熊本熊的日常

日常生活についての雑記

五島美術館

2006年05月31日 | Weblog
住宅街のなかにある小さな美術館で充実した展示を鑑賞すると、日本はつくづく豊かな国だと思う。美術館の運営は、どう見ても商業ベースには乗らないと思うが、心ある人々の努力で支えられているのだろう。

五島美術館は上野毛の住宅街にある。駅から近く、繁華街からは遠い。便利でありながら過剰に人が集まることもない。展示作品と静かに向き合うことができる。鑑賞に疲れたら、気分転換に広くて起伏に富んだ庭園を散策することもできる。

今日は収蔵品のなかから、日本画と書道用具を展示していた。川合玉堂の荘厳、奥村土牛の空、小林古径の華、横山大観の力、どれもが観る者を引きつけて放さない。山口蓬春の世界もいい。作品を眺めているだけでも飽きることはないのだが、作品を描く筆の動きを想像していると時間は瞬く間に過ぎてしまう。

庭園も仏像も良い。どこか頼りなさげなところが、かえって癒される。

タクシーにて

2006年05月30日 | Weblog
勤め帰り、終電に間に合わなかったので、タクシーで帰宅した。たまたま無線の音声が流れていたので、「青山は多いですね」と話を振ってみた。青山・六本木方面への配車要請がひっきりなしに入っていたからだ。そこから運転手の話がはじまり、家に着くまで興味深い話をきくことができた。

景気の善し悪しとタクシーの実車率の関連がしばしば語られるが、全体の数字よりも短距離の利用率が景気と密接に関係しているのだそうだ。ちなみに、その運転手の最短記録は山手通り横断。交差点を渡るためだけに、タクシーを利用した人がいたのだそうだ。最長記録というのは聞きそびれてしまったが、荷物を託されて名古屋まで行ったことがあるという。配車無線が「長距離ですよ」というので受けてみたら小田原だったという。「まぁ、たいした距離でもないですよね」とのことだったので、「長距離」というのはもっと遠いところをイメージしているのだろう。尤も、「単に距離が長ければよいというものでもない」のだそうだ。都心に戻る時は空車なので、効率的に往復できる場所でないと長距離でもありがたみが薄いということなのだろう。理想は高速出口周辺ということか。

酔客は困るらしい。特に若い女性は始末が悪いことがあるという。現金が無いので身体で払う、とか、持っているクレジットカードがことごとく使用不能になっているとか、要するに「信用」というものがないのだそうだ。確かに、「信用」のない人間は市場には存在し得ない。

契約している大手法人の社員で、いつも決まった場所から決まった時間に乗車する人が、けっこういるらしい。それが誰なのか、配車要請の無線で察しがつくのだそうだ。そこそこの距離の人ならば、普通に対応するのだが、決まって短距離の人がいて、その人らしい場合は誰も無線に応答しないという。恐らく、その客が嫌われている本当の理由は距離ではないのだろうが、そこは敢えて突っ込みを入れなかった。それにしても、人間の行動パターンというのは調べてみたら面白いかもしれない。

マキロンにご用心

2006年05月28日 | Weblog
小学生も高学年ともなると、子供特有の残酷さと分別とを併せ持つようになる。私の子供のクラスでは、担任の先生が子供たちから好かれていないのだそうだ。時として、子供たちの悪戯の対象となる。先日は、給食にマキロンを入れられたそうだ。しかし、先生は「味がなんか変」と言いながらも食べてしまったそうだ。悪戯を仕掛けた子供たちは、がっかりだった、とか。ほかにも給食関連の悪戯はいろいろあるようだ。先生には申し訳ないが、話を聞いていて大笑いしてしまった。学校の先生というのは胃腸が丈夫でないと勤まらないのかもしれない。

双方に言い分はあるのだろうが、子供の話を聞く限りでは、担任の指導に問題のあるように思うことも少なくない。子供たちに媚を売る必要など全く無いし、自分が正しいと思う指導をすればよいと思う。しかし、裏付けの無い権力は保持できない。子供たちの指導に際しては、なぜそれが重要なのか、なぜその行為をしなければならないのか、という説明責任があるはずだ。

