昨日、近所の道端に生えている蓬を小型のレジ袋一杯分ほど取ってきた。今朝、それを使って妻が草餅を作った。蓬が生えていることに気付いてから2週間ほど経っていて、その間に蓬は当然に成長するので食用にするには立派になりすぎてしまっていた。取ってきたなかから使いやすそうなところを選って、灰汁抜きをして、フードプロセッサーにかけてペースト状にする。葉が若ければ灰汁抜きは軽く済むので風味が損なわれないのだが、立派な蓬の灰汁を抜くと一緒に風味も抜けてしまうので少し残念な状態になる。それでも炊いた餅米に混ぜて搗くと写真のような色鮮やかな草餅になる。もう少し蓬の風味があるとなお良いが、搗き立ては市販のものよりも余程香りが強い。これに缶詰の餡をつけていただく。春の味だなと身体が思っている気がする。桜はほぼ満開。日本の春だ。
天気が良かったので妻と醤油を買いにでかけた。電車を乗り継いで1時間ほどで五日市線の武蔵引田という駅に着く。そこから歩いて10分ほどのところに明治41年創業の醸造業者がある。ここで醤油の作り方を説明することは割愛させていただくが、ここの醤油が旨いらしいという話を聞いていて、いつかその味を経験してみたいと思っていた。勿論、通販も扱っているが、自分の生活圏内にあることがわかっているので、その蔵元とか販売しているところを自分の眼で見てみたいという素朴な思いがあった。ここの醤油は仕込みに使う塩水の量を極限まで少なくしているという特徴がある。味は上品でやさしく、この醤油を使うと他の醤油の塩分の強さに気付かされる。塩水を減らすのは醤油本来の味を追求するためなのだそうで、そういう仕事を食卓で味わうことができるというのは大変嬉しいことである。
せっかくなので醸造所の近所を散策しながら武蔵増田まで歩き、そこから立川に出てルミネのなかに入っている店で昼食を済ます。立川からモノレールで高幡不動へ参詣に行く。その名は以前から知っていたが、訪れるのは今日が初めてだ。これで京王沿線の三古刹を全て詣でたことになる。これまで高尾山や多摩動物園に行くときにここの駅名は気にはなっていたのだが、改めて訪れてみると古刹らしい落ち着いた空気がそこにあった。都心から程よく離れた立地にも恵まれているのだろうが、適度な寂れ具合と手入れの行き届いた境内との組み合わせが心地よい。
妻が聖蹟桜ヶ丘に行ってみたいというので下車する。映画『耳をすませば』の舞台として有名だが、特に何があるというわけではない。私が初めてここを訪れたのは大学生のときにオリエンテーリングの試合でここからバスに乗ったときだ。バスでどこに行ったのかは、今となっては記憶にないのだが、とにかくこの駅だった。二回目は子供が小学生のときに学校の自然観察会で子供に同伴したとき。多摩川の河原で子供と一緒に小動物や植物の記録を取った。そして今回が三回目。特に何があるわけではないだろうと思ったのと、妻はここで下車してみたいだけだというので、駅ビルを一通り見て回って、喫茶店で甘味をいただいてから、上り電車に乗る。
次に東府中で下車して府中市美術館で開催中の「江戸絵画の19世紀」を観る。美術館が立地する府中の森公園には花見客がけっこういて楽しげな雰囲気だ。花は満開ではないが、おそらく来週末だとかなり混雑するだろう。七分咲きくらいの今時分にそこそこに賑やかに楽しむというのは確かにオツかもしれない。
江戸時代というのは鎖国や長期に亘る徳川幕府という史実もあって、封建制の堅苦しい時代という印象を持つ人も少なくないような気がするが、美術品を見る限りではそうした閉塞感というのは必ずしも当たっていないのではなかろうか。狩野派のような御用絵師の世界ではフォーマリティについて事細かな規定があり閉塞状態に陥っていたというような面が皆無ではなかったようだが、それでも浮世絵や琳派のような革新的な表現も生まれている。今日は江戸時代のなかでも19世紀という幕末に近いほうの70年弱に焦点を当てた展示だ。江戸から明治へ、鎖国から開国へという、おそらく怒濤のような変化のなかで、旧来のフォーマリティを超える動きが生まれたという面は勿論あるだろう。しかし、革新というのは降って沸いたように起こるのではなく、それまでに積み重ねてきたものがあり、機が熟すことで起こるべくして起こるのではないだろうか。美術に限らず、物事というのはそうやって積み重ねの上でしか変化のしようがないものだと思う。北斎の大胆な構図や表現に驚いたり国芳のどこかマンガチックな絵に頬が緩んだりするけれど、そこに至る個人やその個人が属する文化の歴史に思いを馳せるとき、そこには真っ当に毎日を積み重ねてきた人々の姿しか思い浮かばない。
