熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ルーシー・リー

2010年04月30日 | Weblog
国立新美術館で開催中の「ルーシー・リー展」を観てきた。今月頭に開催された東京アートフェスティバルで水戸忠交易がまとまった数の彼女の作品を出していた。その時初めて実物をしみじみと眺めてみた。佇まいが凛としていて美しいと思った。しかし、使える器ではないとも思った。おそらく使う目的で彼女の作品を買う人はいないのだろうが、あまりに華奢で、扱うのに神経をすり減らしてしまいそうだ。事実、「ルーシー・リー展」の展示品には縁が欠けているものがいくつかある。自分は鑑賞陶器には興味がない。生活の中で使われて、その使い手の気持ちをよくさせてナンボのもの、そういうものが物の価値というものだと思っている。それでも、本展は楽しく鑑賞することができた。

全体の構成は初期、形成期、円熟期の3部から成る。形成期と円熟期の間に映像コーナーがあり、BBCの番組「Omnibus」で彼女を取り上げた1982年2月14日放送のVTR約20分が繰り返し流されていた。その映像のなかで印象的だったのは、窯出しをするときの彼女の表情だった。20分間の映像の他のどの場面よりも心底楽しそうに輝いて見えた。彼女の言葉としてしばしば引用されるものに「窯を開ける時はいつも驚きの連続なのよ」というのがあるが、実際の映像を見ればその言葉の意味するところが了解されるような気になる。本展を観るとよくわかるのだが、作品に使われる釉薬は時代と共に変化するのに、造形は殆ど変化していない。極限まで引き伸ばしたような薄さ、独特の緊張感が漂う高台、そして全体の印象といったものは、まるでそうしたものへの信仰があるかのように晩年まで一貫している。それが仕事に対する姿勢の何事かを語っているようにも見え、そうした作品群を観た上で、この映像、特に窯出しのところをみると、仕事とか人生というものは斯くありたいと思わずにいられない。

彼女が生きた時代に、西洋で陶芸家として生計を立てるのは容易なことではなかっただろう。今でこそ陶芸は世界的に芸術としての認知を得ているが、数十年前までは日本以外の国や地域では、陶芸というのは芸術や美術というよりも手工業に近いものと見られ、その結果として陶芸作家も美術・芸術の世界では少し下に見られていた。彼女の年譜を見ると、ウィーン時代に何度か国際的な展覧会で金賞や銀賞を受賞しているにもかかわらず、英国に移住した時点では無名の存在だったそうだ。頼みにしていたバーナード・リーチからも評価されず、ようやく評価されるようになったのはハンス・コパーという仕事仲間を得た40歳代後半になってからだという。それでも、19歳で陶芸を習い始め、88歳のときに脳梗塞で倒れるまでの70年近い長きに亘って、情熱を持って取り組むことのできる仕事に恵まれていたというのは、人として幸せなことと言えると思う。人の一生など、どれほど長命であってもせいぜい100年程度のものだ。これを長いと見るか短いと見るかは勿論人それぞれだが、私には個人の人生など取るに足りないものだと思える。その儚い日々をつまらないことに齷齪して使ってしまうよりも、自分が納得できることに費やすほうがよほど精神衛生には良いだろう。

万葉集にこんな歌がある。

白珠は 人に知らえず 知らずともよし
我し知れらば 知らずともよし
(よみびとしらず)

高校時代の古文の教科書に出ていたものなので、多少違っているかもしれないが、だいたいの雰囲気はこのような感じだった。先生はこの歌を左遷されていじけて詠んだものだとおっしゃっていたように記憶しているのだが、それは違うだろう、と今は思う。

確かに「よみびとしらず」というのは本当に作者不詳であることもあるのだが、政治的に抹殺された立場の人もいるので、不本意な境遇にあった人である可能性は高いだろう。しかし、だからといって「いじける」というような心情であったとしてしまうのはいかがなものであろうか。

既に何度もこのブログのなかで引用している尾形乾山が遺した

うきことも うれしき折も すぎぬれば
ただあけくれの ゆめばかりなる

というのは、自分の人生を真面目に生きぬいた果てに行き着く結論なのだろう。

ねがわくは 花のしたにて 春死なむ
そのきさらぎの 望月の頃

という西行の心境にも通じるものがあるように思う。同じく西行の歌で

春ふかみ 枝もゆるがで 散る花は
風のとがには あらぬなるべし

というのも同じだろう。要するに、人は自然の一部でしかなく、その実体など無いと思うのである。その人生は夢のようなものであり、花のように儚いもので、花が散るのは散るべくして散るのであって、風の所為ではない。だからこそ、世間だの義理だのに煩わされることなく、自分の信じた世界を追い求めてみたいと思うのである。また、そういう自分を持ちたいと思うのである。

ルーシー・リーの作品をこれだけまとまって眺めてみると、そこに一貫した彼女自身の姿が見えるような気がする。もちろん、人間というものをかくかくしかじかのものなどと言語化して表現することはできないのだが、その器に込めた精神のようなものの雰囲気が伝わってくるように感じるのである。

6月下旬からは東京でハンス・コパー展が始まる。こちらも観ないわけにはいかないだろう。

最先端

2010年04月29日 | Weblog
街を歩けば携帯電話や情報端末を操作している人の姿が目立つ。街角や電車のなかでノートPCを開いている人もいる。情報通信機器やインフラの発達でいつでもどこでもネットにつながるようになった。便利なことである。こうした便利なものを駆使すれば世の中の生産性が向上して、新たな事業機会も生まれて、経済が益々活発になって結構なことである、と思うのだが現実はそういうものではないらしい。このところ2009年度の企業決算が相次いで発表され、増収増益という景気の良い話が踊っているのだが、それは単に前年度の数字が悪過ぎたというだけのことらしく、景気が良いという実感を持っている人がどれほどいるものなのか疑問である。少なくとも、日本の経済成長と共に成長し、バブルの崩壊の頃に青年期から中年期へと移り、その後の長期不況と共に加齢を重ねて老年期に入ろうとしている私のような者にとっては、今のこの状況に喜びと夢を感じることは難しい。

情報通信技術が発達して、いつでもどこでも仕事ができ、ひとりひとりの社員の生産性が向上すれば企業は需要動向をより的確に把握して、それに応じて的確に経営判断を下し、企業収益は向上を続けて、そこで働く社員の経済生活も豊かになる。この文章はどこか間違えているだろうか。なぜ、街のあちこちで携帯電話や情報端末を駆使している人がいるのに、世の中はなんとなくどんよりしているのだろう。そんなことを考えるのは私だけで、世間はもっと高揚しているのだろうか。

その昔、科学技術の発達は世界の歴史を変えた。「産業革命」と呼ばれる現象もあった。今も「情報革命」だのと言う人もあるかもしれないが、数値とか文字という媒体で表現される情報が増えたというだけのことで、それを使ってどうこうというほどのことはないのではなかろうか。「情報」とは活用されなければ単なる知識のゴミではないのか。少なくとも私の生活はその「革命」の恩恵も被害も無い。携帯電話は持っているが殆ど使わないし、テレビやラジオといった類のものは無い。家にある電気製品は白物と冷暖房とパソコンだけ。それで何の不自由ない。

