冬型の気圧配置について語ろうというのではない。落語会の観客の平均年齢がこんな感じなのである。勿論、出演者によっても客層は多少変動するが、2009年1月から今月までに訪れた落語会36回の印象である。驚いたのは三鷹の武蔵野市民文化会館だったが、あみゅー立川もなかなかのものである。何に「驚いた」のか、何が「なかなか」なのかは敢えて書かないが、とにかくびっくりした。今日は千葉市生涯学習センターのホールで、喬太郎がトリを取る落語会だった。そこにあたりまえの風景があり、ほっとした。
東京から千葉行きの総武線快速に乗る。車内の風景に特段変わったところはないのだが、電車が終点の千葉に着くと、車内の客が降りる前にホームから人が流れ込んでくる。降りる客が先、という極めて基本的な文明が欠如している。その風景だけで、千葉に来たな、と実感する。私が生まれ育った埼玉も似たような状況なので、偉そうなことは言えない。ただ、三鷹や立川では、こういう未開の地のような風景にはお目にかからない。土地の格のようなものの違いが、日常風景のなかに滲み出ていると言えよう。
千葉駅から千葉市生涯学習センターまでは住宅街のなかを通り抜ける一本道を行く。駅からは緩やかな上り坂になっている。坂の向こうに生涯学習センターの建物が見えたあたりで、店先に花輪が飾られた、開店したばかりらしいカフェがあった。一旦は通り過ぎたのだが、時間に余裕があったので引き返して入ってみた。オーガニック・カフェで、インテリアもメニューもいかにもそれらしい。店内中央にクスノキの一枚板の大きなテーブルがある。それを囲む椅子はバラバラのデザインだ。椅子のほうは中古品のようだが、テーブルの一枚板は加工されて間もない。電動鉋はかけてあるが、ヤスリがけなどは施されておらず、ライフマークが残っている。オイルを塗ってあるようだが、木の香りが勝っていて、落ち着いた佇まいを演出している。店の人に尋ねたところ、客どうしが家族のように、この大きなテーブルを囲むような店にしたいとのことだった。クスノキの大きな一枚板というのは容易に手に入れることができず、あきらめかけていたところに声をかけておいた業者から入手できたとの連絡が入ったのだそうだ。正直なところ、私はオーガニックということに違和感を覚える。しかし、若い人たちが一生懸命考えて、それをこういう形で世に問うというのは健全なことだと思う。雑穀コーヒーとトマトのタルトをいただいたが、そういう味だった。敢えて「そういう」の内容は触れないが、要するに、世に問いかけるようなものである。食べた人は、それぞれに環境とか生活について考えを巡らすことになるだろう。良い店だと思った。
落語会は、前座が出てきたときに驚いた。子供が喋るのかと思ったのである。家禄は9歳のときから高座に上がっていたというから、そういうことがあっても不思議ではないのだが、初めての風景だったので少し動転した。噺が始まり、簡単な自己紹介の後でも、それが若い女性であることを認識できたのは、しばらく経ってからだった。見た目は男子高校生でも、噺っぷりはなかなか堂に入っていて、これからが楽しみな噺家だと思った。
今日の噺は、どれも知っているものだった。そうなると、どうしても自分のなかで一番好きな口演と比較してしまう。それはそれで、落語会に出かけていく楽しみでもあるのだが、素直に目の前の口演を聴いたほうが、楽しくてよい。素直に聴くことができないのは、それだけ私の人間としての器が小さい所為も多分にあると思っている。
ところで、「青菜」に登場する植木職人と屋敷の主とのやりとりに考えさせられることがあった。古典落語が成立した江戸末期から明治にかけては、職人は己の腕に誇りを持っていたし、おそらく誇るに足る腕だったのだろう。職人を使う立場の人は、そういう職人を人として愛したのではないだろうか。単に手間賃を払って、それに見合う労働を提供してもらうだけ、というような乾燥した関係ではなかったように思う。今は金を払うほうが偉くて、金を受け取るほうは払うほうの言いなりになるのが当然、というような歪んだ関係を当然のこととする考え方が横行しているように思われてならない。一方で、伝統工芸と呼ばれる世界では、職人なんだか作家なんだか意識の軸が定まっていないような人も少なくないような印象を受けることがある。こちらは逆に「職人の技」というようなものが神聖にして侵すべからず、というようなことになっていて、たいしたこともないのに妙に威張っているような仕事が見受けられることもある。人と人との関係というのは、家族とか友人というようなものであろうと、社会生活上の契約にかかわるものであろうと、基本は対等であるはずだ。また、そうでなければ円満に事は運ばないものだ。それが畜生のように上下関係をつけたがる輩が多いように思われるのである。いったいいつ頃からそういうことになってしまったのだろうか。そう思うのは私だけなのだろうか。
