熊本熊的日常

日常生活についての雑記

読書月記 2016年6月

2016年06月30日 | Weblog

1 柳家喜多八、三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎 『落語教育委員会』 東京書籍

喜多八のサイン本。2012年の秋に博品館での独演会に出かけた折に会場で購入。買ってすぐに読んだときはそれほど面白いとも思わなかったのだが、こうして読み返してみると自分の琴線に触れる言葉に溢れている。

本の元になっているのは鼎談。歌武蔵が司会役だが、アンカーマンは喜多八という感じ。芸とは何か、芸人とは何者か、という意識が三人それぞれに強く持っていて、そこを背景にした言葉の往来が楽しい。「売れたい」と言いながら、己に対する評価の軸はそんなセコなところにはないことがよくわかる。喬太郎が好きな噺として「替り目」を挙げていたが、物事の本質は瞬間とか断面といったものに凝縮されているのかもしれない。また、或る会話とか行為からその背景を読み解くのが感性とか知性というもので、細々と伏線を張って喧しく説明しないとわからないというのでは生きていてもしょうがないだろう。近頃はその生きていてもしょうがないようなものが多くなったような気がする。

 

2 高田里惠子 『文学部をめぐる病い 教養主義・ナチス・旧制高校』 松籟社

『打ちのめされるようなすごい本』の一冊。著者はあとがきのなかで「本書を読みながら、何回かは、思わず吹きだしてしまうはずである。」と書いているのだが、私は一回も笑うことができなかった。それはおそらく、人間というものに対するイメージが著者と私とで大きく異なるからだろう。本書で描写されているのは哲学を持たず時勢に迎合して権力や世相に擦り寄る「知識人」の矮小さである。それを笑うことができるのは矮小ではない人だ。この本を紹介している米原の文章を少し長くなるが以下に引いておく。

「積極的な軍国主義者ではない、むしろ気弱な小市民に過ぎないのに無自覚のまま戦争に加担していった彼らの精神世界を、病的と断じる著者は、そこに旧制高校文化とも言える教養主義(ドイツから借用)を見る。それが、「強者への擦り寄りを隠蔽し、自分自身をアウトサイダーや批判者と見なしてしまう朗らかさ」を彼らにもたらした、と。この意地悪な視点から分析されると、『ビルマの竪琴』も『車輪の下』も『きけ わだつみのこえ』も中野孝次の連作自伝小説も、情けなく矮小に見えてきて吹き出してしまうのだが、次の瞬間、胸に手を当てている自分がいる。全体として日本的精神の近代史にも、現代日本人の心性を映す鏡にもなっている怖さが本書にはあるのだ。」(米原 98頁)

30年以上もサラリーマンをやっていると、本書に書かれているセンセイたちの世界と、自分が生きてきたそれとの間に差異を見出すのが困難だ。誰しもが目先のことで右往左往し、つまらないことで己を大きく見せようとあくせくし、傍目にはどうでもいいことをさも大義であるかのように喧伝するものだ。結局はそういう矮小な小市民の群れによって社会や国家というものができているのではないのか。

センセイといえば、たまたま最近、東京都知事のしみったれ具合が話題になった。彼は選挙によって都知事になった人である。選んだ人間がしみったれだから、その親分のような奴が知事に収まっただけのことではないのか。同じく選挙で選ばれた都議会議員が知事に対して今ひとつ腰の入りきれない批判しかできなかったのは、己に後ろ暗いところがあるからだろう。考えること、やることは皆同じなのである。おそらく、参院選直前というタイミングでなければ、今回のことは知事の辞職にまではならなかったであろう。また、参院選を目前にした時期だからこそ政治資金ちょろまかし実態が白日のもとに晒されたとみることもできるだろう。辞めた都知事の下で都庁の不平不満が高まっていたということかもしれない。よほど嫌われていたのだろう。

景気の雲行きが怪しくなり、なりふりかまわぬ政策運営を強いられるなかで参院選が接近する。国政の与党である自公が推した都知事のセコい話が取り沙汰され、ネタがネタだけにお笑いのようなことになって衆目の注目を集め、よりにもよって選挙前に政権の雲行きまで怪しくなってきた。メディアへの露出や大衆受けしそうな介護体験本の執筆でポピュリズムに乗って首都の首長になった人が、大衆を愚弄するかのような姿勢を晒して消えていく。最後は涙を見せて同情を引こうとし、それが引き際を一層みっともないものにした。そのみっともなさは我々自身のものでもある。

それで本書のことだが、王様が裸であるという至極単純なことを膨大な資料を駆使して明らかにしている。世の中にとってはそういうことを殊更に表現して現実をはっきりさせるということが人々の現状認識の糧になって良いことなのかもしれない。しかし、だからどうだというのだろう?