悪戯も時には暴走するだろう。大事に至るリスクを回避できるか否かは、組織の中の意思疎通にかかっている。これは、世の中のあらゆる組織に共通しているリスク管理の原則だろう。尤も、敢えて大事を引き起こすという選択肢もある。それもまたリスク管理である。

雑感

2006年05月27日 | Weblog
今、自分にとっての課題は暮らしの見直しである。どのように毎日を送りたいのか、自分のなかでもはっきりとしたものが無い。毎日のように美術館へ通い、時間というフィルターを通過した作品に触れると、それらを造った人々の生き方まで伝わってくるような気がする。物には単なる物理的特性を超えた何かを発現する力があるのだろう。もちろん、解釈するのは見る側の勝手で、それが必ずしも造り手の意図と一致するわけではない。しかし、目の前にある物の背景にある様々な情念や哲学を感じようとする姿勢は、生活を豊かにする一助になると思う。

武相荘

2006年05月26日 | Weblog
武相荘に行って来た。もともと農家であった廃屋を白洲次郎氏が買い取って自宅にしたのだそうだ。以来、自分の手で改築を続けながら暮らしていたという。

農家は、そこが生活の場であり、職業の場でもあったため、機能的な造りになっている。躯体は頑強で、間取りはシンプルだ。縁は家の中での生活と外界との間の距離を適切に保つ。庇が深く、夏涼しく冬暖かい。難を言えば、屋内が暗いことだろうか。尤も、農家で暮らす人々は、陽が出ている間は農作業をしているので、日中の屋内が暗いというのは全く問題にならないはずだ。

武相荘は、もとの間取りを活かしながらも、土間を洋間に改装し、蚕室を部屋に改装してある。それほど大きく手を加えなくても快適だったのだろう。白洲夫妻はともに、ここを生活の拠点とし続けたという。都心までは、かなりの距離だが、それでも住み続けたのは、この家の住み心地がよほど気に入っていたからなのだろう。

そのように長くつきあうことのできるものに出会うことができるというは幸せなことだとおもう。それが物であれ、人であれ、全てが移ろい易い浮き世にあって、変わらぬ安心感を得る対象があるということは希有なことだと思う。白洲氏は「プリンシプル」を重んじたそうだ。生き方の支柱となる原理原則をしっかりと持った人には、安心してつきあうことのできる物や人との縁があるのだろう。

メゾチント

2006年05月25日 | Weblog
ミュゼ浜口陽三を訪れた。かつてこの近くで働いており、水天宮近辺は自分のランチエリアであったが、このようなギャラリーの存在に全く気付いていなかった。気付くはずもない。開設されたのは1998年11月。そのときには私の職場は別の場所に移っていたからだ。

今日は浜口氏の奥様である森桂子の作品展の会期中だったので、浜口氏の作品は数点だけだった。しかし、数の問題ではない。メゾチントの世界が持つ夢と現との中間のような世界が大好きだ。先日、横浜で長谷川潔の作品を観た時も感じたのだが、メゾチントの静謐さは日本画に似ていると思う。

平面に立体を表現しようとすれば、なにがしかの工夫と無理が必要となる。版の表面に細かい傷をつけることでインクののりに強弱をつけると、刷り上がった色には質感がでる。同じ色なのに量の多寡やプレスの強弱、紙への浸透度の違いで表現の世界が広がる。その手品のような展開も興味深い。同じリソースが扱い方の微妙な違いで表現を変えるのである。さらにそれらを組み合わせると表現の幅は一気に広がる。これは、版画の紙の上だけのことではないだろう。

芸術家

2006年05月24日 | Weblog
「カルティエ現代美術財団コレクション展」を観て来た。力作揃いだった。日本人の作品のなかでは松井えり菜が出色だったと思う。現役の大学生だそうだが、人間というものをよく理解している人なのだろう。また、同展のポスターにもなっているロン・ミュエクの「イン・ベッド」は巨大だがリアルな作品だ。もともとはオーストラリアのテレビ局で子供向け番組用のセットや着ぐるみを作っていた人なのだそうだが、肌の質感、表情が素晴らしい。生まれたばかりの赤ん坊から見た母親、という視点もユニークだ。