外食をあまりしない夫婦なのだが、今日は家の近所の台湾料理屋で夕食を済ませてから帰宅した。
週末から玄関の前の壁に蛾が居る。よく蜉蝣が命の儚さを例えるのに言及されたりするが、蛾の成虫の寿命というのはどれほどなのだろうか。この蛾は昼間とか深夜にどこかへ出かけてここに戻ってくる、というのではなしに、ここにずっと居るように見える。それとも、壁の表面の凹凸が蛾の脚とうまく噛み合って動けなくなったのかもしれない。しばらく様子を見てみようと思う。
落語の「藁人形」というのは怪談でもなければ人情噺でもない落語のなかの落語のようなしょうもない噺だと思う。「糠に釘」というサゲを言うためだけに長い噺が展開するのである。なにか大きな事件があるわけでもなく、日常の風景のちょっとした起伏でしかないようなしょうもないことでどれほど聴く人を惹き付け続けられるか、という噺家の腕が問われる、という意味で落語のなかの落語なのだ。
落語に限らず、なんでもないことをなんでもあるようにすることが仕事というものなのかもしれない。つまり、なんでもないことを語って聴いている人を感心させるのが噺家であり、講釈師であり、小説家であり、詩人であり、評論家であるということだ。当たり前だと思われていることに当たり前ではない理屈をつけるのが学者とか研究者であり、どうでもいいことをさもたいしたことであるかのようにあくせくするのが勤め人であり、役人なのである。結局のところ、個人が生きている場というのはささやかところであり、それを凡人が大きく見せようとすれば滑稽なだけなのだが、名人上手と言われる人はそこに大きな世界とか普遍性があるかのように見せて周囲を感心させるのである。同じネタをどれだけ活かせるか、そこに素人と玄人との越え難い違いがある。
おそらく、なんでもないことというのはないのである。当たり前と思って日々やりすごしていることのほとんどは当たり前ではなく、自分の常識がどれほど「常」なる「識」なのか心もとないものだ。特別なことではない日常のことをひとつひとつ詰めてみれば、それこそ「はじめにことばありき」というような決めや割り切りをしないと、あることを要素に分解し、それぞれの要素を定義し、その定義に使うことばを要素に分解し、というようなことを無限に続けることになる。どこまで続けることができるか、ということが所謂「思考の深さ」というようなものだろう。表層をなぞるだけで終ってしまうのが圧倒的大多数で、深みを見るのが玄人と言えなくもない。なんでもないことは実はなんでもないことではなく、当たり前は当たり前ではないということをどこまで追求できるか、が素人と玄人の違いとも言える。
本日の演目
入船亭小辰 「長屋の花見」
入船亭扇辰 「藁人形」
(仲入り)
入船亭扇辰 「竹の水仙」
開演 13:00 終演 15:15
国立劇場演芸場
修士論文の作成に追われている夢を見た。なぜか指導教授が高校時代の数学の先生で、追い詰められているのにどこか楽しい感じがした。追い詰められているというのは夢として良くないのかもしれないが、なんとなく楽しい感じがあって、寝覚めは悪くなかった。私が通っていた当時の母校は都立校を定年退職した先生が多かった。数学の先生もそうだったし、物理、化学、地理、日本史も然り。定年退職をして、しかも校長まで経験していながら一教科担当として教壇に立つにはそれぞれの事情もあったかもしれないが、教壇に立つこと自体が好きだったのではないかと、今になってみれば思うのである。当時は高校生などというのは教師の言うことなどきいたりはしないものだったが、授業が成立しないほど酷くもなく、なんだかんだ言っても皆そこそこに進学していった。そういうところだった所為もあるだろうが、先生方も教材研究には熱心で枯れたなかにも活き活きとしたものがあったように思う。やはり好きなことをするというのが傍目に与える印象の大きな要素になっていたのではないだろうか。当時は気付かなかったが、今になってみれば先生方の活き活きがわかるような気がするのである。