 

3 『光村ライブラリー 中学校編 1 赤い実 ほか』 光村図書

昔、教科書に出ていた話でずっと心に引っ掛かっている作品がある。第二次大戦下の東欧を舞台にした作品で、ナチスの強制収容所に送られることになった男が移送中の列車から脱走するという話だ。ドイツ軍に逮捕されてから飲まず食わずで荷物のように移送列車に積み込まれたとき、たまたま隣り合わせた移送者からふとしたことで譲り受けたパン切れを心の支えに無事逃げ延びる。脱走中、何度となく危機に直面し、また、そのパン切れを食べてしまおうという気にもなる。しかし、その都度心を強くして、本当のいざというときに備えてパン切れを温存する。結果として、そのパン切れを口にすることなく家族の待つ家にたどり着くのである。ほっとして力が抜けて倒れこむ。そのとき、ポケットから転がり出たのはパン切れではなく木片だった。

鰯の頭も信心から、という言葉がある。どのようなことであれ、心を強く支えるものがあれば、人は多少の危機くらいは乗り越えることができるのではないか。たとえ単なる木片や鰯の頭であったとしても、自分がそれを核にして生きる指針を作りあげることができれば、強く幸福に生きることができるのではないか。そんなことを漠然と思いながら、いままで生きてきた。そういう漠然とした思いを作り上げる要素のひとつが国語の教科書に載っていた話だったりするのである。

急に思い立って、その東欧の話を再読したくなった。検索してみたらこの本に行き当たった。自分の記憶と多少違っているところもあったけれど、間違いなく本書に収められている「一切れのパン」という話だ。作者はF=ムンテヤーヌというルーマニアの作家だ。この作家の作品で日本語訳のあるものは他に何も見つけることができなかった。教科書の編纂者がなぜこの話を選んだのか、その経緯はどのようなものだったのだろう?

 

4 モンテーニュ(著) 原二郎(訳)『エセー』 3 岩波文庫

ようやく半分だ。どうしても長くなると飽きてくるところもある。それでも興味は持続している。科学に関する記述には、さすがに陳腐なところもあるのだが、それが本書の価値を損ずるものではない。人が何を考え、どのように世の中を見るものなのか、という普遍的なところに興味が尽きない。

結局、人はちっとも変わっていない。科学技術や文化は人間の活動の結果であって、その変化を過大に評価すると、人を自分を買い被ることになる。それは不幸の始まりだ。

 

5 信田敏宏 『ドリアン王国探訪記 マレーシア先住民の生きる世界』 臨川書店

国立民族学博物館の先生方が執筆された全20巻のフィールドワーク選書の第1巻。先日、みんぱく東京講演会を聴講した折に、会場でぱらぱらと眺めた数冊が面白そうだったのと、みんぱくの勝手応援団員としては買わないわけにはいかないと思ったので、友の会の会員割引を利用して全巻まとめて購入した。

本書は筆者がまだ博士課程の学生だった頃、実質的に初めてと言えるフィールドワークの記録だ。マレーシアの先住民オラン・アスリの村に入ってイスラムやキリスト教といった世界宗教や近代化に晒されていない人間本来の姿を見出そうというのである。結論から言えば、そんな純粋な世界などそこにはなかったのだが、「本来」を求めながら権力やら経済力といった我々の日常にあたりまえにある仕組みと格闘する姿に、なぜか社会人になったばかりの頃の自分の姿を重ねてしまった。多少アルバイトは経験したが、学生と社会人とでは生きる世界が全く違うことを身を以て知るということと、ここに書かれているフィールドワークとの間に、なんとなく重なるものが感じられたのである。

余談になるが、オラン・アスリの村の記述に第二次大戦中の日本軍の蛮行を示唆するかのようなところがある。軍人が駐留先の社会で乱暴狼藉を働くというのは日本軍に限ったことではないだろうが、軍隊という組織が持つ特殊性と人間社会が普遍的に持つ構造との関連性が気になった。

 

6 平井京之介 『微笑みの国の工場 タイで働くということ』 臨川書店

みんぱくフィールドワーク選書の第2巻。

かつて仕事でタイにある日本企業の工場をいくつか見学させていただいたことがある。ほとんどアユタヤだったが、キヤノン、ニコン、ミネベア、日本電産などの工場だ。アユタヤはバンコクから高速道路で1−2時間ほどなので、バンコクに宿を取っても、それほど不便ではない。自分の仕事の取引先に連れて行っていただいたケースもあれば、自ら訪問先の親会社にお願いしてお邪魔させていただいたところもある。連れて行っていただいたときは例外なくバンコク泊だったので、自分で行ったときはアユタヤに宿を取った。

