熊本熊的日常

日常生活についての雑記

散歩と会話の日

2009年01月31日 | Weblog
久しぶりに神保町を歩いた。子供がスキーウエアが欲しいというので、一緒に買いに出かけたのである。生憎の空模様の所為なのか、スキーウエアというものを買う時期ではないのか、スキーそのものの人気が低迷しているのか知らないが、週末だというのに店内は閑散としていた。店員に尋ねてみると、スキー人口そのものの落ち込みが激しいとのことだった。

自分の学生時代はテニスとスキーが同世代の社交に欠く事のできないものだった。今の若い人たちは一体どのような運動を楽しんでいるのだろうか。かつてに比べて身体を動かさなくなっているということはよく耳にする。その時々の流行というものがあるので、特定分野の動向を無闇に敷衍するわけにはいかない。しかし、生き物の活動水準が低下するということは、その生命力に翳りが出てきていることを示唆しているということではないだろうか。

スキーウエアを買った後、まつやで蕎麦を食べ、竹むらで田舎しるこを頂く。まつやも竹むらも昔ながらの日本家屋で、どちらも区の「景観まちづくり重要物件」に指定されている。この界隈にはほかにも同指定を受けた建物がいくつかあり、それらがごく一般的な中層建築と混在して、なんとなく妙な雰囲気だ。指定を受けたことで、どのような制約を受けるのか知らないが、おそらく受ける助成よりも維持費用のほうが勝っているだろう。老舗とはいえ商売は決して楽ではないだろうに、店舗の維持保全までしなければならないというのは、大変な努力を要することだろう。

まつやは店舗の建物以外に特筆するほどのことはないのだが、竹むらの田舎しるこには思わず唸ってしまう。碗の佇まいがよい。そして、碗を開いたときの姿が美しい。餡の色艶とその中央に浮かぶ餅の肌の風合、それらが調和した容姿が素晴らしい。もちろん味も文句のつけようがない。しるこという日常の食べ物でも、芸術の域にまで高めてしまう日本の食文化というのは、やはり大切にしなければいけないと改めて感じてしまった。

再び神保町へ戻り、書店を見て歩く。一通り淘汰を経ているようで、どの店もそれなりに客が入っている。古本と言っても千差万別で、単なる中古もあれば骨董品のようなものもある。古い文学全集には装丁に凝ったものも少なくなく、中身もさることながら、そうした外見に惹かれる人も少なくないだろう。子供はこういう古本屋街を歩くのは初めてなので、ひたすら感心している様子だった。三省堂にも入ったが、やはり大型書店は楽しい。文庫本のコーナーで子供と自分が読んだ本を紹介し合いながら話をしていると飽きることがない。

子供を家に送り届けた後、今度は場所を変えて学生時代の友人と十数年ぶりに会った。互いに容姿は老け、話題も年齢相応のものになるのだが、2人の間に流れる空気のようなものは学生時代とさして変わらないように思われた。結局、たいしたものも注文せずに4時間ほど話し込んだ。店にとっては嫌な客だろうが、それほど混んでもいなかったのでお許し頂けるだろう。

活字で名刺

2009年01月30日 | Weblog
たまたま地下鉄の駅で配布している情報誌で、銀座で活字印刷を続けている印刷所が紹介されていた。自分の名刺を活字で作ろうと思い、さっそく訪ねて注文した。校正を経て、注文から3日目の今日、出来上がってきた。なかなかの出来映えである。

この印刷所はマンションに挟まれるようにして建つ木造2階屋だ。入口の引き戸をがらがらと開けるとカウンターになっている。活字の収められた棚が入口近くから奥まで続き、いかにも印刷所という風情。対応して頂いたのは、この会社の社長。好奇心のおもむくままにいろいろ尋ねてみると、時に資料を持ち出しながら、口調はざっくばらんながら丁寧に説明してくださった。この時の資料のひとつに「印刷に恋して」という本があった。イラストが豊富で楽しげな本だったので、さっそく帰宅後に本やタウンへ注文した。

今はもう活字を使った印刷をしているところは殆ど無いそうだ。ということは、活字を扱う職人も後継者がいないということになる。確かに、活字の鋳造にも、その活字を組んで印刷の原版を作るにも、それぞれに熟練技術者を必要とするが、デジタル化された工程においてはこれらが機械に取って代わられ、原稿から印刷物に至る時間は格段に短くなり、同時にコストも削減される。経済合理性という観点では、活字を残す理由は無いだろう。ちょうど音楽ソフトがレコードからCDへ、そしてネット配信へと姿を変えたのと同じことである。それでもレコードが限られた愛好者のために辛うじて残っているように、活字も細々とは残るのだろう。