現代美術であれ古典であれ、「芸術」と呼ばれるものが求めるのは人間の真実であろう。もちろん、そんなものは無い。無いが故に、様々な理屈と技巧をこらして表現し、それを世に問うのである。誰も見たことはないけれど、誰もが漠然とイメージしているものを探し求める者が「芸術家」と呼ばれるのである。その作品を観る者が、それを評価するなら芸術家には存在意義が認められ、そうでないなら存在が認められない。他人の顔色を窺うという点では太鼓持ちと同じだが、「芸術」と言われると高尚に聞こえるから不思議だ。

こんなふうに考えると、職業というものはどれも皆、太鼓持ちだ。客の顔色を窺い、その満足を引き出すために右往左往する。そうしなければ生活の糧を得ることができないからだ。「職業に貴賎は無い」という。なるほどその通りだ。

シンプルライフ

2006年05月23日 | Weblog
今日は雨が降るという天気予報だったので傘を持ち、ヨガ教室に行く日なのでヨガマットと着替えを持ち、仕事にも行くので普段持ち歩いている鞄を持っていた。たいへんなことだ。

気温が高くなってジャケットを着なくなると、携行品の収納に困る。改めてポケットというものは便利だと思う。薄着になったついでに持ち歩くものを少なくしようと思うのだが、何故か思うように減らない。たぶん、ほんの少しだけ思い切ると、劇的に少なくなるような気がする。

携行品に限らず、自分の持ち物は少ないに越した事は無い。どうしても保有していなければならないものは、吟味を重ねて自分が納得した物を持ち、無くても済むものは持たない。それが理想である。物を持たない、という単純なことができないのは煩悩にまみれているからだ。煩悩から解放されるというのは大変困難なことだ。シンプルな生活を送るというのは、実はシンプルではないのである。

「雪に願うこと」

2006年05月22日 | Weblog
「雪に願うこと」は再生の物語である。作品としては可もなく不可もないと思うが、馬がよかった。引退間際の競走馬であるウンリュウが主人公たちと絡む。馬に演技をしている意識があるとも思えないので、人間のほうの演技と撮り方が馬に表情を与えているのだろう。似たようなことは我々の実生活でもありそうだ。本人が意識していなくても、周囲がその人を引き立て、輝かせる。その引き立て役の要のような人というのは外からは見えないが、貴重な存在である。そういう見えないけれど貴重な存在をしっかりとマークしておくと、何か良いことがあるかもしれない。

ところで、最後のほうのレースのシーンに出てくる佐藤浩市のアップはどうかと思う。顔が奇麗すぎてリアリティがない。けっこうあのアップは重要なシーンだと思うので、残念だった。

恥ずかしいこと

2006年05月21日 | Weblog
現金出納帳を記入するのに、コーヒーを飲んだ喫茶店の名前を失念してしまった。グーグルの地図検索で探し出したら、その喫茶店の関連サイトのほかにaskU.comのレビューが貼付いていた。読んでみたら笑ってしまった。的外れで横柄なコメントがいくつもある。何がどう的外れなのか、ここでは書かないが、物を知らないというのは恐ろしい。自分もコーヒー教室に通う前なら、失笑を買うコメントを書いていたかもしれない。そうしたコメントの主のなかには、このレストランレビューサイトに2000を軽く超える数のレビューを寄せている人もいる。たとえ2000のなかの1999は正鵠を得たものであっても、ひとつ間抜けなコメントがあると、その1999のコメントも信頼を失ってしまう。恐ろしいことだ。

知識の化石化、という言葉がある。言語学習において、文法的に間違っていても、意味が通じてしまい、結果として間違いを認識できずにそのまま知識として定着してしまうことを指すのだそうだ。言語学習だけでなく、日常生活においても、誤った知識が誤りのまま定着してしまうことは少なくないだろう。私などは脳が丸ごと化石化しているかもしれない。若い頃なら、周囲の人々は気軽に間違いを指摘してくれるものだ。しかし、齢を重ねるにつれ、意見をしてくれる人は少なくなる。他人に自分の間違いや、耳の痛いことを言われることがないと、自分の言動や行為に問題がないと思ってしまう。それがその場だけのことで済むのならよいが、後々別の場面で大きな恥をかくこともあるだろう。