自分で工場見学を手配したとき、訪問先の親会社によって対応が大きく異なったのが面白かった。ある会社では「タイ語はおできになりますか?」と尋ねられ、「できません」と答えたら、「それじゃ、無理ではないですか」と断られかけた。別の会社にお願いするときにそのことを話して「大丈夫でしょうか?」と尋ねたら、「大丈夫ですよ」と言われ、その会社の出張者が利用するという宿まで予約していただいた。改めて断られかけたところに「ホテルも押さえました」と連絡したら「ホテルなんかあるんですか?」と驚かれたが、工場見学の許可をいただくことができた。実際に訪れてみると「無理」と言われるのも無理はないと思った。東京の本社の窓口では断られかけたほうの会社の工場では大歓迎され、「ま、ゆっくり見ていってください」という言葉に甘えて広い工場の隅々まで丸1日かけて拝見した。昼はそこの社員食堂で鮭フライ定食をご馳走になった。

アユタヤには日本企業の工場が数多く立地しているのだが、出勤退社の風景に驚かされた。朝夕は企業が従業員の送迎に用意した大型バスがひっきりなしに往来するのである。それも半端な数ではない。アユタヤには様々な日本企業の工場がある。大手企業の工場は例外なく複数の通勤バスを運行していた。工場の建屋の従業員口には空港のセキュリティチェックに使うような金属探知機のゲートがあり、終業して家路に就くバスに乗る前にそのゲートをネックにして従業員の流れの渋滞ができていた。日本の工場でもそんなチェックをしているのだろうか、と素朴に不思議なことのように思われた。

それで本書だが、驚くような内容ではなかった。

 

7 李鳳來 『李朝を巡る心』 新潮社

新潮社の「青花の会」というものに入っている。毎月いただくメールに本書の紹介があり、早速注文した。

なんとなく坂田さんの『ひとりよがりのものさし』に似た雰囲気を感じた。

 

8 竜田一人 『いちえふ』全3巻 講談社

6月最後の週末に福島の原発で働く友人を訪ねた。土曜の夜にいわき駅前の居酒屋で一献傾け、日曜は彼の車でJヴィレッジ、天神岬公園、OLD CAR CENTER、願成寺白水阿弥陀堂を案内してもらった。当然、諸々の会話のなかに原発のことは出てくる。まして相手はそこで働いているのである。興味深い話はいくらもあって、このブログにも書こうかと思ったが、彼が「内容が正確だ」と紹介してくれた本書を読んだほうが私の駄文よりも有益だろう。


天然落語

2016年06月29日 | Weblog

落語は人間の業の肯定である、とは立川談志がよく言っていたことである。何をどう見るかという解釈の問題ではあるのだが、人間というものは不思議な存在だと思う。生まれてこようと思って生まれてきた人などいないだろう。命は与件であり、気がつけば自分がいるのである。それなのに権利だの義務だのと、そういうものが当然のものとして認められることを何の疑いもなく要求する。また、当然のこととして社会の仕組みを作ろうとする。確かに生存権というものを基礎におかないと秩序が成立しないのかもしれない。それにしても、いかに己の欲望を満足させるかという一事のために世間が動いているかのように見える。人間がどうあるべきか、社会がどうあるべきか、というような立派な考えは私には持ち合わせがない。ただ、「え〜、そうなのぉ?」と思っているばかりで右往左往していたら、ジジイになってしまった。たぶん、こうして右往左往しながら死ぬのだろう。

ところで、今日は東急の株主総会に出席してきた。一昨年に次いで2回目の出席である。前回同様、質疑応答がおもしろかった。約1時間15分ほどの間に以下の15人の株主から質問や意見があった。前回のこともこのブログに書いたが、株主総会というよりは利用者集会のような内容である。自分がどういう立場でこの場にいるかなど考えもしない。ただ「株主総会」に出席している「株主様の私」ということだけだ。だから株主となっている企業の価値がどうこうというよりも「株主様」なのに「優遇されていない」不満を大勢の前で表明したいだけなのである。極め付けは出席者番号1197の質問とも意見でもない単なる文句だ。「私が電車のドアに挟まれた」ということが何だというのだろう?別の質問の回答にもあったが、この企業は旧国鉄系を除く上場鉄道事業者のなかで最も時価総額の大きい、いわば我が国を代表する鉄道会社だ。そこの株主総会での質疑応答がこれである。先日、都知事が笑い話のようなことで辞任したが、民主制というものは「主」となる「民」の中身によって善政にも衆愚政にもなるのである。司馬遼太郎の小説を読むと日本という国はたいしたものだと感心してしまうのだが、現実は名もないひとりひとりの滑稽噺や人情噺の集積でしかないように思う。たまたま今があるだけだ。