娘と国立新美術館で「イメージの力」を観てきた。衝撃的だったのは自分自身のことだった。展示の中にベトナムで観光客相手に販売されているという玩具があった。ビールや清涼飲料水の空き缶を材料に作られた飛行機や車といった他愛のないものだ。素材の缶のデザインがそのまま製品に活かされていて、一見してコーラの車だったり一番絞りの飛行機だったりする。それを見て、空き缶が全く違ったものに姿を変えたことに感心してしまった。しかし、アルミ板で玩具を作るときに、たまたま素材のアルミが空き缶だったというだけのことで感心するようなことではない。そこに「一番絞り」とか「Schweppes」とか「Coca-Cola」といったデザインがあるために、それらの素材の以前の用途の印象が喚起されてしまうのである。対象そのものを捉えることができず、素材の転用という感心するほどのことではないことに感心してしまう。そこに自分の限界を見た思いがした。
震災の年に埼玉県立近代美術館でエル・アナツイの展覧会を観た。ワインの瓶の口のところを覆っている金属板を集めて糸でつないでタペストリーのようなものに仕上げた作品を数多く展示してあり、ちょっとした感動を覚えた。そもそも金属なので「金属のような質感の布」というのは妙なのだが、離れて眺めると金糸で織った高貴な人のマントのような風格が感じられたのである。その展覧会の会場でアナツイが自分の作品について語るフィルムが上映されており、そのなかで安価な素材をふんだんに使うことで発想が自由になる、というようなことを語っていたのは今でも記憶している。コストに縛られないというのは創作にとって大きなことかもしれないが、制約のなかでの工夫から創造が生まれることもあるだろう。優れた素材が優れた作品をもたらすという面もあるだろう。考え方の問題と片付けてしまえばそれまでなのだが、素材が持つ、あるいは持っていた意味に、作品を見る側の眼が影響を受けるのも確かなことのように思う。
今回の「イメージの力」にも出展されていて民博の常設でも観たことがあるものに、銃で作った像や椅子がある。これはモザンビークで1975年の独立から1992年まで続いた内戦で残された武器を回収してアート作品にしたものだ。回収方法が興味深い。武器と農具を交換したのだという。モザンビーク聖公会のディニス・セングラーネ司教の発案で始められた「武器を鍬に」と称する運動で、イザヤ書にある「剣を鋤に」という章句に拠るのだそうだ。武器の交換対象は農具だけでなく、ミシンや自転車などもあった。その自転車は日本のNPOが集めた放置自転車が使われた。この運動で生み出された作品のなかで民博に収められることになったもののなかに自転車に乗る家族の姿を表現したもの(作品名「いのちの輪だち」)があるのは、日本から自転車が送られたことに対応する。回収された武器が武器のままでは世の中から武器が消えたことにはならない。それを武器とは無関係なものに転換することで初めて「回収した」と言えるのである。それでこうした作品がたくさん作られて輸出されており、民博のほかに大英博物館なども購入しているという。これはベトナムの観光土産用玩具やアナツイの作品とは違う出自で、むしろ武器が素材になって武器ではないものに転換したということが示されるべきものだ。まさに「イメージの力」である。
目の前にあるものの何を見るべきなのか、作り手の立場からすれば何を見せるべきなのか、人の眼は何にどれほど影響されるものなのか、いろいろ考えさせられる展示だ。
