよかったのだが、キャンプ用品店も覗いてみようと思い、出勤前に神保町に寄って検討を重ねた。最終的に商品が絞られたところで週末を迎え、たまたま歯ブラシとボタン糸を買いに出かけた西友で、その日がセゾンカード利用に限り5%引きの日だったので、ついでに水筒を購入したのである。

タイガーのサハラマグという商品の0.3リットル(MMP-A030)で、同社のカタログによれば4,200円もするようだが、店頭価格が2,170円で、マイバッグ持参割引で2円引きの2,168円で購入した。セゾンカード割引は決済時に実行されるので、ここからさらに5%引きとなる予定である。

なるべくシンプルなデザインで手入れが簡単なものを選んだつもりなのだが、いざ開封して取り扱い説明書を読んでみると、あれはいれるな、これもだめだ、といろいろやかましいことが書いてある。コーヒー以外はとりあえず考えていないので、それでもたいした問題はない。ただ、パッキンは1年を目安に交換しろとある。そんなものなのだろうか。

出勤前にコーヒーを淹れて、水筒に詰め、カバンに入れて持参している。0.3リットルは少し小さいかもしれないと思ったが、使ってみればちょうど良い大きさだ。最初の日である月曜は、大好きなマンデリンを淹れて持参した。昨日はシグリ、今日もシグリで3月に買ったシグリを使い切った。コーヒーを飲むにはちょうどよい温度に保たれていて、使い心地はなかなか良い。マグタイプなので、水筒からそのまま飲むこともできるが、そういうことが嫌で水筒を買ったので、自分で作ったぐい呑みくらいの大きさの器を職場の自分の席に常備して、それに入れながらちびちびと飲んでいる。

はてなの茶碗

2010年05月11日 | Weblog
陶芸を再開して1年、轆轤を挽くようになって半年が過ぎた。これまで、おっかなびっくり作っていたので、たいしたものも無い代わりに、使い物にならないものができあがるという意味での失敗も無かった。それが、今日焼きあがった器で初めて底が抜けているというものが登場した。底が抜けているというと大袈裟なのだが、乾燥段階で底にヒビが入り、そのまま素焼きと施釉を強行したものなので、結果は予想の範囲内なのだが、期待する状態というものが無いわけではなかったのも確かである。

以前、国立近代美術館の工芸館で、磁器の湯呑のような器で底にヒビが走り、そのヒビから薄い水色がかった白マットのような釉薬がはみ出しているというのを見かけた。その記憶がまだ鮮明である頃に、ちょうど自分が作っている器のなかに底にヒビが入ったものが2つあったので、同じような感じになるだろうかと施釉をしてみたのである。素焼きの段階はそれほどとも思わなかったのだが、釉薬をかけて本焼きをしてみると、ヒビが大きくなり、釉薬はヒビにとどまることなく流れ落ちてしまった。

尤も、素焼き段階までは気付かなかったが、本焼きから上がってみると微かにヒビが入っていたという器もあった。これは、照明に透かしてみると底に3箇所のヒビがあることがわかる。そのヒビに釉薬がとどまり、期せずして作ってみたいと思っていたものができた。本当に釉薬がとどまっているのか、穴が開いてしまっているのか、見ただけではわからなかったので、中に水を入れておいて仕事に出かけて帰宅してみると、水は漏れていなかった。釉薬の強度がどれほどなのか知らないが、ちょっと使う気にはなれない代物ではある。

もし、釉薬だけで保たれているところが抜けてしまい、中にある液体が漏るようになったら「はてなの茶碗」とでも名づけてみようかと思う。

「はてなの茶碗」というのは落語の「茶金」という話に登場する茶碗である。そして、「茶金」の茶碗のように出世してくれたら、本当に笑いが止まらなくなってしまうかもしれない。茶碗作りは上手くいってもいかなくても楽しいものだ。

画像の茶碗の概要:
最大直径 145mmくらい (轆轤で挽いたとはいいながら、多少の歪みがあるため「くらい」という表現になる)
高さ 73mmくらい
土 赤土
釉薬 透明釉
焼成 還元

あうる

2010年05月10日 | Weblog
近所に福祉作業所を母体としたベーカリーがあるのを知った。ちょうど明日の朝に食べるパンを買わなければならなかったので、「あうる」というその店でパンを3つ買った。早速、そのなかのひとつを食べてみた。「ツイストココナツ」という名のデーニッシュで、とてもおいしかった。場所がわかりにくいのと、駅から少し離れた場所にあるので、事業としては容易ではないかもしれないが、繁華街に出店しても十分に集客できるパンだと思う。

昔の勤務先の近くに日本財団のビルがあり、その1階に「スワン」というベーカーリー・カフェがあった。こちらも障害者の自立を目的に作られた事業だ。ヤマト運輸の社長・会長を歴任された故小倉昌男氏が私財の過半を投じてヤマト福祉財団を設立、ここが音頭を取り、「アンデルセン」や「リトルマーメード」を展開するタカキベーカリーが協力して事業化したのだそうだ。

障害者だからどうこう、というのではなく、縁あってこの世で生活を共にしているからには、互いが気持ちよく生活できるよう自分なりに考え実践するというのは生活者としての当然のマナーだと思う。障害があろうとなかろうと、生活しているからには自分の生活を支える社会に対する貢献がなくては、生きていているということに関わる負担と恩恵のバランスが感じられないだろうし、そうなればなんとなく生きていて居心地が悪いのではないだろうか。