そういえば、先日イギリスでEU離脱を問う国民投票があり、離脱することが決まった。離脱派と残留派とが僅差ということもあり、離脱することに決まってから改めて混乱が生じているようである。こんなことなら、そもそも国民投票などしなければよかったようなものだが、どこの国も似たり寄ったりだということだろう。たまたま今日、ロンドンで勤務している日本人の同僚と仕事のことでチャットを交わしていたら、余談としてこんなことを書いてきた。

2016/06/29 17:18 同僚:ところで日本でもニュースが相当流れていると思いますが、英国はBrexitで世論がすっかり分裂し、政治は空白に陥っています。。。

私はこう返した。

2016/06/29 17:18 私:日本は常に空白なので、あまり驚かないですけどね

すると

2016/06/29 17:19 同僚:あ、そうです。日本みたいな感じです。

なにがあろうとなかろうと、現実は粛々と進行するのである。自分が生きている現実がどういうものかをしっかり認識した上で、自分の生活を粛々と生きるよりほかにどうしようもないのである。そこを踏み外して発言したり行動したりすると妙なことになる。つまり、それが落語にも通じるのだと思うのである。

以下、株主総会での質疑応答の概要:

Q1 出席者番号630 安全について 鷺沼在住 混雑に不満 ホームドアを早急に設置して欲しい これは命の問題である

A1 現在2020年全線完了を目指し対応中 東横線については今年度中に全体の半分を完了予定
田園都市線はドア配置が異なる編成が15あるため6ドアから4ドアへの車両切り替えを早急に進めるほか、ドア配置が異なる 場合でも対応できるようなものも実験中

Q2 856 (1)現在単位株数が1000株だが、これを100株とか500株に引き下げたほうが投資しやすくなって株価も上がるのではないか? (2)株主優待のタダ券枚数が保有株数と比例していないが、比例させたほうが公平ではないか? (3)蒲蒲線の進捗は?

A2 単位株数は2018年10月までに100株に引き下げる計画で現在作業中 併せて株主優待のタダ券配布も見直す 蒲蒲線は国土交通審議会において優先順位が引き上げられたと認識しており、できるかぎり早く実現するよう努力する

Q3 449 駒沢大学駅付近に在住 60年以上東急を利用 (1)混在によるダイヤ乱れが常態化している 対応を考えて欲しい (2)株主のメリットがない タダ券の乗車券は振替輸送の対象外 駅員乗務員の教育もしっかりして欲しい

A3 (1)田園都市線の混雑がひどいことは認識している 大井町線の能力増強などの対応はしている 来年は小田急の複々線化工事が完了する予定であり、小田急の利便性向上により客の一部がそちらへ流れる影響はあると認識 今年5月においてダイヤ通り運行された日は5日間だけ ドアに荷物が引き込まれることで遅延が発生することが多いので、ドアに引き込み防止シールを貼る予定 抜本的対策はないが、こうした細かな対策を積み重ねていく
(2)タダ券を振替輸送の対象にすることは考えていない

Q4 196 東横線と田園都市線をそれぞれ20年利用 (1)東急でんきの現況は? 東急カードによる支払いで割引が受けられるとのことで手続きをお願いしたが未だに完了していない (2)株価対策

A4  (1)東急でんき契約数は48000世帯 目標は年度内10万世帯 東急グループとの連携、ポイント、イッツコム割引などで契約促進中 名義変更については東電とのデータのやり取り等があり時間がかかっていると思われるが具体的対応はお客様センターで行う
(2)現状で当社は時価総額において私鉄トップ 株価は会社への期待と認識し、そこに応えるべく企業価値向上に努めている 自社株買いは昨年、一昨年とも各100億円実施したが、今期は投資を優先した

Q5 2585 スマホが迷惑 やめさせる施策はないのか?