生活の豊かさというのは、自己表現の手段がどれほど多様であるかということによって計られるような気がする。好むと好まざるとにかかわらず、社会を構成して生活する動物は、その成員の序列付けを行う。犬でも猿でも人間でも、自分が属する社会のなかでの位置づけを明確にしておかないと安心できないものである。人間が畜生と違うのは「社会」の成り立ちがより複雑で、同じ成員間の序列付けが属する社会によって異なるということである。例えば「釣りバカ日誌」の主人公ハマちゃんは勤務先の会社のなかでは平社員だが、釣り愛好家の仲間としては、社長のスーさんを指導する位置にある。社会が豊かになりひとりの人間が多くの組織や社会に重層的に関わるようになると、それだけ立ち位置というものも多元的になるということだ。当然、自分がどの立場にあるかによって、自己表現は自ずと変化する。クラーク・ジョセフ・ケントは新聞記者然とした風貌であるし、スーパーマンは浮世離れした風貌だ。こうした選択肢が、社会が豊かになるにつれて広がってくると思うのである。

名刺というのは、それを持っていること自体がひとつの表現であり、複数の種類を持ち使い分けるということも表現であり、その名刺のデザインも表現だ。そこに印刷されている肩書きにこだわるのも表現なら、文字のスタイルに凝るのも表現である。たかが名刺1枚にしても、それが語ることは使用される文脈によって無数の内容がある。尤も、その内容を読み取ることができるか否かというのは、個人の能力の問題である。

活字の世界が消滅し、もはや活字印刷の名刺を持つことができない、というような事態に至るとすれば、それは技術が発達したということではなく、その社会が衰退したということだと思う。

けんもほろろ

2009年01月29日 | Weblog
昨日は10年来の付き合いになる人材斡旋業者と茶を飲みながら1時間半ほど四方山話に花を咲かせた。もちろん、彼や自分が関わっている業界での人材市場の動向も話題にはなるが、親の介護の話、葬儀屋の話とか子供のことといった同世代ならではの共通の話題に傾きがちになる。

金融業の雇用市場は昨年の敬老の日あたりを境に激変したという。金融といっても様々な業態があるので、どこかが悪くても別のところはそれほどでもない、というのがこれまでの姿だった。しかし、今は全てにおいて採用活動が停止しているのだそうだ。「13年この仕事やってますけど、こんなの初めてですよ」ということらしい。それでも20歳代の女性に関してはかろうじて動きがあるようで、「昨日も1件決めてきました」と言っていた。尤も、彼の仕事は雇用が成立した紹介者の初年度の年収に対して数パーセントという形で手数料収入を得るので、低年収層の仕事だけでは事業としては厳しい。そこで、遅ればせながら顧客層の範囲を広げようと動き始めたのだそうだ。

雇用が動かなければ、彼のような仕事も成り立たない。まだ切迫したものは感じられなかったが、それなりに危機感は持っている様子だった。彼によると、解雇されても事態を理解できていない人が思いの外多いという。「すぐに次の口が見つかると思っている人が多いんですよ。なんでそう思うのかなって不思議なんですよね。」

いろいろ話をしたが、私個人にかかわるようなことは何もなかった。「熊本さんを雇うところはないですよ。」けんもほろろとはこういうことを言うのだろう。

なぜか安心

2009年01月28日 | Weblog
帰国して、どこで何を食べても旨いと感じていた。自分の味覚が麻痺しているのではないかと、不安を覚え始めていたが、今日、ようやく御座なりな食事を頂き、なぜか安心した。

平日昼時、オフィス街には昼食を求める人が溢れる。少なくともその時間帯においては、「食」は売り手市場となる。優位に立てば、多少の横暴は通ってしまうものだ。業務用の冷凍食品をベースに同質同量の食事を一度に大量に短時間に供給し、客の回転を高めて、単位時間あたりの売上を極大化する。そんなふうに作られたものが旨いはずもなく、かといって食えない代物でもない。

旨い、というのは単に味覚の問題ではなく、食べた後の満足感に拠るものである。食べた後、なんとはなく寂しい気分になるものがある。ファーストフードのハンバーガーとか立食い蕎麦などがそれにあたる。一応人の手を経てはいるものの、限りなく自動販売機的な仕組みによって供される食べ物だ。食べる、というのは単に栄養補給を行っているのではなく、そこに作り手との交流があるのだと思う。意識するとしないとにかかわらず、人の感覚は目の前にある物理的なモノの背後にあるものも感じ取っているのだろう。

もちろん、世界には飢餓に苦しむ人々が大勢おり、食べるものがあるという幸運に感謝し、口に入るものがあるというだけで十分に満足すべきであるとは思う。しかし、どうせ幸運に恵まれているのなら、それをより大きなものにしたいと思うのが人情だろう。あるものはあるうちに最大限利用する。一寸先は闇なのだから。

「そして、私たちは愛に帰る」(原題:The Edge of Heaven)