今年から自分のブログに必ず写真を添えることにしている。写真は勿論自分で撮影したものだ。これまで撮りためたもののなかから選んでおり、必ずしも文章の内容とは直接的に関連しているわけではない。それでも何がしかの引っ掛かりのあるものにしているつもりだ。
携帯電話をiPhoneにするまでは通勤カバンにコンパクトカメラを常備していた。使う機会はあまり無いのだが、持っていれば使うだろうという程度のことだった。iPhoneのカメラはかなり画質が良いのでカメラを持ち歩く必要を感じなくなった。それでもたまには写真を撮ろうと思って出かけることもあり、そういう時はカメラを持ち出している。撮った写真はパソコンに入れて処理しているので、パソコンを買い替えたときに消滅してしまうこともある。カメラに使うメモリーカードは保存しているのだが、小さいものなので無くなってしまうこともある。今認識している紛失はカード1枚だけだが、そういうものに限って保存しておきたいようなものが入っていたりする。
以前にも書いたかもしれないが、離婚して子供と離れて暮らすようになって以来、毎年12月に翌年用のカレンダーを作って送っている。毎月、原則としてその月に撮影した写真を使っているので、それなりに撮り貯めておかないとカレンダーを作る時に困るのである。そのカレンダーも昨年12月に送ったもので7つ目になった。毎回、何月の写真が面白かったというようなことを言ってくるので、全部の月が面白かったと言われるようにしようと心がけてはいる。2014年版ではこの写真が良かったそうだ。10月に使ったものだが、撮影は9月上旬だ。10月は適当なものが無かったのである。2015年版ではそういうことがないようにしたいと思っている。
昨日、今年に入ってから作り始めた土鍋が焼き上がってきた。早速持ち帰って粥を炊いて下処理を済ませ、今日の昼に妻と鍋をつついた。妻からは蓋が妙にデカいと指摘されたが、私は市販のものより似非タジン鍋のような大きな蓋のほうが内部で蒸気が十分に対流してよいのではないかと思う。家には無印良品の各種カレーキットが常備してあるのだが、いきなりカレーを作って白マットの鍋が黄色くなってしまうのはいかがなものかという意見があり、近所のスーパーに買い物に出かけてふたりで思いつく材料を買い集めてみた。初めて作った土鍋がひび割れなどせずに晴れて完成したのはめでたい、ということで出汁を鯛のアラで取ることにして、アラだけではなんなので切り身も買って、牡蠣が安売りになっていたので買い、鶏肉もあったほうがいいだろうということになった。野菜は白菜と葱とシメジに、彩りのために人参(花形に切って)を入れた。締めには家にあった冷凍うどん。ふたりで食べるには多いとは思ったが、ほぼ完食してしまった。こうして一度使っただけなのに、土鍋には適度に使用跡がついて貫禄が出た。ものが生活に溶け込んでいく感じが心地よい。
浴室の前にタオルや着替えを収めるために竹籠を買った。あまり竹製品を気にしたことはなかったのだが、先週の日本民藝館での茶話会で参加者の荷物置き用に供されていた籠がよかったので、妻と相談して買うことにしたのである。竹は日本中どこにでもある素材なので、金属やプラスチックが普及する以前は一般家庭のなかで当たり前に使われていたはずだ。金属もプラスチックも元は鉱物であり、大地の産なので大本は竹と同じと言えないこともないが、やはり人間と素材との距離感が全然違う。生活に近いところにあるもので作った道具を使って暮らすというのは、なんとなく安心感があるものだ。竹の場合は、新しいうちは青々としているが、時間の経過に従って枯れて色艶が変わるのも自分に馴染むような心地がしてよいものだ。この竹籠が来年、再来年、その先にどうなるのか、そのときの自分はどうなっているのか、どうなっていたいのか、そんなことを考えるのも楽しい。
このブログのペンネームに合わせたわけではないが、この竹籠は熊本産だ。80ん歳の男性が毎日こつこつと作っているそうだ。籠の隣の椅子のようなものは数年前に私が木工教室で作った最初の作品。その教室で、初心者が木取りの仕方や道具の扱いを学ぶために規定演技のようなものとして課されるものである。椅子として使ったことはなく、何かを置く台としてこれまで使ってきた。シンプルなものなので使い勝手がよくて重宝している。