A5 危険は認識している。車内マナー向上のアピールを考えたい 当社単独ではなく民鉄協会としても取り組みたい

Q6 743 三軒茶屋に勤務 この秋にエレベータの着工 インターホンの位置がわかりにくい 係員の数を増やして欲しい 2018年度計画だが前倒しでお願いできないか 総会議事録を公開して欲しい

A6 インターホンの位置は早急に対応する 係員の増員については検討する 工事スケジュールは他の地下埋設企業者との交渉があるので確約はできないが前倒しできるよう努力する 議事録は法令に従って対応している

Q7 1524 エスカレーターのマナーを徹底させて欲しい

A7 エスカレーター歩行の危険については認識している マナーとしては「歩かないでください」ということになるが強制できるものではない

Q8 391 (1)廃止になった桜木町駅のようなところのバス代替路線に対する考え方 (2)生涯独身率という点から見た不動産事業の考え方

A8 (1)廃線後のバスについては十分対応しないといけないと考えている (2)住宅ニーズの多様化は念頭に置いている 高齢単身者も増加しており、そうした諸々に対応したメニューを考えている 例えば駅近賃貸、介護付有料老人ホーム、住み替え促進など

Q9 989 通勤利用 引き込まれ事故が他社線に比べて多いと感じているが、対策をどう考えるか?

A9 事故が増えているのは事実 直接原因は混雑であり、カバンなどがドアに押し付けられることによって生じる 対策として摩擦を低減させることがあり、帯状シールを貼る

Q10 770 資料49ページに無形固定資産が約300億円とあるが、これはどういうものか?保有価値のあるものなのか?EUの問題など激動があるなかで身軽なほうがよいのでは?

A10 内容の主たるものはソフトウエア80億円、借地権180億円 事業に必要なもの

Q11 1664 長期保有株主を増やす対策は?

A11 電車割引等の追加を考えている

Q12 1197 九品仏駅で電車のドアにはさまれたが、これはどういうことか?

A12 車掌の確認が不十分であったと思われる

Q13 649 社外役員から見た東急の印象は? 期中のアドバイスにはどのようなものがあったのか?

A13 社長が代わりに回答する 社外役員はそれぞれの専門分野から様々な意見やアドバイスをいただいている

Q14 1600 役員の年齢ガイドラインはあるのか? 社外役員に85歳という人がいるが大丈夫なのか?

A14 社外役員については年齢や性別などのガイドラインはない 企業価値を高めるのに有用な人という基準でお願いしている

Q15 1393 社内に女性取締役がいないが、今後の対応は?

A15 私鉄のなかでは女性の役職者は多いほうではないかと思う 採用においても女性が3割を占めており、管理職の15%が女性になっている 東証と通産が選出している「なでしこ銘柄」にも4年連続で選ばれている女性が比較的働きやすい会社だと認識している 子会社には女性社長もいる


「子別れ」の強飯

2016年06月27日 | Weblog

落語に「子別れ」という長い噺があり、通しで演られることもないわけではないが、2つ3つに分けて口演されることのほうが多いのではないか。その第1話にあたるもののなかに伊勢六の隠居の弔いの席の場面がある。噺の様子ではこの隠居はたいへん評判の良い人で町内の人々から慕われていたようだ。その弔いの振る舞い酒が「灘の酒」、料理は弁当だが、「弁松の別誂え」(強飯が赤飯、半月、がんもどき、ハス、日光唐辛子、茄子の辛子漬け、あじゃら巻)でたいそうなものらしいのである。私は酒はあまりやらないのだが、食べるほうは一人前に興味がある。調べてみると「弁松」というのが現存しているらしいのだ。今回、いわきに出かけるにあたり、昼食を車中で弁当ということにして弁松の定番という「並六」をいただくことにした。

まず、包装紙のデザインがいい。容器も昔ながらの経木であるのが嬉しい。手にしたときに、ちょっと湿気を含んだ感触、料理の匂いに加えて経木の微かな香り。近頃は妙な凝り方をした中食ばかりで気持ち悪いと感じていたが、そういうご時世にあってこういうオーソドックスの化石のようなものに出会うとなんともいえずほっとする。それはつまり私自身が化石化しているということなのだろう。ちなみに落語「子別れ」に登場するのは竹の皮で包んだものだ。肝心の料理とその味だが、これぞ弁当という感じだ。おかずは卵焼きとはんぺん以外は煮物で、生姜、里芋、椎茸、牛蒡、筍、蓮根、竹輪麩、鶏、サヤエンドウ。甘味がきんとん豆。ご飯は赤飯。容器を手にしたときの期待感を全く裏切らない、これぞ弁当という弁当。味付けは少し濃い目だが、携帯食なのだから保存性を考えて塩気が強めになるのは当然だ。どうせ遅かれ早かれ死んでしまうのに、なにを血迷ったのか健康、健康と馬鹿騒ぎをする不思議な風潮が蔓延しているが、そういう薄みっともない生への未練がましさをたまに食べる弁当にまで持ち込むべきではない。いわきへ向かうスーパーひたち号のなかで弁松の並六弁当をご飯粒ひとつ残さず完食。日本人に生まれ、東京に暮らして、ほんとうによかったなと思った。

