熊本熊的日常

日常生活についての雑記

谷中を散歩

2009年05月31日 | Weblog
午前中、子供と一緒に谷中を歩いた。日暮里駅を降り、御殿坂を登って、まずは経王寺へ。この寺の門には上野戦争の時、官軍が撃った銃弾の跡が残っている。そんな話をしながら寺を後にして、夕焼けだんだんを降り翠屋を覗く。多くの客がいるが、一点一点手作りなのでそれなりの味わいがあって眺めていて飽きない。気軽に買うことのできる値段ではないので、欲しいと思うものがあっても、今日のところは眺めるだけ。ここではミニマリズム生活を貫徹させる。

谷中ぎんざは日曜の所為で閉店しているところが多い。ざっと往復して、初音のみちへ。朝倉彫塑館は工事中でしばらく休館。どのような姿で再度開館するのか楽しみだ。この通りにはぽつんぽつんと面白そうな店がある。さんだら工芸も一度ゆっくりと覗いてみたいが、今日は日曜なので休み。

店の名前は知らないが、以前から気になっていた陶器の店に入ってみる。その店のオーナーの趣味でまとめられているのだろう。おそらく特定の作家の作品を中心に品揃えがなされている。店の構えと商品とが調和していて居心地が良い。店の隅にあるテーブルで店の人と馴染みの客らしいひととが話をしている会話も心地よく響いている。

赤塚べっこうのショーウィンドーを覗き、わががまやの絵はがきを眺める。わががまやは週末だけの営業なので、その存在は以前から知っていたが商品の絵はがきを目にするのは今日が初めてである。一枚一枚丁寧に描かれていて、絵はがきとして使ってしまうのが惜しいほどだが、それほどのものだからこそ、とっておきの相手には、こういう絵はがきで近況を知らせてみたいとも思う。かなり以前のことだが、東京出身で京都在住のメル友がいた。その人は美大出身で、何度か絵手紙をいただいたことがある。絵を描くのは久しぶりだと言いながら様々な手法を試しておられて、見ていて楽しかった。もう10年以上も前のことなのに、ふとそんなことを思い出した。

詩仙香房では、そのうち買い物をするようになるのかもしれない。茶を習い始めたので、香もいつかは勉強しなければならなくなるのだろう。今は香のことは全く何も知らない。

ぎゃらりぃ81のファサードを前にして子供と話をしていたらオーナーさんが偶然店の外へ出てこられたところに遭遇した。ご挨拶をして子供を紹介する。今は江戸小紋展の開催中で、普段とは違って店内には反物が並んでいる。和服など縁が無いのだが、決して興味が無いわけではない。ただ、たとえどれほど気に入ったものがあったとしても、今は買うことのできる家計の状況ではない。オーナーさんと出くわさなければ、ファサードだけを眺めて通りすぎるつもりだったのだが、そんなわけで店内にもお邪魔する。月に一回、ここの2階の茶室でお茶を習っている。

芸術のみちを抜けて旧吉田屋本店へ。言問通りと並走する裏通りをショウゾウ・イナムラへ。行列が無ければモンブランでも買って帰ろうかと思ったが、並んでいる人がいたので、そのまま寛永寺へ。境内を抜けて、鴬谷から山手線に乗って住処へ戻る。

蕎麦を茹で、昆布と鰹節と椎茸と玉葱と鶏肉と醤油とみりんでそばつゆを作って2人で食べる。それから枝雀のDVDを観たり、前週の写真教室で撮影してきた写真を観たりして過ごし、子供を家へ送る。なんとなく月の最後の休日に子供と会うようになっているので、駅で子供と別れると、今月も終わりだなと思う

「『こころ』は本当に名作か」

2009年05月28日 | Weblog
平均すると週に1冊くらいの割合で本を読むのだが、このところ読みたいものがなく、少し困っていた。普段は新聞や雑誌の読書欄などを参考にして読むものを選んでいるのだが、内容の薄っぺらなものは読んだ後にひどく寂しい気分になる。かといって、世に?言う「名作」だの「古典」だのも自分の理解を超えてしまっていては、これまた面白くない。ある作者の作品が面白かったからといって、同じ作者の別の作品も面白いとは限らない。本を読む、という行為自体は単純なのだが、読む本を選ぶところから始まって、読んでいる最中の思考とか、読み終わってから思うあれこれとか、読むという行為の周辺を含めれば、大仕事だ。

