熊本熊的日常

日常生活についての雑記

センチメンタル・ランチ

2007年04月24日 | Weblog
久しぶりに日比谷で昼食をとる機会があったので、自分が社会人になりたての頃にしばしば足を運んだ慶楽という中華料理屋に行ってみた。相変わらず繁盛している様子で、客も常連とおぼしき人が多い。席について注文を取りに来た人にチャーハンランチを頼むと、何を思ったのかその店員は慌てて奥へ引っ込み、戻ってくると「卵の炒め物です」という。日本語が通じていないのである。これでは注文が通ったかどうか不安だなと思いつつ待つ事30分。ランチにしては時間がかかり過ぎる。ちょうどお茶を注ぎに来た別の店員に「ずいぶん遅いですね」というと注文を調べてくれた。やはり通っていないようだった。その時点からプロセスが始まるのだから、催促してすぐに料理が出てくるはずもない。空腹ということもあり、少し腹も立ったので、料理が出来る頃を見計らって「時間がないので」と言って店を出てしまった。

末端の労働力の質が高いことが日本経済の競争力を支えていたはずである。それが、今、崩壊の危機に瀕している。もう、慶楽に足を運ぶこともないのだろう。美味しい店だったのに残念である。

モディリアーニとジャンヌ

2007年04月19日 | Weblog
モディリアーニの作品は占いの水晶玉のようだ。対象がなんであれ、見た目は同じような作品に見える。しかし、そこに描かれている人の表情は様々であり、同じモデルでも同じ表情の作品は無い。彼は対象となる人物の心のうちを描こうとしたという。水晶玉のなかに占う相手の未来を見出そうとする占い師のようではないか。もっと長く生きて活躍していれば、彼の作品はどのような変貌を遂げたのであろうか。

妻ジャンヌも画家である。尤も、まだ完成されたスタイルを確立するには至らず、その時々に影響を受けた画家のスタイルが反映されている。少なくとも夫よりは写実的な方向を指向していたように見える。

夫婦揃って同じ職業の場合、互いの対抗心から夫婦の関係に齟齬が生じることが多いという。モディリアーニの場合、ジャンヌが発展途上であったため、対抗心が生じる以前の段階で夫婦が終わってしまったと言えるかもしれない。あるいは互いに全く異質のスタイルで程良い刺激を与えあいながら生きていたかもしれない。

「モディリアーニと妻ジャンヌ展」は、どちらかというとジャンヌに焦点が当てられた展覧会に仕上げられている。ジャンヌの作品を通して、モディリアーニの作品や生涯を表現しようとする興味深い展覧会である。