ミランダ・ジュライの『いちばんここに似合う人』(訳:岸本佐知子、原題:"No one belongs here more than you.")を読んだ。2007年のフランク・オコナー国際短編賞受賞作で、日本語訳のほうも大手書店のスタッフおすすめランキングで2010年に1位となっている。ちなみに2006年の受賞作は村上春樹の『ブラインドウィロー、スリーピングウーマン』だ。肝心のフランク・オコナーの作品は読んだことがないのだが、なんとなくテイストが想像できる。
『いちばんここに似合う人』は所謂「変人」というほどではないが、微妙にずれた感じの人の日常の違和感のようなものを描いている。「違和感」というのは主人公が感じているであろう違和感でもあり、その場における主人公の存在そのものでもある。そういう意味での「違和感」だ。それを主人公の孤独、あるいは単純に人間の孤独、と呼んでもいいかもしれない。登場人物がエキセントリックでも、それを通じて社会や人生に普遍的に存在する違和感を表現しているからこそ文学として成立し、評価されているということだろう。ここに収められている16の短編がどれも等しく面白いわけではなかったが、おそらく翻訳の上手さもあるようで、一気に読んだ。30代、40代ころの自分なら、この作品をきっかけにこの作家の他の作品も読んだかもしれない。今の自分にとっては、とりあえずもうたくさんという感じだ。煩いというか、冗長というか、面白いとは思えても楽しめないのである。
これまでの経験から言えば、人は個人としては取るに足りない存在だが関係性のなかで実在性を得るものだと思う。それをあたかも自分というものに確たる実体があると思い込むところに孤独感を生じる原因があるのではないだろうか。関係性は与えられるものではなく、相互作用のなかで形成されるものだ。「相互」というからにはそこになにがしかの実体はあるのだが、それはありそうでないような見えそうで見えない漠然としたもののような気がする。太陽はガスの塊だというが、そんなイメージだろうか。天体が互いの重力で影響しあうように、人も関係のなかで規定されている。そして、天体の多体問題のように人間関係も解はない。ちょっとしたことで雲散霧消してしまうこともあれば、自覚できない大きな作用によって一定の軌道を歩み続けていたりもする。結局は、自分という絶対的なものがあるのではなく、その時々の相手との関係のなかで立ち位置が決まるものなのだろう。常に変化する状況のなかでの位置決めは容易なことではなく、時に、あるいは常に迷うことにもなる。その迷いが違和感とか孤独感と呼ばれるのではないだろうか。つまり、そういうものがあって当たり前なのである。
当たり前の話を手を替え品を替え目の前に示されると、最初のひとつふたつはよくても、そのうち「もういいよ」ということになってしまう。それは一冊の短編集だけのことではなく、一人の作家の作品全体、一つの国の作品全体、文学というもの全体、…生きることそのものにもあてはまるのかもしれない。
今日は東日本大震災から3年目ということで世間は盛り上がっていたらしい。繰り返しになるが、我が家にはテレビがなく、新聞の類も購読していないので、生活のなかでそういう雰囲気を感じるのである。美術展もそうだが、「没後ン周年」とか「生誕ン年」というような企画をよく目にする。ン年だからどうだということではないだろう。なんとなく耳に残りやすい表現なので、商売のネタに使えそうだ、という程度のことだ。だから、東北のことや震災のことなど普段は考えもしないような人たちが思いついたように被災地に押し掛けて、そこで実際に暮らしている人たちの迷惑も顧みずに親切の押し売りのようなことをして盛り上がる。それもこれも市場原理だ。