科学技術が人の生活を顕著に変化させるのは、何時如何なる時でもというわけではなく、その時々の状況によって変化があるときもあれば無いときもあるということなのだろう。人は生活のなかに普遍的な法則を見出そうとする性向があるようだ。法則性とは予測可能性ということでもある。予見できることを増やすことで安心しようという魂胆だろう。しかし、現実には不確定要因が多すぎて幾重にも仮定を想定しないと成り立たない法則が多いのではないだろか。人類の歴史のなかで比較的容易に発見できるものは発見され尽され、発明できるものは発明され尽くしてしまったということではないのか。勿論、そんなことはなく、世界はわけのわからないことを無尽蔵に抱えていて、今こうしている間にも至る所で世の中の既成概念をひっくり返すような発明や発見の芽が生まれ、なかには育っているものもあるのだろう。

ところで、街のケータイだが、ああいうものを持ち歩き、弄り回していると、自分が世の中とつながっているという幻想を抱いて安心するという人もいるのかもしれない。つながっているから何なんだ、などと尋ねてはいけないことになっているのだろう。近頃は「スマートフォン」などといって、情報端末機能を強化した携帯電話もあるらしい。「スマート」が「smart」ということなら、「賢い」というような意味のはずだが、そうした賢い端末を所有することと所有者の知能との関係性を証明することは不可能だろうし、そういう端末と使うと賢くなる、というようなことも期待できまい。あんなものを使って何をするのだろうと素朴に疑問に思うのは私だけなのだろうか。

ふと、昔のウォークマンのCMを思い出した。

未知との遭遇

2010年04月28日 | Weblog
昨日から雨が降り続いている。木工で先週加工してクランプでとめておいた材料をクランプから外して組み立てていた。同じサイズで揃えたはずなのに、作業が進むにつれて組みにくくなる。雨で湿度が高くなっているので、クランプから外した直後から材料が微妙に膨張を始めているのである。

以前にも書いたように、今、赤松の集成材でレターケースを作っている。今日は引き出しの加工と組み立てだ。引き出しの側板と先板を組んで事前に板に彫っておいた溝に底板をはめ込み、そこに前板を組むのである。側板と先板を組むところには、側板に幅5mm、深さ5mmの溝を切っておいて、先板の両端はこれに合うようにシャクリを入れておいた。最初に仮組をしたときには何事も無かったのだが、ひとつひとつの引き出しを組み立て始めると3つ目あたりから側板と先板との嵌め込みに難渋するようになってきた。膨張するといっても果てしなく膨らみ続けるわけではないので、全部で5つある引き出しの最後の2つが同じ程度に組みにくくなっていた。

集成材は一枚板に比べれば収縮膨張しにくい。それでも、わずかの時間で環境に合わせて動くのである。その動きは木の種類によっても違うし、同じ木でも組織の疎密によって一様ではない。大袈裟な言い方をすれば、同じものというのは2つと無いのである。

陶芸でも同じ土というものはないし、釉薬も使っているうちに微妙に変るものだし、窯の中の温度にしても毎回同じというわけにはいかない。木工や陶芸に限らず物事全て一回性のものの組み合わせなのである。だから、同じことを繰り返しているつもりでも全く同じことというものは無く、そこに不測の事態が生じて、それを無常だの不確実性だのと呼ぶのである。

だからといって、何が起こるかわからないということに焦点を当てて物事を捉えてしまうと、真っ暗闇の中を歩くようなもので、不安でどうしようもない。そこで方便として、科学や宗教というものが発達したのだと、私は思っている。昔「未知との遭遇」という映画があった。地球外に知能を持った生命体が存在するとして、果たして我々はどのようにして彼等と意思疎通を図ることができるものなのか素朴に疑問だが、自分の意にならぬものとの付き合いということだけを取り出せば、我々の生活は毎日が未知との遭遇である。

しかし、おそらく我々自身の自己防衛本能によって、我々は自分の生活が未知のものに溢れているとは考えない。あってもなくてもどうでもよいような理屈だの理論だのを振りかざして、合理性だの理性だのと得々と語って、たいしたつもりになっている。人は見たいものしか見えないという。自分に不都合なものは殆ど無意識のうちに無視をするようにできている。困ったことに、誰にとっても都合のよいものというものもなく、誰にとっても不都合というものもない。都合不都合といったところで、どうでもいいような理屈に裏付けられた浅薄なものでしかない。浅薄だから用意に他者の浅薄と対立する。そこで揉め事や厄介事が起こるのである。そうした厄介を丸く治めるのが政治というものだ。政治がどことなく猿芝居じみて見えるのは、我々の生活が畜生のそれとたいして変らないからだろう。少なくとも、遠い宇宙の彼方からやって来るような高度な知性を持った宇宙人には、そう見えると思う。

挑戦

2010年04月27日 | Weblog
いかに些細なことでも意識的に新しいことを試みるというのは、それなりに緊張するものである。昨年9月から轆轤を挽くようになったのだが、これまでは赤土ばかりだった。私が通っている陶芸教室では来月から赤土の種類を変更することになっており、どちらにしてもいままで扱ってきた土とは別の土を扱うようになる。ちょうどよい機会なので、今日は並信楽を挽いてみた。

信楽は赤土に比べると肌理は粗いが、挽いたときの感触が顕著に違うということもない。結局、いつもと然したる違いもなく器を挽いた。ただ、挽く前段階としての練りだが、これはまだどのくらいの柔らかさに仕上げたらよいものか、感覚をつかみかねている。今日は土練りを2回に分け、最初は単に練るだけにして、2回目は水を加えて柔らかめにした。挽くには柔らかいほうが挽きやすいが、顕著な違いがあるわけではない。水分量よりも練り具合のほうが挽きやすさにより大きな影響を与えるような気がする。あと、練り終えて土塊をまとめるときに空洞を作らないように気をつけることは重要だ。空洞ができてしまうと轆轤を挽くときに中心がぶれてしまう。中心がぶれてしまえば、当然に形はまとまらない。土を柔らかくすると、空洞ができにくくなるので、そういう意味で挽きやすいというのはあると思う。

挽くのは引き続き茶碗に挑戦するのだが、土のほうは信楽とか5月から新しいものになるという赤土を適当に使ってみたいと思う。

新しいことといえば、空豆を初めて鞘ごと茹でてみた。偶然、ネット上で眼にした白洲正子の「京の味 ロンドンの味」のなかに空豆は鞘ごと茹でたほうがおいしいようだと書いてあり、これも偶然、空豆の持ち合わせがあったので試してみたのである。確かに鞘ごと茹でたほうが味に厚みがあるようだ。ただ、個人的には茹でるという調理法はあまり好きではない。なんとなく湯の中に旨味が逃げ出してしまうように感じられるのである。それではどうするかというと、蒸すのである。例えば、アスパラガスはどのような調理法や料理よりも単純に蒸すだけというのが一番旨いと思う。空豆も茹でるよりも蒸すほうがより旨いと思うのである。