たまたま新聞社のサイトの読書コーナーで「『こころ』は本当に名作か」というのを見つけた。所謂「読書案内」である。少し気になるところがあったので、買い求めた。

この本の著者は、高校2年と3年の時の同級生だ。といっても、殆ど口をきいたことがない。仲が悪いとか、互いに性格が悪いというような特殊事情があったわけではなく、単に親しくなるきっかけが無かったというだけのことである。本書のなかで彼は「高校時代にはいじめられっ子だった私には…」と書いているが、私たちのクラスにはそもそも「いじめ」というものはなかった。世間で謂うところの「進学校」だが、これがトップクラスの学校なら、それなりに余裕のある学校生活があったのかもしれない。2番手グループで、しかも共通一次試験という新制度が始まった直後で、大学受験にまつわる不安が大きかった所為もあり、受験勉強以外のことにはあまり興味が向かなかったと記憶している。今から思えば、もったいない時間の使い方をしてしまったと後悔の念を覚えるのだが、その当時の自分の置かれていた状況では、そうすること以外は考えられなかったのだろう。それでも、バスと電車を乗り継いで片道1時間ほどだった通学時間は主に読書にあてられ、漱石や鴎外も読んだが、なぜかヘミングウェー、スタインベック、フォークナーなどの米系作家の作品が印象に残っている。マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」を読んだのも高校2年の夏休みだった。当時は少し背伸びをして「文学作品」を読んでいるつもりだったのだろうが、振り返ってみれば通俗なものばかりのような気もする。あまり言葉を交わすこともなかったが、彼が読書家だったことは知っているし、彼と私の通学経路が重複していたし、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけたやや猫背気味の姿も記憶にある。しかし、当時のことを思い返してみても、こうして彼の書いたものを読んでみても、状況が違っていたとしても、やはり彼とは親しい間柄にはならなかったような気がする。

メディアの世界は建前の世界だ。本当のことであっても、言ったり書いたりしてはいけないことばかりで、それらをいかに読み解くかというところに、リテラシーが要求されるものだった。今でも、意思疎通に必要なのは言葉そのものではなく、その背後に積み重ねた知性であることに変わりはない。ただ、近年はネットを通じて誰もが自分の思いを発信できるようになったことで、メディアに乗せる情報の様相が以前とは違ってきた。本書にしても、それこそ自分が高校生の頃ならば、新潮社のような大手から出版されることなどあり得なかった内容ではないだろうか。それほどブックガイドとして参考にするに値する情報が多く、自分にとってはありがたいものである。何がどのように参考になったかということは、敢えて書かないことにする。

備えあれば

2009年05月26日 | Weblog
新型インフルエンザの感染者が都内でも発見された頃、近所のスーパーのミネラルウォーターの価格が微妙に上昇したことに気付いた。普段は、住処の前の通りを挟んで斜め向かいにある小さな地元のスーパ-で98円の2リットル入りを買っており、たまに安売りで88円のときは、少し余計に買うなどして、常時10本の2リットル入りミネラルウォーターを確保している。それが、このところ100円未満の商品が置いてないのである。マスクはもちろんのこと、飲料水や保存食を買い求める人が増えているようなので、その影響が私の身近なところにも現れているということなのだろう。今日になって、ようやく98円が復活した。通常10本の在庫が9本になっており、このまま100円を下回らなかったら、少し遠くまで100円以下のものを探しに行くべきか、多少の値上がりは甘受するべきか、気になり始めたところでもあったので、少し安心した。

ミネラルウォーターは、ご飯を炊く時と水出しコーヒーを作る時に使う。毎朝飲んでいる温かいコーヒーにも使いたいところなのだが、沸かした湯を全て使い切るわけでもないので、もったいないから水道水を使っている。水の味というのは確かにあって、こだわりだしたらきりがないのだが、こだわらなければ気にならないので、自分にとっては一番安いもので上等だ。

水は地球上で循環しているものなので、全地球規模で考えれば、そう簡単になくなるものではないのだろうが、極地的にみれば需給の変動というものがある。今回の騒ぎのように需要側の特殊要因で市場価格が上昇することは、これからも比較的頻繁にあるのだろう。供給側のほうも、いろいろ問題はありそうだ。