何周年とかいうこととは関係なしに震災復興に関連した作業を地道に行っている人たちは当然いるだろう。心ある人はそういうことを殊更に見せびらかしたりはしないのではないか。震災があってもなくても生きている人たちの生活は止まらない。自分の生活の再建をあれこれ考えなければならないので、ただその時々に成すべきことを淡々と積み重ねていくよりほかにどうしょうもないのである。
世間の関心を喚起するという意味では馬鹿騒ぎも必要なのかもしれないが、必要なのは衰退する一方の地方経済の振興策と原発処理だ。震災があってもなくても、それこそ市場原理に従って製造業の生産拠点は海外へ移り、かつて企業城下町の様相を呈していたところほど衰弱が著しい。なかには生き残りを賭けて原発のようなものを誘致して、震災の被害には遭わなくても原発停止による雇用や税収の予期せぬ減少に見舞われているところもあるだろう。今回の震災に関しては福島の原発をどうにかしないことには事は何も進まない。立ち入ることができなければ復興もなにもないのである。今回のような事態に際し、原発あるいはもっと広範にエネルギーをどうするのかという具体的な議論や施策、その需要予測と密接に関連する産業政策や成長戦略、というようなものはどうなっているのだろうか。今存在している原発の運転再開という目先のことも大事なのだが、そういう国家としての戦略や政策が震災後3年を経ても何も伝わってこない。尤も、伝わってこないのは私がテレビや新聞と無縁に生活している所為かもしれないのだが。
人は生まれようと思って生まれるわけではない。気がつけば生きていて、なぜだか知らないが世の中では生まれたこと生きていることに感謝するのが真っ当だということになっている。なんだか産んだ側のエゴを押し付けられているだけのような気がするが、そういうことを表立って主張するのは聞いたことが無い。自ら進んで死ぬことは「罪」であったり、防止すべきことであったりするが、時と場合によっては美しいことであったり賞賛すべきことであったりする。人を殺すと殺人罪になるが、戦時に敵を殺すのは賞賛の対象だ。命というものが尊厳を持つものなら、それは普遍的に尊重されるべきものであって時と場合に左右されるものではないはずだ。生死に関していろいろ言われることには納得できるような理屈もなければ論理的一貫性もない。それが不思議でしょうがない。不思議であるままに自分の人生の最終コーナーをとぼとぼと歩いている。
『八月の鯨』は老齢の姉妹の生活の一場面を描いた作品だ。長い人生の果て、姉は夫を15年前に亡くし、妹は30年前に戦争で亡くている。姉は視力を殆ど失っていて、妹が身の回りの世話をしながら生活している。姉妹とは50年来の友人が近所に住んでいて時々遊びに訪れる。それぞれに伴侶を持ち、それぞれの家族との生活を終え、今はそれぞれが独り身になって人生の黄昏を生きている。その黄昏どうしの共同生活は15年以上に及んでいるようだ。姉妹とは言え、別個の人格を持つ者どうしが暮らしていれば平穏なときばかりはなく、その上、老齢で身体の自由が思うようにならなければ鬱憤も溜まりがちになるのは仕方のないことだろう。肉親であろうとなかろうと、共同生活には喜びも軋轢もある。それでも、伴侶を失って何十年を経ても結婚記念日を同居人が就寝した後にひとりで祝い、この先何年生きるか知れているとわかっていながらも住居の改装を共に考えたりもする。なにがあろうと前を向いて生きていくのは美しく、人生は生きる価値のある素晴らしいものだ、ということなのだろうか。
生活の糧云々以前に、生きることが真っ当なことであると信じないことには生きていられない。その信念の根拠は単なる生存の本能でしかないのではなかろうか。映像作品にはこの作品のように生きること自体を賛美するかのようなものが多いように思うのだが、敢えて賛美するということは賛美に値するかどうか疑念があることの裏返しだろう。自己をひたすらに肯定し、自分の見たいものだけしか見ず、目先のほどほどの困難に対峙して安易に勝敗や成否を問い、ほどほどに満足したり絶望したりしてたいしたつもりになる。勝敗や成否が明らかになったと認識すればそれ以上に思考を進めることはないので、それ以上の世界観の広がりはない。歴史の蓄積のなかで確かに知識は増えただろう。科学技術や学問がそれなりに成果を積み重ねてきたからこそ、生活はたぶん時代を重ねる毎に便利になっていると思う。しかし、諍いは絶えることがない。己の欲求の捌け口を求めて右往左往している。世界に紛争や戦争のない時代はなかったし、これからもそんな時代はなさそうだ。