今は、疑問があれば、それを放置しないよう心がけている。もう手遅れかもしれないが。

無理と無駄

2006年05月20日 | Weblog
偶然通りかかったスポーツ用品店の入り口に「ホノルルマラソンまであと7ヶ月」という看板が出ていた。店に入ってすぐのところにあるランニングのコーナーでは、客が入れ替わり立ち替わりやって来てシューズを買って行く。自分は走ろうなどと夢にも思わないが、ランナー人口というのは思いの外多いのかもしれない。

今でこそ週末にプールで泳いだり、ヨガの教室に通ったり、たまにトレッキングに出かけたりするが、もともと運動というものに興味がなかった。別に誰に何を言われたわけでもないのだが、勉強して大学を出ることしか頭に無かった。受験に関係のないことは最小限にして、無理無駄のない生活を心がけていた。

しかし、長いこと生きてみると、無理と無駄こそが人生の肥やしになることに気がついた。気がついたときには、人生の折り返しをとうの昔に過ぎていた。それで今では無理はしないが無駄の多い生活を送っている。

鴬谷駅下車

2006年05月19日 | Weblog
物心ついた頃から、日暮里と鴬谷の間のホテル街に関心があった。以前にも書いた記憶があるが、子供の頃は週末毎に交通博物館に通っていたので、その行き帰りにここを電車で通過していたのである。たまに国立科学博物館に行く時は、上野ではなく鴬谷で下車していたので、そこが寂しい駅だということも知っていた。なぜ、繁華街でもないところにこれほどホテルだけが集積するのだろう?通っていた高校が新大久保にあり、環境としては似た状況だったので、なんとなく事情は推察できる。しかし、きちんと調べたことではないので今は書かない。

さて、今日は鴬谷駅で下車した。鉄道を跨ぐ長い陸橋を渡り、言問通りを左折し、鴬谷駅前交差点を右折する。この間、私の左手にはホテル街が続いている。尾竹橋通りと尾久橋通りの角に笹乃雪という豆腐料理店がある。ここでお昼をいただくことにする。

この店は創業元禄4年(1691年)という老舗中の老舗である。入り口の引き戸の前に立つと、中にいる法被を着た店員が戸をガラガラと開けてくれる。靴を脱ぎ、番号が書かれた木札を受け取り、中に案内される。予約も無く、ひとりでふらりと来たので、当然、相席用の広い座敷に通される。客の姿は少なく、テーブルは2組しか埋まっていない。窓際の席に落ち着き、外の箱庭のようなものを眺める。滝のようなものがしつらえてあり、大きな岩に水が流れている。自然の湧水らしい。何を注文したらよいのかわからなかったので、「朝顔セット」というコースにした。小付けに子持ち昆布の煮物、煮豆腐、この店発祥の品である「あんかけ豆富」、胡麻豆腐、「雲水」という湯葉巻きの豆乳煮、「うづみ豆富」という豆腐の茶漬け、そしてデザートに「豆富アイスクリーム」。ここの豆腐は、この地の湧水で造られるのだそうだ。料理はおいしいが、それ以上に、300年以上も続く店で食事をするということに価値があるような気がする。ちなみに、この店では豆腐は「豆富」と表記する。

笹乃雪を出て、裏手に広がるホテル街を抜けると住宅地になる。その境あたりに通りをはさんで子規庵と書道博物館が向かい合っている。

子供の頃、書道を習っていた。小学校の6年間、毎週日曜日にバスに乗って教室に通っていた。そのせいか、文字というもの、書体というものに関心がある。展示品の数は多くないが、あっという間に1時間ほどが過ぎてしまった。先日、何の気なしに覗いた鳩居堂で、書道への関心が呼び覚まされた思いを感じたが、今日はその思いが強くなった。ちなみに、私の書く字を知る友人知人は、私が書道を習っていたと言っても、誰も信じてくれない。何故だ?