以前、富士山の麓でゴミ拾いのボランティアをしたことがある。建築廃材がかなり転がっていて、こんなところまで捨てに来るくらいなら、きちんと処理をしたほうがよほど安上がりではないのかとも思ったものだが、そういう不心得者はいつの時代でもどの世界にでも必ずいるものである。建築廃材でも、アスベストのような危険なものもあるが、多くはコンクリートやガラス、金属などの目視可能なものだ。しかし、医療廃棄物や化学物質など目には見えなくとも確実に土壌を汚染するものが棄てられていることがあるのだそうだ。たまたま、そのゴミ拾いの現場が、ある食品メーカーのミネラルウォーターの採水施設の近くだった。当然、品質管理は万全だろうが、瓶詰めの水が水道水より安全であるとか、おいしいとか、何か付加価値があるのかどうか、よく考えたほうがよさそうだ。

最近は聞かないが、ミネラルウォーターに黴が混入しているという事件も皆無ではない。以前、ある海外産のミネラルウォーターを日本で販売し始めた直後に、黴混入が発覚したことがある。そのブランドは当初プレミアムブランドとして展開する予定だったのだが、日本市場への導入に際しては既にかなりの費用をかけていたのだろう。他にも退くに退けない事情があったのかもしれないが、一般ブランドとして現在も流通している。ブランド価値というのは、簡単に下がるが、上げるのは至難だ。

同じモノが、それを取り巻く事情によって高くも安くもなるのは、市場経済の常識だ。わかってはいるけれども、どこか釈然としないものを感じるのは私だけではないだろう。なにはともあれ、「備えあれば憂い無し」というのは単なる幻想なのだが、それで気休めになるのなら、生活必需品を備蓄しておくことも全く無意味にはなるまい。

種を播く

2009年05月25日 | Weblog
夜勤なので昼間の空いている時間に遊び惚けていたら、いつのまにか貧乏暇無しのような状態になっていた。どのようなことであれ、自分が好きでやっていることばかりなので、そのうちそういうところから芽が出て、思いもよらぬ展開になる、というようなことも全く無いわけでも無いだろう。無くてもかまわないのだが。

先日、初めてのカメラ講座に参加した後、久しぶりに伊東屋の店内を見て回った。たまたまアンティーク・プリントの展示販売が行われていて、他に客もいなかったので、店の人からいろいろお話を伺うことができた。そのなかで額装のことに興味を感じた。日本の掛け軸でも、飾られている書画に負けず劣らず表具の出来不出来が全体の価値を左右するのだが、それは洋の東西を問わず当てはまることのようだ。何を見せるか、どのように見せるか、どちらが主でどちらが従ということではなく、何をどのように見せるかという全体が重要なのである。

ふと、中学生の頃、美術の時間に額縁を作ったことを思い出した。既に額の形になっている木枠に彫刻刀で模様を彫り彩色するというものだったが、その時は特になんということもなく、ただ課題だから作っただけだった。それが今ごろになって、額縁を作ってみたくなった。出来合いの木枠に模様を彫り込むだけでなく、その木枠から自分で作ってみたいのである。額のなかに入れるのは、たまたま手元にある鳥の絵などを想定している。シンプルな額を作って、写真を入れてもいいかもしれない。

ネットで額縁の作り方を指導してくれるところを探したら、いくつかあったので、問い合わせを入れてみた。さて、これからどうなることやら。そのうち、額に入れる絵を描いてみたくなるのかもしれない。

豚もおだてりゃ木に登る

2009年05月24日 | Weblog
先週に引き続き、今日もカメラ講座に参加した。今日は撮影会である。講師の説明を聴いた後、実際に街へ出て2時間ほど撮影をして回り、再び教室へ戻って、今度は各自が撮影したもののなかから選んだ5枚の写真について、全員で観て、講師が講評を付けるというものだ。

先週の基礎講座に出席したとき、半ば冗談のような宿題があった。繁華街の交差点で200枚の写真を撮るというものだ。写真というのは、撮影の技術も勿論重要なのだが、被写体を選ぶ眼がなければ話にならない。日常の風景のなかに、どれだけ面白さや美しさを見いだすことができるのか、その感覚こそがプロと素人との分かれ目だというのである。

同じものを見ても、見る角度や、見る時の時間、天候、季節などによって、違うように見えるのは誰しも経験があるのではなかろうか。見るときの気分も、勿論、影響があるだろう。まして街中の風景ともなれば、切り取り方は無限にある。無限のなかの200枚などものの数ではない、というのは尤もなことだ。