2009年01月27日 | Weblog
題名だけ見るとつまらなそうだが、こういうのに限って面白いことが多い。この作品も期待を裏切らないものだった。

監督はドイツ在住のトルコ人。移民2世だそうだ。ドイツで生まれても、そこでは異邦人であり、トルコに行ってもそこに生活の場があるわけではないので、やはり異邦人だ。そうした身の置き場の無い漠然とした不安が、作品に登場するトルコ人に投影されている。異邦人的感覚というのは、単に国籍や居住地だけに拠るものではない。トルコにいても、そこで反政府運動に身を投じ、体制側から追われる立場にあるというのも、極端な例ではあるが、存在の不安を象徴している。

しかし誰であろうと、どこに居ようと、常に何かしらの不安や違和感を抱えているものなのではないだろうか。家族のなかにあってさえ、常に無条件で幸福を実感できるものではないだろう。むしろ、家族が自己の延長線上にある特別な関係であるという幻想があるからこそ、そこでの振る舞いが自己規制を欠いたものになり、ひとたび対立が生じれば泥沼化するものである。家族とか親子の関係というのは、近いが故に自分の相手に対する幻想が強すぎて、双方向の関係になりにくいものなのかもしれない。

私自身は人の子であり親でもあるので、子から見た親、親から見た子、どちらの視線も自分のなかに自分なりのものを持っているつもりである。当然のことながら、子としての経験のほうが親としての経験よりもはるかに長いので、親として子と向かい合う姿勢は、自分が子として観察した親の姿から得られたものが良きにつけ悪しきにつけ反映されている。自分が親から何を得たのか、自分の子供が自分から何を感じて欲しいのか、というようなことは言葉で表現できないことのほうが多いし、極めて個人的なことでもあるので自分のなかに秘めておくべきだと思っている。ただひとつだけ言えるのは、親子というのは特別な関係ではないということだ。もちろん、子が親の保護なしに生きていくことができないうちは話は別だが、成長して物心がつけば、生活力は未熟でも人としては立派な個人だ。そうなれば親子の関係も、人が生活をする上で否応なく取り結ぶ数多の人間関係のひとつに過ぎないと思っている。

この作品には3組の親子が登場する。ドイツ在住のトルコ人の父と息子、ドイツ在住のドイツ人の母と娘、ドイツに住む母とトルコに住む娘。邦題が示唆するように、それぞれに問題を抱えながら、最後は和解する親子の関係が描かれている。映画としては、物語の構成が絶妙で、映像や台詞が研ぎすまされている素晴らしい作品だと思う。ひとつひとつのエピソードを貫く確たる思想のようなものが感じられ、製作者が言わんとする思いが静かに力強く伝わってくる。現実が映画のようにきれいにまとまるものではないからこそ、そうした人の心の美しさのようなものを描いた作品に、自分の心が洗われる思いがした。

君死にたもうことなかれ

2009年01月26日 | Weblog
帰国して3週間目に入った。東京で気になるのは、鉄道が毎日のように人身事故で遅延することである。WHOが2007年11月現在で入手可能な資料をもとにまとめた国別の自殺率(人口10万あたりの自殺数)によると日本は24.0で9位だ。日本の自殺率は明治の終わり頃から昭和12年まで20前後で推移し、太平洋戦争前後に12乃至15程度に低下した後、昭和30年から33年にかけて25前後まで急上昇した。その後は平成9年まで20をやや割れたあたりで安定していたのだが、それが平成10年以降は25前後で高原状態となっている。

自殺を図る人の多くは鬱病に罹っているとも言われている。死に方は事故死的だが、鬱病の所為で自殺を図るに至ってしまうのであれば、病死とも言える。病気なのだから、命を断つ方法をあれこれ考える余裕などないのかもしれない。しかし、敢えて言わせてもらえば、やはり考えて頂きたい。鉄道、しかも利用者の多い首都圏の通勤線に身を投げたら、その後にどのような事態が起るか想像できないわけではあるまい。状況によって多少の違いはあるだろうが、少なくとも20分、死体が轢断されて散らばってしまえばさらに長い時間、その路線は運行できなくなってしまうのである。首都圏なので代替経路はいくらでもあるのだが、足止めを食った利用者のなかには一刻を争う状況に置かれている人だっているだろう。その遅延のために、人生の歯車が狂ってしまう人だっていないとも限らない。要するに、大勢の人が迷惑を被るのである。

人の一生の間にはどのようなことが起きるかわからない。しかし、ひとつだけ確実なことがある。人は生まれたら、必ず死ぬのである。ついでに言うなら、人は自分の意志で生まれることはできないが、死ぬことはできる。放っておいてもやがて確実に死ぬのだから、なにも慌てることは無いのだ。