 


Jヴィレッジ

2016年06月26日 | Weblog

喉元過ぎれば熱さを忘れる、という。福島の原発事故の後片付けは終わっていないのだが、原発のことも、その事故で復興が進まない被災地のことも今はもう話題になっていない。もうすぐ参院選だが、おそらく選挙でも福島のことや原発のことが論点にはならないだろう。それでも、例えば食料品を買うときに、我々は「福島産」を謳ったものを積極的に手にするだろうか?大切な人への贈り物に「福島産」のものを選ぶだろうか?福島は依然として多くの人々の記憶に棘のように刺さったままではないだろうか。

大学時代の友人が福島の原発で働いている。今年の彼からの年賀状に「あそびに来ませんか」と書いてあった。挨拶の一部だろうとは思ったのだが、「是非、あそびにいきます」と返事に書いたら「いつ?」というメールが来た。そのメールが2月か3月頃のことだったが、彼の息子が大学受験で自分だけ遊んでいるわけにもいかないとのことで、5月の連休を過ぎたあたりということになった。無事、息子の大学受験も終わったのだが、今度は彼の父親が入る予定の老人ホームを決めなくてはならず、あちこち見学にまわるとのことで延期になった。この調子では結局行かないことになるかなと思っていたら、彼からホテルの予約を取ったと連絡が来て、昨日いわきにやってきた。昨夜はいわきの駅前にある居酒屋で一献傾け、今日午前8時過ぎに広野駅で待ち合わせということになった。

今、JR常磐線は東京から竜田まで営業している。竜田から原ノ町まではバスによる代行輸送で、原ノ町から相馬までは営業、相馬から浜吉田までがバス、浜吉田から仙台までが営業という状況だ。不通区間も帰宅困難区域の縮小に伴い、少しずつ営業を再開し、2020年には全線復旧するらしい。2020年は東京オリンピックが開催されるが、1964年のオリンピックが戦後復興の総決算的な意味合いを帯びていたことを彷彿とさせる。個人的にはスポーツというものへの関心が薄いこともあって、オリンピックというものへの関心も今ひとつなのだが、やはり政治的な色合いが濃厚に感じられるイベントであることには違いないようだ。

日曜の朝の広野駅には思った以上の乗降客がいた。なんということのない田舎の駅なのに、タクシーが5台も客待ちをしていた。後で聞いたところでは原発関係の人たちが頻繁に往来しているらしい。日曜だろうが平日だろうが放射能は止まることを知らないので廃炉作業も止まることなく進行しなければならないということもあるだろうし、例の2020年までには事故処理にカッコがつかないといけないという事情もあるのだろう。広野駅の下りホームには童謡『汽車』の歌碑がある。このあたりがこの童謡に歌われている、という説があるのだそうだ。

広野駅には友人が軽自動車で迎えに来てくれていた。その車でまずはJヴィレッジへ行く。福島第一原発内に入退域管理施設が完成した2013年7月まではここが事故処理作業への人員の送迎拠点だった。今でも雨天練習場だった場所に身体内部の被曝状況を測定するWBCが設置されている。ここには11面のサッカーピッチがあったのだが、全てが駐車場や資材置き場になっている。本来の建物のほかに、敷地内にはプレハブがいくつも建ち、作業着姿の人たちが往来している。建物からはピッチとその向こう側に広がる海が一望できる。作業の人たちが往来していたり、ロビーのようなところにあるテーブルで打ち合わせのようなことをしていたりするが、それでもずいぶん落ち着いた様子だ。2020年のオリンピックではキャンプ地として本来の用途に戻ることになっている。今、施設の原状回復へ向け除染作業が始まったところだそうだ。

1989年の夏、ドイツ(当時は西ドイツ)南部、ダッハウの強制収容所跡を訪れた。そこがどのような場所であったのか知識としては持っていたのだが、抜けるような青空の下、長閑な気分になってしまった。かつての管理棟には収容所当時の様子を伝える展示やパネルが多数並んでいたはずなのに、殺された人々が身につけていたメガネの山や靴の山、人の皮膚で作った電気スタンドの傘、人体実験の写真、そんな諸々に衝撃を受けないはずはなかったのに、管理棟を出てかつて住居棟であるバラックが並んでいたはずの広場を前にしたとき、なんだかとてもほっとしたのを覚えている。そのときも今日のような好天だった。