しかし、いざ自分がその場に立つと、どこをどう見ても、これはと感じるものが無く、結局10枚ほどしか撮ることができなかった。どうやら、私の場合は、ものをよく見るということから訓練しないとカメラを持つ意味が無いのかもしれない。

今日は正午から午後2時まで街中を歩き回り、その交差点での10枚を含めて、50枚ほどの写真しか撮ることができなかった。そこから5枚を選び、他の参加者や講師に見て頂いた。教室で大画面のモニターに映し、まずは自分がその写真について説明する。なにをどのように撮ったのか、あるいは、撮ろうとしたのかというようなことである。その後、講師が講評を付ける。

先週の講座で、シャッターの切り方と構図の基本を学んだので、カメラをしっかり保持し、手ぶれすることなくシャッターを切るということと意識した。構図も単調にならないように意識した。とにかく撮影するという動作を意識したつもりである。さらに今日の課題としては、ホワイトバランスと露出の選択というものも加わった。カメラはいつもオートで使っているので、撮影の度に設定を変えるなどという面倒なことはしたことがなかった。露出はとうとういじらずに終わってしまい、ホワイトバランスをいじったのも数枚しかない。いろいろなことをいっぺんにはできないので、今日はとにかくシャッターをきちんと切るということを最優先課題とした。その甲斐あって、意識したことに関しては有り難い講評を頂くことができた。素人相手の講座なので、講師もなるべく褒めるところを探しながら講評をしていたのだろう。そんなことは誰でもわかるのだが、それでも褒められて悪い気はしない。すっかり良い気分になって家路についた。今度はカメラを趣味にしようかなどと考えつつ。

反ミニマリズム

2009年05月20日 | Weblog
これまで何度か簡素な生活を心がけるというような決心のようなことをここに書いている。贅沢をしたくてもできない所為もあり、無理無駄のない生活こそが快適なのではないかとの思いがある所為でもある。

先日、カメラ教室の折に、少し時間に余裕があったので、暇つぶしに山野楽器に入ったのがいけなかった。銀座通りに面した入口ではなく、裏側から入ったのがさらにいけなかった。入ってすぐのところが落語のDVDのコーナーで、眼の毒になるようなものが、これでもかこれでもかと並んでいる。そんななか、発売されて間もない枝雀のDVDボックスを発見してしまったのである。9枚組に特典DVDと特典CDが各1枚付いて定価が28,000円。気軽に買うことのできる値段ではないが、思い切れば買えないこともない。

落語に限らず、音楽も美術も実物に勝るものはない。だから音楽CDは余程気が向かないと買わないし、美術品は実物を観て気に入ったものについての書籍しか手にしないことにしている。落語も寄席や独演会に足を運ぶのが自分のなかでの作法でありDVDは邪道だと思っていた。ただ、実際に観て聴いて、たいへん気に入って、また聴いてみたいと思う噺家も当然いる。

さんざん迷った挙句、結局、カメラ教室の日には買わなかった。でもその時以来ずっと気になっていて、今日、アマゾンで商品をチェックしてみたら、21,834円だった。もうこれは買うしかないと思い、買ってしまった。今日に限っては反ミニマリズムということにしておく。

一銭たりとも

2009年05月19日 | Weblog
自分の生命保険の契約見直しの件で、保険会社の営業の人と会った。

社会人になったばかりの頃、配属された部署が金融機関を顧客として担当する部門だった。保険会社もその顧客群のなかにあり、私の教育担当だった先輩社員もいくつかの生損保を受け持っていた。ある日、その先輩社員に呼ばれて、言われるままに勤務先の応接室に入った。その先輩は「じゃ、あとよろしく」と言って出て行ってしまい、応接には私と見知らぬ女性とが残された。その女性は保険の営業担当者で、要するに私はそこで生まれて初めて自分の生命保険というものを契約した。

それから1年もしないうちに、その保険会社の人は配置転換で私の窓口を外れ、後任の人を紹介された。その後任の人が今日の相手である。つまり、「保険会社の営業の人」と言っても、かれこれ24年の付き合いになる。

生命保険というのは、終身保険であっても、保険料が終身変わらないというわけではなく、ある一定期間を経過すると変化する。私の現在の保険契約も、現状の保障内容を継続しようと思えば、2年後に保険料が倍増するようになっている。そこで、今の段階で契約内容を見直し、更新することで、その増加額を低く抑えるという提案を受けていた。それでも、月額保険料は5千円ほど上昇する。2年後の倍増と現時点での数千円の増加とどちらを選択するかという問題だ。