『八月の鯨』のラストシーンは、若い頃と同じように姉妹が仲良く並んで岬の端に立ち海を眺望する後ろ姿だ。それを美しいと感じるべきなのかもしれないが、苦笑を禁じ得なかったのは私だけだろうか。
数日前に胃のあたりがキリキリ痛んでいたが、今日は便が黒っぽかった。出血があったのだろう。以前にも健康診断で胃に潰瘍の跡があると指摘されたことがあった。意識の上ではストレスというようなものとは無縁の生活だと思っていても、身体は正直にいろいろなことに反応しているのかもしれない。先日も仕事でちょっとしたトラブルがあって徹夜になったが、そういうことはやはり身に応えるのかもしれない。
ところで、消費税増税前に備蓄しておいたほうがよいのではないかと思うものを少し買ってみた。考えてみれば、消費税率が3ppt上がったからといって個人で消費する日用品の出費差などたかが知れている。わずかばかりのことに汲々とするのは身体にもよくない。「塵も積もれば山となる」と言うが、塵が積もると汚いだけということのほうが多いのではないか。もともと、日用品は通りかかったドラックストアでめぼしいものを見かける度に買ってあるので、殊更に買い込むようなものはあまりない。例えば、トイレットペーパー12ロールパックとかティッシュ5箱パックなら200円以下のときは無条件に買っておくことにしている。だから我が家には常時トイレットペーパー12ロールパックが30パック近く、ティッシュ5箱パックのほうは5パック程度が押し入れににある。結局、これまでに消費増税を意識して購入したのは、
液体薬用ハンドソープの業務用4リットル
トイレ用液体洗剤の業務用4リットル
洗濯用粉末石鹸1ケース(900g×8)
襟袖口用洗剤690ミリリットル(230ml×3)
重曹5キロ
くらいのものだ。洗剤関係が多いのは私が家事のなかで主に掃除とアイロンがけを担当している所為かもしれない。このほか、通常の購買サイクルを少し前倒しにしたのは歯磨きくらいか。歯磨きは決まったものがあるので、これもドラックストアなどで1,200円以下なら買うことにしていて、常時3本程度は在庫してある。1,106円というのがAmazonにあったので3本注文した。食品は長期の備蓄には馴染まないので、買い溜めをする予定はない。
昨年、マンションの管理組合の理事会で、消費税増税前に修繕を前倒しで実施するかどうか話題になった。現状で修繕が必要なものがなかったのと、業者の手が混んでいるときに頼むと手抜きや水増し請求がされたりするという管理会社の助言もあり、修繕は当初のスケジュール通りに行うことに決まった。消費税の変動は確かに支出の変動要因ではあるのだが、市場経済における価格決定要素は消費税だけではない。むしろ、基本は需給バランスだ。先のことはわからないが、駆け込んでどうこうなるようなことというのは、実はそれほど無いような気がする。
珍しく仕事で徹夜をした。不思議なもので、徹夜をしなければならない事態の解決に取り組んでいるときは夜中であっても眠気を催さない。徹夜に至った事情にも拠るのだろうが、寝ている場合ではないときは自然に覚醒するものなのかもしれない。なんとか事を収めて朝6時台の電車で帰宅する。始発はもっと早い時間にあるが、乗り換えの接続がよくないので、後片付けをしながら朝6時過ぎに職場を出るようにしたのである。
同じ場所が時間によって全く違う表情を見せるのが面白い。駅も車内も昼間とは雰囲気が違っていて同じ国とは思えないほどだ。早朝の電車でこれから仕事に出かけようという人は当然いるだろうが、東京発の中央線快速の場合には、それらしく思える人は少ない。そもそも東京駅周辺に住んでいる人というのが少ない所為もあるだろう。以前、失業して単発のバイトで早朝からの仕事をしたときには新橋からゆりかもめの始発に乗ったが、そのときはもう少し気合いの入った雰囲気だった気がする。今だからそう思うだけなのかもしれないが。