Jヴィレッジの入口には「構内撮影禁止」という看板があったが、撮影されてまずいものが何なのか、素人目にはわからない。

Jヴィレッジを出て天神岬に行く。ここは楢葉町で昨年9月にようやく避難指示が解除された。Jヴィレッジは楢葉町と広野町に跨る形で立地しており、福島第二原発は楢葉町と富岡町に跨り、第一原発は双葉町と大熊町に跨っている。原発やそれに関連する施設が複数の自治体に跨るように立地しているのは、施設による税収や補助金の恩恵が特定の自治体に集中するのではなしになるべく広く行き渡るようにするとの配慮によるらしい。なるほど地図を見ると自治体の合併でいわき市や南相馬市は市域が大きいのに対し、これら二つの自治体に挟まれている広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町は妙に小ぶりだ。双葉町と南相馬市の間にある浪江町はそこそこに大きい。自治体の合併が行政コスト低減を目的のひとつとしていることを考えると、これらの町にはそういうインセンティブが働いていないと見ることもできる。なぜかといえば原発による恩恵があったからだろう。妻の実家がある新潟県柏崎市にも原発があるが、これも柏崎市と刈羽村に跨っている。柏崎市は周辺の自治体を吸収するように大きくなったが、刈羽村が飛び地のように残っているのは同様の事情によるらしい。

天神岬は海抜30メートルほどの高台にある。ここから広野火力やJヴィレッジがある方向を望むと、かつて田圃であったと思しきところに黒い樹脂製シートの塊が無数に積み上げられていて、一部はその積み上げられたものが青や緑のシートで覆われているのが一望できる。除染で削り取られた表土や廃棄物だ。中間貯蔵施設が完成すれば、そこに収容されることになっているらしいが、あのような事故の後に原発関連の施設を新規に受け容れる自治体が果たして現れるのだろうか。仮に自治体として受け容れることになったとしても、土地を提供する人はいるのだろうか。勿論、条件にもよるのだろうが、案内してくれた友人によると、そもそも土地の所有者がわかない土地がたくさんあるのだという。登記簿上には所有者がいても、相続を何代か経ることで所有しているはずの人がこの世にいなかったり、その相続がうやむやになっていたりすることが驚くほど多いのだそうだ。高齢多死社会の現実である。

Jヴィレッジから天神岬に至る道路やその周辺の風景は、一見したところ変わったところはない。しかし、よく見ると明らかに放置された家屋がいくつもある。きれいに手入れされている家屋のほうが少ない。田畑も総じて荒れたままだが、作付けを再開したところが皆無というわけではない。避難指示が解除されたとはいいながら、そこに元どおりの生活が成り立つとは思えない。一体何を生業にするのだろう。今回案内してくれている友人は楢葉町にある社宅で暮らしている。昼間はまだ普通の田舎のように見えないこともないが、夜は漆黒の闇だそうだ。昨年、避難指示が解除された後も生活の基盤は避難先にあるままで、昼間だけ自宅に戻って土地建物の修復を行っているのだという。そうなると物騒だ。実際に空き巣被害も発生している。しかしそのまま放置しておくと復興に差し障りが出る。そこで警察の巡回が強化されている。案内の友人も職務質問を受けたことがあるという。彼の車は他県ナンバーなので、カーオーディオの操作などで路肩に一時停止をした折などにどこからともなく巡回中の警官がやってくるのだそうだ。福島の原発被害地域は、おそらく東京オリンピックのときに改めて世界から注目されることになる。そのときに今の姿のままというわけにはいかないのである。残された時間はあと4年。原発の廃炉作業が完了するとは思えないが、少なくとも周辺地域を何事もなかったかのように取り繕う作業は急速に進展するのだろう。事実、いわきから原発周辺にかけて宿泊施設はそうした作業関係者でどこもフル稼働だ。既存のホテルや旅館に加えてプレハブで急遽こしらえた簡易宿泊施設も次々と稼働しているそうだ。

天神岬から国道6号線に出ていわき市にある願成寺白水阿弥陀堂を目指す。途中、天神岬から見えていた巨大な建物に立ち寄る。楢葉遠隔技術開発センターというもので、ここには原寸大の原子炉のモックアップがあり、溶解した核燃料の回収技術を開発するための施設だそうだ。実際に作業を計画するのは原子炉メーカーだが、日立にしろ東芝にしろ、そういう施設は自社内にあるのでこのセンターの稼働率は低いままだそうだ。メーカーには利用を呼びかけているのだが反応はいまひとつらしい。