蒸すことの発見はロンドンでの生活にある。このブログの2007年9月30日付から2009年1月10日付までがロンドンでの日々のことだが、彼の地に着いて最初の1ヶ月は勤め先が用意してくれたウィークリーマンションのようなところに居たので生活用品は必要十分に揃っていたのだが、その期間が過ぎて自分の暮らしというものが始まると無いものだらけである。尤も、無ければ無いなりの暮らしがある。電子レンジはその最たる例だ。それ以前に日本で暮らしていたときには当然のように電子レンジで加熱や調理をしていたが、それが無い状況に置かれれば、在るもので代用しなければならない。それが借りていた住居に備え付けのオーブンだった。しかし、オーブンではどうにもならないものもある。たまたま住んでいた場所の近くにあるSeeWooという中華食材店で見つけた蒸し器だった。蒸し器といっても鍋ではない。鍋のなかに置いて使う折畳み式の台である。これが重宝で、蒸すという調理法がこれほど万能だということは知らなかった。知らなかったことが不思議なほど万能だ。茹でるのと違って旨味が逃げ出す心配がなく、焼くのと違って余計な油を摂取することもない。食材本来の潜在力を味わうにはこれほど優れた調理法は無いのではないかと思う。そして何より簡単なのである。

なぜ、陶芸で新しい土を使う話が食い物の話になってしまうのかわからないが、取りとめがなくなってきたので、今日はこのへんで筆を置く。

パレード幻想

2010年04月26日 | Weblog
土曜日に平塚から帰る電車の中で、「パレード」のことが話題になった。会話の焦点はいくつかあるのだが、「心地よい人間関係」というのがそのひとつである。得がたいような心地よい人間関係があったとして、その当事者のなかに殺人犯がいたとして、その犯行が世間にばれていないとしたときに、その犯行には眼をつぶって関係を維持するか否か。殺人の理由は単なる通り魔的なものなのだが、犯行の対象が自分にはならないという確信があるとすれば、犯行を知っていても知らないふりをするのか。犯行を知ってしまって、それまでの関係が維持できるのか。あくまで幾重にも仮定を置いた話なので戯言の域を出ることは無いのだが、自分の中での最大の疑問は、そもそも「心地よい人間関係」というものがありうるのかということだ。

関係というのは相手のある話なので、自分だけでどうこうなるものではない。恒常的に心地よかったり不快だったりするものではないだろうし、自己の領域というものは一定しているものでもないだろうから、相手が誰であれ瞬間的に快適だったり苦痛だったりということの繰り返しでしかないようにも思う。結局、相性というものは幻想でしかないのではなかろうか。例えば、家族というのは自然に在るものではなく、各成員がある程度の努力を継続することによって維持される共同体だろう。近頃は結婚しない人が増えているようだが、社会が物理的に豊かになるなかで必然的に自己が肥大した結果として、他者との折り合いがつきにくくなっているという事情があるのではないかと思う。あるいは、物質的な豊かさに比例して感性が鈍くなっていたり、同じことだが、物事を受け容れる間口が狭くなっていたりということもあるだろう。例えば「婚活」という発想自体が不幸なことのように思う。

明日も達者でな

2010年04月25日 | Weblog
先日、「わ~ら~にぃまみれてよ」という話をしたが、近頃日曜日は芋にまみれている。毎週土曜日は実家に顔をだすことにしているのだが、親はあれをもっていけ、これをもっていけと、いろいろ持たせてくれるのである。そのなかに、母親の顔見知りの八百屋さんから頂いてくる太く大きな焼き芋が3本と、そのときどきの果物がある。八百屋の奥さんの実家から送られてくる芋なのだそうで、原価はただだからということで頂くのである。有り難い話である。

私は小さい頃から焼き芋が大好きだ。今は焼き芋売りの声を耳にする機会はめっきり少なくなったが、たまに耳にすると自然に身体が反応して、その声の方角に歩き出す。以前、子供が小さい頃は、その声を聞いて二人で外に飛び出すというようなこともあった。

尤も、近頃は年齢を重ねて、若い頃のような食欲はなくなってしまった。3本も頂くと、一食あたり一本ずつ食べることになり、日曜日は芋だけで食事が済んでしまう。もったいない話ではあるが、三食焼き芋というのは少しなんなので、一食は別の食事にして、それで浮いた一本は月曜日の夕食として勤務先へ持参することが多い。

そんなわけで、明日の夕食は職場の自分の席で焼き芋をいただくことになる。

静物画

2010年04月24日 | Weblog
今日も「長谷川潾二郎展」を観てきた。今日は子供と一緒だ。週初に子供と今日会うことに決めていて、長谷川潾二郎展が面白ければ一緒に行こうと思い、昨日は下見で出かけてきたのである。それと今日はギャラリートークがあるので、それも聴いてみたかった。ただ、平塚市美術館は駅から少し歩くので、天気が悪ければ都内の別の候補地に出かけるつもりだった。幸い天気にも恵まれたのと、子供からの反対もなかったので、予定通り出かけてきた。

ギャラリートークは図録の監修者である土方明司氏。会場入り口から「猫と毛糸」から始まる。取り上げたのは画家の初期の作品をひとまとめにして、生い立ちに触れる。函館の生まれで、画家が生まれた頃の函館という町が、当時の日本のなかでどこよりも西洋化の進んだ地域であったことに触れながら、その影響についての示唆があった。この画家は生涯を通じて画のスタイルがあまり変化していないが、スタイルが確立した頃の作品例として「窓とかまきり」があり、そのモチーフが当時としてはハイカラな窓である理由が、そうした函館という町の様子と関連しているとのことだ。

「窓とかまきり」や「猫と毛糸」の後、長谷川はフランスへ留学する。フランス留学に関連して、当時の日本の画壇でのキャリア形成の典型というものの説明があり、長谷川がその典型からいかに外れているかということを彼の画をいくつか示しながら説明されていた。要するに、西洋絵画の世界に直接触れることで、画家はその影響を大きく受けるものなのだが、長谷川に関してはそれまでのスタイルが大きく変ることがないのである。長谷川は10代の頃こそ、その時代の絵画界の潮流に刺激を受けたと思しき変化が見られるものの、20代に入ると晩年に至るまで大きな変化がない。そのスタイルの確立期の代表作が「窓とかまきり」や「猫と毛糸」であり、集大成とも言えるのが「猫」であり、晩年の静物画であるということだ。

長谷川の作品に独特の不可思議さが感じられるのは、技巧面では消失点がないことに象徴され、思考面では画壇に出る以前に幻想小説家として活動していたことに象徴されるなにかがあるのではないかというような説明があった。確かに遠近法から離れることによる妙な感じというものはあるのだろうが、単にそういうことだけではなく、ひとつの作品のなかでいくつもの焦点が散らばっているような気もする。人間の眼は自分が意識している以上に広い範囲を捉えているが、「見ている」と認識しているのはそのなかの一点である。それが「自然な」視界なのである。写真の場合、焦点は一点に合わされているが、レンズに写っているもの或いは画像記録媒体に写っているものは等しく同じような精密さで記録されている。長谷川の画は意識の焦点のようなものが、観る側の意識の置き方と一線を画しているように思われるのである。そのずれが写実風でありながら現実離れをしているような感覚をもたらすような気がする。

ギャラリートークでは、長谷川作品を集めることの困難さや情報収集の難しさについても語られていた。様々な制約のなかで本展が開催されたわけだが、そうしたことにもかかわらず十分に楽しむことのできる展示内容だと思う。だからこそ、2日連続で足を運んだのであり、子供にも紹介したのである。