将来に対して楽観的なら、迷わず契約を見直すのだろうが、収入の見通しが立たない限り、一銭たりとも定期的な支出の増加は避けたいところである。そんなわけで、今回は見直しを見送ることにした。

それでは2年後に保険料を倍増させるのか、といえば、そういうつもりもない。明日のこともわからないのに、2年後のことなど考えても意味がない。2年後があるとすれば、2年後の風が吹いていることだろう。

記憶にございません

2009年05月18日 | Weblog
東京ではふたつの「ルーヴル展」が開催されている。ひとつは国立西洋美術館での「ルーヴル美術館展 17世紀のヨーロッパ絵画」、もうひとつは国立新美術館の「ルーヴル美術館展 美の宮殿の子どもたち」だ。

「ヨーロッパ絵画」で何よりも衝撃的だったのは、確かに昨年7月に観たはずの作品が、一部を除いて自分の記憶から欠落していたことである。覚悟はしていたが、今日訪れた「子どもたち」のほうは、初めて目にするものばかり、であるように感じられた。昨年夏のルーヴルでは時間の制約から古代文明の出土品を殆ど観ていないという事情があるにせよ、やはり自分としては衝撃的なことである。

それにしても「子どもたち」の企画はよく考えたものだと感心させられる。ロンドンで観た企画展はどれも作品の質量ともに潤沢なのでハズレがなかった。そもそも西洋美術の下地が薄い日本では、調達できる作品に様々な制約があるのは当然で、本拠地と肩を並べるような企画は無理というものだ。しかし、そうした制約をものともせず、調達可能な作品を組み合わせて面白い企画が展開されている。

今回の「子どもたち」に使われている作品も、おそらく「ヨーロッパ絵画」に展示されている作品群と一緒に借り出されたものだろう。ふたつの展覧会に分けず、「ルーヴル展」としてより大規模に行うという選択肢もあったはずだ。実際にはテーマ性を重視してこのように分けたのは、美術関係者にとっては当然の判断なのかもしれないが、鑑賞者の立場からしても、作品の背景のようなものがわかりやすく、より深い興味や感心をかき立てられて楽しいことである。

シャッターを切る

2009年05月17日 | Weblog
初めてカメラ教室に参加した。自分が持っているカメラのメーカーが主催する「初めてのコンパクトデジタルカメラ」という講座である。カメラを持っていても、その使い方をきちんと考えたことがなかった。時々、自分が撮影した写真を眺めては、いろいろ不満に思うことが多かったので、たまたまメルマガで届いた講座案内に反応してみたのである。1時間ほどの無料講座ということで、正直なところそれほど期待はしていなかったのだが、講師の熱さと、その講義の深さに感激してしまった。

講座の内容は、正しくシャッターを切る、ということに尽きる。それほどシャッターを切るという動作は重要で、それができなければその先はなく、それができれば他に必要ない、と言っても過言ではないように感じられた。講師の指導の下、カメラの構え方に始まり、そこでいかにカメラを振れさせずにシャッターを切るかという練習を繰り返す。最後に構図の基本について説明を受け、また練習。構図はさて置き、手振れが全くと言っていいほどに無いだけで、同じ場面を撮影したものが全然違って見える。

考えてみれば、これはカメラに限ったことではないだろう。世の中のことの多くは、基礎のそのまた基礎さえきちんとできれば、かなり完成度が高くなるのではなかろうか。しかし、その基礎というのがなかなかの曲者で、実は誰にでもできるものではないということだろう。

あとは感性を磨くことが必要だ。シャッターを完璧に切ることができたとしても、撮影する対象を見いだすことができなければ、そのような技能は意味を成さない。講座の終了近くに講師が語ったことが印象深い。

「では、みなさん、この後、そこの交差点で200枚撮ってからお帰りください。」

そこの交差点、とは銀座4丁目交差点のことだ。プロのカメラマンというのは、その極めて日常的な風景のなかに無数の面白さとか美しさを見いだす眼を持っているのだという。何を面白いと感じるか、美しいと感じるか、ということは、その人の生きる姿勢を反映しているとも言える。