鴬谷から電車に乗って神田に出て、三井記念美術館に行く。永楽保全・和全の作品展が開催されていた。京焼は中国磁器の写しである。その製作者である永楽家は千家の茶道具を製作する千家十職のやきもの師なのだそうだ。勝手な想像だが、客の注文に応じて作陶するという点で、芸術家としての陶芸家とは別ではないかと思う。展示されている作品は技巧的には素晴らしいのだが、なにか根本的な部分で欠けているものがあるように感じられた。

美術館のなかの喫茶室で抹茶パフェを食べてから、職場に向かった。

朝倉彫塑館

2006年05月18日 | Weblog
日暮里駅で電車を降り、北口から坂道を登り、郵便ポストのある交差点を左折すると朝倉彫塑館がある。下宿屋のような佇まいだが、門から建物の間にブロンズ像が何点か置いてある。建物の入り口で靴を脱ぎ、入館料を払って中に入ると、息を飲む。高さ8.5mという高い天井のアトリエには、いくつもの作品が並ぶ。やってくる客を出迎えるように立つ「墓守」、二体一対となっている均整のとれた美しい若い女性の裸体像「明」と「暗」、タイトルは失念したが大きな犬が伏せている像も印象深い。ほかにも女性の裸体像「時の流れ」「三相」があるが、ブロンズとは思えない柔らかな線で、むしゃぶりつきたくなるほど美しかった。また、朝倉は猫好きだったとかで、アトリエのある建物の3階には猫の像だけ集めた部屋もある。好きな物に対する観察眼は特に鋭くなるものなのだろう。猫の像の間から窓の外を眺めようとしたとき、その猫が擦り寄ってくるような錯覚にとらわれた。

さらに奥には、湧水を利用して造った日本庭園がある。「五典の水庭」と名付けられたその庭は朝倉が自己反省の場として設計したものだそうだ。儒教の五常を象徴した仁・義・礼・智・信の五つの巨石が置かれている。ちなみに、この五常というのは、
仁も過ぎれば弱となる
義も過ぎれば頑となる
礼も過ぎれば諂となる
智も過ぎれば詐となる
信も過ぎれば損となる
ということだそうだ。

朝倉と交遊のあった芸術家からの手紙というのも展示されており、そのなかには川合玉堂からのものもあった。それを見つけた時、自分の行動が見えない糸のようなものに導かれているような感じがして、妙に嬉しかった。

玉堂美術館

2006年05月17日 | Weblog
朝、普段より早起きをして青梅に出かけた。御嶽駅で下車して徒歩5分もかからない場所に玉堂美術館がある。

渓流となっている多摩川沿いの遊歩道のような道に面して美術館が建っている。寺院のような風格で、敷地には石庭がある。建物も庭もそれぞれに美しいが、これらをひとまりにしてみると更に美しい。箱庭のようにも見えるが宇宙のようにも見える。

展示されている作品は晩年のものが多いようだ。若い頃の作品は何事かを描き出そうとする描き手の意欲が前面に出ているようだ。それに対し、晩年の作品は、風景のほうが描き手を通じて自己主張をしている。描き手は媒介者に徹し、無のような存在だ。

小さな自己へのこだわりに振り回されている限り、何事もなし得ないのだろう。宇宙の流れのようなものを見出し、そこに身を任せる快感に目覚めたとき、人は一皮むけた存在になるような気がする。そうした境地に至ることは稀なことだ。だからこそ、その境地を悟った人は芸術家や宗教者として貴重な存在足り得るのである。

ちょっとした違い

2006年05月16日 | Weblog
同じ時間の電車に乗ったはずなのに、目的地への到着が少し遅くなった。たまたま人の流れがいつもより緩慢だったかもしれない。毎日状況に応じてダイヤが書き換えられるという山手線のせいかもしれない。ちょっとした違いの積み重ねで結果が変わる。

街には修学旅行で来たと思われる制服姿の子供たちが目立つ。見るからに東京の人ではないとわかる。大人になると街で擦れ違う相手がどこの出身かなどということは皆目見当がつかない。中学生くらいの年齢の人が持っている周縁の要素というのは、ひとつひとつを挙げれば実に些細なことである。顔つき、言葉、履いているスニーカー、なんとなくの雰囲気、などなど。それが大人になると薄れていくのは何故だろう。

毎日の自分の行動をつぶさに観察してみて、それを僅かに変化させてゆくと、今とは違う人生が開けるのだろうか?