長谷川等伯展を観ようと思って出かけてみたら、案の定、行列ができていて待ち時間が約70分だという。行列に並ぶということができない性分なので、そこはあっさりと諦めて東京都美術館で開催中のボルゲーゼ美術館展と上野の森美術館のVOCA展を観てきた。
いつも不思議に思うのだが、行列ができる美術展は会場の中に入ると、それほど苦もなく鑑賞できる。勿論、そのために入場規制をして行列ができているのはわかっている。通常、美術展は4部あるいは5部構成というように小テーマ毎にいくつかの区画を設けてある。入場するのに行列ができるものでも、混雑しているのは最初の区画だけで、途中の休憩用の椅子があるあたりを境に観客が顕著に少なくなる。このことが示しているのは、そこに展示されているものが好きで見に来ている人は、実は必ずしも多くはないということだ。「有名だから」「テレビで紹介されていたから」という謂わば名声の確認に来ているだけということなのだろう。極端なことを謂えば行列に並ぶだけで来場の目的はほぼ達しているのである。
極端な例では「モナ・リザ」が来日したとき、会期中の入場者が151万人で歴代の最高らしいが、当時の行列の空中写真を見ると、行列それ自体がひとつの作品のようにも見えるほどだ。それ以前、「ミロのビーナス」が西美に来たときは、83万人の入場者を記録し、日によっては7時間待ちということもあったそうだ。「モナ・リザ」も「ビーナス」もルーブルの所蔵だが、当然ながら、ルーブルでは行列はできない。「モナ・リザ」の前にはかなりの人だかりが常にあるのだが、人の回転が速いので特に待つというほどのこともなく観ることができるし、「ビーナス」なら後ろから前から十二分に堪能できる。
ちなみに、ここ1年以上更新を怠っているサイトがあり、そちらに「モナ・リザ」前の風景の写真を付けている。
http://web.mac.com/nmatch/iWeb/Site1/Blog/B7FE9F26-6079-11DD-9094-00112471E3E4.html
美術展に限らず、身近に行列は数多い。食べ物関係に多いという印象があるが、ラーメン店とかクリスピー・クリームなども、何故行列ができるのか理解できない。「行列のできる店」などと華々しくメディアに取り上げられていた店が閉店に追い込まれたりするのを見聞すると、世の無常というか無情というか、空虚を感じたりもする。新宿のクリスピー・クリームの前にいまだに行列ができているのを目にすると、もし、このままこの人気が衰えなければ21世紀の世界の七不思議として世界中の注目を浴びるようになるのではないかとすら思うこともある。開店直後であるとか何らかのイベントといったもの無しに、店頭にこれほどの客を引きつけているクリスピー・クリームの店舗は同社が展開している世界13カ国の中でもここだけではないだろうか。少なくともロンドンではクリスピー・クリームの店頭に行列ができているのを見たことがない。
閉店に追い込まれた「行列のできる店」は、作っているものが顕著に変化して、その結果として客足が遠のいたというわけではないだろう。新宿サザンテラスのクリスピー・クリームに並ぶ人は、ロンドンのホルボーンで行列のないクリスピー・クリームを見つけたからといって嬉々としてあのドーナツを頬張るだろうか。同じものが異なる文脈のなかで全く違った評価を受けるのは、世の中が関係性というつかみどころの無いもので成り立っていることの証左だろう。それが必ずしも行列に並んでまで体験するほどのものではなく、行列に並ぶことで自分が社会の中に在るということを確認する作業なのではないかと思う。