カメラのシャッターを切るという動作の背景に、カメラという道具を合理的に扱う技能と、カメラに収める風景を発見する精神がある。実は、我々の日常の動作のひとつひとつに、同じように精神が反映されているのではないだろうか。

「ブラック・レイン」(原題:Black Rain)

2009年05月16日 | Weblog
公開時に英国マンチェスターの映画館で観て以来、約20年ぶりに観た。当時は志を同じくする者どうしが国境を超えて心を通わせる物語と思ったように記憶しているが、改めて観ると、どうもそういうことではないようだ。

この作品が公開されたのは1989年である。日本はバブルに沸き、欧米での日本に対する注目度が一気に高くなっていた時代である。米国映画だが主要な舞台は大阪、監督は英国人のリドリー・スコット、日本人俳優は高倉健、若山富三郎、松田優作といった豪華なキャスティングで、それだけでも当時の日本の国としての勢いのようなものが感じられる。台詞のなかにも、大阪府警の松本警部補が、護送中の佐藤に逃げられてしまったニューヨーク市警の刑事に、規律を守ることの重要性であるとか、日本人の勤勉さといったことを説くところがある。今観れば、日本人としては少し恥ずかしく聞こえてしまうが、当時の自分も、日本の経済力を誇る気持ちがあったかもしれない。

リドリー・スコットは本作以前に「エイリアン」や「ブレードランナー」で映画監督としての評価を確かなものにしている。本人がどれほど意識したのか知らないが、1979年の「エイリアン」、1982年の「ブレードランナー」があり、その続編が本作なのではないかと思うのは私だけだろうか? つまり日本というのは欧米の人々から見れば、SFの世界なのではないか? 第二次世界大戦で欧米列強相手に4年間に亘る戦争を戦った国ではあるが、欧米から見れば得体の知れない国なのだろう。それが、ふと気がつくと米国に次ぐ経済力を持ち、欧米の著名な企業を買収したり、ランドマークといえるような不動産を買い漁り、美術品のオークションでは常識はずれの高値で次々と名作を競り落とし、身の回りに日本企業製の工業製品が溢れている、となれば、やはり薄気味悪く思われるのではなかろうか。

余談になるが、1989年の夏の2ヶ月間をドイツのアウグスブルクという町で過ごした。そこで日本に郵便物を送ろうとすると、たまに日本の場所を知らない局員がいた。そんな時は、郵便局の壁に貼ってある、料金帯ごとに色分けされた世界地図を使って説明していた。
「ドイツはどこ?」(と地図上で指をさしてもらう)
「ここだよ。」(と局員は指をさす)
「そこから、ずーっと右。」
「こうかい?」(と指先はロシア方面へ)
「もっと右。もっと」
「こう?もう、太平洋だよ。」(指先はユーラシア大陸を横断)
「そこ、その端の国。」
「あぁ、ここ。」
という具合だ。歴史が人々の日常生活のなかに深く影響を与えている欧州の、しかも第二次大戦では日本の同盟国であったドイツですら、このような有様なのであった。

当時の日本の勢いも無くなって久しく、少なくとも私が仕事でかかわっている分野では、自分の勤務先を含め、日本での事業を縮小したり、日本から撤退する企業が後を絶たない。経済力という点では、もはや存在感を失った感が強いが、花粉症の季節に引き続いて新型インフルエンザ対策で、街行く人々がマスクをつけている姿は、やはり奇怪なのではないだろうか。マスクの効果については諸説あるようだが、日本よりも感染患者の多い米国ではマスク姿を見かけることは殆ど無いのだそうだ。こうした違いも何かのネタになりそうで、なんとなく好奇心がそそられる。

継続は力か

2009年05月15日 | Weblog
このブログを始めてからかなり長くなる。昨年4月中旬から毎日書くことを自分に課したのだが、現時点では多少抜けがある。しかし、原稿の準備が全くないわけではないので、近いうちに抜けている日を埋めるつもりでいる。

1年以上ほぼ毎日更新を続けた甲斐があり、Googleで「熊本熊」を検索するとこのブログサイトが検索結果表示画面の一番上に表示されるようになった。以前は熊本県庁であったり、リンガーハット熊本熊大前店がそこにあったと記憶している。熊本とは全く無縁のこのサイトが熊本勢を抑えたというのは面白い。