国道から遠隔技術開発センターへの途中、古い飛行機が並んでいるところがあった。車を停めて近づいてみると「OLD CAR CENTER」という大きな看板が出ており、大きな倉庫のような建物の周囲に自衛隊の古い飛行機や、飛行機の一部が並んでいる。開館は土日祝日のみとあり、今日は日曜なので中に入ることにした。受付には誰もいなかったが、奥の展示スペースのほうから男性が走ってきた。入場料は大人900円だが、JAFの割引があり、800円になった。倉庫のような建物には磨き上げられたクラッシックカーがびっしり並んでいる。ところどころにヘリコプターもある。不思議な空間だ。この施設についてはウエッブサイトを見てもらうとして、私にとってはとにかく愉快な場所だった。受付の男性はここの主人らしく、思い浮かぶ疑問をいろいろ尋ねてみると、楽しそうに語るのである。人が楽しそうにしているのを見るのは愉快なことである。本業は建築工事の設計と監理で、この「博物館」はオーナーの趣味だという。趣味にしては大掛かりだが、このくらいやらないと趣味とは言えないかもしれない。私は自動車のことには疎いのだが、20世紀前半の車は今のものよりはるかに美しいと思う。展示物は外の飛行機と中の自動車の他に、建物の2階に飛行機と船の模型が並んでいる。模型はどれも特注品で、縮尺の大小は様々だがどれも精巧なものばかりだ。飛行機の模型展示ではライト兄弟から宇宙ロケットまで、その歴史が俯瞰できるようになっている。ここの展示物は先の地震と原発事故でかなり被害を受けたとのことだが、今年4月にこうして展示再開にこぎつけている。展示すること自体はここのオーナーの勝手でしかないのだが、蒐集したものを公開することで蒐集がより大きな意味をもつことになる。大勢の見学客を集める類の場所ではないかもしれないが、蒐集者の道楽でしかなかったものが震災による被害を克服してかつてと同じ姿を復活させるということが持つ意義の深さは計り知れないと思う。残念ながら蒐集した本人は復活を前に亡くなったが、その意志を受け継いで関係者が復活させたということもまた大きな値打ちだと思う。コレクションというものは個々の収集品の価値もさることながら、集めた人の精神にこそ価値があると思う。思いがけず良いものを見せて頂いた。

ここから国道6号線を南下して願成寺白泉阿弥陀堂を訪れる。ここの御堂は県内唯一の国宝だ。典型的な浄土庭園で周辺の民間所有地を含めて国指定の史跡である。ここも震災の被害を受けたが震災翌年7月に拝観を再開している。

震災原発事故の復旧拠点に始まり、現地所縁の阿弥陀堂で今回の訪問を終え、いわき駅前で友人と別れて帰路に就いた。一泊とはいえ、わずかに実質1日の訪問であったが、自分にとっては濃厚な時間を過ごすことになった。声をかけてくれた友人をはじめ、今この場の日常を取り戻そうと真摯に日々を過ごしている人々に感謝したい。

 


仮決め

2016年06月12日 | Weblog

前回の作品展から5年が経過し、陶芸作品の在庫がだいぶ積み上がってきたので、そろそろ頒布会を開くことにした。私の場合は集客力のある場所に寄生して、その場所に用があってきた人にもののはずみでうっかり買ってもらうというようにしないと販売できない。だから場所が極めて大きな意味を持つ。知り合いの人にそんな話をして紹介していただいたところを昨日訪ねてみたのだが、どうもしっくりこなかった。今日は5年前にお世話になったギャラリー・カフェにお邪魔して、ランチをいただきながら様子を拝見し、ギャラリー部門の担当者とお話させていただいた。オーナーは同じだが、5年前と違ってオーナーは店舗の運営から退いて左団扇の生活に入り、カフェ部門とギャラリー部門を分けて担当者を置いている。それでも、どちらも当時と変わらぬ心地よい雰囲気が漂っていて、今回の頒布会もここにお世話になることにした。ギャラリーの空き状況と自分のほうのスケジュールとの兼ね合いで、とりあえず来年3月8日水曜日から12日日曜日までの5日間ということで会場を仮予約してきた。

前回は作品を並べてみたら思いの外スカスカで、せっかくお買い上げいただいたものを会期終了まで展示させていただいて、会期終了後にお届けすることになってしまった。今回はそういうことがないよう、十分に作品を用意している。さらに、妻も自分で作った日本刺繍の小物を並べたいと言っており、家具の製造販売をしている義父や義弟にも小物をだしてもらおうかなどと話をして、万全の体制を整えているつもりである。なによりも、会期まで9ヶ月あるので、その間に私のほうの在庫も積み上げることができる。なにはともあれ、しっかりと準備をして足を運んでいただいた方々に失礼のないようにしないといけない。