ギャラリートークのなかで紹介されていたのだが、この展覧会は5月30日放送予定のNHK「日曜美術館」で取り上げられるのだそうだ。私の巣鴨の住まいにはテレビが無いのだが、巣鴨から比較的近いところにお住まいの方で、「うちに観においで」という気持ちのある方がおられたら是非ご連絡を頂きたい。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/index.html

最後に、静物画について考えたことを記しておきたい。静物画はどれほど写実的なものであっても、画家によって印象が違う。それは筆の運びとか色の選択という明確に物理的な差異も多分にあるだろうが、見ている世界が違うのではないかと思うのである。我々は自分が知覚している世界と同じものをその場にいる他人も同じように知覚しているという前提で物事を考える。現実にそれで不都合はなく、個人間の知覚の差異にこだわっていてはかえって物事が混乱するだろう。しかし、目の前に薔薇の花があったとして、そこに何を見るかは人によって違うはずだ。例えばボタニカルアートの薔薇でも、それは本物のように見えるけれども一見して本物ではないとわかる。ましてや画家が静物画として描く薔薇は、その画家の薔薇であって薔薇一般ではない。長谷川潾二郎が描く薔薇は長谷川だけの薔薇であり、ゴッホが描く薔薇はゴッホだけのものである。認識の仕方に個人差があり、表現にも個人差があるのだから、同じになるはずがないのである。

これは静物に限ったことではないだろう。世の中のあらゆる事象が人によって違ったように認識され、理解され、表現されるのである。その差異の原因は生理的なものの個人差もあるだろうし、個人史の違いに基づく理解の違いもあるだろう。社会はそれを構成する人々の共通認識を前提に作られているが、その「共通」という前提が幻想なのである。世の中に争いごとが絶えない最大の理由が、ここにあるように思う。

薔薇を描いたいくつかの絵画があり、それを観る人は、これは好きだがあれは嫌いだ、などと単なる趣味や感性の問題で絵の違いを論じることが多いように思うのだが、同じものが同じに表現されていないという事実が、社会の調和というものが困難であることの何よりの証左であると言えるのではないだろうか。

猫の髭

2010年04月23日 | Weblog
平塚市美術館で開催中の「長谷川潾二郎展」を観てきた。平塚は自分の生活圏外なので足を運ぶことは無いのだが、何年か前に同館で開催された「山本丘人展」を観に来たときに印象の良い場所だと感じた。初めての土地を訪れたときに、なんとはなしに感じる心地よさとか不快さというものがある。特別な理由があるわけではないのに、好きな場所もあれば嫌いな場所もある。不思議なことである。

この展覧会のことは都内のどこかの美術館にあったチラシで知った。長谷川潾二郎という名前は聞いたこともなかったのだが、そのチラシに載っていた絵に心引かれるものを感じて出かけてきたのである。

チラシの表面は「猫」という作品だ。画家が飼っていたタローという名の猫だそうだ。実物は6号の大きさのカンバスに描かれている。背景はエンジの床と鼠色の壁、その境目で縞模様の猫が気持ち良さそうに眠っているという画である。猫の丸まり具合というか伸び具合というか、そうした形と猫の毛の色艶の様子と、それらの全体のなかでのバランスと、諸々があって惹かれたのだと思う。展示会場では終わりに近いほうの一画にある。作品の隣には画家の手になる「タローの履歴書」というものの拡大コピーが展示されている。ただの猫ではなく、画家に愛されていた猫なのである。その眼差しがあればこそ、画家と猫との関係とは無関係な第三者の眼を惹き付ける作品になるということなのだろう。

この猫には片側の髭しか描かれていない。しかも、身体を覆う毛の緻密な表現に対して、髭は取って付けたような簡略な表現である。この髭を巡って評価は分かれているのだそうだ。この作品はこれでよい、とする派と、髭は蛇足だとする派である。そのような話を聞くと、髭のない版というものが存在しない以上、髭の有無を論じることは現実と空想との対比でしかないのだから、そもそも論じようが無いのではないか、と私などは思ってしまう。展示会場の最初に飾られているのは「猫と毛糸」という、やはり猫を描いた作品だが、こちらの猫には髭がない。それでも「猫」と比べると、全体として写実性の薄い作品なので髭が無いことに然したる違和感は覚えない。「猫」の場合は猫の身体の完成度に対して髭の表現が適合していないから問題視されることになるのだろう。要するに作品を構成する諸要素間の関係が調和しているのかいないのか、いないとすれば何が問題なのか、という議論なのだろう。門外漢の私がとやかく言うことではない。言えるのは、この画が好きだということだけだ。

初めて出会う作家であったのと、惹かれる作品が多かったので、図録を購入した。この図録には画家が書いた文章も収録されている。パネルにして展示会場に掛けられている文章は当然全て収められているが、「写生を見る人々」と「タローの思い出」というまとまったものもある。画もさることながら、文章も面白い。自分の世界というものをしっかりと持ち、その世界をしっかりと生きているという凛とした姿勢が伝わってきて、読んでいて気持ちがよい。

祝新装開店

2010年04月22日 | Weblog
巣鴨地蔵通り商店街で暮らしている。天気に恵まれれば平日でもかなりの人出のあるところだが、正直なところ、常連になりたいと思うような店はそれほどない。商店街といっても、毎日の暮らしに根ざした商品を扱っている店よりも観光地の土産物のような印象の店が多い。夕方4時を過ぎると人通りは顕著に少なくなり、5時には半分程度の店はシャッターを下ろしてしまう。巣鴨名物といえば塩大福だが、毎日食べるものではないだろう。例外的に夜遅くまで客足が絶えないのは定食屋の「ときわ食堂」くらいではないだろうか。イタリア料理屋の「イル・ドゥ・ジョーヌ」は個人的に好きな店だが、生憎、自分の生活時間と店の営業時間とがかみ合わず、まだ数えるほどしか訪れていない。地蔵通り商店街から少し外れているが、眞性寺の脇の道を行ったところにある手延べうどんの「たなかや」とか、その先のアジア料理店「くまさん」もおいしい。

私は佃煮というものを買ってまで食べたいとは思わないので、利用した経験が無いのだが高岩寺の向かいにある「佃宝」は「芸術新潮」の4月号に紹介されていた。おいしいのだそうだ。

地蔵通り商店街以外にも巣鴨には商店街がある。商一商店会のほうは自分の行動範囲から外れているのであまり出かける機会が無いのだが、「cha ba na」のランチメニューにあるビルマ素麺が好きだ。メニューのなかでどのような名前がついているのか、俄に思い出せないのだが、自分の頭の中には「ビルマ素麺」という名前が付いて記憶されている。ビルマで食べられているものだそうだ。麺は日本の素麺を流用しているように感じられるのだが、つゆがカレー味のエキゾチックな雰囲気のもので、なんとなくほっとするような味なのである。

そして、ようやく今日、新しいお気に入りの店ができた。「ハニービーンズ」というコーヒー豆の店で、眞性寺脇の「たなかや」の並びに開店した。この店はこれまで店主の自宅で営業していたのだが、店舗を構えて営業するようになったのである。店主の羽入田さんとは昨年4月に「グラウベル」のテイスティング教室で知り合った仲である。「グラウベル」というのは梅が丘でコーヒー豆の焙煎をしている狩野さんが経営している会社(?)だ。