生きていれば思うようにならないことはたくさんあるし、そんなことが重なれば生きているのが嫌になることだってあるだろう。しかし、そういう日常の困難をひとつひとう克服したり解決することに生きる喜びがあるのではないだろうか。苦難の無い人生というのは、そんなものがもしあるとすれば、平板でつまらないだろう。目の前の困難がほんとうに解決不可能なものなのか考えてみたらよい。自分の前に大きく立ちはだかっているものが、少し見方を変えてみたら思いの外に薄っぺらだったりするかもしれないし、思い切って体当たりをしてみたら、難なく通り過ぎてしまうかもしれない。

それでもどうしても死んでしまいたいというのなら、他人を巻き込まない方法を考えて欲しい。他人に迷惑をかけない、というのが社会での最低限のルールであるということは人間として最後までわきまえてもらいたい。

どっちもどっち

2009年01月25日 | Weblog
1月22日付「銀座考」に関連して質問を頂いた。自分の子供にロンドンと東京をどのように説明し、何を伝えるか、というのである。都市としての個性があるロンドンと、利便性は高いがどこの国の街だかわからない東京を比べたらどちらが魅力的か、とも尋ねられた。

自分は日本人なので、ロンドンと東京とどちらが魅力的かと尋ねられれば、迷わず「東京」と答える。自分が重ねてきた時間と文化が東京とその周辺に偏っているので、そこで暮らすことに自然な心地良さを覚える。

しかし、ロンドンがお話にならないというわけでもなく、ましてや東京が文句無く良いというわけでもない。

東京、というより日本の建築やインテリアで違和感を覚えるのは、まがいものがまがいものとして堂々と跋扈していることである。例えば、家屋の外装材に使われるサイディングというものがある。このデザインで多いのが煉瓦模様である。煉瓦の壁が好きなら、煉瓦を貼ればよさそうなものだが、煉瓦模様のサイディングを貼って煉瓦の家に住んでいるつもりになる。家具などで、スチールや集成材に木目のプリントを貼った「木目調」ナントカというものも多い。そういうものを受け容れる美意識が理解できない。その素材のありのままを何故受け容れることができないのだろうか?なぜ一見して偽物とわかるような偽装を施すのだろうか?

銀座に関しては、局地的な「なんちゃってパリ」とか「なんちゃってミラノ」だのを並べただけの「なんちゃって大会」な街に成り下がってしまったように感じるのである。もともと、銀座は明治政府の欧化政策のなかで生まれた街並である。しかし、そこには単なる真似ではなく、欧州の文物を日本の文化に翻訳するという作業があったように思う。新しい文物を前にして、まず解釈があり、理解し、自分流に表現するという至極真っ当な過程があったはずだ。だからこそ、銀座が独自の文化の発信地となり得たのだと思う。なぜなら、理解できないものは表現できないからである。それがいつのまにか解釈も理解も表現もなくなってしまい、単に表層をなぞって満足している、真珠をつけた豚や小判を貼付けた猫が徘徊するようになってしまったのは、市場原理の必然的な帰結と言うべきなのかもしれない。

尤も、これはロンドンでも同じことである。リージェント・ストリートやオックスフォード・ストリートに軒を連ねる店舗は、今やその殆どがチェーン展開をする小売業者の店舗である。さすがにボンド・ストリートやその近辺の路地は往年の風格を残しているが、英国人が好きな(好きだった)品の良い骨董店や局部的に凝った手工芸品を扱う店はだいぶ少なくなってしまった。

「ウィンブルドン現象」という言葉がある。市場経済において、外国系資本が国内資本を駆逐してしまうことを意味するものである。テニスのウィンブルドン選手権で、会場となっている英国の選手が優勝争いから遠ざかって久しくなってしまったということに語源がある。ウィンブルドンはロンドンの南にあるのだが、ロンドンがあらゆる面において丸ごとウィンブルドン化してしまったかのような印象がある。あるいは米国化してしまったとも言えるだろう。そのきっかけとなったのがサッチャー政権時代の規制緩和策や国有企業の民営化といった施策に象徴される市場原理の浸透にあるようだ。数多く売れるものが市場を席巻する。数多く売れるのは大衆趣味のものということなので、個性は忌避され、結果としてチェーン店が繁盛するということになる。

こうして考えてみると、ロンドンも東京も似たり寄ったりということになる。それなら、自分の母国という情緒的な事情を除外してみても、街が比較的清潔で、公共インフラがまともに機能している東京のほうが、やはり魅力的という結論になる。ロンドンが個性的と感じられるのは、おそらく景観の影響もあると思う。しかし、建物や街並に個性があっても、その中身に個性がなければ「仏作って魂入れず」ということだ。実はロンドンも東京に負けず劣らず薄っぺらになっていると思う。

