小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集 第三巻〜第五巻』岩波文庫
ボックス買いをしてしまったので惰性で読んだが、それほど面白いとは思わなかった。ただ断片として琴線に触れる言葉がいくつか認められたという程度のものだった。書いているほうも雑誌の連載かなにかで無理矢理原稿用紙のマス目を埋めているような風があるように感じられた。尤も、第五巻は昭和9年から10年にかけて発表されたもので、発表と執筆が同時期であるとすれば、寅田の最晩年のものだ。ガンの転移も進行し身体がそうとうに辛いなかで書かれたものなので、締め切り云々以前に書くこと自体が難行苦行だったことは確かだろう。それならば、無理してそうした文章を著作集に収載しなくてもよさそうなものだが、それでも読みたいという読者の需要があるのか、それでも出したいという出版社の算盤があるのか、世の中というのは残酷なものである。これは本書に限ったことではなく、以前、須賀敦子の著作集を読んだときにも感じたことだ。
以下、備忘録的抜き書き
数の少ないのはいいとしても、花らしい花の絵の少ないのにも驚嘆させられる。多くの画家は花というものの意味がまるでわからないのではないかという失礼千万な疑いが起こるくらいである。花というものは植物の枝に偶然に気まぐれにくっついている紙片や糸くずのようなものでは決してない。われわれ人間の浅はかな知恵などでは到底いつまでたってもきわめ尽くせないほど不思議な真言秘密の小宇宙なのである。それが、どうしてこうも情けない、紙細工のようなものにしか描き現わされないであろう。それにしても、ずっと昔私はどこか僧心越の描いた墨絵の芙蓉の小軸を見た記憶がある。暁天の白露を帯びたこの花のほんとうの生きた姿が実に言葉どおり紙面に躍動していたのである。(三巻 247頁)
風雅は自我を去ることによって得らるる心の自由であり、万象の正しい認識であるということから、和歌で理想とした典雅幽玄、俳諧の魂とされたさびしおりというものがおのずから生まれて来るのである。幽玄でなく、さびしおりのないということは、露骨であり我慢であり、認識不足であり、従って浅薄であり粗雑であるということである。芭蕉のいわゆる寂びとは寂しいことではなく仏教の寂滅でもない。しおりとは悲しいことや弱々しいことでは決してない。物の哀れというのも安直な感傷や宋襄の仁を意味するものでは決してない。これらはそういう自我の主観的な感情の動きをさすのではなくて、事物の表面の外殻を破ったその奥底に存在する真の本体を正しく認める時に当然認められるべき物の本情の相貌をさしていうのである。(三巻 258頁)
司馬遼太郎『翔ぶが如く 第一巻~第三巻』文春文庫
鹿児島にでかけてきたので、この本を思い出し、押し入れの奥から引っ張り出して何年かぶりに再読。小説であることを承知していながら、ついノンフィクションであるかのような印象を持ってしまうのは登場人物が実在である所為でもあるだろうし筆者の力によるところも大だろう。司馬の作品は、学生のときの入ゼミ試験の課題図書であった『菜の花の沖』を皮切りに本書や『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『項羽と劉邦』といった長編を一通り読んだ。不思議とどれも長いとは感じなかった。
今、四巻の途中なのだが、明治維新というものの重さが、以前よりもなんとなく軽いものに思えてきた。本書は小説であってノンフィクションではない。それはわかっているのだが、理想論を掲げて既存の社会体制を崩壊させても、新たに権力を握った者が欲得ずくで崩壊した体制と本質的に変わらないものを作って既得権を積み上げていくという話は説得力がある。徳川幕藩体制が実体としては制度疲労と内部腐敗で自滅し、維新政府が誕生しても一般国民の困窮は変わらず、権力を握った者の保身となれ合いで体制が構築され、それを維持する方策を対外膨張に求めざるを得なくなり、太平洋戦争に至った、というふうに見えるのである。
欧米列強が作り上げた既存の国際秩序のなかに新参者として入り込むということの困難は当然にあっただろう。そのために無理な殖産興業を強いられ、その無理の上に急ごしらえの近代軍制を構築し、魔法のような外交を展開するという神業のようなことを成すには、要所要所で天才的な人材が活躍しなければどうすることもできず、人を動かすにはきれいごとでは済まない策術が必要であったであろうことは想像に難くない。しかし、国家の安定は原理原則に則った仕組みが確立されることであり、飛び道具を使うことが日常化するようでは仕組みが成り立たない。欧米列強の論理に迎合することが原理原則ではないのだが、表面的な辻褄を合わせることに焦るあまり、国家としての在り方に対する哲学のようなものが醸成されないままに自己主張をする愚が、太平洋戦争に至らしめたのではないか。主張するべき自己が無いままに借り物の継接ぎを錦の御旗のように振り回す愚である。