さて、「ハニービーンズ」だが、豆売りが基本だが、飲食スペースも少しだけ設けてある。店内のレイアウトに再考の余地が無いわけではないのだが、全体としては落ち着いた雰囲気で良いと思う。

コーヒー豆を買って自分で挽いて淹れる人口がどれほどあるものなのか見当もつかないが、それほど大きな市場とは思えない。とはいえ、以前にこのブログに書いた記憶があるのだが、武蔵境の「ミネルヴァ」などは「焙煎するそばから売れちゃうの」というくらいに繁盛しているらしいし、職場が入っているビルの地下にある成城石井でもコーヒー豆を買っている人をけっこうよく見かける。限られた経験から言わせてもらえば、コーヒーに凝る人というのは変人が多い。何がどう変っていると明快には説明できないのだが、コーヒー関係のことで出会う人は、自分の世界を持っていて、それが世間の平均と少しばかりずれているという感じなのである。結局、コーヒーを淹れるのは自己表現なのである。そのことに目覚めた人がコーヒーに凝るので、特殊な市場が形成されるのだろう。

なにはともあれ、自分の知り合いが新しいことに挑戦するというのは、我が事のように嬉しくもあり、心配でもある。開店日の今日、出勤途上でこの店に立ち寄ったのだが、素直に「おめでとう」とは言えなかった。経営が上手くいかなかったらどうしよう、そうしたらちっともめでたくなんかないよな、とかいろいろなことが頭をよぎる。店に入ったとき、ちょうど羽入田さんがなれないレジの操作でまごついているところだった。領収書の発行を待っている客があり、やや取り込んでいる雰囲気だったので、余計なことは口にせず、店内や棚に並ぶ豆の入ったガラス製のキャニスターを眺めて、場が落ち着くのを待った。ようやく領収書がレジからにょろにょろと出てきて一件落着したところで、何事も無かったかのようにマンデリンの入ったキャニスターを取り上げて、「これ200ね」といつものように話しかけた。店のことについての会話も当然にあったが、結局「おめでとう」とは言わなかった。それが心残りでもあるので、今日のブログのタイトルは「祝新装開店」とした。もし、コーヒー豆を買って自分で淹れるというなら、是非一度、「ハニービーンズ」の豆を試して頂きたい。

店はJR巣鴨駅から徒歩5分、都営地下鉄巣鴨駅のA3出口からだと徒歩2分。営業時間は平日が7時半から21時まで、土曜は11時から21時まで、日曜祝日は11時から18時までだそうだ。店の詳細はhttp://www.honeybeans-sugamo.com をご参照頂きたい。

南回り

2010年04月21日 | Weblog
アイスランドの火山の噴火で滞っていた欧州上空の交通が漸く動き出した。これに先立ってアリタリアが南回りで日本とイタリアを結ぶ便の運行を再開していたが、南回りと言っても昔の「南回り」ではない。火山灰の影響を避けて南寄りの航路を取るという程度の意味だろう。

その昔、日本と欧州を結ぶ航空路は航空機の航続距離の制約でアンカレッジ経由の北回りとアジア中近東を点々と経由する南回りとがあった。私が学生の頃は既に直行便があったが南回りもあった。外国というところに行ってみたいと思っても、不思議とアメリカという場所は頭に上らず、欧州か南半球という選択肢で考えた。厳しい予算の制約の下では、欧州というのは実現性に乏しいものであったが、南回りの便を使えば可能性が無いわけでもなかった。空路と陸路を組み合わせるということも、シベリア鉄道を利用して陸路で行くということも選択肢として無かったわけではない。現に1985年3月にインドを旅行したときには、カルカッタでロンドンからバスを乗り継いでカルカッタまで来たという日本人旅行者と出くわして、カルカッタのチャイナタウンで一緒に中華丼を食いながら話をしているのである。このブログの1985年3月16日付「カルカッタも暑い」にその時の模様が記してある。

結局、生まれて初めて海外の地を踏んだのは、台北の中正国際空港(現 桃園国際空港)だった。空港の中だけである。1984年3月のことだった。オーストラリアへ向かう途中だったのである。マレーシア航空を利用して往復したのだが、往路は成田を発って福岡、台北、香港、ペナンを経由してクアラルンプールへ。そこで一泊して翌日の便でシドニーに着いた。復路はメルボルンを発ってクアラルンプールで一泊。翌日の便で香港、台北を経由して成田に着く予定だった。ところが機体の不具合で出発が遅れ、成田の営業時間内に辿り着けないということになり、台北で運行を一旦休止し翌朝早くに成田へ発つことになった。台北の空港内にあるホテルで一泊したのだが、チェックインが深夜で午前3時半にはチェックアウトという慌しさだった。

ちなみにオーストラリアでの滞在期間は約1ヶ月。日本を発つ前に手配しておいたGreyhoundという長距離バスの乗り放題チケットを使ってシドニーを起点にキャンベラ、ブリスベーン、アリス・スプリングス、エアーズ・ロック、アデレード、メルボルンとまわってきた。ブリスベーンからアリス・スプリングスまでは砂漠に近い乾燥地域なのだが、そういうところにたまに雨が降ると厄介なことになる。その厄介に遭ってしまって、ロングリーチという町で丸一日足止めを食らうことになったり、ホテルが無くて他人様の家に一晩厄介になったり、多少の不都合はあったが総じて愉快な経験だった。

さて、普段当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなってしまうと、日常に混乱をきたす。天変地異に限らず、我々の生活は常に不確実性に対峙している。「備えあれば憂いなし」というが、備えたくとも備えようのないことはいくらでもある。当たり前に運行されていると思っていた航空交通が麻痺してしまったとき、ひとりひとりにできることは結局のところ復旧を待つだけなのである。物事が思うようにならなくなってしまったとき、打開策を探る努力や能力は勿論必要なのだが、思うようにならないという状況を素直に受け止めて、その状況のなかで自分にできることをひとつひとつ試してみて、それが上手くいったりいかなかったりということを面白がる姿勢も、心地よく生きるには必要なのではなかろうか。目先の目的が明確なら直行便的思考は勿論合理的だ。しかし、その目的とやらがどの程度のものか再考してみれば、存外にどうでもよいことであったりすることもあるだろう。何が何でも直行便、何が何でも北回り、それが常識、というのではなく、南回りの途を考えてみたり、行くのを止めてしまうことを考えるというのも現実的な態度であると思う。人生どんなに引っ張ったところで高々100年かそこらのものだろう。あたふたしながら時を過ごすより、楽しく生きたいものである。

アリバイ

2010年04月20日 | Weblog
以前にも書いた記憶があるのだが、領収証の類は全て保管してある。何気なく、それらが貼り付けてあるスクラップブックを眺めていると、レシートに日付だけでなく時刻も刻印されているのに気がついた。これらを時間順に並べたら何か面白いことがあるかもしれないと思い、並べ変えてみた。勿論、全てのレシートに時刻があるわけではなく、レシートの無い取引もあるので、厳密にというわけにはいかない。さらにスイカの履歴も参照した。スイカの履歴は何かソフトがあれば時刻までわかるのだろうが、そういうものは持っていないので、駅の自販機で印字したもの(これもスクラップしている)を見た。