旨い

2009年01月24日 | Weblog
家財道具がまだ日本に届かないので、毎日外食である。今暮らしている場所は初めての土地なので、毎回違う店を訪れている。驚くべきことに、今のところハズレが無い。

駅から続く商店街から少し外れたところにある「たなかや」という店の手延べうどんは、口に入れた瞬間、「旨っ!」と思った。そう思うと店の人と話をしたくなる。少し遅い時間の昼食だったので、客は私以外に1人しかなく、私が食べている最中に給仕をしていた女性も「お先にぃ」と言って帰ってしまった。勘定を払う時、調理場から男性が出てきたので、その人にいろいろ尋ねてみた。店自体は10年以上も前からあるそうだが、3年ほど前にオーナーが交代したのだそうだ。その人は、前のオーナーのお知り合いで、オーナー交代を機にこの店に入ったそうだ。だから、その板前さんが入った前と現在とで味がどの程度変化したのかわからないが、少なくとも今はとてもおいしい。

「たなかや」と同じ通りに「くまさん」というアジア料理の店がある。ここもいつも賑わっている。店内が禁煙ではないので、少し煙たいのだが、料理はおいしい。私が頂いたのはレタス炒飯。炒飯は当然しっかり作られているが、この料理のポイントはレタスの投入時期ではないかと思う。火が入り過ぎてはくたくたになってしまうし、火が足りないとレタスと炒飯が一体にならない。これはしっかりとまとまっていた。

商店街の通りに面した建物の地下に「ハンガラム」という韓国料理屋がある。地下にある店というのはあまり利用しないのだが、なんとなく入ってみた。チヂミが好きなので、チヂミ定食を頂いた。給仕をしている店員が2人いて、片方の人は日本語が通じなかったので、少し期待していたら、期待以上の味だった。

駅前の「泰平飯店」もよかった。よくありがちな、限りなくラーメン屋に近い中華料理店だろうと思ったが、なかなかのものである。いわゆる本格中華ではなく、日本の中華である。ロンドンで暮らしていた時、近所に業務用の中華食材を扱う店があって、よく利用していた。そこで買った冷凍餃子や冷凍焼売を食べて、店で食べていた餃子や焼売は殆ど既製の冷凍食品であったことを実感した。しかし、この店の焼売は、私が自分で作ったものに近い味がした。自分の料理が旨いと言っているのではなく、手作りのような印象を受けたということだ。

商店街から少しだけ路地にはいったところにある「きりん」の豆寒は、口に入れた瞬間、「おっ」と思った。蕎麦と豆寒のセットを頂いたのだが、蕎麦は特筆するほどのものではなかったが、豆寒にかける蜜が今までに食べた事がない深みのある味だった。寒天もさりげなく自己主張をしており、これほどしっかりした印象を与える豆寒は食べたことがなかった。

今日は中野で落語を聴いた後、金曜にやり残した仕事があったので職場に出かけた。なぜか休みを取っているはずの同僚が、その仕事を片付けてくれていたので、電池が切れていた携帯電話の充電をして、メールを整理して職場を出た。夕食時だったので職場近くのビルのなかにある「小松庵」という蕎麦屋で蕎麦と天ぷらを頂く。この店は蕎麦も天ぷらも旨く、店内の雰囲気も落ちついていて気に入っている。本店は駒込にあるそうだが、まだ訪れたことがないので今度行ってみようと思っている。

日本に帰ってきて、毎日のように旨いものを頂くことができて、それだけでも帰国した甲斐があったと喜んでいる。

生活空間

2009年01月23日 | Weblog
災害に被災した人たちが仮設住宅で暮らすことになり、そこで暮らすことによるストレスが問題になることがある。そんな話を聞いたとき、自分には「仮設ストレス」というものがどのようなものなのか想像できなかった。それが今はなんとなくわかるようになった。

現在暮らしているのはウィークリーマンションの11平方メートルの部屋である。この広さにトイレバスユニットとベッドを置くと使える広さはかなり小さい。そこで生活があるので、食べるものは外食に依存するとしても、着るものはそれなりに持ち、それらを整理しておく場所が必要になるのだが、それが十分に確保できない。他にも諸々整理したいものがあるが、とにかく場所が無い。広さの問題というよりも、機能を確立できないという問題なのである。

ウィークリーマンションに問題があるわけではない。部屋の乾燥には少し困っているものの、交通至便で生活環境としても良好な場所に立地するものを1泊5,000円で利用できるというのはありがたいことである。

暮らしに何が必要なのかということは、ロンドンでの生活でも考えたことだが、物理的な空間の限界というものは、今改めて考えさせられている。次に住む場所がほぼ決まり、今の生活の終わりが見えているから我慢できているが、これが災害の仮設のように、いつ終わるかわからないとなると、確かに心穏やかに暮らすことはできないと思う。