自宅の最寄り駅に着く頃には通勤通学時間帯に入り、ようやく見慣れた風景になる。街全体が始動せんとしているかのようだ。そういうなかを歩いてくるから徹夜明けは妙に覚醒しているのだろう。家に着いてほっとすると途端に睡魔に襲われる。同じ場所が、時間をずらしてみることでずいぶん違った印象に見える。たぶん、場所だけではないはずだ。自分にはひとつの生活しかないと思い込んでいるが、その気になれば少しずつ違った複数の生活を送ることができるのかもしれない。
『大空のサムライ』を読んで一番印象に残ったのは「あとがき」だった。読み始めて最後になる一番直近の記憶だからという所為もあるだろうが、「運」というものの何事かがそこに雄弁に語られているように思ったのである。著者の坂井三郎は日中戦争から太平洋戦争にかけて200回以上の空戦を闘い、通算64機を撃墜した人物だ。「あとがき」には日頃の心がけのようなことが書かれていたのだが、生活すべてが戦闘機の搭乗員としていかにあるべきかということの実践一色なのである。まず、視力が良くないといけない。そこで、視力低下につながることはしない。例えば、夜更かしや深酒はしない。朝起きてすぐに遠くの樹木を見つめる。街を歩いているときは、遠くの看板の文字を読み取る「訓練」をする。群れ飛ぶ鳥を見つければ、その数をできるだけ早く正確に数える。本を読むときは姿勢に気をつける。昼間に星を探す。また、空中では敵機の動向や味方との連繋も当然ながら、天候という変動要因もあり瞬時に様々なことを判断し対処しないといけない。人間は同時に複数のことは考えられないが、ひとつのことを0.何秒かずつずらしていけば、ほぼ同時に複数ということになると考えてそういう「訓練」をする。蠅やトンボを素手でつかまえる。もちろん、体力と精神力を養うために夏は水泳、冬はランニングも欠かさない。現実にどれほどの時間をそうしたことに割いていたのかは知らないが、日々すべて「訓練」というのは、やはり常人並みではないだろう。それでも、戦闘機の搭乗員は死と隣り合わせだ。それだけの「訓練」を重ねたところで報われるわけではない。
興福寺の解脱上人貞慶に「成否を顧みることなく、深く別願を起こす」という一文があるそうだ。「他ならぬ自分が、仏の世界に至り得るのかどうか。その成否がどうしても気になるのだけれど、そんな成否などあえて顧みず、むしろ、ただひたすらに深く仏の世界を志すのだ。」(多川俊映、興福寺貫首「興福」163号(平成26年3月1日発行)1頁より)という意味なのだという。自分がそうだから他の人もそうだろうと勝手に思うのはいけないかもしれないが、人は易きに流れるものだろう。それにもかかわらず心を励まし何事かに向かってひたすらに思考し行動し続けるということができるのは、その個々の思考や動作の即時的な効果ではなく、それらを蓄積した上での全体に対するイメージがあるからこそ続けることができるのではないか。つまり、成否という皮相な二元論ではなく、大きな世界観のなかで個々の要素やそれらの相互作用というようなものを考えるスケールの大きさがあってこそ、所謂「地道な努力」を続けることができるのではないかと思うのである。
坂井氏については、戦局が最も厳しい時期を負傷のために第一線から離れていたから生き延びることができたという人もあるようだ。しかし、そういう巡り合わせも単なる偶然とは言えないのではないか。そもそも失明するほどの負傷をして乗機を着陸させること自体が日頃の鍛錬の賜物だろう。負傷の結果として戦争を生き延びるというのも、その人の生活の結果なのではないか。天変地異や不慮の災難など個人ではどうにもならないこともあるのが当たり前の世の中なので、個人ではどうにもならないことのほうが多いのが現実と言えるかもしれない。それでも、200万人近い戦闘員が命を落とした戦争を生き抜いたのは運だけではないはずだ。