結論から言えば、平日昼間が自由の割に、その自由時間を十分活用できていないような印象を受けた。勤め人なのだから当然なのかもしれないが、どうしても規則性が生じてしまう。もう少し、いろいろなことを試みてみることができそうな気がしてしまうのである。

2010/4/1 21:08 東京都千代田区 えん     食費
2010/4/2 19:18 東京都千代田区 神戸屋レストラン 食費
2010/4/4 0:00 東京都豊島区 豊島区巣鴨体育館 教養娯楽
2010/4/4 16:48 東京都立川市 一六珈琲店 食費
2010/4/5 16:32 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/5 19:35 東京都千代田区 成城石井     食費
2010/4/6 13:13 東京都豊島区 西武百貨店 教養娯楽
2010/4/6 19:49 東京都千代田区 えん     食費
2010/4/6 22:33 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/7 0:00 東京都東村山市 木工屋木楽 教養娯楽
2010/4/7 19:16 東京都千代田区 神戸屋レストラン 食費
2010/4/7 20:33 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/8 15:08 ネット e-tix          教養娯楽
2010/4/8 19:36 東京都千代田区 えん     食費
2010/4/9 0:00 東京都豊島区 豊島区巣鴨体育館 教養娯楽
2010/4/9 16:44 東京都文京区 靴専科     衣料品
2010/4/9 17:09 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/9 20:26 東京都千代田区 神戸屋レストラン 食費
2010/4/10 0:00 東京都千代田区 国立劇場 売店 食費
2010/4/10 19:50 東京都千代田区 セブンイレブン 手数料
2010/4/11 0:00 東京都豊島区 豊島区巣鴨体育館 教養娯楽
2010/4/12 0:00 東京都北区 カイロプラクティック 健康管理
2010/4/12 0:00 東京都千代田区 自動販売機 食費
2010/4/12 16:23 東京都豊島区 ヤマト運輸 通信費
2010/4/12 19:35 東京都千代田区 神戸屋レストラン 食費
2010/4/12 20:27 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/13 0:00 ネット     福利厚生倶楽部 教養娯楽
2010/4/13 13:49 東京都豊島区 Shanti     食費
2010/4/13 14:11 東京都豊島区 ブーランジェリー トースト 食費
2010/4/13 19:16 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/14 0:00 東京都東村山市 東村山駅売店 食費
2010/4/14 0:00 東京都東村山市 まるみ     食費
2010/4/14 19:55 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/15 14:30 東京都豊島区 ヤマト運輸 通信費
2010/4/15 14:59 東京都千代田区 三菱一号館美術館 教養娯楽
2010/4/15 0:00 東京都千代田区 A&Dオーディオガイド教養娯楽
2010/4/15 16:59 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/15 19:14 東京都千代田区 成城石井     食費
2010/4/16 13:12 東京都豊島区 ヤマト運輸 通信費
2010/4/16 16:54 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/16 20:19 東京都千代田区 えん     食費
2010/4/16 21:28 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/17 0:00 東京都台東区 茶道教室     教養娯楽
2010/4/17 14:33 東京都豊島区 ヤマト運輸 通信費
2010/4/18 12:26 東京都豊島区 ヤマト運輸 通信費
2010/4/19 0:00 東京都豊島区 豊島区巣鴨体育館 教養娯楽
2010/4/19 16:28 東京都文京区 靴専科     衣料品
2010/4/19 20:19 東京都千代田区 成城石井     食費
2010/4/19 21:05 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/20 12:47 東京都豊島区 西武百貨店 教養娯楽
2010/4/20 16:11 東京都豊島区 ヤマト運輸 通信費
2010/4/20 19:00 東京都千代田区 セブンイレブン 食費
2010/4/20 21:57 東京都千代田区 セブンイレブン 食費

時刻がゼロ表示になっているものが、領収書に記載のないもの或いは領収書そのものがないものである。2月28日付「Big Brother」にも書いたように、少なくとも件数ではセブン・アンド・アイ系列のセブンイレブンと西武百貨店での出費が多い。西武百貨店は書店のリブロの利用である。

この期間にたまたま利用しているのは靴専科での靴修理と落語を聴きに出かけた折に利用した一六珈琲や国立劇場売店などだ。

ヤマト運輸はアマゾンでの中古本の売却の際に利用しているものである。大型の辞書や写真集は日本郵便のゆうパックを利用するのだが、ありふれたサイズの書籍は割安なメール便を利用している。

この期間は1件しかないが、美術館は比較的よく足を運ぶ。その際、音声ガイドを利用しているので「オーディオガイド」というのはその音声ガイドのことである。殆どの場合、音声ガイドは500円だ。企画展の多くは入場料が1,500円なので割高に見えないこともないのだが、絵には必ず背後に物語を抱えており、それを知っているのといないのとでは見えるものがまるで違ってくることもある。そうした知識の豊かさを考えれば500円というのは取るに足りない金額である。

「神戸屋レストラン」とあるのはレストランで食事というわけではなく、売店でサンドイッチと朝食べるパンを買うのである。パンは成城石井にあるベッケライ・サトーのパンを買うこともある。「ベッケライ」から想像がつく人もいるだろうが、このパンはドイツパンだ。おそらくドイツパンというのは日本ではそれほど市場が無いのではなかろうか。昔、NHKの朝ドラで「風見鶏」というのがあって、その舞台が神戸のパン屋だった。その時にドイツパンというものを食べたときは全く美味しいとは思わなかった。ライ麦の風味が強すぎて、それまでの自分の味覚とは相容れないものを感じたのである。その後、20代半ばにアウグスブルクでホームステイをする機会があり、ドイツパンの食べ方というものを経験してからは、すっかり好きになった。日本ではアウグスブルクで食べていたようなパンを見かけることが少ないのだが、ベッケライ・サトーのパンを見つけたときに琴線に触れるものがあり、食べてみると果たして期待通りの味だった。どのようなベーカリーなのだろうかとネットで検索をしてみるとウエッブサイトがあり、なんとなく作り手の雰囲気が伝わってきた。私が勝手に想像しているだけだが、おそらく職人気質の人が作っているのだろう。http://homepage3.nifty.com/panyanosato/

スイカの履歴は、あまり面白いものが無かった。

お買い上げいただきありがとうございます

2010年04月19日 | Weblog
4月12日付「売れ筋」に住宅関連の書籍が比較的よく売れると書いたが、アマゾンのマーケットプレイスに出しておいた書籍が、あれから立て続けに4冊売れた。少し気になったので、今年に入ってから売れたものを確かめてみた。

4月出荷分
Pen (ペン)  やっぱり好きだ! 草間彌生 2010年 2/1号 [雑誌]
Pen (ペン)  美の都、ウィーンへ。 2009年 10/15号 [雑誌]
「サザビーズ 「豊かさ」を「幸せ」に変えるアートな仕事術 」[単行本] by 石坂 泰章
「永沢まことのとっておきスケッチ上達術 」[単行本] by 永沢 まこと
Pen (ペン)  こんな家に暮らしたい。 2010年 4/1号 [雑誌]

3月出荷分
Pen (ペン) ワイン選び最強の法則。 2009年 10/1号 [雑誌]
TITLe (タイトル)  ニッポン縦断! 建もの探訪。 2006年 11月号 [雑誌]