他愛の無いことだが、誰のためでもなく、もちろん金銭のためでもなく、素朴に自分の楽しみとして毎日何かを考えるという行為を積み重ねることに、ささやかな喜びを感じている。宮仕えをしていると、その時々の仕事には達成目標だの評価基準だのがあるのだが、そこで自分が何を創りあげたのかと問われると、何も無いとしか言いようがない。まして、ここ数年、身近に解雇される人々が相次ぐと、結局のところ給与生活者というのは会社組織のなかの設備のひとつでしかないとの思いが否応無く強くなり、いつまでも既製の組織に依存して生きるわけにはいかないという焦りにも似た感情に襲われる。

それで自分に何ができるのかと考えたときに、生活の糧になるか否かということは置いておき、とりあえず思いつくことをひとつひとつ行動に移して、そのことを経験してみることしか他にできることはないのではないかと考えたのである。

単に日記を毎日つけるとか家計簿をつけるという単純なことでも、毎日続けているとそこに何かが見えてきたり、そこから何かが生まれたりすることも稀にはあるのではないかと思っている。幻想かもしれないが、昨年暮頃からなんとなく、自分あるいはその周辺に大きな変化が起るような予感にとらわれている。そう思わないとやってられないという事情が無いわけでもないのだが、年内には何か新しいことに挑戦することになりそうな気がする。

LOHAS

2009年05月14日 | Weblog
Life style of health and sustainabilityを略して”LOHAS”と言うのだそうだ。よく耳にする言葉で、なんとなく洒落た雰囲気が漂う。声高に環境だの健康だのが語られるのは、語る余地があるからだ。あまりに自明のことは語る必要がないので話題になることは少ない。わからないことが多く、不確かな情報が錯綜しているからこそ、議論の種になる。

「洒落た雰囲気」と書いたが、LOHASというのは経済的に余裕のある国や地域で暮らす人々にとっては耳に心地よく響くように思う。例えば農作物に関して「健康や環境を意識して、過剰に農薬や化学肥料を使わないようにする」と聞けば、それは容易に賛同を得られそうに思う。しかし、生活が困窮していて、今日の生活を乗り切るために少しでも多くの収入を得たいという人々にとっても、同じように心地よく響くだろうか?

農薬や化学肥料の効果は絶大で、先進国の余裕のある農家ならいざ知らず、世の中の多くの農家は収穫極大化のために、あるいはより直接的に自身の生活のために、農薬や化学肥料に依存した農業を展開せざるを得ないのではないだろうか。

そうだとしたら、「環境のため」という大義名分を振りかざし、無農薬だのオーガニックだのと生産の現実を無視した要求を当然のように突きつける消費者の存在は、果たしてsustainableと言えるのだろうか?

LOHASがいけないと言っているのではない。人々の健康と地球環境の持続可能性は我々ひとりひとりの課題でもある。しかし、ろくに考えもなしに世間の風潮に乗って勝手な妄想を声高に語る評論家や活動家と呼ばれる人たちの言説に強い違和感を覚えることがあるのは事実だ。

ふと遠くへ

2009年05月13日 | Weblog
職場でセブンイレブンのミネラルウォーターを飲んでいて、何気なくボトルにある説明書きを読んでいたら、採水地の「島根県」というのが気になり始めた。過去に一度だけ島根県を訪れたことがあり、その時の印象が良かった。あれから24年が経ち、その間の諸々が少しだけ脳裏をよぎった。気分も新たに再び出かけてみようかと思い始めた。

前回は東京から夜行バスで大阪へ行き、そこで別のバスに乗り換えて津山に出た。津山からは鉄道で新見、米子、出雲とまわり、方向を転換して松江、倉吉、鳥取、浜坂、城崎、天橋立を訪れ、名古屋を経由して東京へ戻った。名古屋からは夜行の快速列車を利用した。夜行バスにも夜行快速にも寝台は無く、今よりは体力に恵まれていた若い頃だからできた旅だったと思う。

どこか遠くへ、と思う時、その「どこか」は気分や時期に左右される。たまたま今が5月の中旬で、なんとなく夏至ということが意識にのぼる。昨年の夏至にはSt Ivesを訪れた。ロンドンで暮らしていたので、英国にまつわる自分のなかの引っ掛かりとして、バーナード・リーチと濱田庄司が欧州初の登り窯を開いた場所というのを見てみたいという素朴な思いがあった。そこを訪れるのが夏至である必要は全くなかったのだが、St Ivesの最果て感のある立地が、夏至にふさわしいのではないかと思ったのである。