勿論、生活は物理的なものだけで成り立っているわけではない。暮らしは物理的なものと精神的なものと、それらを現実的に支える経済的なものなどが渾然一体となったものである。快適と感じるのに欠如しているところを、ない知恵を絞り出しながら生きるのが生活だ。生活とは難儀なものだと、改めて思っている。

銀座考

2009年01月22日 | Weblog
PCの修理だの個人的な名刺の作成といった用があって、今週は何度か銀座の街を歩く機会があった。久しぶりに眺める銀座の街並はなんとなく薄っぺらに見えた。今、地方都市では商店街の衰退が問題になっているが、地価が日本で一番高い場所がこの程度では、地方の商店街がシャッター街になってしまうのも無理はないように思う。

目抜き通りと電通通りに挟まれた区画に、ブランドのビルが数多く並んでいる。どれも建築や美術系のメディアにも取り上げられることが多く、おそらく世界的に有名なビルばかりだと思う。建物だけ見れば、意匠についても技術的なことでも画期的な部分がいくらもあるのだろう。しかし、建物というのは、その中に人が暮らしたり働いたりするものであり、それが立地する土地との関係というものもある。その場所の文化におかまいなく「著名建築家が設計した有名ブランドのビルだぞ、どうだ参ったか」風に建てられたのでは、「ほぅ、これが」と感心する人も勿論大勢いるだろうが、「ばっかじゃねーの」としらけてしまう人も少なくないのではなかろうか。

世にある生き物は全てその命をつなぐことを目的に今を生きている。人は自我を持ち、それをそれぞれのやりかたで表現し、その集団は集団としての自我を持ち、やはりそれをそれぞれに表現し、世の中で認知されようと努力している。街並もそうした表現のひとつだろう。大衆社会の小市民記号を羅列しただけの街並には、文化もなければ思想もない。それが地価の最も高い、つまり商業地としての価値が最も高い地域の姿であるというのは、結局、この国はその程度でしかないということなのだろう。あるいは、心ある人はどこか別の場所でそれぞれに蠢いているのかもしれない。そんな蠢きに出会えたら、それは愉快なことである。今あるブランドも最初は個人の思いつきであったはずだ。それが才能と努力と運と縁に恵まれて現在の姿になっているのだろう。なにか新しいことを創り出す、世の中の既存の価値観に一石とはいわないまでも砂粒を投じてみる、そんなことができたら楽しそうだ。

行く人来る人

2009年01月21日 | Weblog
帰国して10日が経ち、住む場所の目処も立ちつつあるので、日頃会う機会のない友人知人に挨拶状のメールを送った。それほど頻繁に交流があるわけでもない人たちなので、共通の文章で33の宛先に一斉送信したところ、宛先不明となった先が5件あった。うち4件は職場のメールであり、さらにそのうちの3件は自分の同業者である。その人たちが今どうしているのか知らないが、改めて今自分が置かれている危機的状況を感じないではいられなかった。

身体一つで1日24時間という制約のなかで、人と知り合い、交友を深めていくというのは容易なことではない。よく「人脈」という言葉を耳にするが、その意味するところが未だに理解できない。そもそも自分自身を理解することすら難儀なのに、他人のことなど容易にわかるはずがない。

何年か前に思うところがあって日記を付け始め、それとは別にブログも始めた。日記は個人的なものなので、それほど考えもなしに思いついたことを書き留めているだけだが、ブログは不特定多数の目に晒されるものなので、それなりに考えて書いているつもりである。昨年4月14日からは毎日更新しているが、わずかに10ヶ月の間ですら、書いている自分自身の考え方に変化があることが自覚できる。もちろん、それは微妙な変化でしかないのだが、それが積み重なれば大きな変化である。

今の自分は過去の経験や体験の積み重ねの上に生きているが、過去の自分とは別人である。しかも、その変化の方向性は予測不可能だ。過ぎてしまった事実は変えようがないが、先の事は人や出来事との出会いによって思わぬ方向に展開することだってあるだろう。過去の事実にしても、それをどのように解釈するかというのは現在の課題だ。今の自分がどのような思考をするかによって、過去の評価さえ変わるのである。

齢を重ねて自分とは結局は空なのではないかとの思いが強くなってきたからこそ、実体を感じることのできるものに惹かれるようになった。人付き合いにおいては、直接相手と対面するという機会を大切にしたいと思う。遠距離にいて物理的に対面することが能わない相手に対しては、メールよりは手書きの郵便を使うように心がけたいと思う。関係の広さも深さも同じくらい大事だが、とりあえずは今目の前にあるひとつひとつを大切にしていきたいと思う。

史上最低

2009年01月20日 | Weblog
今日、外国為替市場で英国ポンドは円に対し125円台となり、市場最安値を記録した。英国の大手銀行であるロイヤル・バンク・オブ・スコットランドが過去最大の赤字になる見通しとなり、英国が金融危機に陥る懸念がにわかに高まったことが背景にあるとの報道があった。