2月出荷分
「パパ・ヘミングウェイ」(紙ジャケット仕様) [CD] 加藤和彦; やすいかずみ
「ベル・エキセントリック」(紙ジャケット仕様) [CD] 加藤和彦; やすいかずみ

1月出荷分
「Martin Parr」 [ペーパーバック] by Williams, Val
「大和よ武蔵よ ~吉田満と渡辺清」 [単行本] by 勢古 浩爾
Pen (ペン)  ロンドン新世紀。 2008年 2/1号 [雑誌]
「さらばヤンキース―我が監督時代 」[単行本] by Torre,Joe; Verducci,Tom; 恵理, 小坂
「きのうの神さま」 [単行本] by 西川美和
Pen (ペン) やっぱり、鉄道は楽しい。2009年 6/15号 [雑誌]

Penという雑誌が多いのは、定期購読をしているからだ。この雑誌を知るきっかけになったのは、職場のあるビルにあるラウンジに常備されているのを手にしたことである。面白い記事が多いと感じたので定期購読を始めたが、いざ始めてみると毎号買うほどのこともないと思うようになり、更新しないことに決めた。だから、もうしばらくするとアマゾンに売りに出すPenはなくなるので、今のような売れ行きにはならなくなると思う。

2月に売った加藤和彦のCDは、昨年10月に氏が自殺したという報道に触れて購入したものである。名前はよく耳にしていても、どのような音楽を作る人なのか知らなかったので、その自殺がきっかけで興味を覚えて購入してみたものである。「パパ・ヘミングウエェイ」「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」が三部作と呼ばれているのだが、「うたかたのオペラ」は絶版になっていて新品では入手できなかった。それで残りの二作だけ購入してみたのである。ジャケットのデザインもよく、音楽も気に入らないわけではなかったが、手許に残すほどでもないと思い、売ってしまった。

売却価格だが、原則として購入した価格の半値で出すようにしている。アマゾンのマーケットプレイスでは送料は一律340円の買い手負担なので、ものによっては新品よりも高くなってしまう。私の手垢で汚れたものをそのような値段で買っていただくのは心苦しいのだが、私のほうも慈善事業ではないので梱包費用等を含めて少なくともトントンになる程度の値段で売るようにしている。結果として、雑誌や新書なら300円、単行本なら500円が下限ということになる。売りに出すときは他の出品者の売値も参考にするので、そうした目安よりも高く売れるなら素直に高い値付けをする。

例えば、Penのロンドン特集号は定価で売れたし、同じくPenの草間彌生の号とワイン特集も定価に近い価格で売れている。4桁の価格で売れたのはCDとマーチン・パーの写真集、「さらばヤンキース」「大和よ武蔵よ」だ。「さらばヤンキース」はヤンキースのトーリ前監督が書いたかのような帯が付いているが、殆どの部分はジャーナリストであるトム・ベルデュッチの手によるものである。しかも翻訳がかなり酷い。松井がいなければ絶対に日本語版は出版されなかっただろうし、出版されたとしても売れなかったと思う。物の価値が、それを取り巻く関係性のなかで規定されることの好例といえるだろう。

なにはともあれ、お買い上げいただいた皆様、ありがとうございます。またご縁がありましたらよろしくお願い致します。

一言の力

2010年04月18日 | Weblog
埼玉県蕨市といえば私のホームグランドのようなものだ。生まれたのが市内の某産婦人科で、3歳までは隣の川口市、3歳からはやはり隣の戸田市に住み、今も実家は戸田市である。今も昔も貧しい家なので、子供の頃は暑い日に涼を求めたり寒い日に暖をとりにヨーカドーをよく利用した。階段の踊り場にあったベンチでぼーっとしていたものである。ヨーカドーは蕨(現 ザ・プライス蕨店)と西川口(同 西川口店)が守備範囲内で、たまに川口(同 川口店)や浦和(今でもイトーヨーカドー)まで遠征することもあった。今は蕨駅東口に須原屋があるが、当時は戸田にも蕨にも大型書店が無く、本を買うときは蕨駅西口から中山道に向かって伸びる商店街のなかにある志誠堂をよく利用した。決して大きな書店ではないのだが、当時の自分の行動圏ではここでも十分「大型」であった。この志誠堂の裏にNTTがあるのだが、志誠堂とNTTの間の道を駅を背に歩くと蕨市民会館につきあたる。今日はここで開かれた「林家たい平・柳家喬太郎二人会」を聴きに出かけてきた。

喬太郎を生で聴くのはこれが初めてだったが、演目「ハンバーグができるまで」のサゲが素晴らしいと思った。新作を聴くのも何年か前に志の輔をパルコ劇場で聴いて以来であるような気がする。噺のサゲは当然ながら一言だ。その一言で、そこに至るまでに聴衆の頭のなかに出来上がった世界を崩してみたりひっくり返してみたりするのである。この噺には世話焼きの近所の商店街の人々が登場し、その人たちと主人公とのやりとりが時間配分的には多くを占めるが、それはあくまで風景描写だ。主旋律とも言えるのは主人公と何の前触れも無く訪ねてきた彼の元妻とのやりとりである。かつては夫婦であった男女の間に漂うぎこちない雰囲気が上手く表現されている。離婚に至った事情については何の示唆的会話もないのにその事情が何とはなしに透けて見えるような微妙なやり取りも絶妙だ。しかし、あくまでも噺の中心にあるのは主人公の視点であり、作者である喬太郎の視点でもある。この点、私は男性なので素直に感情移入できるのだが、女性はどうなのだろうかとも思う。そしてサゲだが、元妻が作ったハンバーグと付け合せのブロッコリーと人参のグラッセを前にした場面である。元妻が突然訪ねてきたのは、再婚の報告をするためであったことがわかり、主人公は落胆し元妻を追い返してしまう。その後、食卓に残された大嫌いで食べようとしたこともない人参を鼻をつまみながら無理に口に入れる。そしてサゲの一言になる。その一言で、別れてから5年間やもめ暮らしを続けていた主人公の心情も、離婚に至った事情の片鱗も、元妻が再婚するに至ったことも、その再婚を報告しに主人公を不意に訪ねてきた気持ちも、主人公にまつわる諸々の事情や感情がいっぺんに了解されるのである。そして、おそらく主人公はそれまで引き摺っていた元妻への未練が断ち切られ、新たな人生を歩み始めるのであろうという予感をさせるのである。

食というのは生活の基本であり、文化の基本である。ということは、そこに人の人生や生活にまつわるあらゆる物語を乗せる可能性を持った道具立てでもある。食べ物の好き嫌い、その嫌いを克服する試み、そうしたことにいくらでも人生の物語を付けることができる。言われてみれば当然なのだが、こうしてそういう噺を聴いてみると、逆に食の大切さということ考えるきっかけにもなる、かもしれない。レンジでチン、は確かに便利だし、それだけで食べることのできる半調理品の味もなかなかのものである。しかし、食事というのは単に旨い不味いというだけのものではない。生活のなかでの食の位置付けが、価値観としてある程度共有できない相手とは生活を共にすることはできないとさえ思う。