人も社会も利で動く、と以前にこのブログのなかで何度も書いている。利を得るには、その主体が存在しなければならない。人が人として存在するのは、社会という関係性のなかに組み込まれていればこそである。ロビンソン・クルーソーのような人もいないわけではないだろうが、自分というものは他人の存在と表裏一体だ。他人がいるから、そこに利というものも生まれるのである。自分の内実を豊かにするのは、他人との多様な関係性の在りようだ。銭金ばかりでしか物事を認識できないという人は、その人を取り巻く関係性が貧弱であるということだ。関係性の貧富と経済力の貧富は必ずしも一致しないのである。

私の場合は関係性も経済力も共に極貧だが、この先なにか間違いがあって、自分が起業する機会に恵まれるならば、その事業に関わる人の自負心を刺激して、生きることが楽しいと思えるようなことをやってみたい。自分の在りように自信を持つことができれば、世間に振り回されることもないだろうし、何があっても静かに受け容れる姿勢のようなものが身につくと思う。類は友を呼ぶ、というが、そういう姿勢で生きていれば、それに見合った関係性を構築できるのではないだろうか。

ところで「あうる」だが、場所は巣鴨と駒込の中間あたりである。

Bakeryあうる
東京都豊島区駒込4-7-1
営業時間 11:00~17:00 (但し水曜は16時30分閉店)
定休日 土日祝

「コロンブス 永遠の海」(原題:Cristovao Colombo O Enigma)

2010年05月07日 | Weblog
リテラシーという言葉をこのブログのなかでもたまに使うのだが、これは必ずしも辞書的な意味である「識字」というつもりで使っているのではない。物事を理解する能力とか、その物事の置かれた文脈あるいは背景を汲み取る能力、というようなつもりで使っている。

この作品はポルトガルとか欧州から米国の移民といったことについてのリテラシーが無いと、面白くもなんともないのかもしれない。ただ、画が美しいので、スクリーンを眺めているだけでも楽しいとは思う。どのカットを取り出してみても、それだけでスチル写真の作品集として通用するのではないかと思われるほど映像が美しい。

「コロンブス」は1947年のリスボンの風景から始まる。主人公はこれから米国に移民しようとニューヨーク行きの船に乗るところである。米国は今でこそ世界の中の超大国だが、アメリカ合衆国が成立してわずか234年でしかない。欧州から移民が始まったのがいつ頃のことなのか知らないが、欧州人がこの地を「発見」したのが15世紀の終わりに近いあたりだとされている。その「発見」者についてはコロンブスなのかアメリゴ・ベスプッチなのか、別の誰かなのか、今となっては確かめようがない。その新しい土地に何事かを期するところがあって、欧州の人々は大西洋を渡って行ったのだろう。主人公の移民事情については作品のなかでは「先に行った父が呼んでいるから」としか語られていないが、過去の栄光を示唆する古い建物や彫像類だけが妙に目立つ港の様子は、なぜか哀愁に満ちている。

米国のことはともかくとして、自分の故国を離れて移民をしなければならない状況というものがどのようなものなのか、私には想像がつかない。歴史を紐解けば、日本から外国に移民として渡った人たちは少なくない。その昔、移民船というものがあり、例えば日本からブラジルへの第一回の移民船は「笠戸丸」でその航海は1908年のことであり、同航路の最後の移民船は「あるぜんちな丸」を改装した「にっぽん丸」で1973年だ。子供の頃のお気に入りの乗り物図鑑に掲載されていて今でも記憶にあるのが、この「ぶらじる丸」や「あるぜんちな丸」。80年代に入ると日本から海外への移民は殆どなくなったというが、それにしても日本人移民というのはそれほど遠い昔の話ではない。その移民の子孫が「日系人」と呼ばれているが、日系人人口が最も大きいのがブラジルなのだそうだ。ブラジルの公用語はポルトガル語。

旅行が好きだという人は多いだろう。旅行が楽しいと感じるのは、帰る場所があるからだ。流浪と旅行の違いはこれだけではないだろうか。流浪は楽しいとは感じないだろう。生活の基盤が無いということは自己に大きな欠落を抱えているようなものだ。移民は、移住先に上手く定着できなければ、自分の帰る場所を確保できない事態に陥ってしまう。希望に胸膨らませて移民をした人も勿論少なくないだろうが、その「希望」は現状の困窮の裏返しでしかなかったのではなかろうか。欧州の事情は知らないが、日本には「口減らし」としての移民も多かったという。移民というより棄民に近いものもあったらしい。自分のなかでは「移民」という言葉に悲惨な影がつきまとう。

ところで映画のほうだが、主人公は結局ポルトガルへ戻り、医師として生計を立てる傍ら、コロンブスがポルトガル人であったと信じ、その証拠集めをライフワークにしている。それは趣味というようなものではなく、自らの存在証明のようでもある。ポルトガルの人々にとって海外へ移民するということがどのような意味を持つことなのか、コロンブスがどのようなイメージとして捉えられているものなのか知らないが、おそらく海を越えていくということが琴線に触れることであるように感じられた。ラストの詩はペソアの手によるものだろうか。

「郷愁という言葉。この言葉を紡ぎだした人よ。初めて呟いたその時、涙をながしたことでしょう。」