そんなことを考えていたら、なんとなく夏至と最果ての地という組み合わせが意識され始めた。新幹線や飛行機だけで行くことのできる土地は「最果て」にふさわしくない。本ブログの昨年6月21日付と22日付の「備忘録 St Ives」にあるような、効率性だの利便性だのとは正反対にあるような旅にしたい。となると、行き先は島根県でよいのかという問題になる。出雲や松江は訪れてみたい場所の候補ではあるが、自分のなかの「最果て」とは少し違うように思う。週末とせいぜい休暇を1日併せるという程度の時間の制約のなかで往復とも鈍行というわけにはいかないだろうが、是非、行程のどこかで夜行列車を利用したい。但し、今回は寝台車を。

アートな日々

2009年05月12日 | Weblog
出勤途上、行幸通りの地下を歩く。ここで「アートアワードトーキョー丸の内」というコンテンポラリーアートの作品展が開催されている。普段はこの場所に皇居に暮らす動植物や建物の写真が展示されていて、それはそれとして東京の奥深さを感じさせる楽しい風景になっている。

コンテンポラリーアートは好きだ。作者と自分とが同じ時代の空気を呼吸している所為だと思うのだが、眺めていると作者の気持ちの振れが伝わってくるような気がして素朴に楽しい。

芸術の世界で生きるのは大変だ。常に新しいことを考えないと、「芸術家」としての存在意義が怪しくなってしまう。今回の展示に並ぶ作品のなかにも、デジャヴを覚えるものがないわけではない。誰もがコペルニクス的発想などできるわけもない。自分が影響を受けた作家や作品の影というものは、意識するとしないとにかかわらず、脳裏のどこか射しているものだろう。全くの無から独自に何事かを創り出すというのは、おそらく不可能なのではなかろうか。

それでも既存のものを組み合わせることで、化学反応のように、想像を超えたものが生まれることはあるだろう。芸術に限らず、生きることの楽しさというのは、そうした想定外のものに出会う驚きにあるような気もする。

今回の作品展の「グランプリ賞」受賞作はいい。あのヘリコプターがもっとごついやつならなおさら良かっただろうし、ヘリコプターではなくUFOならもっと面白い。電灯のスイッチのひもがちゃんと写っているというのがポイントだと思う。

おいしいということ

2009年05月10日 | Weblog
昼に友人との会食があり、偶然、その店の近くに関係者の間では比較的名前の知られたカフェがあったので、集合時間の30分前に現地へ着くようにして、そのカフェにお邪魔した。

都心のターミナル駅から近く、大型公園の入口近くという立地だが、人の混雑する地域や車の往来の激しい通りからは外れていて、落ちついた雰囲気である。しかも、内装はヨーロッパの片田舎をイメージしたといい、手作り感が溢れていて、一見してそこに一手間も二手間もかけられていることが感じられる。そういう場所は居心地が良い。

食事の直前だったので、頂いたのはブレンド・コーヒー。コーヒーが持つ味覚的要素をバランスよくまとめたものを軽めに抽出してある。私が毎朝自分で淹れている自分だけのおいしいコーヒーとは違って、誰にとってもそこそこおいしいコーヒー、と言える。

商売で大切なのは、この「そこそこ」感であるように思う。勿論、個性的なコーヒーが飲めて、しかも繁盛している店というのもいくらでもある。コーヒーの場合は、人によって好みが大きく分かれ、しかもこだわりの強い消費者が少なくないので、とんでもない僻地にある店が不思議と繁盛していることなど珍しくない。しかし、都市部で千差万別の客層を対象にするなら、多少自分のこだわりを犠牲にしてでも、可はあっても不可の無い「おいしさ」を追求するべきなのだろう。

飲食店なのだから、食べ物や飲み物が「おいしい」のは当然であるはずだ。しかし、自宅ではなく、わざわざ出かけていって飲食するのだから、飲食物のおいしさだけでは商売としては成立しない。店の在り方に始まり、そこから導き出される内装や飲食物の内容、店員の人柄に至るまで、様々な要素の組み合わせの妙が問われるということなのだろう。勿論、誰をも満足させることなど不可能だ。「店の在り方」のなかには、対象とする客も含まれる。「おいしい」というのは、客の味覚のことだけではなく、そこにかかわるあらゆるものを包含したパッケージの在りようだと思う。