食について語り始めると際限がなくなるので、これ以上は書かないが、この噺を聴いただけでも蕨までやって来た甲斐があった。

たい平の「長短」は、おそらく噺家本人にとってはある種の挑戦であったと思う。文章に起こしてしまえば単純な噺で、かつてはマクラにも使われていたような噺だ。それを5代目小さんが現在の姿に膨らませたそうだ。単純な噺だけに噺家の力量が素直に出る難しい噺でもある。私は今日の「長短」はよかったと思う。短気な短七と気の長い長さんとのやりとりの妙を聞かせる噺だが、長さんのほうがやや極端過ぎたかもしれない。それでも長さんの愛嬌は十分に伝わってきたし、短七のせっかち加減は小気味よかった。会場には私の左隣の席の人をはじめとして欠伸を連発している人や居眠りをしている人もちらほらと見られたが、古典の場合は10人の客がいたとして10人全員を納得させることは所詮無理だと思う。人によって感性が違うのだし、それまでに送ってきた人生も違うのだから、誰もが面白かったり悲しかったりするような噺というのは作りようが無い。

蕨は自分のホームグランド、と言いながら、蕨市民会館に足を踏み入れるのは初めてだった。私が子供の頃には既にあった古い建物だが、規模がちょうどよく、舞台と客席の距離感が心地よいホールだ。

今日の演目
昇々 「たらちね」
喬太郎 「ハンバーグができるまで」
(中入り)
たい平 「長短」

開演 13:30
閉演 15:30

4月の雪

2010年04月17日 | Weblog
確かそんな題名の映画があったような気がする。寒の戻り、というにはあまりに寒い日が木金土と続いている。今日は東京でも一部で雪が降ったという。私の今日の行動範囲(谷中でお茶の稽古→実家)では雪に遭わなかったが、寒いことには違いない。

雪が降るとか、寒いということ自体はどうでもよいのだが、天候不順で生鮮食品が値上がりしているのが困る。生活が困窮しているので、極力外食を排し、週に一度の生協の宅配と実家から入手する米や肉類などで毎日の食生活を支えている。生協の食材は産直が多いので、一般の小売店店頭に並ぶ商品に比べれば価格変動が小さいのだが、天候不順で出荷予定がキャンセルになるものもあり、自分が発注していたものがキャンセルされると食材のやり繰りに少し悩むことになる。幸い、今のところ深刻な事態には至っていないが、この寒さが続き、食材価格が本格的に上昇するようなら、食べる量を減らすことも考えないといけない。

実は、昨年1月に帰国して以来、少し体重が増えている。先月半ばに2月に受けた健康診断の結果が届いて、体重が数年前の水準に戻ってしまったことにやや衝撃を受けた。そんなわけで、今月に入ってから間食を控え、食事も少し量が多いと感じた時は素直に残して翌日に回すようにし始めた。このような時期なので、食材価格の上昇が顕著になれば、よい機会なので食事の量を減らそうと思うのである。

数年前に半年で体重が8キロほど減り、その後も少しずつ減り続けたことがある。この原因は所謂「恋煩い」だ。「4月の雪」のような劇的なことではないのだが、自分にも身が細るほど思い煩うようなナイーブな時期があったということに、今から思えば驚いたりもする。

昨日、気象庁から「異常天候早期警戒情報」なるものが出されたのだが、警戒しろといわれても何をどうしてよいのかわからない。自分が普段食べている食材の産地の人たちが何か上手い手立てを考えてくれることを祈るしかない。

1982

2010年04月16日 | Weblog
アイスランドで火山が噴火し、その火山灰の影響で欧州の多くの国々が上空を飛行禁止にしている。このニュースを聞いてすぐに思い浮かんだのが、インドネシアの火山の噴火で飛行中の旅客機のエンジンが停止したという事件だ。ネットで検索してみると、1982年6月24日にジャワ島上空で浮遊する火山灰のなかに入り込んでしまった英国航空のジャンボ機が全エンジン停止状態に陥ってしまったという事件のことだった。

かなり最近のことだと思っていたが、30年近くも前のことであることに、改めて自分の年齢を実感してしまう。ついでに検索してみるとこの年は興味深いことが多い。尤も、他の年も調べてみれば、同じくらいたくさんの興味深い出来事があるのだろう。

この年の航空機事故では2月9日に発生した日本航空350便墜落事故がある。所謂「逆噴射事件」だ。機長の異常操縦により羽田空港着陸直前の日航機が海に墜落、24名の死者と149名の負傷者を出した。事故原因である機長が統合失調症であったことから不起訴処分となった。事故の報道のなかでボイスレコーダーも公開され、機長の異常操縦を止めようとした副操縦士の「キャプテン、やめてください」という叫び声や、機長の異常操縦のひとつである「逆噴射」などが当時の流行語にもなった。現在であれば事故原因者であっても心神喪失者であれば実名は伏せられるが、当時は機長も、事故後に機長が入院した病院も実名で報道された。このため、子供たちの間などでは「片桐」という苗字の人に「機長」というあだ名が付けられるというケースもあったようだ。また、フジテレビの女性アナウンサーが慈恵医大病院から出てきた機長に突撃取材を敢行し、これが原因でフジは警視庁記者クラブへの出入りを5日間禁止されたという。

この事故の前日にはホテルニュージャパンで火災が発生し33名が死亡した。連日の大事件で世の中はかなり騒然としていたような記憶がある。

4月にはイギリスとアルゼンチンとの間でフォークランド諸島の領有権を巡って武力衝突が発生している。紛争は6月に終結し、イギリスの領有権が確認された。この紛争の資料がロンドンのImperial War Museumに展示されている。この博物館の展示内容の大きな部分を占めているのは第二次世界大戦に関するものであり、フォークランド紛争に関しては注意しないと見過ごしてしまう程度のものである。

10月にソニーから世界最初のCDプレーヤーとCDソフトが同時に発売されている。それまでのレコードに比べると扱いが画期的に簡単になった。レコードのときは盤面にキズが付かないように細心の注意を払い、盤面の埃の除去にやはり注意を払い、という具合になかなかデリケートなものだったのだが、CDはそうした必要がない。これは素晴らしいと思い、自分が持っていたレコードを少しずつではあるが、CDに置き換えていったものである。レコードのほうは当時、ソニービルの地下にあったハンターという中古レコード店に売りに行ったものだ。ただ、音楽マニアというような域に達している人に言わせるとCDよりもレコードのほうが音が良かったという意見が多いように思う。

政治では第一次中曽根内閣が成立、西ドイツではヘルムート・コールが首相に就任し、ソ連ではブレジネフ書記長が死亡。冷戦終結やドイツ再統一といった現在の体制の基礎を築いた立役者たちが表舞台に揃った。また、ローマ教皇がイギリスを訪問し、450年ぶりに英国国教会とカトリック教会が和解している。

経済ではトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併しトヨタ自動車となったのもこの年である。三越の岡田社長が取締役会で社長を解任され、その後、特別背任で逮捕された。取締役会で解任決議が可決されたときに岡田氏が発したとされる「なぜだ」という言葉もこの年の流行語のひとつになった。また、東北新幹線と上越新幹線が大宮始発で暫定開業している。

グレース・ケリーとイングリット・バーグマンが亡くなったのもこの年だ。だからどう、ということはないのだが、同じ年にこのふたりが亡くなっているのを初めて知って、少し「ほう」と思った次第である。