本日の演目
「手紙無筆」 立川こはる
「青菜」 春風亭一之輔
「宿屋の富」 桃月庵白酒
(中入り)
漫才 ロケット団
「へっつい幽霊」 柳家喬太郎
開演 15:05
閉演 17:30
会場 千葉市生涯学習センター ホール
東京から千葉行きの総武線快速に乗る。車内の風景に特段変わったところはないのだが、電車が終点の千葉に着くと、車内の客が降りる前にホームから人が流れ込んでくる。降りる客が先、という極めて基本的な文明が欠如している。その風景だけで、千葉に来たな、と実感する。私が生まれ育った埼玉も似たような状況なので、偉そうなことは言えない。ただ、三鷹や立川では、こういう未開の地のような風景にはお目にかからない。土地の格のようなものの違いが、日常風景のなかに滲み出ていると言えよう。
千葉駅から千葉市生涯学習センターまでは住宅街のなかを通り抜ける一本道を行く。駅からは緩やかな上り坂になっている。坂の向こうに生涯学習センターの建物が見えたあたりで、店先に花輪が飾られた、開店したばかりらしいカフェがあった。一旦は通り過ぎたのだが、時間に余裕があったので引き返して入ってみた。オーガニック・カフェで、インテリアもメニューもいかにもそれらしい。店内中央にクスノキの一枚板の大きなテーブルがある。それを囲む椅子はバラバラのデザインだ。椅子のほうは中古品のようだが、テーブルの一枚板は加工されて間もない。電動鉋はかけてあるが、ヤスリがけなどは施されておらず、ライフマークが残っている。オイルを塗ってあるようだが、木の香りが勝っていて、落ち着いた佇まいを演出している。店の人に尋ねたところ、客どうしが家族のように、この大きなテーブルを囲むような店にしたいとのことだった。クスノキの大きな一枚板というのは容易に手に入れることができず、あきらめかけていたところに声をかけておいた業者から入手できたとの連絡が入ったのだそうだ。正直なところ、私はオーガニックということに違和感を覚える。しかし、若い人たちが一生懸命考えて、それをこういう形で世に問うというのは健全なことだと思う。雑穀コーヒーとトマトのタルトをいただいたが、そういう味だった。敢えて「そういう」の内容は触れないが、要するに、世に問いかけるようなものである。食べた人は、それぞれに環境とか生活について考えを巡らすことになるだろう。良い店だと思った。
落語会は、前座が出てきたときに驚いた。子供が喋るのかと思ったのである。家禄は9歳のときから高座に上がっていたというから、そういうことがあっても不思議ではないのだが、初めての風景だったので少し動転した。噺が始まり、簡単な自己紹介の後でも、それが若い女性であることを認識できたのは、しばらく経ってからだった。見た目は男子高校生でも、噺っぷりはなかなか堂に入っていて、これからが楽しみな噺家だと思った。
今日の噺は、どれも知っているものだった。そうなると、どうしても自分のなかで一番好きな口演と比較してしまう。それはそれで、落語会に出かけていく楽しみでもあるのだが、素直に目の前の口演を聴いたほうが、楽しくてよい。素直に聴くことができないのは、それだけ私の人間としての器が小さい所為も多分にあると思っている。
ところで、「青菜」に登場する植木職人と屋敷の主とのやりとりに考えさせられることがあった。古典落語が成立した江戸末期から明治にかけては、職人は己の腕に誇りを持っていたし、おそらく誇るに足る腕だったのだろう。職人を使う立場の人は、そういう職人を人として愛したのではないだろうか。単に手間賃を払って、それに見合う労働を提供してもらうだけ、というような乾燥した関係ではなかったように思う。今は金を払うほうが偉くて、金を受け取るほうは払うほうの言いなりになるのが当然、というような歪んだ関係を当然のこととする考え方が横行しているように思われてならない。一方で、伝統工芸と呼ばれる世界では、職人なんだか作家なんだか意識の軸が定まっていないような人も少なくないような印象を受けることがある。こちらは逆に「職人の技」というようなものが神聖にして侵すべからず、というようなことになっていて、たいしたこともないのに妙に威張っているような仕事が見受けられることもある。人と人との関係というのは、家族とか友人というようなものであろうと、社会生活上の契約にかかわるものであろうと、基本は対等であるはずだ。また、そうでなければ円満に事は運ばないものだ。それが畜生のように上下関係をつけたがる輩が多いように思われるのである。いったいいつ頃からそういうことになってしまったのだろうか。そう思うのは私だけなのだろうか。
本日の演目
「手紙無筆」 立川こはる
「青菜」 春風亭一之輔
「宿屋の富」 桃月庵白酒
(中入り)
漫才 ロケット団
「へっつい幽霊」 柳家喬太郎
開演 15:05
閉演 17:30
会場 千葉市生涯学習センター ホール