これまでポンドで給料を受け取っており、今月分は日本で働いているのにポンドで支給された。ポンドはロンドン着任当時の半値近く、つまり円換算の私の給料も半値になっているのである。今のご時世では給料を頂けるだけでもありがたいということはわかっているつもりなのだが、こうしたことも私のロンドンに対する印象を悪いものにしていることは否定できない。

外国為替相場というのは実体があるようでいて無い。もちろん、貿易の決済や投資に絡む金銭の遣り取りのような実需はある。しかし、市場で取引されている資金の殆どは投機資金といわれている。

外国為替相場のあるべき水準を語るもののひとつに購買力平価というものがある。これは、仮に世界中の誰もが同じ生活を営んでいるとして、その生計費を比較する場合の通貨の交換レートである。たとえば、世界の誰もが同じような家に住み、同じようなものを着て、同じようなものを食べているとする。その場合に、日本では1日に1万円かかり、米国では100ドルかかるとする。これは1万円と100ドルが生計費という尺度で見た場合に等価であるということだ。10,000円=100ドル、つまり100円=1ドルだ。

理屈はわかるが、生計費の一つ一つの費目を計算するのはたいへんなことである。そこで、この概念をもっとコンパクトに表現したものが現れた。英国の経済誌「The Economist」が毎年夏に発表しているBig Mac Indexである。

マクドナルドのハンバーガーはバンズもパテも野菜類もすべて規格化され、世界中どこの店舗でも同じ商品を供給していることになっている。そこで、世界中のマクドナルドで販売されているビックマックの値段を基に外国為替相場を表現したのがBig Mac Indexである。同誌の昨年7月24日号によると日本でのビックマックの価格は280円、英国では2.29ポンドだ。つまり、1ポンド=122.27円である。当時の実際のレートは210円前後で上下していたので、ビックマックを基準にした水準からはポンドが対円で過大に評価されていたということになる。ちなみに、米国でのビックマック価格は3.57ドルで、これに基づけば1ドル=78.43円である。

ハンバーガーの価値というのは文化によって異なる。毎日ハンバーガーを食べても全く平気という人が多く暮らす国もあるだろうし、あんなものは見るのも嫌だという人が多く暮らす国もあるだろう。ビックマックの280円が適正価格だと思う日本人の割合と、2.29ポンドが適正だと考える英国人の割合は、おそらく同じではないのである。購買力平価というのは、そうした価値観の価値までは反映されていない。あくまでも数多くある尺度のひとつでしかない。

しかし、いざ現実の為替レートがBig Mac Indexとほぼ同水準になってみると、妙に納得してしまったりする。巨額の富を抱えていれば話は別だが、私のような貧乏人にとっては、相場というのは与件であり、自分の努力でどうこうなるものではない。ポンドを円に換えてもらうのに、1ポンド200円ですといわれれば、はぁそうですかといって両替してもらい、120円ですといわれれば、はぁそうですかといって両替してもらうしかない。なにもこんなことは相場に限ったことではなく、生活のなかにはいくらでもあることだ。

人の生活のなかには自分で決めることができることとできないことがある。現実のなかでは、決めることができるのに、ろくに考えもせずに習慣に従ってしまっていることが多く、自分ではどうすることもできないのに、あくせくと無駄な努力を重ねていることが多いのではないだろうか。自分で決めるべきことは自分で考えて決め、そうでないものは潔くあきらめる。そういう真っ当なことの割合を自分のなかで少し増やしてみたら、それだけでもっと気持ちよく生活できるようになる気がする。

そう思いながらも、手持ちのポンドを見れば、あの時に円に換えておけばと後悔の念が頭をもたげるのも生活の中の現実だ。

価格考

2009年01月19日 | Weblog
先日、パソコンを使っていたら「起動ディスクがいっぱいです」という表示が出たので、使っていないアプリケーションをいくつか削除した。その場は何事もなかったのだが、次に使おうとしたら起動しなくなってしまった。今、パソコンを2台使っているので、もう1台のほうで販売店のサイトにつないでサポートの予約を入れた。今日はその起動しなくなったパソコンを抱えて、銀座のApple Storeへ行って来た。

2階にサポートのコーナーがあり、担当者が懇切丁寧に対応してくれる。予約したのは1時間だったが、5分程度で問題は解決してしまった。いったい料金はいくらだろうと思っていたら、無料なのだそうだ。

パソコンは、マザーボードはどこのメーカーの製品であろうとさしたる違いはなく、筐体や付加機能の違いなどで価格に幅が生じる。以前使っていたHPのパソコンは安かったけれど、サポートは無きに等しかった。マックは特に高くも安くもないと思うが、コストパフォーマンスが良いという話はよく耳にする。私の場合はそれほど高度な使い方をしているわけではないので、残念ながらコストパフォーマンスの良さというものを実感したことは無かった。しかし、近くにショップがあれば、こうして持ち込むとその場で対応してもらえて、ついでに普段使っていて気になることの相談にものってもらえる。機械そのもののコストパフォーマンスとは別に、製品に付随する様々な便益を享受することができるという意味でのコストパフォーマンスは、少なくとも自分にとっては満足のできるものだ。

人と人との関係だけでなく、人とモノやサービスとの関係も、状況によって大きく変わるということだろう。以前、ベンツのテレビコマーシャールで「高い100円もあれば、安い100万円もあります」というような台詞があった。100円なり100万円なりの価値を決めるのは、そのものを手にする自分自身なのである。価格と価値というのは同じものではない。

今使っているマックは4年前に購入したPowerBook G4だ。そろそろ買い換えが視野に入ってきているのだが、今日販売店で見てもらって、まだまだ現役続行ということに決めた。

名刺入れから始まる人生

2009年01月18日 | Weblog
先日、AERO CONCEPTの名刺入れを買った。ヌメ革張りで、今はまだ誰のものでもないといった風情だ。使っているうちに日光に焼けたり皮脂が染み込んだりして「あめ色」と呼ばれる色になっていく、予定である。色や風合いの変化は、持ち主である私の生活を反映したものとなる。完成形というものはないが、年月を重ねるにつれ、その様相は他の誰のものとも違う私だけのものになる。

今日はこの名刺入れの製造元にお邪魔して、工場を拝見し、AERO CONCEPTのコンセプトも含めて、代表取締役の方といろいろお話しをさせていただいた。久しぶりに楽しい会話ができたので、ご迷惑ではないかと気になりつつも、ついつい長居をしてしまった。経験を重ねるなかから抽出されたもので構成された考え方というものは聞いていて気持ちが良い。考え方というものは、その人の中にあって外から見えない、というものではない。その人の佇まいや生活空間に自然に反映されるものだと思う。工場を拝見させていただいた後、同じ敷地内にある事務所でお話しを伺ったが、この事務所の中がまた良い。子供の頃、年上の従兄弟の部屋を訪ねたときの楽しい感覚が甦るようだった。

この名刺入れは、今の勤務先の名刺用には使わない。社会人になって何十年も同じ業界で働いているので、自然と人間関係が固まってしまっている。それが良いとか悪いということではなく、自分の生活史の相転換として、そろそろ新しい生活を始めてみたい。その新しい生活用にこの名刺入れを使いたい。革は使用に応じて自然に変化する。その変化にふさわしい自分の生活がそこにあるかどうか。いつも手元にあるものだからこそ、それを目にするたびに自分の状況の変化を否応無く意識することになるだろう。自分の生活がしっかりしていれば、この名刺入れも味わい深いあめ色になっているような気がするのである。

初めての家電

2009年01月17日 | Weblog
帰国して最初に調達した家電製品はアイロンだ。帰国してからも、これまで同様にミニマムライフを続けるつもりである。それでも生活する上での必要最小限の家財道具は持たないわけにはいかない。今住んでいるウィークリーマンションの部屋は11平方メートルのシングルルームで、湯を沸かす程度の器具はあるが自炊できるほどの設備はない。洗濯に関しては共有スペースにコインランドリーがある。家事のなかで可能なのは洗濯くらいのものである。

無印良品で室内物干しとアイロン台とアイロンを買った。以前、何かの雑誌で無印のアイロン台が使いやすいという記事を読んだことがあり、このアイロン台を使ってみたかったのである。物干しとアイロンはそのついでに購入したようなものだ。使ってみると、確かに良い。シャツの肩がアイロン台の角にぴったり合うのである。作業が円滑に進む感覚というのは、それがどれほど些細なことであれ、気持ちの良いものだ。ただ、アイロンはロンドンで使っていたフィリップスの大きなもののほうが使い易い。アイロンはある程度の重量があったほうが、きれいにプレスができるように思う。慣れの問題もあるのだろうが、無印で買ったものは、高温に設定しないと蒸気が出てこないというのが不便に感じられる。中低温でも蒸気が出るようにしていただきたいものである。

これから揃える家電製品は住処が決まってから決めることになる。自分で保有しなければならないものというのは、それほど無いような気がするが、実際に生活を始めてみないとわからない。ただ、選ぶときには、ひとつひとつこだわってみようと思っている。

ちなみに、無印のアイロン台の記事は、スポーツ関係のものだった。アイロンとアイロン台を持って山に登り、山頂でアイロンがけをする、という競技があるのだそうだ。その世界大会もあるらしい。その紹介記事のなかで、取材を受けていた日本人選手が無印のアイロン台について語っていたのである。